第2章 その3
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懐かしい夢を見ていた。
ナルは寝床から身を起こすと、身支度を整え、顔を洗うために宿の表へと出た。
キャリブレから次の都市フーザへとたどり着き、一泊した翌朝のことである。
井戸で水を汲み、顔を洗ってから、少し離れた木のそばに歩み寄っていく。
「おはようございます」
「……ああ、おはよう」
その木の根元に、ハッシュが座っていた。ナルも隣に腰を下ろし、肩同士が触れ合う距離になる。
二人の視線の先には、剣を素振りする少女がいた。
「あの子、このまま連れて行くんですか?」
「筋は悪くない。少し見てやっていても、いいと思う」
小さくため息をつくナル。
「優しいんですから……」
「すまない」
「いいです。……わたしだって、最初はハッシュさんたちに拾われたんですから。その時に比べたら、才能があってよさそうですもんね」
「それは、違う」
ハッシュはナルを見た。至近距離で見つめ合う形になり、ハッシュの鳶色の瞳に、自分が映っているのがわかるほどだった。
「リーザの才能と、おまえの才能はまったく違う。比較に意味はない」
顔が赤くなっているのを自覚しながら、ナルは身体をよじるようにして顔を背けた。
「わ、わかりましたから! ちょっと困らせたかっただけです……」
素直にハッシュはうなずき、リーザを観察する作業に戻った。それはそれでつまらないナルは、ハッシュの肩に自分の頭を預け、思いつくまましゃべりかける。
「いい天気ですねー」
「ああ」
「しばらく雨が降らなそうだから、水は多めに持っていかないといけませんね」
「ああ」
「猪の燻肉をもらって来てるんですよ。買い物の時、ちょっと香辛料がほしいですね。いいのがあればいいんですけど」
「塩ならあるが」
「あの子がもっと味付けにバリエーションがほしいってワガママ言うんですよ……これだからいいとこのお嬢様は……」
飛び跳ねるリーザを指差すナルは、ハッとしてハッシュを見た。
ちょっと驚いたような表情だったハッシュは、口元を緩めて「そうか」とつぶやいた。微笑んでいるようにも見えた。
「あ、いえ……違うんです。その、あんまりうるさいから、なにか食べさせておかないといけないってことです」
そこに、朝稽古を終えたリーザが駆け寄ってきた。
「おはようございまーす。あーお腹すいたー」
「わかってますから!」
「え、ナルちゃんなに……?」
朝食を宿で軽く済ませ、一行は買い出しに出ることにした。
「今日は何を買うんですか?」
「戦闘用の道具をいくらか補充して、食料と、香辛料……、それから、俺の杖と、おまえの装備を買う」
「あー、あの時、ワイ―バーンの火で炭になっちゃいましたもんね。……え? あ、前に言ってた、ダガーにしたほうがいいって話ですね? わたしの剣も新調していいんですか?」
「ああ」
「やったー!」
「あんまり無駄遣いできませんよ。ちゃんと節約してくださいね」
「うん、あ、ナルちゃんも、新しい武器とか買わないの?」
「わたしは必要ありません」
「じゃあ、わたしの装備、一緒に選んで」
「…………」
いつの間にか三人の財布が一緒になってしまっていることに一抹の疑義を感じながらも、ナルたちは武器商会の門を開いた。
フーザはキャリブレに比べてわずかに大きな人口を持つ。そのためか、品揃えもそれなりに幅広く、店内はちょっとした展覧会のようになっていた。
壁に掛けられた二本の長槍に、ふらふらと引き寄せられていくリーザ。
ハッシュはいくらか杖を握って、店主と話をし、表面に強度上昇のための呪紋を彫り込んだ一本に決めた。
リーザはその間、長い前髪の隙間から、しげしげと戦斧や重鎧を物欲しそうに観察していたが、ハッシュに声をかけられると、弾かれたように振り向いて、自分の目的を思い出したように言った。
「あ、あの! わたしダガーが欲しいんです!」
元気に呼びかけられた好々爺然とした店主は、孫を見るような目をリーザに向けながら、「それなら、こちらがおすすめですよ」と手で示した。
