第1章 その7

 単なる猪退治イベントだったはずが、亜竜種の出現によって死者九名を出すという惨事により、キャリブレは一時騒然となった。しかし、その報が伝わった時にはすでにワイバーンは討伐されていたということで、パニックにはならず、むしろ街に被害が出なかったことを安堵する声が多く聞かれた。

 結局、イベント参加者の召喚士サモナーが喚んだ魔獣が暴走し、術者を殺して暴れた結果、居合わせた冒険者に倒されたという、冒険者の不手際を冒険者がそそいだという形に落ち着いたことも、市民の安心を補強した。人は原因のわからない凶事には不安を覚えるが、原因がはっきりしていて、さらにそれが自分と無関係であれば大きな安心を得る。

 ワイバーンの件が領主の耳に届いた時には、イベント中止も同時に決定されたが、常駐騎士が森林地帯、その反対の城壁外まで一日かけてくまなく探索した結果、ワイバーンを含む他の危険な魔獣は存在しなかったということで、ひとまず街の警戒態勢は解除された。

 猪狩りは中断されたが、それまでの討伐数はしっかりと記録されていたため、今回は中断されるまでの記録を参照して入賞者を決めようということになった。トラブルがあった以上、優勝者を選ぶのもやめるべきだという声もあったが、一部の未熟な冒険者がやったことであり、それ以外の者たちにまで累を及ぼすのはよくないという判断もあった。件の召喚士のパーティが全滅しており、責任を取るべき者が残っておらず、強いて言うなら大会の運営側ではないかという話になってしまうのを避けたいという思惑もあったかもしれない。

 ともあれハッシュのパーティは、めでたく五位に入賞した。二十体という数字は立派なものだったが、ワイバーンの存在に気づかず猪狩りを続けていたパーティが少なからずあり、そういったグループは、記録係に中止の報が届くまでの数字を討伐数として提出していた。そんなタイムラグのため、序盤の圧倒的な数字から追い抜かれてしまったという事実に対し、ナルはぶつくさと文句を言っていたが、ワイバーン討伐という金星を讃えられて領主から金三千ゴルドを受領されたことで、機嫌を直した。

 その日、やや遅れて始まった宴会が、街のそこかしこで行われていた。

 路上にいくつも置かれたテーブルに、冒険者たちの成果が大皿で供されている。周りで騒ぐ市民や市民以外の人間に混じり、ハッシュは葉物野菜で包んだ肉を口に運んだ。 

 舐り猪の肉が美味であるというのはそのとおりで、簡単な香草焼きにも関わらず、甘い脂肪と野趣のある赤身の肉が混じり合い、えも言われぬ深い味わいを醸し出している。そばで神妙な顔をして肉を齧るリーザも、顔を緩ませているナルも、味については大変満足のようだった。


「よ、旦那」


 そんな三人に話しかけてくる者があった。先日臨時パーティを組んだ盗賊シーフのセリオだ。


「すげえな、英雄じゃんか」


 本当に眩しそうに、セリオはハッシュを見た。

 ハッシュのほうは手にした肉を口に入れ、少し苦労して嚥下すると、懐から一枚の硬貨を取り出した。


「おまえの取り分だ」


 五位の賞金は四〇〇ゴルド。四人で等分して、一〇〇ゴルドがセリオの分というわけだった。しかし彼は首を振り、


「受け取れねえよ、俺、ほとんど見てただけだし」

「そうか」


 それ以上の押し付けは彼のプライドを傷つけることになるだろう。ハッシュはあっさりと硬貨をポケットに戻した。


「その、茨さ、どうなってるんだ?」


 セリオの質問は、あの時ハッシュの戦いを目撃していたということを示していた。興味を惹かれたように、リーザが顔を向けてくる。ハッシュは左手を見せながら、しごくあっけらかんとして返答する。


「一年前に戦った、木立精ドリアードの種だ。身体を苗床にされるところだったが、仲間が助けてくれて、今はなんとか共存している」

「あんたの思い通りに動くのか?」

「水を与えてやれば、ある程度は」

「……なんかすげえな、いや、すげえとしか言えねえんだけどさ、なんていうか、次元が違うっていうか……俺たち、まだまだ駆け出しだけど、いくらか経験も積んで、もっと上に行こうって感じで、割と調子よくってさ……。でも、あんなの見せられたら、俺たち何やってたんだろうってなっちゃって……。上の奴らって、こんなすげえのかって」

「ハッシュさんが特別なんですよ」


 ナルが肉を食べながら、鳥は飛ぶ生き物なのだと説明でもするように口を挟んだ。


「うん、まあ、そりゃそうなんだろうけどな。でもやっぱりさ……羨ましいっていうんじゃないけど、なんか、これまで向かってた島が、いきなり空に飛んでっちまったみたいな気分になってな」

「俺の力だけではない」


 真面目な顔で、ハッシュはセリオの言葉を遮った。


「『霧箱ドーンミスト』や『光信シグナル』を使ってワイバーンの視覚を封じたのは、リーザの功績だ。呪符を茨の動きに合わせて貼り付けたのは、ナルだ」


 リーザが魔法を使える――少なくとも、『霧箱ドーンミスト』を使用できると考えたのは、最初に屋敷で出会った時だった。

 あの時、不可抗力により浴室で出くわした時、リーザが湯船に隠れた瞬間、急激に白い湯気が湧き出していた。最初は水飛沫が飛び散ったからだと思ったが、冷静になってみれば、明らかに浴槽から立ち上るにしては不自然な霧だった。

