第3章 その4

「ブルーベルさん、なんだか嬉しそうでした。久しぶりの故郷だからですよね。アーさんともいい感じでしたし」


 指定された酒場、普段立ち寄るよりも少し上等な雰囲気の店の一角で、リーザたちは麦酒と料理を楽しんでいた。


「すぐに旅に出るって言ってましたけど、アーさんがいっしょなら、きっと楽しい旅になりますよね。安心です」


 ハッシュが麦酒を一口で飲み、空のカップをテーブルに置きながら言った。


「あの二人はいっしょには行かない」

「え? だって、護衛お願いって言ってたじゃないですか、ブルーベルさん」

「あれは、アスクレピアスを街に帰らせるための方便だ。はっきり言って、あの程度の実力では護衛として力不足だ。白燈石の底上げがなければ、チンピラに毛が生えた程度だろう。おそらくすぐ死ぬか、彼女を守りきれない」

「リーザさん。あの人、冒険者になるって街を出たけど、結局身を立てられずに街に戻ってきたんですよ。それで、似たような境遇の人といっしょに、なんとかブルーベルさんのお父様のもとで働かせてもらってたんです。そんな人が、長旅の護衛なんて無理ですよ」

「じゃ、じゃあ、ブルーベルさんは最初からアーさんを街に置いてくつもりなんですか?」

「ああ。護衛は、正規の冒険者に依頼するそうだ。今日の演奏は、その資金を稼ぐためでもある」

「……先生、そんなのいつの間に聞き出したんですか」

「ハッシュさんはプレイボーイですからね。油断も隙もないです」


 ナルが麦酒をちびちび飲みながら、ジト目で言う。

 それには答えず、ハッシュは二杯目の麦酒に口をつける。


「ブルーベルさんにも、アスクレピアスにも、それぞれ事情がある。高名なフルート奏者と、冒険者崩れの用心棒……。お互い、思うところもあるだろう。ブルーベルさんの判断が正しいかどうかは、俺達が関知することではない」

「それはわかってますけど……」


 その時、酒場の空いたスペース、おそらくテーブルをひとつ片付けたのだろうぽっかりと空いた空間に、見覚えのある姿が登場した。

 ブルーベルだった。白と薄い青色をベースにしたトーガ風の衣装に、赤い組紐が映える。その手には、銀色のフルートが握られていた。

 こちらを見て、彼女は薄く微笑んだ。


 ひとつお辞儀をし、演奏が始まった。

 勇壮なマーチを思わせる、軽やかな曲だった。今日、森を歩いていた時に彼女がハミングしていた曲だと、リーザは気づいた。音楽に明るくない彼女でも、その演奏技術が卓越したもので、ブルーベルという人間の存在感が、薄暗い酒場でも光り輝くようだということを感じ取った。

 酒場の中は盛り上がっていた。身体を揺らして節を取る者、口笛を吹く者、よくわからない歌詞をつけて歌を合わせる者、さまざまだ。


 一曲目が終わった。景気のいい拍手が奏者を称える。

 すぐに二曲目が始まる。今度は、郷愁を誘うような、かさついた心を薄く撫でるようなメロディだった。


「……すごいですね、ブルーベルさん」


 ナルが正直な感想を口にした。ハッシュもリーザも、無言でそれを肯定した。

 なんとなく、これは故郷を奏でる曲なのだとわかった。短い時間、簡単にしか歩いていないが、古い石畳や細い路地裏、そこを通り抜ける布と糸の香りが混ざった風――そんなものが、脳裏をよぎった。

 見れば、聴衆も目頭を押さえている者が少なくない。地元の人間には、余計に感じ入るものがあるのだろう。

 地元。その言葉を、リーザは反芻した。

 思った時には、口をついて言葉が出ていた。


「あの、ハッシュさん、ナルちゃん。タックベルに行ったら……そのあと、寄り道してもいいですか? その、わたしの故郷が、ジェイタスなんです。キャリブレに戻るには、ちょっと遠回りになっちゃうんですけど……」

