第2章 その6
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加入してから知ったことだが、チームスノードロップは、冒険者の間では相当に知られた存在だった。
ギルド組合に顔を出せばざわめきが起き、酒場で飲んでいれば血気盛んな冒険者が飲み比べにやってくる。
冒険譚をせがむ者、手合わせを挑む者、助太刀を乞う者、闇討ちを試みる者と、彼女らに寄ってくる人間は千差万別で、ナルはほんの十数日で、これまでの人生で出会ったすべての人間よりも多くの人の顔を見たと思った。
そんな中にあって、ナル自身もチームの一員として、少しずつ認知されていた。
何しろ、腕力でハッシュを手こずらせたという、見た目は華奢そのものの少女である。それをスノードロップが面白おかしく脚色して言いふらしたのも手伝って、ナルに対して腕相撲を挑んでくる者も表れた。
それを次から次へと負かしたものだから、『スノードロップが小さなオーガを仲間に入れた』という噂はさらに広まり、腕比べをしてくる者は日増しに増え、その都度賭けが盛り上がり、しれっと胴元に収まっていたスノードロップの懐は順調に温まっていった。
他方、冒険においてもナルの膂力はいかんなく発揮され、最初はスノードロップの多種雑多な道具を運んでいたのが、他の仲間たちの荷物も引き受けるようになり、特大のリュックサックを作ってもらったことでさらに荷物持ちの能力は増強された。
これまでは回収に限界のあった、冒険中に収集した樹木や魔獣の一部分も格段に多く持ち帰れるようになり、スノードロップは手を叩いて喜んだ。
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そして、《荷物持ち《ヘヴィキャリア》》ナル。
彼女たち六人は日の出の勢いで、数々の魔獣を討ち取り、迷宮を踏破していった。
そしてナルが仲間に入って半年後、それは起こった。
彼女たちは、その日、魔獣討伐の依頼をこなし、そろそろ街へ帰ろうかとしているところだった。
そこに、一人の人物が、血相を変えて転がり込んできた。
彼がクロックと名乗り、思い出す者もいた。ナルも腕相撲で瞬殺したことがある
クロックは勢い込んで説明する。迷子の女の子を捜索するという依頼中に、とんでもない怪物と遭遇して、とても歯が立たない。このままだと全滅は必至だ、なんとか手を貸してくれないか。
怪物とは何かと訊くと、《ドリアード》だという。その名前を聞いて顔が曇る一行。
ドリアードは、人間の姿に木や蔦が生えたような風貌の魔獣で、人の手の入らない深い森に稀に生息する。
実体を持ってはいるが、その性質は精霊に近く、剣も槍も魔法も効果が薄い。強力な斬撃や、炎での攻撃ならばダメージを与えることは可能だが、息の根を止めるためには人間部分を確実に仕留めなければならない。
それを阻むのが強力かつ厚い植物の防御で、それは身を守る盾であると同時に、無双の鉾でもある。
しかも、自分たちはつい今しがた街に帰ろうとしていたところで、万全の状態というわけではない。
パーティ内には「これは無理じゃないか」という空気が流れていた。
その時、ナルとスノードロップの目が合った。
彼女は一瞬だけ考えるように目を閉じると、仲間を見渡してこう言った。
「助けよっか」
諌め役のアスタが「いいのか?」と訊き、「なんとかなるよ」と気楽に答えるスノードロップ。ほとんど顔見知り程度でしかないクロックのために、強敵と戦おうと言っていた。
それで、方針は決まった。
一行は、クロックに先導され、森の中を全速で走った。
途中のクロックの説明によると、行方不明だった女の子は無事発見できたが、帰還の途中でドリアードと遭遇し、女の子はなんとか召喚獣に乗せて退避させたという。
ということはその
そしてたどり着いた小さな広場のような空間に、それはいた。
桜のような捻じくれた幹と、
誰かが息を呑んだ。クロックの仲間と思われる者たちは、変わり果てた姿で辺りに散らばっていた。
クロックが叫んだ。短剣を抜いて、仲間の仇へと真っ直ぐに突撃していく。
ナルたちの中では、誰よりも早くハッシュが動いた。盗賊と遜色ないスピードで、一息に前進。クロックに追いついた頃には、すでに抜刀している。
茨がそこに襲いかかった。ハッシュがバスタードソードを振ってほとんどを切断し、わずかに残った一条の茨をクロックが短剣で弾く。
