第4章 その1

  第四章


 タックベルは、規模としてはそれほどではないものの、歴史は古く、王朝の成立期には聖地として巡礼に訪れる者も多かったという。現在でも、かつての遺跡や要害が残されており、在りし日の姿を感じさせる。


 その街並みが見渡せる高台に、墓石があった。

 冒険者たちの眠る場所として、領主が特別計らいで確保してくれている土地である。管理する者がいるおかげで、辺りは掃き清められ、粗末ながらも死者の眠る場所という荘厳さを保つことに成功している。


 その一隅に、仲間の墓がある。


 リリィ、アスタ、ライラクルス。それぞれの名前が彫られた墓石の中に、彼らは眠っている。

 ハッシュは街で買ってきた酒瓶を開け、それぞれの墓石に注いだ。ナルはその前に花を捧げている。


「……一年ぶりだな」

「ええ」


 ハッシュがつぶやくように言って、ナルがうなずいた。

 リーザが墓石の前に跪き、鎮魂の祈りを唱えた。ハッシュは残った酒を飲み、ナルはじっと墓石と対話するように佇み、各々のやり方で、故人への親愛や敬意を表していた。

 ハッシュが動き、その隣の墓石に二本目の酒を浴びせていった。


 墓石は五つあり、その一つには、『クロック』という名前と没年が記されている。

 あの時助けを求めてきた、クロックのパーティの墓だった。

 剣士ソードユーザー魔術師ウィザード僧侶プリースト召喚士サモナー盗賊シーフ。それぞれの名前が刻まれているが、剣士の墓だけは、遺体が眠っているわけではない。空っぽの墓だ。そこにはロメリアという名が刻まれている。


 ナルもそれぞれの墓石に花を供え、リーザは姉――ロメリアの墓石の前で跪いた。

 その胸中を推し量ることはできない。

 あの時、この墓地に仲間たちを埋葬して、しばらくスノードロップを探していた。だが、森をいくら彷徨っても痕跡すら見つからず、魔獣に襲われるばかりだったため、仕方なく捜索は打ち切ったのだ。


 ここからの風景はあまり変わってはいないが、自分たちはずいぶんと変わった。

 ハッシュはドリアードの種を植え付けられ、僧侶プリーストに転職した。ナルは失ったリュックサックを新調し、各種の道具を使いこなせるような知識と技術を蓄えた。

 そして、小さな剣士ソードユーザー志望の弟子がいる。


「そろそろ、行くか」


 午前中のことである。昨日街に着いた時にはすでに夕方だったため、先に宿を取り、一泊してからここへ来たのだった。

 墓石の前で膝をついたままだったリーザが立ち上がり、歩き出したハッシュについてくる。


 ナルが巨大なリュックサックの中から、『旋誘香』を取り出し、白く輝く宝石の指輪を中に入れた。

 白い煙は蒼空に上って、途中で南の方向へと曲がる。

 どうやらこの街にも、探しものがあるらしい。探し人というべきか。

 旋誘香は、投入する葉によって、探索対象を生物と無生物に区別する。今回使ったのは、生物――尋ね人に使う葉だ。


 スノードロップ。その姿が、ハッシュとナルの脳裏に浮かんでいた。

 一行は、白煙に従って歩みを続ける。

しばらく進むと、街の郊外、畑が広がる地帯まで出てきてしまう。

 石畳ではない剥き出しの土の地面を踏みしめ、さらに先へ。

 やがて、昔に要害として建設されたのだろう、朽ちた砦にたどり着いた。旋誘香の煙は、その砦に吸い込まれている。


「行くぞ」


 ハッシュが先頭に立ち、砦の中へと入っていく。

 ナルがいつものようにそのすぐ後ろにつき、リーザは慌てて最後に砦へと侵入した。

 旋誘香の煙は、ほぼ地面と平行にたなびいていき、奥の部屋へと続いていた。

 兵士のための詰所か、食堂のような用途だったと思われる、広い部屋だった。その片隅に、真新しいカーペットが敷いてある。

 煙は、そのカーペットの周囲にわだかまっていた。

 ハッシュはそのカーペットを捲りあげる。その下には、ぽっかりと穴が空いていて、今よりもさらに暗い闇をたたえていた。


「リーザ」


 うなずき、リーザは魔法の灯りをその穴の中に落とす。穴には階段があり、地下室へ続いているようだった。

 ハッシュを先頭に、石造りの階段を一歩ずつ降りていく。ナルのリュックが突っかかるかと思われたが、ギリギリ通れた。


 最後尾のリーザが階段を降りきった。そこは、もとは食料庫かなにかだったのだろう。壁一面に棚が組まれていて、今は魔法薬を入れるような瓶類が多種並べられている。何が書いてあるのかはわからないが、羊皮紙が重ねて置いてありもする。