「……家族がいるのか」

「はい。何ヶ月か、会ってませんけど……」


 そこでハッシュはナルに目線を移した。ナルはどうして自分に振るのかという顔をしたが、


「……いいんじゃないですか。べつに、帰りを急ぐわけでもないですし。ジェイタスなら、わたしも行ったことないですし。……ご両親に、会える時に会うのは、いいことです」

「わかった。用事を済ませたらジェイタスに向かおう」

「ありがとうございます! ……あの、それで、ちょっと話しておきたいことがあるんですけど……」

「なんですか?」

「……先生たちは、一年前、タックベルでドリアードと戦ったんですよね」

「ああ」

「助けを求めてきたクロックという人は、森で行方不明になった誰かを捜索していたと言っていましたよね」

「……ああ。パーティは全滅したが、依頼は果たした」


 演奏は三曲目に入り、胸を震わせるような力強い曲になっていた。

 リーザは息を吸い、決然と言った。


「その時行方不明になっていたのが、わたしです」

「え⁉」


 リーザが驚きの声を上げる。


「知っていた」

「え⁉ 先生……え⁉」


 今度はリーザのほうが驚愕した。ナルはさらに輪をかけて驚愕の表情になっている。


「あの時、依頼を出していたのはライムグリーン家だった。有名な名前だったし、リーザの家名を聞いて思い出した」

「じゃあ、最初からじゃないですか!」

「いや、確信を持ったのは、キャリブレに着いてからだ。知り合いの情報屋から、ライムグリーン家の次女の容姿と、冒険者になったということを聞いて、おまえがあの時の失踪者だということを知った」

「……わたしが素性を黙っていて、腹が立ちませんでしたか?」

「最初は、おまえが俺を殺しに来たのかと思った。姉を助けきれなかったことを恨んで」

「そんなわけないじゃないですか!」

「ああ。しばらく過ごしていたが、まったく殺気を感じなかった。弟子になりたいというのも本心だろうと思った」


 酒場でのカード勝負の感想戦でもするように、淡々と言うハッシュ。


「ちょ……ちょっと待ってください。姉って誰のことですか?」


 たまらずというように、ナルが口を挟んだ。リーザに姉がいるというのは初耳だ。


「わたしを最初に捜索してくれたチーム……ナルちゃんが話してくれた、クロックさんのチームに、わたしのお姉さんがいたの。名前はロメリア」

「リーザ。おまえから説明してくれ。俺も多くは知らない」

「……わかりました。あの時、迷子になったわたしを探す、家族からの依頼を請けて捜索についてくれたのが、チーム《ロメリア》……わたしの、姉がリーダーを努めていたチームでした。その時偶然、姉たちがタックベルにいたんです」

「…………」

「姉は森で迷子になっていたわたしを見つけてくれました。でも、街に帰る途中、あのドリアードと遭遇してしまったんです。とても逃げ切れないと判断して、姉はクロックさんに援軍を呼ぶよう頼みました。そうして来てくれたのが、ハッシュさんたちです」