ナルは荷物から取り出した『怜火の油』を、力いっぱい投擲した。
危険を感じたか、ドリアードが茨を伸ばして迎撃しようとするが、それは中途で飛来した何かに切断された。
リリィが羽のように舞い、双剣で斬りつけたのだった。
油を入れていた瓶がドリアードの幹に当たり、中身をぶちまける。そして、アスタの呪文が完成した。
「『
ドリアードを中心に、目も眩むような発光が生じ、轟音とともに爆発を起こした。
火のエレメンタルの力を借りたものとしては、最高位に位置する呪文である。
後方にいたナルの顔にも熱風が吹き付け、たまらず腕を上げてかばった。
辺りを包んでいた爆煙が、少しずつ薄れていく。
その時、煙を裂いて数条の茨が飛来した。ハッシュが剣を振り、再び迎撃するが、
「あ……」
地中から生えてきた茨に、クロックの腹が貫かれていた。
助ける間もなく、横から鉄槌のように飛来した茨に衝突し、ゴミでも捨てるように放り出されるクロック。
彼は驚くほどの高さまで飛んだあと、枝を折りながら遠くに落下していった。
「ライラクルス!」
スノードロップが袋から粉を振り撒いて叫んだ。それを浴びながらライラクルスはうなずくと、クロックの落ちたと思われる地点へ向けて駆け出した。彼女をフォローするリリィ。
煙の向こうに、ドリアードの姿が見えた。ダメージはある。幹の表面は爛れたように剥がれ、生木の部分が覗いている。枝や茨には、燻り続ける炎の残滓が音を立てていた。
しかし、その人間部分は茨に守られたようで、傷一つなくその姿を残している。
変わらぬ少女の顔が、無感情にこちらを見たような気がした。
その瞬間、枸橘の枝が爆発的に成長し、一帯を覆い尽くした。成長に伴って枝が、葉が軋み、雨だれのようにも聞こえる音が、ナルを本能的な恐怖に誘った。
天蓋が不吉な深緑に染まり、そして、その枝に花が咲いた。
いつ蕾を付けていたのかもわからないほどの速度だった。朝顔に似た青い花弁が、目を凝らしてようやく見える程度の粉を放出している。
それに気づいた時には、ハッシュが血を吐いていた。
「毒だ!」
スノードロップが全身を声にして叫ぶ。
僧侶のライラクルスが、早口で呪文を唱える。だが、解毒の呪文が完成する前に、喉から溢れる血が詠唱を強制的に中断させた。物理攻撃に耐性を得る『斬止の粉』も、毒物の前では無力だった。
続いてリリィが膝をついた。非常用の毒消しを取り出し、何よりも先にライラクルスに飲ませようとしたところで、茨がその手を貫いた。
なんとかしなければ。ナル、アスタ、スノードロップの三人は、自分で携帯していた毒消しを飲み下すことに成功する。他のメンバーよりも後方に位置していたことが幸いした。ドリアードの花は、本体に近いほど早く、多く花弁をつけている。
続いて、アスタが動いた。
魔術師ゆえに、自己防衛のために携帯していた『カドラの霊水』を、スノードロップに浴びせ、ナルに浴びせ、そして自分に浴びせようとして、横殴りに飛来した茨に吹き飛ばされた。
宙に投げ出されたアスタは、四方から槍のように襲来した茨に貫かれ、動きを止めた。
スノードロップは、それを見ずにドリアード本体へと走っている。
ナルは、走っているスノードロップというものを掛け値なしに初めて見た。
白銀の髪が、流星の尾のように流れている。そこに、茨が襲いかかる。
スノードロップは外套の内側に吊るしていた小瓶を目にも留まらぬ速さで二つ取り出し、一つを左前方に投げた。すると茨の先端が氷漬けになり、動きが止まる。右前方からやってきた茨は、身をよじって霊水に弾かせた。頬がわずかに裂け、赤い線が白い肌に刻まれる。右腕と腹に茨が掠め、皮が裂け血がしぶいた。
それだけでは留まらず、上方を塞いでいた枸橘の枝が、滝が落ちるように下方へ成長し、彼女を狙った。しかし毒消しを飲み下したハッシュがそこに立ちふさがり、口から垂れる血を拭いもせずに枝を剣で弾いた。
ようやくナルの金縛りが解けた。アスタが串刺しになり、ライラクルスとリリィが毒に倒れ、もはや戦えるのは自分を含めた三人だけなのだ。
初めて魔獣との戦いを経験したあの日の、失望に満ちた眼差しが脳裏に蘇る。
震える脚を叱咤し、リュックのポケットから握り拳ほどの黒球を取り出した。同時に前へ走り出している。
ハッシュとスノードロップは、ドリアード本体に肉薄しようとしていた。