精緻な装飾があしらわれた柄に、指を保護するための護拳と呼ばれる半円状の鍔がついている。これまた優美な鞘から抜くと、目が覚めるような美しい刀身が顔を出した。
リーザが感極まったように、目をキラキラさせて叫んだ。
「わ、わたし、これにします!」
ハッシュが無言でダガーの金額を見た。四二〇ゴルド。
「いらん」
店主に短く宣言すると、ナルがリーザからダガーを奪って店主に返した。「ああっ」と名残惜しそうに伸ばしたナルの手が宙を泳ぐ。
「駆け出しは、武器よりも防具を先に整えるべきだ。防御は技術でカバーしにくいし――」
ハッシュがいつもどおりの冷静な眼差しで言った。
「俺では、致命傷を直せない」
「…………」
「ハッシュさんは、リーザさんが心配なんですよ。わたしだってほら、服とブーツはちゃんとしたものを使ってますし」
ナルが外套の裾を上げて、編み上げブーツを見せた。リーザは納得したようにうなずき、
「そうだよね。ナルちゃん、わたしに似合う服、どれがいいかな?」
「……似合うとかじゃなくて、実用性を見てください」
呆れ声で嘆息しつつも、ナルはまんざらでもなさそうに、衣服や帽子や靴を眺め、リーザと見比べている。
「これなんてどうです?」
「んー、ちょっと大きいかも……」
「多少なら丈を詰めてもらえますよ。いい生地だから、何かに使えるかも……」
「あ、こっちの靴、かわいい」
「それはサンダルですよ……。剣士なんだから、足元はしっかりしたものじゃないと駄目ですからね?」
そんな二人のやり取りを、ハッシュは無言で見守っている。
結局、
「あとは武器だな」
ハッシュは簡素な作りのダガーを示し、店主に包んでもらった。こちらは六〇ゴルド。リーザの新装備の総額は、しめて二四五ゴルドとなった。ハッシュの選んだ杖(五〇ゴルド)と合わせ、総額二九五ゴルドである。
「……あの、今更なんですけど、わたしの分も払ってもらって大丈夫なんですか?」
そこで初めて遠慮という概念を思い出したように、リーザがおずおずと問うた。
「剣士の戦力は、パーティの生存力に直結する。気にするな」
「職業によって、必要な金額も変わってきますからね。甘えておいたらいいですよ」
ぱっと花が咲くように、リーザが笑顔になった。
「わかりました。ありがとうございます!」
ナルがリュックサックから白い包みを取り出し、店主に差し出した。
「ナルちゃん、なにこれ?」
「ワイバーンの鱗です」
包みの中には、リーザの手のひらほどの大きさの、エメラルド色の鱗が数枚入っていた。
「あれ? でも、キャリブレの領地で討伐されたんだから、ワイバーンの死骸は領主さんの物になるんじゃないの?」
ナルはリーザの口に人差し指で蓋をし、鼻面をくっつけんばかりに凄む。
「そんなローカルルールは知りませんし、わたしたちはたまたま落ちてた鱗を拾って、たまたま鱗の収集が趣味の人がいたから善意でプレゼントしたら、結果的にお礼をもらえたというだけです。三〇〇〇ゴルドはあくまで領主の厚意で、お金をあげるからワイバーンには手を出すなという無言の圧力なんかじゃないんです。だから、余計なことは言わなくていいんです」
こくこくとうなずくリーザ。
店主が奥から金貨を持ってきて、ナルはそれを数えてからがま口に詰め込んだ。
「八二〇ゴルド……確かに」
今回の買い物を差し引いても、五二五ゴルドの儲けである。
「まあまあだな」
つぶやくハッシュにナルが同調する。
「状態がよかったから、けっこういい値になりましたね。助かります」
感心したように、リーザが意気込んで言った。
「すごいです! 一昨日三〇〇〇ゴルドもらったばっかりだし、ハッシュさんお金持ちですね!」
なぜか、そこで二人は無言になる。
「まあ、三五〇〇もあれば、そう、ですね……」
歯切れの悪いナル。その顔を覗き込もうとしたリーザは、ハッシュが店を出ていくのに気づいて慌てて後を追った。
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