第2章 その5

 そこは、どこの街にでもあるような酒場だった。ただ、メインストリートの一角だけあって、それなりの広さと食事のバリエーションを有し、賑わっている店だ。

 テーブル席に腰かけ、適当な料理と飲み物を頼んだ。リーザはこういった場所での食事が新鮮らしく、地元の魚の酒蒸しをつついて笑顔になったと思えば、蜂蜜酒をちびちびやってご満悦だった。

 ナルは羊肉のバターソテーを頼んでいて、ナイフとフォークで几帳面に肉を切り分け、自分の口に運んでは、隣に座っているハッシュに手づから食べさせるということを交互にやっている。


「あ、先生ずるい! ナルちゃん、わたしもわたしも」

「ハッシュさんはフォークが持てないんだから、仕方ないんです。あなたは自分で勝手に食事しててください。あ、ハッシュさんもう一切れどうぞ」


 餌付けされる文鳥のように、ハッシュが最後の一切れを咀嚼した。


「あああ、わたしもそれ食べたかった……」

「自分で注文してください」


 やかましい二人をよそに、ハッシュは残ったジンを飲み干して、店内をさりげなく見回した。

 懐が暖かいのか、テーブルを山盛りの料理で埋めて派手に騒いでいる者、一人で強い酒を舐めている者、カードに興じている者、さまざまだ。

 そんな中、こちらにチラチラと視線を送っているグループがあった。


「ナル、行ってくる」

「はい」


 心得ているナルに一言告げ、ハッシュは一人席を立ち、そのグループのテーブルに近づいた。


 すると、僧侶プリーストらしい柔和な男が話しかけてきた。


「やあ、何か?」

「一杯奢らせてほしい」


 目元が赤くなっている剣士風の女が、口笛を吹いて「やりぃ」と笑う。


「そりゃ悪いね。じゃあ遠慮なく。あ、そっち席空けて」


 僧侶がナルたちの方を伺いながらも、ハッシュを自分たちのテーブルに加えた。

 各々に酒が行き渡った時、女剣士がハッシュの隣に座ってくる。「乾杯」と挑むように囁くと、自分の杯を一息に空にした。

 初めての酒場では、よくあることだ。儀式のようなものだと言ってもいい。

 ハッシュは自分に注がれた酒を、同じように一気に飲み干した。

 顔色ひとつ変えない新顔の男に、グループが沸く。


「やるじゃん、色男」


 女剣士はナルたちのついているテーブルに顔を向けると、手招きした。


「おーい、嬢ちゃんらもこっちきなよ」


 ためらうようだったリーザは、ナルがあっさりと席を移ろうとするのに慌ててついていき、ハッシュのそばに着座した。


「さて、何か訊きたいことでもあるのかな」


 自分はゆっくりと酒を飲んでいる僧侶が、胸の前で手を組んで言った。最初から目的はわかっているとでも言いたげだった。


「この街で、白燈石を買ったパーティが居るらしいと聞いた」

「あー、その話か」


 知らない人たちの前で、借りてきた猫のようだったリーザが、得心したようにナルに囁く。


「あ、聞き込みのために来たんだね」

「情報収集は酒場で、って相場は決まっています」


 僧侶が組んだ両手に顎を載せて言う。


「オタクも、あれを欲しがってる手合い?」

「ああ」

「余計なお世話だけど、やめといたほうがいいよ。白燈石って、使ってるうちに呪われるって話があってさ」

「知っている。使うために手に入れたいわけじゃない」


 女剣士が吹き出した。


「そりゃいい。呪いの宝石をコレクションしたいってわけだ。いい趣味してる」


 僧侶は苦笑して、


「物好きだな。でも、僕は宝石を買ったパーティを知らないんだ。道具屋に訊いたらどう?」

「訊いた。だが、客の情報は教えられないと突っぱねられた」


 女剣士がせせら笑う。


「馬鹿だな。そんなのいくらか握らせりゃいいだけじゃん。《泣き女バンシー》より騒がしく歌ってくれるよ」

「……それは、思いつかなかった」


 真面目くさって語るハッシュに、女剣士はますます愉快そうに目を細め、「しゃあねえなー」と立ち上がった。


「おい、誰か、白燈石を買ったやつのことを知らないか? この色男が会いたがってるんだよ」


 店内に響く抑揚のある声に、カウンターで飲んでいた男が振り返った。


「知ってるぞ」


 女剣士がウィンクして、ハッシュをその狩人ハンターの男の隣に引っ張っていく。ナルとリーザも、カルガモのようにそれに従った。

 狩人に酒を奢ってやって聞き出した情報によると、このようなものだった。

 昨日野草採集のために街の外へ出ていた時、近くで落雷があった。しかし、辺りは快晴で、雲ひとつ存在しない。

 雷の落ちた場所に行ってみると、数人のパーティが、ポピンスライムに襲われているところだった。

 スライムの常として、物理攻撃は通じにくく、魔術師ウィザードの攻撃が頼りにされるところだったが、戦っている中にそれらしき人物は見当たらず、剣士ソードユーザー盗賊シーフらしき者たちが無駄な抵抗をしているだけだった。