しかし、彼我の間に、まるで壁がせり出すように、大量の茨が地面から突き出した。
茨のそこかしこから、ゼラニウムのような赤い花が咲いた。その花粉にどんな効果があるのか、試してみる気にもならない。
右手に持っていた小瓶を、スノードロップが投げた。茨が瞬時に花ごと燃え上がるが、左半分には炎が届いていない。健在な部分の茨が、ハッシュに花弁を突き出した。
そこに、ナルが投げた黒球が弾けた。内部からはスライムのような粘性の半液体が広がり、茨を押し包むように吸着する。花粉はその半液体に取り込まれ、茨は地面と縫い付けられたように、動きを鈍らせた。
スノードロップが一瞬こちらを振り向き、ニヤリと笑った。
ハッシュが神速で敵に迫る。大剣が突き出され、ドリアードの核――少女の姿をしたその胸を断ち割った。
耳をつんざくような悲鳴が、森中に響き渡った。目の前のドリアードから生じているものだと理解するのに、少しの時間を要した。それほどまでに、まるで人間のようで、不吉を孕んだ叫びだった。
ハッシュは剣を引き抜くと、今度は核の顔面に突き入れ、頭を割るように抜いた。欠片も容赦のない攻撃だった。
嵐のように周りを取り囲んでいた茨が、力を失って地面に倒れ、天蓋を覆い尽くしていた枝が、急速に立ち枯れて萎んでいった。
倒した。そう思った。
炎から逃れていた一房の花弁の中央が、急速に膨らんだ。
そこからまるで弾丸のように、何かが発射された。その方向にはハッシュがいて、彼は攻撃の直後だったにも関わらず、剣を上げて防御する。
しかし、完全に弾くことはできなかった。その左手首に、何かが潜り込んでいた。
黒茶色をした、ドリアードの種。それが、ハッシュの体内で、根を伸ばそうとしていた。
即座にスノードロップがハッシュを診る。皮膚の下に、根が侵食していっているのがわかった。
「ナル! 腕を押さえて!」
スノードロップが指示をする。弾かれたように、ナルはハッシュの太い腕に手を回そうとするが、うまくいかない。ハッシュがこれまで見たことのないような青ざめた顔をしていて、聞いたことのないような苦悶の声を漏らしている。
「ロープを使うんだ」
そう言いながら、スノードロップは自分の外套を脱ぎ、試薬を取り出している。
「……このままじゃ全身が根に取り込まれる」
ナルは震えながらもリュックを下ろし、荒縄を取り出した。すぐさまハッシュの肘の下あたりをきつく縛る。
傾斜の大きい山を降りる時、ハッシュにロープの結び方を教わったことを、自然と思い出した。引っ張れば引っ張るほど締まる、自分の命を預けるのに有用な結び方。
転びそうになったナルを引っ張ってくれた腕。それが、今は赤黒く変色し、蚯蚓よりも太くおぞましい根が、筋肉を割りながら成長していっている。
ナルの目から、止めようもなく涙がこぼれていた。
泣き虫なのは何も変わっていない。アスタもリリィもライラクルスもやられて、ハッシュがこんなにも苦しんでいる。自分が余計に頑張らなければならないのに、涙だけはどうしても溢れてしまう。
「大丈夫だ」
ナルは顔を上げた。蒼白になったハッシュが、それでもこちらを射抜くような力強さで見つめていた。少しだけ、ナルの手の震えが収まった。
「よっし、ハッシュ、ちょっとだけ我慢してよ」
スノードロップの準備が完了した。即席で混ぜ合わせた試薬を、左手首に埋まった種子にゆっくりと注いでいく。
左腕が跳ねるように動き、ナルは慌ててしがみついた。恐ろしいほどの熱を発していることに気づき、不安が加速する。
すがるようにスノードロップを見ると、頬に一筋の汗が伝っていた。ナルの胸に冷たいものが通り抜けた。
「これで、根の侵食が収まって、種子と肉がうまく融合するはず……」
蠢いていた根が、動きを止めた。ナルが目を見開き、スノードロップの目が細められる。
「やった……」
その胸を、茨が貫いた。
全員が放心していた。スノードロップを貫いた茨は、ハッシュの左手首から伸びていた。
「あー…………しくじった」
「スノー、しっかりしろ」
ハッシュが珍しく狼狽しているさまも、ナルに気にするゆとりはなかった。
スノードロップは口の端から血を流しながらも、はっきりとした口調で語る。
「ドリアードの種に意志はまだ宿っていない……あるのは生存本能だけ……。あたしを敵だって認識したんだね、賢いじゃん……でももう遅い」
