エピローグ
姉の声が遠くに聞こえる。
リーザは自分がどこにいるのかを思い出す。父の仕事についてきて、タックベルの土地にやってきていたのだ。
姉は憧れだった。女だてらに《
そんな折、偶然姉のパーティがタックベルに逗留しているという話を父が聞きつけ、久しぶりに家族で食事を取ることになった。
姉は逞しくなっていた。全身が生命力に溢れ、腰に下げた剣も、堅牢そうな鎧についた汚れも格好よかった。姉妹で揃いの金髪は短く切られていたが、緑の髪留めがされたそれは、旅の身でもちゃんと手入れはされていて、力強さの中にも清楚さがあった。
それを姉に伝えると、照れたように笑って首を振った。久しぶりに会うから、めかしこんできただけなのだと。リーザはその日のうちに、自分の髪も姉を真似て短く揃えた。
すべては衝動だった。姉の誕生日が近いことも、その衝動を後押ししていた。
翌日、リーザは、幸運を呼ぶというマヤリスの花を摘みに、森へ分け入った。
プレゼントを贈りたかった。姉は冒険者だから、同じ場所にずっといるわけではなく、贈り物も届かないことがある。たまたま同じ街にいられる今が、神様のくれた機会なのだと思っていた。
それほど深く踏み入らなくても手に入れられると、街で聞いていた。地元では、子供でも摘みにいける花だと。
だが、なかなかその花が見つけられず、うろうろと探し回っているうちに、どこからやってきたのかわからなくなってしまっていた。
焦った。知らない森で迷子になるということが何を意味するのか、仮にも商人の娘であるリーザにはよくわかっていた。
こういう場合は、むやみに歩き回ると余計に迷ってしまう。休息できそうな岩を見つけて、そこに座り込んでじっと助けを待つことにした。
勝手な行動で、とんでもないことをしてしまった。父は心配しているだろう。もしかしたら、姉の耳にも入って、烈火のごとく怒るかもしれない。
もし無事に帰れたら、謝ろう。
そんなことを考えながら眠りについたリーザは、頬をつねる誰かの気配で目が覚めた。
「……いたい」
「おしおきよ、バカ」
目の前に、姉の顔があった。
昨夜のうちに、帰ってこない娘を心配した父が、リーザの捜索依頼を出していたらしかった。それと同時に、姉の耳にもその話が入り、朝になって即座に探しに来てくれたということだった。
「……ごめんなさい」
姉のパーティもいっしょに探してくれていたということで、リーザは全員に頭を下げた。誰も彼も、無事に見つかったことを喜んでくれていた。リーザは姉が仲間に恵まれていることを思い、誇らしくなった。
そして、帰途についてしばらくののち、それは起こった。
最初に気づいたのは、クロックと呼ばれていた
突然そばにいた
誰も反応ができなかった。茨の一部分が不自然に膨らんでいて、そこから弾丸のように黒い何かが発射され、リーザの額を直撃した。
リーザの身体は人形のように倒れ込んだ。不思議なことに、痛みはなかった。ただ、頭の中からぎちぎちと石をこすり合わせるような音がして、それが絶望的な何かがどうしようもなく進行しているのだということを思わせ、とてつもない恐怖が胸を満たした。
ドリアードだ、と、誰かが叫んだ。
誰かがリーザの身体を抱き起こし、頬に手を当てた。姉だった。
リーザの顔を見てこの世の終わりのような表情になり、全身を声にして怒鳴った。
「アザレア! お願い、焼いて!」
仲間の
バチッという衝撃とともに、何かが焼けたような焦げ臭い匂いが鼻に届いた。そして、頭の中に満ちていた音はやんだ。
しかし、この時リーザが抱いていたのは、悔しい《・・・》という感情だった。
もっと生きたかった。もっと
僧侶がやってきて、回復の呪文を唱えていた。いつの間にか、姉は自分から離れて、何かと戦っているようだった。
なんとか首を動かし、姉の声がする方を向いた。
ショートソードを振りかざし、姉が勇敢に戦っていた。
その姉が斬りつけている相手を見て、リーザは夢を見ているのだと思った。
それは自分だった。
無数のリーザの姿が立ち代わり姉を襲い、姉がその首を断ち切ると、また新たなリーザが迫っていく。
自分が姉を傷つけ、姉が自分を幾度となく殺す。それが悪夢でなかったら、自分の頭が狂ったのだ。
リーザの身体が、誰かに持ち上げられた。いつの間に現れたのか、大きな白い山犬が伏せていて、リーザはその背に乗せられていた。
山犬を召喚したらしい
山犬が風のように走り出した。一瞬だけ姉と目が合った気がしたが、すぐに木々の間に消えた。