 狩人は携帯していた『怜火の油』に矢尻を浸すと、続けざまに二射を見舞った。矢は見事にポピンスライムの核を抉り、内側から炎を生じて焼き尽くした。

 狩人が近づく。パーティの中の僧侶プリーストが、こちらに気づきもしていないように、跪いて呪文を唱えていた。

 その前には、黒く焼け焦げた人間が横たわっていた。格好から、女性の魔術師ウィザードだということがわかる。

 僧侶は必死で『癒術ヒーリング』をかけるが効果はなく、それでも再び呪文を紡ぎ、再度『癒術ヒーリング』を唱える。が、魔術師はもはやぴくりとも動かない。


 魔力が尽き、肩で息をし始めた僧侶を、剣士と盗賊は絶望を貼り付けた顔で見ていた。

 剣士がこちらを見て、助けを乞うた。しかし、魔術師がすでに絶命していることは明らかで、どんな大僧正だろうと、もはや傷を癒やすことは不可能であった。

 それを伝えると、盗賊はへたり込み、僧侶は顔を覆って泣き始め、剣士は握り拳を震わせていた。

 狩人は魔術師の右手を見る。人差し指に白い石の指輪が嵌められていたが、その石はすでに断ち割ったような罅が入っている。

 リーダー格らしい剣士に指輪のことを問うと、つい昨日、フーザの道具屋で買い求めたらしい。少し胡散臭いとは思っていたが、使用してみれば使う魔法が明らかにランクアップしており、装着を決めたという。


 それがこの日、ポピンスライムと遭遇し、物理攻撃の無意味さを知った魔術師が、『召雷サージボルト』を放った。

 通常の電撃よりも、遥かに強力な雷が生じた。だが、それは敵ではなく、魔術師自身を目がけて落雷した。

 そこに、狩人が駆けつけたというわけである。

 危険から彼らを救ったことに違いはないが、報酬を要求するという空気でもなく、狩人はそのまま彼らを残して街へ戻ってきた。

 以上が、狩人の語った顛末である。


「運が悪かったですね。買ったのがたまたますぐに暴発する石だったんでしょう」


 ナルが表情の読めないまま言う。


「でも、石が割れてるってことは、もう使われることはないってことですよね?」


 リーザがハッシュに確認し、ハッシュもうなずいた。

 狩人に礼を言って、僧侶と女騎士のグループにも挨拶し、ハッシュたちはその酒場をあとにした。

まだ日は高かったが、早めに宿に入って休むことになった。

ナルとリーザは二人で一つの部屋を取り、ハッシュは雑魚寝の大部屋である。荷物を置いてベッドに腰を下ろしたリーザが、脚をぶらぶらと振りながらつぶやく。


「先生、なんだか元気なかったね」

「白燈石が原因で誰かが亡くなったから、落ち込んでるんですよ。気にしなくていいのに」

「やっぱり優しいんだね、先生」


 聞こえるかどうかというくらいに鼻を鳴らして、ナルはぽつりと言った

「だから、剣士にはもともと向いてないんです。心根が優しすぎるから。……ハッシュさんが剣を握れなくなって、ほんとはわたし、ちょっと安心したんです」

「……もう戦わなくてよくなるから?」


 うなずく。


「でも、結局は冒険者を続けて、この前みたいに、危ないことも平気でやって……。だからせめて、わたしはずっとそばにいて、力になりたい……」


 そこでハッと顔を上げ、ナルは夕焼けのように顔を赤くした。

 ごまかすようにベッドに倒れ込み、毛布を頭から被って、


「しゃべりすぎました」


 上ずった声で言った。

 リーザは何事もなかったかのように、ナルのベッドに背中を預けて座る。


「もうちょっとお話しよ? 今日は、先生ともナルちゃんとも仲良くなれて、嬉しかった。買い物も楽しかったし、美味しいものも食べられたし」

「べつに仲良くなんてなってませんから」

「じゃあそれでもいいや。あ、そうだ。二人とも、タックベルまで旅するって言ってたよね? 何の用事なの?」


 それまでうっかり訊きそびれていたというように、リーザは疑問を呈した。

 毛布の下のナルは、しばらくの間じっとしていたかと思うと、久しぶりに飼い主に会った猫のように言った。


「……お墓参りです」

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