霧箱ドーンミスト』を使用したのだと気づくのに時間はかからなかった。

 落ち着いてから聞いたことだが、リーザはハッシュのもとに来る以前、《魔術師ウィザード》ギルドに所属して、ある程度の魔法を習得したことがあるらしい。ただ、攻撃系の魔法はほとんど覚えられず、初歩的な補助系、探索系の魔法しか身に付けられなかったそうだ。

 もちろん《剣士ソードユーザー》ギルドを目指したこともあって――むしろ、それが最初に訪れたギルドなのだが――剣士をやるには体躯が小さすぎると言われ、ほとんど門前払いを食らったらしい。

 そのことにショックを受けた結果、《狩人ハンター》、《魔術師ウィザード》のギルドを転々とし、しかしどの職業でもパッとせず、悶々としていたところに、ハッシュという有名な《剣士ソードユーザー》が隠居しているという噂を耳にしたのだった。

 ハッシュは自分の左手首を見つめて、次にセリオの目を見た。


「この茨も、仲間が助けてくれたから、今俺の力になっている。だが、いいことだけでもない。肘から先はほとんど動かないし……」


 右手をテーブルに伸ばして、肉を切り分けるのに使うナイフを手に取った。

 その瞬間、左手首から急激に茨が生え、ナイフを奪い取ると、それを雑巾でも絞るみたいに捻じり曲げ、石畳に放り捨てた。一瞬のことで、その光景を目にしたのは、セリオと二人の少女だけだった。

 リーザは驚いたようにぽかんと口を開け、ナルは冷めた目で地面に転がったナイフを見ている。茨は成長した時と同様に、急に枯死していき、塵のように崩れていった。


「ドリアードは金気を嫌う。こいつが俺の手に住むようになってから、金属を身につけることも、触れることもできなくなった。だから、俺がなれる職業は《僧侶プリースト》しかなかった」


僧侶プリースト》はその教義上、金物を身につけてはならないために、装備は木の杖や、毛や皮や糸で編んだ服しか選べない。その縛りが、幸いというべきか、ハッシュの現状に合致した。

たとえ稀代の《剣士ソードユーザー》といえど、剣に触れることすらできないのなら、廃業するしかない。しかし、それでも冒険者として生きることを欲したハッシュは、剣士とは別の道を選び、こうして新たな戦いに身を投じている。


「おまえの短剣の扱いは悪くない。『潜伏カバー』もよくできているし、慎重な性格は盗賊シーフ向きだ」


 褒められているのだということに、遅まきながらセリオは気づいたようだ。


「おまえはおまえだ。俺になる必要はない。おまえにできることの価値は、自分で思っている以上に大きい、と、思う」


 朴訥な語りだが、真摯な気持ちは伝わる。

 セリオは少しの間、反芻するように足元を見ると、吹っ切れたようにハッシュに顔を向けた。


「ありがとな。ちょっと楽になったわ」


 手近な皿を持ち上げて苦笑する。


「俺も連れと一緒に食うことにするよ。腹痛はらいたもちょっとはマシになってるだろうしな」


 そうして、雑踏の中に消えていった。

 彼をしばらく見送っていたリーザが、弾かれたようにハッシュに向き直る。


「先生! わたし、なんか感動しました! なんだかうまく言えないけど、さすが先生って感じです!」

「そうか」

「手、ちょっと触ってみてもいいですか?」

「ああ」

「おー……おおー……そっかー。そうなんだ……」


 好奇心旺盛にハッシュの手首をぺたぺたと触り、黒い種をぐりぐりいじって観察するリーザ。それにナイフのような視線を浴びせるナル。


「ありがとうございます、一緒に連れて行ってくれて」


 いつの間にか、リーザの視線はハッシュの顔に向けられていた。


「わたし、どこのギルドでも中途半端で、正直、自分が役立つとは思えなくて、でも、あの時はどうしても何かしたくって……だから、わたしの魔法を役立たせてくれて、さっきも、ほめてくれて、嬉しかったです」

「……おまえは、自分が中途半端で、困っているのか」

「はい? ……え、あ、……はい」

「それが悪いことだとは、俺は思わない」

「え……」

「ひとつの道を極めることは尊い、が、難しい。自分の『方向性』と違う分野かもしれない……。だから、いろいろなギルドに入門して、実際にやってみるというのは、回り道のようで、近道だと思う。俺も、ふたつの職業を経験した」


 もと《剣士ソードユーザー》で、今は《僧侶プリースト》の男が言う。


「実際に、今回はおまえの魔法が役立った。それは、誇っていいことだ」


 リーザは目を見開き、「えへへ」と笑った。

 彼女が魔法が使えることを隠していたことを、ハッシュもナルも指摘しなかった。あらゆるギルドで劣等生だったリーザにとって、自分のできることすら正しく誇ることができなかったのだろう。それは、とても自然な、しかし悲しい事実だった。

 長台詞に乾いた喉を潤すように、ハッシュはテーブルに置かれた麦酒を飲んだ。


「おまえの体格だとショートソードでも長すぎる。セリオの持っているようなダガーにしたほうがいい」


 つぶやくような言葉に、リーザは聡く反応した。


「それ、先生から弟子へのアドバイスってことですよね! やった! 弟子入りを認めてくれたんですよね!」


 ちょっと苦み走った顔になったハッシュ。リーザの頬を、背後からナルがつねった。


「調子に乗らないでください」

「い、痛いよナルちゃん、やめてー」

「キャリブレに同行するところまでが約束です。ここからはわたしとハッシュさんだけで旅に出ますから、リーザさんはどうぞお好きに」

「あ、そのリーザさんってやめない? リーザって呼んでほしいな……あいたったた」


 かしましい少女二人を眺めながら、ハッシュは残った麦酒を左手首に注いだ。

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