自分は意外なほど森の奥に入り込んでいたようで、それなりに走ってからようやく街が見える場所までたどり着いた。山犬はその場に伏せると、淡い光に包まれてその姿を消失させる。
山犬に跨っていたリーザは尻もちをつくと、へたり込んだまま動けなくなった。
まるで自分が自分でなくなってしまったような、奇妙な感覚があった。
街の人間に発見されて、肩を揺さぶられた時、リーザの意識は闇に沈んだ。
目を覚ましたのは、数日が経ってからのことだった。父は大いに喜んだが、リーザは自分のことよりも気になることがあった。
「姉さんは……?」
父は顔を曇らせ、この状況を説明した。
リーザが戻ってからしばらくして、二人の人物が街まで帰還したという。彼らは姉を助けるために加勢に行ってくれたパーティで、その二人を残して全滅してしまった。そして、姉のパーティも、全員が死んでしまったという。
遺体はその二人と、有志の冒険者が回収して、街の冒険者墓地に埋葬してくれた。
ただ、姉の遺体だけは回収できず、墓は墓石しかないのだという。無念そうに父は言ったが、リーザが生きて戻ってくれたことに心から安堵していた。
しかし、リーザのすべてが健常だというわけではなかった。
額に埋まったままのドリアードの種は、街の僧侶に見せたが取り除くことは不可能だった。完全に融合しているどころか、脳に根を這わせているらしい。
ドリアードは人間に種を撃ち込んで、それを新たな苗床として
本当だろうか。
リーザは、これまで見ていた世界が、少し変化していることに気づいていた。
太陽の光はより暖かく心地よく、吹きゆく風は涼しく清潔さを感じた。
雨が降れば、いつまでも見つめていたいほどに心が落ち着き、ベッドで眠るよりも床に寝転がる方に安心を感じた。
そして、木々を目にすると、それらの息遣いが聞こえてくるような気がした。
つまり、こういうことなのだ。
あの時、ドリアードの種を頭に受けて、リーザの脳は一部だけドリアードと同化してしまったのだ。
リーザはそれまでのリーザではなく、ドリアードでもある。だから、今も額に埋まっている黒い種は、もはや自分の一部だ。
あの時、姉と戦っていたドリア―ドの姿が自分の形に見えたのも、そういうことだ。
この種も、あのドリアードも、元は同じもので、リーザ自身も、一部はドリアードなのだ。
つまり、あの状況は、自分を攻撃するのをやめてほしい《・・・・・・・・・・・・・・・》という、種からの必死のメッセージだったのだ。
リーザは、姉のからっぽの墓前に立ち、涙が枯れるまで泣いた。
命をかけて救ってくれたこの身体が、すでに別のものになってしまっていたことが、申し訳なかった。
誰にも相談することはできなかった。いや、そもそも、説明をすることができなかった《・・・・・・・・・・・・・・》。
陽の光や涼風に心地よさを覚えるから何なのだろう。地べたに寝そべることが好きになったからといって、何が異常なのだろう。
そんなことは、傍から見ていればなんの問題もない。リーザ自身からすれば、今までの自分と決定的に変わってしまったことは明確にわかっているのに、それを説明する術がない。
リーザは心に鍵を掛けた。幸い、肉体的には健康なのだ。これまでの自分と、これからの自分が違うという事実は、自分が認識しなければ無いのと同じだ。
父といっしょに実家に帰ってから、リーザは努めて自分がこれまでどおりの生活をできるようにふるまった。使用人も、友人も、行きつけの店のおばさんも、リーザに変わりなく接してくれていた。けれども、心のどこかには
このふるまいは、本当に自分の中から出てきたものなのだろうか。
ひょっとして、いつの間にか自分はこの種に脳を支配されていて、その指令に従って行動しているだけなのではないか。
それを考えると胸が締め付けられる。笑顔で接してくれる人たちは、実は茨の怪物を前にしているのかもしれない。
けれども、リーザには目標があった。
冒険者になり、姉を探し出すこと。
生ける屍となって彷徨っているのなら、解放してやること。
思い出す。かつて、姉と一緒に庭先でチャンバラをして、お互いに冒険者になろうと真面目に話し合った。この記憶は、確かに自分のものだった。
父に頭を下げ、最初は難色を示されたものの、娘の熱意を感じたのか、ギルドに所属する分と装備を整える金を貸してくれた。
そして紆余曲折はあったものの、スキルを磨き、なんとかいくつかの依頼をクリアしたある日、元有名冒険者ハッシュの居場所を知った。