 部屋の中央には丸いテーブルがあった。木で作られたそれは新しく、最近になって持ち込まれたらしかった。瓶や羊皮紙も同様だ。

 テーブルの向こうに、誰かがいた。


 床に転がる『光信シグナル』のあえかな光に照らされ、その長い白銀の髪の毛が闇を切り取るように浮かんでいた。

 その誰かが、口を開いた。


「やあ、久しぶり。ハッシュ、ナル」


 ナルが唇を震わせ、ハッシュが表情を険しくした。動く死体リビングデッドにあるまじき、流暢で人間らしい言動だった。


「よくここがわかったね……旋誘香を使ったのかな? アイテムの判断的には、私はまだ、生物扱いされてるってわけだね。そっちの可愛い子は誰かな? 新しい仲間?」

「リーザ・ライムグリーンです。ロメリア・ライムグリーンの妹です。一年前に助けていただいた」

「ああ……えー……ああそう、あの行方不明になってた子か。会うのは初めてだね」


 和やかに語る彼女に、ハッシュは静かに言った。


「なぜここにいる、スノー」


 スノードロップそのものの、しかし決定的に土気色の顔を微笑に彩り、彼女は言う。


「そりゃあ、こんなご面相で街なかに暮らすのは難しいからね。住み心地を整えるのにも、けっこう苦労したんだよ?」

「そういうことを訊いているんじゃない」

「ふふ。ごめんごめん。どうしてこうやって動いてしゃべってるのか、ってことを訊きたいんだよね。でもさ、『なぜ生きてるんだ』って訊かないってことは、だいたい察しは付いてるんだろ? ご想像の通り、今は動く死体リビングデッドをやってるよ」

「嘘です! 動く死体リビングデッドがそんなに流暢にしゃべれるわけありません!」


 ナルがハッシュの背から前へ出た。


「もちろん。普通のゾンビじゃ反射で動く人形でしかないし、私もそんな姿を晒すのはごめんだからね。だから、ちょっと工夫した」


 錬金術士の夢。不老不死の技。スノードロップも、そんな夢のような話を仲間に語ったことがある。

 だが、数百年の叡智をもってしても為すことのならなかった、まさに雲を掴むような話である。天才と誉れ高いスノードロップでも、その端緒を掴むことすらできなかったはずだ。


 だが、現在の姿を捨てることができるなら。錬金術ではなく、死霊術を使うなら。かりそめの命を灯すことも可能ではないか。


「ゾンビに知性がないのは、死霊術ネクロマンシーでは死んだ脳を働かせることができないからだ。魔力で無理やり身体の機能を働かせて、脳味噌にこびりついた生前の記憶の残滓を頼りにして行動させるだけなんだ。それじゃあ、誰がゾンビでも大差はない。もとの体格や身体能力が少しばかり影響する程度だ。死んだものは、死霊術でも錬金術でも、白魔術でもそれ自体を復活させることはできない。……だったら、復活させずに生き返ればいい」


 スノードロップは、自分の両手を見せて、それぞれの人差し指に指輪が嵌っているのを示した。見覚えのある白い宝石。白燈石だ。

 そして、自分の前髪を上に持ち上げ、青白い額を晒した。その中心、眉間の上ほどにも、白い宝石がめり込んでいる。


「この指輪は知ってるね。世間では白燈石とかいう名前が付いたらしいけど……まあそれはどうでもいい。これは発信器であり、受信器だ」

「受信……?」


 リーザが顔に疑問符を浮かべる。


「この脳はすでに機能しない。だから、人のを借りることにした」

「え…………」

「白燈石は、魔力の増幅器……そんなわけがない。本当は、装着者の脳味噌のリソースを掠め取る《・・・・・・・・・・・・・》道具なんだよ。正確には、装着者の脳機能は、石を通じて他の装着者と共有されるんだ。ほら、ナルと私とライラクルスで、食事の時によく一口ずつ交換したりしてたろう? ああいう感じ。ただし、私はみんなからもらうだけだけどね。自分の外から知性INTを得ているわけだから、そりゃあ魔法の性能も底上げされるよね」