茨を両手で握りしめた。手のひらが裂け、血が滴ることを意に介さずに、彼女は続ける。
「ハッシュ、この種子はもう君の一部だ。……ちゃんとお願いすれば、おとなしくしてくれるよ」
「っ……」
スノードロップに潜り込んでいた茨が、灰褐色に変色し、枯れ葉がくずおれるように粉々になった。
それを確認すると、いつもどおりの人を喰ったような笑顔になる。
「そうそう……うまいじゃん」
茨が消失しても、胸の傷が消えるわけではない。しかし、地面に血溜まりを作り白銀の髪が赤く染まってなお、スノードロップは最後までいつもどおりのままだった。
「ナル」
彼女は傍らに膝をつくナルに手を伸ばした。必死でそれを握る。
「ごめんね……」
その声はすでに消え入りそうなほどか細かった。ただ、最後の言葉だけは、はっきりなるの耳に届いた。
「ハッシュをお願い……」
そして、スノードロップの目から光が消え、手から力が失われた。
ハッシュとナルは、激しく消耗しながらも、街へと帰還した。
仲間たちの遺体は、放置せざるを得なかった。いつ他の魔獣と遭遇するかわからない上に、ハッシュの手足に軽微ながらも麻痺が起こり、埋葬どころではなかったからだ。
茨から咲いた赤い花は、麻痺毒を撒き散らしていたらしい。微量ながらその花粉を吸ってしまったハッシュは、やがてまともに歩くことができなくなっていた。
残っていた毒消しは、効果がなかった。ハッシュはナルに支えられながら、亀の歩みでなんとか街までたどり着くと、高熱を出して気絶してしまったのだった。
彼は三日三晩寝込み続け、その間、ナルは気が気ではなかった。仲間が自分だけを置いていなくなり、再び一人ぼっちになるのは、考えるだけで胸が凍りつくような想像だった。死んでしまった仲間たちの顔が浮かんでは消え、涙が目尻を濡らしては、スノードロップの最後の言葉を思い出して唇を結んだ。
だから、その日の朝にハッシュが目覚めた時、ナルは思わずその大きな胸にしがみついた。ハッシュの表情は見えなかったが、右手で背中をさすってくれたその暖かさは、今でも覚えている。
身体から毒を抜いてくれた知り合いの
森に残してきた、仲間たちを迎えに行かなくてはならなかった。
ハッシュの左腕は、肘から先がついぞ動くことはなかったが、それ以外はすっかり回復していた。一行の先頭に立ち、つい数日前に通ったばかりの道なき道を進行する。
そして、あの場所にたどり着いた。
ドリアードの死骸は変わらずそこにあったが、その表皮はすっかり枯死し、墓標のように突き立っているだけだった。
そして、その周囲には人間の躯。顔をよく知らない幾人かのものと、よく知っている仲間たちのもの。
アスタ、リリィ、ライラクルス……
ナルは違和感に気づいた。ハッシュも同様に、厳しい顔つきで声を上げる。
「スノーがいない」
あの時、確かにドリアードのそばにスノードロップの遺体を残してきたはずだった。だが、今は彼女の姿が存在しない。
異変はそれだけではなかった。仲間たちの装備がいくつか剥ぎ取られ、ナルのリュックサックも消えていた。
戦場泥棒くらいは予想のうちだった。が、遺体そのものを盗む者などいるものだろうか。
「あの、ハッシュさん……もしかして、スノーさん、生きて……」
ナルがすがるような眼差しを送るが、ハッシュは首を振った。あの時、確実にスノードロップを看取ったのだ。彼女が生きているなどということはありえない。
どこを探しても、スノードロップは見つけられなかった。代わりに、吹き飛ばされていた
これだけの人数を運ぶのは骨だったが、ハッシュとナルは、街外れの高台まで遺体を運び、クロックたちパーティを含む全員を埋葬した。
彼らが助けたという行方不明の少女は、無事で街に保護されていたらしい。それだけは、せめてもの救いだった。
それからしばらく、ハッシュは腕の具合を確かめ、金物に触れられなくなっていることを知り、思い悩んだ。
しかし、冒険者から退くことは、考えがたいことだった。ナルは彼に、どんな選択をしてもついていくとはっきり伝えた。
ハッシュは
ある程度の蓄えができた時、キャリブレの外れに静かな暮らしができる屋敷が空いており、借り手を探しているという話を聞いて、そこに移り住んだ。
そして、仲間を失って一年が過ぎた。
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