現役の冒険者に教えを請うことは無理でも、隠居した剣士なら、時間を割いてくれるかもしれない。そんな計算がなかったわけではない。
少しでも可能性がありそうなら、先へ進みたかった。
そうして、押しかけ弟子としてのリーザの生活が始まった。
**
ジェイタスの街が、眼下に見えてきた。
東側に青い海を望む、大きな港街だ。今も輸送船がいくつも停泊しており、人夫たちが積荷をえっちら運んでいる。リーザにとって、見慣れた光景だ。
「わ、ハッシュさん、あれ、見てください! あんな大きな船! あっち、山みたいに荷物が乗ってますよ! あれで浮かんでるなんてすごい!」
珍しく興奮した様子のナルが、ハッシュの腕を叩いていた。荷物持ちとして、何か感じるものがあるのかもしれない。
「海路を進むことはあまりなかったからな……俺も、あそこまでの船を見るのは久しぶりだ」
ハッシュも目の上に手で庇を作って、どこか楽しそうに海を眺めている。
「二人ともジェイタスは初めてなんですよね? わたしが案内しますね!」
ほとんど初めて二人に対して『ものを教える』という形になって、リーザは嬉しさを感じずにはいられなかった。
ずっと教えてもらうばかりで、何かを返すことができる機会があるというのは、とても心が晴れるものなのだと実感している。
姉の遺体は、砦の裏手を掘り返して見つけることができた。
泣かずに済ませることはできなかった。ひとしきり泣いたあとに、ハッシュとナルが協力してくれて、姉の遺体を仲間たちの眠る墓地に埋葬することができた。
ただ、あのきれいな髪をまとめていた髪留めだけは、リーザが形見としてもらい受けた。
父に報告する時には、これを見てもらおう。
妹を助けに来てくれた姉は、最後にちゃんと、仲間たちと一緒に眠ることができたのだと。
ハッシュの茨は、いまだに苦手だ。
けれども、『茨を出すのを控えようか』という申し出は固辞した。それでは意味がないと思ったからだ。
苦手だからといって我慢できないわけではないし、これから先もずっと苦手だとも限らない。
必要な時はためらわずに使ってほしいし、自分はそれに合わせる。どうしても無理そうなら、また相談する。
自分たちは、チームなのだから。
『茨が苦手』ということを知っていてくれることが、リーザにとっては心強かった。
最初にあの浴室でハッシュと出会った時は、てっきり額の種子まで目撃されていたのではないかと、ドキドキしていた。
ハッシュは自分の左手に宿っているのと同じ種が、リーザの額にも存在するのに気づいていただろうか。
ふとした拍子にそう考えるが、考えるだけ無駄だとも思う。
きっと、彼が気づいていてもいなくても、こうして三人でいられることに変わりはなかったのだろうから。
スノードロップの肉体は灰となり、それは高台の墓地のひとつに埋められた。けれども、彼女の作り出した白燈石は今も世界中に散らばって、いつか暴走する時を待っているのだろう。石の所持者たちの危険は、何ひとつ変わってはいない。
ハッシュもナルも、もちろんリーザも、白燈石の探索は続けるつもりだ。
けれど、今はこうして旅を楽しんでいてもいいと思う。
額に当たる風が涼しかった。
「とりあえずお腹が空きました」
「じゃあ、やっぱりお魚ですね! 美味しいムニエルを出す店があります!」
勇んでリーザは草原を駆け出した。
「あ、待ってくださいよリーザ! 荷物重いんですから!」
急ブレーキを掛けて振り返るリーザ。その顔が緩んでいる。
自分が初めてリーザを呼び捨てにしたことに気づいて、ナルはちょっと赤くなった。
「ほ、ほら、ハッシュさんも疲れてるんですから! もっとゆっくり行きましょう!」
ナルに腕を掴まれたまま、ハッシュは真面目な顔で言った。
「俺は貝が食べたい」
リーザは満面の笑みになって、
「バター焼きでいいですか?」
と言った。
星の数ほど存在する冒険者の中には、風変わりなパーティもいる。
最近になって活躍を噂されるそいつらは、たった三人で強力な魔獣を討伐し、魔境に踏み入り、貴重なアイテムを根こそぎにしていくという。
《僧侶 《プリースト》》ハッシュ。
《道具使い《アイテムユーザー》》ナル。
《
大柄な男と小さな少女二人の、今はちょっとした有名パーティ。
今どこを旅しているのかは、誰も知らない。
咲かない茨のフィロソフィ えの @eno1432
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