 リーザが語る内容は、このようなものだった。

 リーザは、パーティの召喚士が喚んだ山犬の背に乗って、街へと一人帰された。とてもリーザを守りながら戦う余裕はなかったのだ。

 そして、家に保護されたリーザは、姉のパーティが全滅し、助けに来てくれたパーティもほとんど壊滅したことを知った。

 姉を失ったことは胸が潰れるほど悲しかった。けれども、姉の仲間や、それを助けに来てくれた見も知らぬ人たちが死んでしまったことは、それにも増してリーザを苛んだ。


 せめて、墓前に花を手向けて感謝を表そうと思い、共同墓地へ足を運んだ。

 援軍に来てくれたスノードロップというリーダーのチームの墓石と、姉のパーティの墓石にそれぞれ祈った。

 姉の遺体は見つからなかったと聞いている。名前が彫られているだけで、誰も眠っていない墓石をじっと見ている間、リーザの胸には、一つの可能性が去来してならなかった。

 実は生きているなどと甘い期待はしていない。しかし、リーザは吟遊詩人の唄う恐怖譚の一節を思い出してならなかった。


道を外れた死霊術師(ネクロマンサー)が、戦場で豪傑の遺体を盗み出しては、自らの手足として使役しているという。


姉もまた、生きる屍として彷徨っているのではないだろうか。

 そうであれば、考えるに忍びない。せめて状態を確認し、弔ってやりたい。それが叶わなくとも、なんとか骨の一つも見つけてやりたかった。

 だが、もともとタックベルには父親の用事で逗留していただけだ。数日経つと、否応なく生家に帰らずを得なかった。

 加えて、タックベルへ捜索をするにしても、その森で死にかけた小娘の言うことなど、誰も耳を貸さないだろう。


 リーザは、自分自身で解決することに決めた。

 冒険者になるのだ。

 十四歳のある日、冒険者になるため家を出たいと父に申し出た。父は商人で、常に新しい風を取り込もうとする柔軟な人物だ。けれども、さすがに娘を失ったその後に、妹まで同じ道に進もうとすることには難色を示した。

 リーザは拝み伏し、言葉を尽くして説得を試みた。ライムグリーン家は各地を巡り、街々をつなぐ行商人として身を立てた一族である。しかし、姉がドリアードにやられたように、魔獣の跋扈は目に余る状況で、市民のためにも微力を尽くしたい。

 半分以上は本音だった。姉を弔いたいという気持ちは、魔獣を狩って仇を討ちたいという気持ちの裏返しだった。


 結局、兄がリーザの肩を持ってくれて、父もうなずいた。商人としてすでに頭角を現していた兄は、職業柄冒険者との付き合いも深く、リーザならうまくやれるだろうととりなしてくれたのだ。

 勇んで冒険者ギルドの存在する街まで出向き、剣士ギルドの門を叩いたリーザは、その体格を理由に門前払いを食らった。

 幼い頃から姉を真似て剣の心得はあったのだから、気にせず入門すればよかったのだが、頑固なところのあるリーザは腹を立て、舌を出してギルドをあとにした。


 次に訪れたのは、《聖盾士パラディン》のギルドである。そこでもまるで相手にされなかった。しかしそれは織り込み済みで、実際に狙っていたのは《狩人ハンター》のギルドである。そちらは快く受け入れてくれて、これで冒険者としてのキャリアがスタートするのだと、リーザは心を踊らせた。


 しかし、最初に弓矢を渡され、的撃ちの練習を開始した時、絶望的に適正がないことに気づいた。

 何度射っても矢は地面に突き刺さるわ弓は跳ね回るわ、見るに見かねた師範が、教練をリーザの分だけ『遠目イーグルアイ』と『追跡術トラッキング』に変更したくらいだ。

 なんとか訓練は終えることができたが、弓の使えない狩人などどこのパーティでも拾うはずがない。仕方なく、リーザは魔術師ウィザードギルドの門を叩き、しかしそこでも攻撃呪文を習得できず、進退窮まってしまった。


 そんな時、リーザの耳に噂が飛び込んできた。キャリブレの外れに、音に聞こえた剣士が隠居していると。噂を聞く限り、立派な屋敷を構えて侍女と二人だけで生活しており、どこのパーティにも所属していないと。

 リーザはいてもたってもいられず、その噂の屋敷を訪ねた。

 そして、こうして三人で再びタックベルへと戻ってきたのだ。


「……こういうわけで、わたしはどうしても、姉を探し出したくて、ここまできたんです。正直、ナルちゃんに昔の話を聞いて、びっくりしました。あの時助けに来てくれたのが、先生たちだったんですね。本当に、ありがとうございました」


