第4章 その2

 砦が半壊している。そのそばに、スノードロップが悠然と着地した。

 その視線の先には、リーザを右手で抱えているハッシュと、その腰にぶら下がっているようなナル。彼女のリュックサックは、半ばが引きちぎられたように裂かれて、中身がこぼれ落ちていた。


「ありゃりゃ。ナルー、駄目だよ、荷物は大事にしなきゃ。相変わらずドジだねぇ」


 嘲るでもなく、ただ仲間を心配するリーダーのように、スノードロップが言った。


「自分で攻撃しといて、なに言ってるんですか」

「あはは、そりゃそうだね。でも、ちゃんと全員生存してるのは偉いよ。殺すつもりで唱えたんだけどな。結構びっくりしなかった? 私オリジナルの呪文なんだよ?」

「おまえは、基本的な攻撃呪文しか使えなかったはずだ」


 冷静なハッシュの指摘に、スノードロップは子供のように答えた。


「勉強したんだよ。何しろ、眠らなくて済む身体になったからね。まあ、他の誰かの経験を自分のものとして活かしたんだって言われたらそうかもしれないけど。でも、私の頭の中に生まれた発想はどこから来たのか、なんて考えてもしょうがなくない? できるんだからできるし、やりたいからやるんだよ。そういうわけだから、遠慮はしないよ」


 蒼穹を閉じ込めたような、蒼い液体の入った小瓶を地面に叩きつけた。即座にその一帯の地面が泥濘へと変化する。『瓶詰め沼湖』の効果である。

 追撃するように、スノードロップが呪文を唱えた。


「『晶槍クリアランス』」


 泥濘から、泥色の槍が突き出てきた。ハッシュはリーザを抱えたまま飛び退き、ナルは腰から手を離してハッシュと逆方向へ逃れた。

 しかしそれで攻撃は終わりではなく、生じた槍が半ばから折れ、ナルを追跡するように飛来してきた。トンボを切ってさらに後方へ逃れるナル。しかし、槍は執拗に彼女を追尾する。


 泥濘に手を付きながら、腰から何かを抜いた。手首の一振りで半月のように広がるそれは、鉄扇だった。

 鉄扇の腹で、晶槍を受け止めた。槍は硝子のように砕け散り、バラバラになって風に巻かれる。

 しかし、左前方からもう一本の槍が飛来してきていた。タイミング的に防御は間に合わない。このままではナルの首に突き刺さってしまう。


 と、茨が鞭のように晶槍を弾き、ナルを守った。彼女を助けたハッシュが、泥濘に直接左手を浸して、水を手首に補給している。

 そこにリーザの姿がないことに、スノードロップは気づいたようだった。

 しかしすでに、回り込んで側面から肉薄していたリーザの背後に、光球が生じつつある。


「『光信シグナル』!」


 目も眩むような強烈な赤光が、リーザの背後で生まれた。

 反射的に目を眇めるスノードロップの白い首筋に、スティレットが突き立った。

 そして次の瞬間には、腹につま先をめり込まされたリーザが吹き飛ばされている。

 小柄な身体は驚くほど遠くに墜落し、即座に体勢を立て直そうと右腕を地面につく。


 と、リーザは苦痛を叫び、うつ伏せに倒れ込むと悶絶した。右上腕の骨が折れていた。フォローのために走るハッシュ。

 首にスティレットが刺さったまま、スノードロップは呪文を完成させた。


「『電奏ライトフォトン』」


 泥濘となった周囲の地面に電撃が走り、小瓶を投擲しようとしていたナルを襲った。彼女はびくんと全身を震わせ、瓶を取り落した。

 さらに流れるようにスノードロップは疾走し、リーザの腕を治療していたハッシュを蹴りつけた。


 ハッシュは不安定な姿勢のまま杖で受け、逆に茨で四方から貫きにかかる。

 攻撃は過たずスノードロップの胸板を抉る経路をたどっていたが、その先端が上着に触れると不自然に曲がり、明後日の方向の地面へ突き刺さった。


『カドラの霊水』の効果だということを頭で判断するより前に、杖を横に振るう。風圧で白い髪が夜闇に舞った。

 しかしスノードロップは右腕を犠牲にし、杖を受け止めた。その杖も、度重なる負担に耐えかね、ついに折れる。


「残念」


 どこか楽しそうに、へし折れた右腕の向こうから、スノードロップが笑った。

 彼女が組み討ちの間合いに入った。


 流麗なフォームでのハイキック。ハッシュは肘を合わせてガード。だがキックの軌道が途中で異様に変化し、ガードをすり抜けてハッシュの脇腹に突き刺さった。

 身体を折り曲げて衝撃を逃がそうとしたが、失敗した。折れた杖を突き込むが、苦し紛れの攻撃は余裕で避けられ、逆に右手を抱え込むように抑えられる。


 スノードロップは、ダンスの誘いに応じるように左手でハッシュの手を握り包むと、右膝でその肘を突き上げるように痛打した。ぼきりと鈍い音が響いた。

 ハッシュは腕を折られたことを完全に無視し、左腕を彼女の腕に触れさせようとする。しかし、ほとんど抱きつくような距離に潜り込んだスノードロップの掌打が顎に入り、唱えかけていた呪文を中断させた。