 白魚のような人差し指を、自分のこめかみにそっと触れさせる。


「今の私は、世界の誰かの脳を借りて知性を手に入れている。自前の脳は単なる記憶の発火装置。こうしてしゃべっているのは、知能の寄せ集め、ごった煮の中から生まれた『私のような何か』だ。……ああ、指輪を奪ったりしても無駄だよ。これと同じものが、額の他にも身体の各所に埋まってるから。どこにいくつ埋めてるかは秘密」

「スノーさん……なんですか?」

「自己の連続性というやつを考えるとややこしいから、シンプルに考えてるよ。私は『私である』ということを理解してる。私は『スノードロップの記憶と、人間としての知性を持っている』。それで十分。君たちから見たらどうかな? 以前までの私と同じように見えてるかな?」


 ナルは押し黙る。どう見ても、どう聞いても、スノードロップそのもののようにしか思えなかった。血色が悪いだけで、実際に生きているのだと信じたい欲求が頭をもたげた。


「白燈石をばら撒いたのは、一年以上前からだな」


 それまで黙って話を聞いていたハッシュが、静かに口を開いた。


「うん。保険だったからね。事前にいくつか各地にばら撒いて、誰かが身につけてくれるようにしてた。もちろんあの実験に付き合ってもらう前の話だよ。思ったより早く出番が来たのはちょっと焦ったけどね。でもそれが功を奏して、ドリアードに殺されてもなんとかこうして復活できた。ほら、これが遅延『降冥召アビスドライブ』を発動させる呪符。これ作るのにも苦労したんだから」


 棚に無造作に置いてあった呪符を、出来のいい押し花でも見せびらかすように示している。


「魔力の暴走で、死人が出ている」

「あー……まあそれはしょうがないね。脳の一部を借りるのと同時に貸し与えてるわけだからさ。どうしても、イレギュラーが起こっちゃうんだよね。自分で呪文を正しく詠唱してるつもりでも、実際には間違えちゃってたり。まあ滅多に起きないことだから、いいんじゃないかな。なんだかんだ、死ぬまでいくのはレアケースだよ。それより、より高い知性を得て、術士としてレベルアップする喜びのほうが大きいさ」

「それはおまえが決めることじゃない」

「そうかなぁ。まあそうだねぇ。でもね、みんなそんなに暴発が怖いなら、指輪を身に着けたりしなきゃいいんじゃない? 呪われる指輪って噂も立ってるんだろう? でも、私はこうしてどこかの誰かの知性を掠め取り続けて、私でい続けられている。みんなが一斉に指輪を外したら、こうしてしゃべることもできないからね。結局、付けるだけで知性を増やせる道具っていうのは、それだけ需要があるんだよ。みんなは強い魔法やスキルが使えて、私は考えるゾンビでいられる。Win-Winだね」


「ここに来る途中で出会ったパーティは、指輪を使って仲間を死なせ、後悔していた」

「あらら。それは気の毒だったね。まあしかし、一〇〇以上も流通させた指輪のうちの一個のことだからね。他のどこかのパーティは、うまく使いこなしてるんじゃないかな? 素人が調子に乗って高位の術をぽんぽん使うと、勢い余って暴発するのかもね。何にしても、私には知り得ないことだから、考えても仕方ない。自分に都合のいいように想像しとくよ」


 ハッシュが右手を握りしめた。


「もう一つ訊きたい。リーザの姉――ロメリアの遺体はどうした?」


 ハッシュの背後でリーザが身を震わせた。それに気づいたのかどうか、スノードロップは遠い親戚のことを思い出すような顔になる。


「んー、そのロメリアが誰かはわからないんだけど、あの時クロックのパーティにいた金髪の子なら、覚えがある」


 衣服の裾を捲くりあげ、血の気の失せた細い腹が顕になった。目を凝らすと、臍の右側に薄く国境線のような糸の境があり、その左右で肌の色が微妙に違っている。


「内臓は多少欠けてても問題ないんだけど、お腹と右腕の皮はどうしても気になってさ。体格と肌質が似てる子からちょっともらったんだよ。ライラクルスやリリィからもらおうとも思ったんだけど、毒で網状班がきつく出ちゃってたし。アスタなんか穴だらけだったしさ」