 長い説明に喉が乾き、リーザはカップの中身を飲み干した。苦味が心地いい。

 ハッシュもナルも、真剣にリーザの言葉に耳を傾けていた。

 ブルーベルの演奏は、冬の湖面のような静謐なものへ移っていた。

 ハッシュがリーザの目をまっすぐに見て言った。


「目的は、俺たちと同じだ」

「え?」


 ナルがうなずく。


「わたしたちも、仲間を探すために、タックベルを目指してるんです。お墓参りだけじゃなくて」

「スノードロップの遺体は、見つかっていない。しかし、タックベルで、スノーを見たという者が出始めたらしい。ここ二ヶ月ほどのことだ」

「だから、それを確認するために来たってところもあるんです」

「その、それって……」


 薄明かりの中で、ハッシュの感情のこもらない瞳が光っていた。


「動く死体リビングデッドになっているなら、俺が始末をつける」

「…………」

「白燈石の異様な流通数を考えれば、新しく生産されていることは間違いない。しかし、錬金術士の錬成物というのは、材料と合成法レシピがわかれば誰にでも作れるわけではない。その時その場所の環境、材料の微妙な純度、それぞれが複雑に絡み合って、常に製法は微妙に変化するという。だから、錬金術士は最終的に自分の勘を頼りに錬成をしている」

「だったら、スノーさん自身が白燈石を作り続けていると考えたほうが、合理的なんです」

「動く死体リビングデッドにされて、ずっと石を作るために働いてるってこと……?」


 その言葉には誰も答えなかったが、二人とも無言で肯定していた。


 ブルーベルの演奏が終わった。

 酒場の中に拍手が満ち、ハッシュもナルもそれに追従する。

 遅れてリーザも、ぺちぺちと下手くそな拍手をした。

 ブルーベルがこちらを見、笑顔で手を振ってくれる。


 唐突に、彼女がアスクレピアスを置いていく理由を悟った。

 自分を助けるために友人が死んだら、どんな気持ちになるだろう。

 リーザはあの時、浅はかな自信を根拠に森に入り込み、結果的に助けに来てくれた冒険者を死なせてしまった。

 それどころか、このハッシュとナルのかつてのリーダーは、死んでもなお生ける屍として利用されているのだ。

 リーザの胸にどうしようもなく何かがこみ上げ、それが目から溢れ出した。


「ごめんなさい、先生……ごめんねぇ……ナルちゃん……」


 突然滂沱の涙を流し出したリーザに焦って、ナルが懐からハンカチを出した。


「ちょ、ちょっと、どうしたんですかもう……。ほら、目つぶって」


 ナルが涙を拭いてくれるが、次から次へととめどなく溢れてきて、きりがなかった。


「スノーさんたちのことなら、大丈夫ですから。リーザさんが誰とか、あの時誰を探してたとか、そんなのわたしたち気にしませんから」

「リーザ、クロックたちのパーティを助けに行ったのは、スノーの判断だ。俺たちは、スノーの判断に従うようにしていた」


 ハッシュがいつもどおりの冷静な口調で告げる。


「判断が間違っていたと言うなら、俺たち全員が間違っていた。おまえのせいでスノーたちが死んだというなら、それは侮辱だ。うぬぼれるな」

「ちょっとハッシュさん……。リーザさん、ハッシュさんは口下手だから、こんなふうでもちゃんと慰めてるつもりなんですよ。わかりにくいですよね?」


 柔らかな金髪を優しく撫で、ナルが説明していた。

 一方で、リーザの胸は、暖かな感情で満たされていくのを感じていた。


「自分のせいでわたしたちが傷ついたと思ってたから、言い出せなかったんですよね? 大丈夫ですよ。冒険者は、そんなことを恨んだりしません」


 また目から涙がこぼれ、ナルが「ほら、泣かない」と、ちょっと乱暴にそれをぬぐった。照れ隠しだったのかもしれない。

 ハンカチが前髪をかき分け、額にまで触れた。

 その時、何かに気づいたように、ナルの手が止まる。


「……ナルちゃん、ありがと」


 リーザはナルを少し赤くなった目で見て、自分で前髪をかき上げた。


「……もうひとつ、お話させてください」


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