脳を揺らされるまでには至っていない。彼我の距離がゼロになったことを利用して、左手を払うようにスノードロップの首に突き立ったままのスティレットを狙った。それは柄を押し込むことに成功したが、刃が自分の首にさらに深く差し込まれながらも、スノードロップは左手で呪符を取り出し、ハッシュの腕に貼り付けようとする。


 しかし寸前で、急成長したハッシュの茨が呪符を串刺しにした。

 同時に、ハッシュが右手に持ったままだった半分に折れた杖を、手首の動きだけで投げつけた。


 それはスノードロップの目を狙っていたが、首をひねって躱され、額を浅く裂いて泥濘の中に転がっただけだった。

 だがその攻防により、彼我の距離は開いた。

 追撃をかけようとしたスノードロップの目が小さく開く。周囲に白い靄が漂っている。


 それは見る間に密度を増し、乳色の霧となって辺りを包み込んだ。

 相手の気配が消えていることを察知したスノードロップは、つまらなそうに自分の首に刺さっているスティレットを引き抜くと、泥の中に捨てた。




 身を隠した森の中で、ハッシュはナルの身体を横たえた。息は荒いが、命に別条はない。ただ、肉体的な怪我は『癒術ヒーリング』で直せても、電撃による身体の痺れまでは治療できない。『解毒リフレッシュ』が有効なのは、あくまで毒物に対してであり、この麻痺は時間経過で治るのを待つしかない。


「はっしゅ……さ……わたし……ごめ……」

「ここで、じっとしていろ」


 口が動かないまま謝罪するナルの頬を、ハッシュは左手の先で撫でた。


「大丈夫だ、俺がなんとかする」


 その指を、ナルの手が掴んだ。今にもほどけそうなほど弱々しい力だったが、彼女の意志を雄弁に示していた。

 行ったら殺される。


「……ナル」


 なんと言えばいいのか考えあぐねるように、ただ名前だけをつぶやく。

 それを助けるように、二人の手を握る者がいた。


「ナルちゃん、ここで休んでて」


 リーザが真剣な眼差しで、伏せるナルを見つめていた。深緑の瞳が、夜闇の中でも輝きを失っていないのがわかる。


「リーザ、姉の仇を討ちたいのはわかる。だが、スノーは俺たちを殺すつもりだ。危険が――」


 ずいっとリーザがハッシュの鼻先に自分の鼻がくっつくほど接近する。


「わたしは、先生の弟子のつもりです。先生が殺されちゃうかもしれないのに、黙ってられません。それに、どうせすぐ見つかっちゃいます。だったら、一緒にいたほうがいいです」

「…………」

「あ、ナルちゃん、当てにならないって感じの顔。わたしだって、死にたくないから言ってるんだよ?」

「……わかった。頼む」

「はい!」


「特殊な形式とはいえ、動く死体リビングデッドであることに変わりない。『癒術ヒーリング』をかければ、あいつの肉体は崩壊するはずだ。だが、さっきも機会を狙っていたが、呪文を唱えながら奴に触れることは難しい」

「動きを止めないといけない……っていうか先生! その腕、折れてるじゃないですか! 治してください」

「駄目だ。使用回数が足りなくなる」

「あ……」


 ハッシュの『癒術ヒーリング』が使えるのは、一日に四回。リーザとナルに一回ずつ使っているため、残りは二回だが――


「『癒術ヒーリング』一回で倒せるかは、わからない……」


 発動が遅れ、空振りになるかもしれない。その成立が特殊なアンデッドには、複数回の被術が必要になるかもしれない。


「右腕は捨てる。茨があれば、攻防はなんとかなる。それよりも、奴に呪文を発動させる機会を残しておきたい」

「……だったら、」


 リーザは喉元まで上ってきていた言葉を飲み込んだ。自分やリーザの治療をしなければ、などと言うのは簡単だ。しかし、そのおかげで二人とも生きているし、自分の師匠は自分よりも誰かの治療を優先する人物だというのは理解していた。


「リーザ、『遠目イーグルアイ』で奴の位置は探せるか? 暗さと木が邪魔して、難しいかもしれないが……」


 話を戦闘準備に切り替えたハッシュに、ナルは答える。


「できます。でも、もう一つお話させてください」

「……ああ、なんだ」

「わたしに考えがあります」

 胸に手を当てて、リーザは決然と宣言した。

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