 リーザが足をふらつかせ、ナルが慌てて肩を支えた。何かをこらえるように唇を噛み、リーザがスノードロップを睨む。


「姉を、どこにやったんですか」

「皮をもらったあとは、砦の裏に埋めちゃった。不自然に皮膚が切り取られてると、変に思うだろ? ごめんね」


 リーザが短剣を抜いた。一息に部屋を駆け抜けようと踏み込んだところで、ハッシュの右手がそれを阻んでいた。


「先生……どいてください」


 それには答えず、ハッシュはスノードロップをまっすぐに見据えて言う。


「おまえはもうスノーとは違う」

「そうかな? 私からすると、私ははっきり私なんだけどね。ね、ハッシュ、君も一回死んで、私と同じになってみない? 一年前は、指輪の数も少なくて、私一人しかこう《・・》なれなかったけど、今は違う。ナルも、そっちのリーザとかって子も、一緒にアンデッドになろうよ。やりもしないで批判するより、ずっと建設的だと思わない?」

「……スノーさん。私の知ってるスノーさんは、ひどい人だけど、悪人じゃありませんでした。……いえ、ちょっと悪寄りでしたけど、巨悪じゃなくて、チンピラっぽい悪さでした」

「ひどいなあ」

「でも、あなたは違います。自分のために他人を利用して、ゴミみたいに捨ててます。それはクズがやることです。死んでください」

「もう死んでるよ……ってのは冗談として、さっさと土に還れってことだね。それはできないなぁ」

「さんざんワガママを言ってきたんだから、今日くらいわたしたちのワガママを聞いてくれてもいいじゃないですか」

「あは、それはごもっとも――――」


 何の前触れもなく、スノードロップが右後方に飛び退った。その直後、それまで彼女がいた空間を、数条の茨の槍が貫いている。

 ハッシュの左手首から伸びた茨が、テーブルの下を通ってスノードロップに接近し、攻撃を仕掛けたのだった。


「あのドリアードの種か。仲良くやってるみたいだね。いいこといいこと」


 自分を狙った攻撃などなかったかのように、スノードロップは平然と言う。


「ナルが私の気を引いて、ハッシュが攻撃する役だね。事前にリーザちゃんの攻撃を止めてるのも騙しレベル高いよ。ちゃんとチームプレイできてるじゃん」


 ぱちぱち、と、気の抜けたような音の拍手をする。


「今の動き――」


 ハッシュの目が剣呑なものになる。


「おまえはもっと肉体的には鈍かったはずだ。何をした」


 すると、スノードロップはどこか照れたように頬を掻く。その部分が軽く凹んだ。


「私もさ、ハッシュみたいな身体をいっぱい使う戦い方に憧れたりもしたんだよ。だから、《剣士ソードユーザー》の身体をもらえばいいんだって思いついてさ――」


 スカートの裾を持ち上げて、脚の付け根を見せつけた。その太腿は、よく見れば中途から肌の色が変わっていて、まるで薄い靴下を履いているようにも見えた。


「皮をもらう時、ロメリアちゃんの両脚もくっつけたんだ。おかげで、すごく速く走れるようになったよ」


 リーザが今度こそ全力で突進し、短剣をスノードロップの首に振るった。ハッシュもナルも、止める素振りはなかった。

 スノードロップが、ベルトに吊るしていた袋に手を突っ込み、中に入っていた粉を振り撒いた。


 稲妻のような鋭さで頸動脈を引き裂こうとしていた短剣が、スライムにでも阻まれたように動きを止めた。驚愕するリーザだが、短剣を手放してその場で姿勢を思い切り低くし、腿に隠していたスティレットを左手で抜いて、粉がまだ到達していない床すれすれを這うように、スノードロップの足首を突いた。


 スノードロップはごく軽い動きでステップしつつ、スティレットの刃を足の裏で踏みつけた。リーザの左手指が、スティレットの柄と床の間で挟まれる形になるが、彼女は一切気にしていない。手放した短剣が、硬い床に落ちる音が聞こえた。

 スノードロップの背後に茨が迫った。粉の防御に幾条かは阻まれるが、物量に任せて残りの茨が彼女の首を狙う。


 いつの間に取り出したのか、一枚の呪符が茨の前に表れていた。その呪符に触れた瞬間、襲いかかっていた茨すべてが凍りつき、まるで奇怪なオブジェになる。

 一連の行動を、スノードロップは一切振り返らずに行った。目の前には、すでにハッシュ本人が迫っていた。


 右手に握っている密度の高い樫の杖を、裂帛の気合で打ち込んだ。周囲に舞っている『斬止ざんし塵埃じんあい』は、刃物や棘による攻撃を抑制できても、木の杖による突きを防ぐ効果は薄い。それを読んだ上で、スノードロップの喉を潰しに攻撃が飛んだ。

 しかし、その時にはすでに呪文が完成している。


「『震崩スライダー』」


 地下室全体が震えた。そう思った時には、天井に亀裂が入り、部屋全体が崩落していた。

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