第15話 悪意の萌芽
町へ続く森の中の道を、ローンバートは大股に歩いていた。
後ろから小走りでついてくるミューシェの足音は聞こえていたが、彼はそれを無視して歩を進めていた。
苛立ちがおさまらない。
昔から、自分にできないことはなかった。
武術の腕も、魔術の才も、自分は他よりぬきんでているという自負があった。
それは、持って生まれた天賦の才。
しかし、それがあってなお、自分には超えられない者がいた。
兄と姉。
自分がやることなすことはすべて、二人が過去になしたことだった。
ゆえに、自分は一度たりとも認められたことはなかった。
兄のライオネル・ソーンは故郷のウォールベルグ王国で第二王子の近衛の一人となり、姉のオニキシア・ソーンも兄の補佐として王家に仕えていた。
その不満と、劣等感を抱えて生きていたとき。
ライオネルが、死んだ。
黒竜に襲われ、部隊ごと全滅したのだという。
正直なところ、兄の死を悼むよりも、これで自分にも目が向くだろう、という思いのほうが強かった。
だが、その目論見は外れた。
兄の仕事は姉が引き継ぎ、のちに姉は第二王子の近衛隊長となった。
自分は――実力もあるのに――認められなかった。
兄の仕事は次男である自分が継ぐべきではないのか、と姉に言ったこともある。
――馬鹿なことを。宮勤めもしていないくせに、そんなことが許されるものですか。お前はまず自分をふりかえることからはじめなさい。
冷ややかにそう言って、姉はそれ以上取り合おうとしなかった。
ゆえに、カナーリスに召喚されたとき、ローンバートは自ら、この町にとどまりたいとオリカに申し出た。
ここでは、自分が欲しかったものが与えられた。なにかすれば称賛され、賛美され、認められる。
ローンバートにとっては、理想の生活だった。
しかし。
(あいつめ……!)
顔を歪める。
ローンバートがロストと会ったのは、彼がカナーリスにとどまると決めてから数ヶ月が経ったころだった。
そのときはまだ診療所にいたロストは、黙ってローンバートの話を聞きはしたが、彼を称賛するわけでもなく、ただ、そうか、と相槌をうつだけだった。
それなら、と魔法を使ってみせると、ロストはとたんにその顔に隠しきれない嫌悪の色をのぞかせた。
冷たい目が、記憶にある姉の目と重なった。
この男は自分を認めない。それが、許せなかった。
この男より、自分のほうが優れている。その思いが、胸の中で育っていった。
これ以降、彼はロストを目の敵にするようになった。そのうち自分を取り巻く住民までもが、誰も止めないのをいいことに、ロストに難癖をつけるようになった。
そのことは当然ローンバートも知っていたが、特に気にせずに放っておいた。
ロストは何を言われようと言いかえすことさえせず、冷ややかな色をその目に浮かべるだけだった。彼が反撃に出たのは、今日がはじめてだった。
左腕と両脚が義肢のロストを、ローンバートははじめから侮っていた。
銃が扱えることは前々から知っていた。ロストの、勘の鋭いところも目の当たりにしたことがあった。その身のこなしで、おそらく前身は庭師ではない、とは察していた。しかし、ああもあっさりと投げ飛ばされるとは、思いもよらなかった。
「ちょっと、待ってくださいよ」
ミューシェの声に、ローンバートは小さく舌打ちをしてふりかえった。
「遅いぞ」
「だ、だって……異常がないか確かめておかないと」
「わかったよ」
足を止め、ミューシェが追いつくのを待つ。
町へ戻ると、警備隊隊長のミラダン・バーセルと出くわした。
「おや、バート。ずいぶん荒れてるね。どうかしたかい」
「別に」
「ふむ。ところで、聞いたかい?」
ミラダンが周囲を見回し、声をひそめる。
「コンサートの夜に、町長の家に泥棒が入ったらしいよ。幸い、盗られたものはないそうだけど、何か知らないかい」
にたり、と、ローンバートの唇が吊り上がる。
「コンサートの夜に、会場に顔を見せなかったやつなら心あたりがあるぞ」
「へえ、それは誰だい?」
「ロストさ」
悪意の種が、芽吹いた。
(そうだ、どうせなら――)
花々が火に包まれて灰になるさまは、そして、それを見たときのロストの顔は、きっと痛快なものだろう。
悪意が根をはる。茎を伸ばす。葉を繁らせる。
ローンバートの隣で、ミラダンがにい、と笑った。
そのころ、遅い朝食をとって、皿を片付けたネミッサは、また外へ出ていった。
ややあって、鈍い音が聞こえてくる。
聞きとがめたロストが、何事かと窓から外を見る。
窓の外で、ネミッサが剣をふるっていた。
隙のない、流れるような動き。
仮想の相手に切りつけ、あるいは相手からの攻撃を防ぎ、架空の一刀を跳ねあげ、一歩踏みこんで深く切り裂く。
ロストは思わず窓を開け、身を乗り出すようにしてそれに見入っていた。
赤い髪がなびく。
相手の腕が把握できないほど、ロストは素人ではない。そして彼の勘は、眼前の女騎士は、自分ではとうてい、かなう相手ではないと伝えていた。
それでも無意識に、ロストは右手を胸元に――何かを取り出そうとするかのように――伸ばしていた。
それに気付き、ロストが苦笑して手をおろす。
ネミッサも彼の動きを認めて剣をおさめ、小首をかしげた。
「何か?」
「いや、つい、昔の癖が出たんだ。果たしてかなうだろうか、とな。忘れてくれ」
「ほう、隙はあったか?」
「いや。俺の腕じゃ、逆立ちしたって無理だな」
珍しく、くすりとネミッサが微笑を浮かべた。
「謙遜を。言葉ほど低い腕ではないだろう」
「さて……十年前ならともかく、今はどうだろうな。いや、十年前の俺でも、あんたにはかすり傷ひとつ、つけられなかっただろうが」
「ふむ……以前は兵士か何か、か?」
ロストの表情が一瞬、笑みのまま固まった。
「……大きく外れてはいないな。もっとも、もう昔の話だが」
話を打ち切るように、ロストが窓から離れる。
その背に向けて、屋敷の周りを見回ってくる、と声をかけ、ネミッサは薔薇屋敷を出た。
ネミッサが、それを見つけたのは偶然だった。
怪しいものはないかとあたりを見回していたときに目に入った、森の奥へ続く石畳の跡。
小首をかしげ、森の奥へと踏みこむ。
(この先には……何かあったか?)
特に何かあると聞いた覚えはない。
石畳を辿ると、小さな空き地が現れた。
同時に違和感。
この場所は、おかしい。
視界が歪んだ。反射的に、よろめくように後
背を、冷たい汗がつたい落ちる。
(戻ったほうがいいな)
一度大きく息を吐き、額に浮いた冷や汗を拭う。
戻ってきたネミッサの、異様に青白い顔を見てロストが眉を上げ、ジョンが凍りつく。
「主!? だ、大丈夫ですか!?」
「ああ、大事ない」
水を一杯、あおるように飲み、ネミッサはどさりと椅子に腰かけた。
気分が落ち着いてから、ロストに件の空き地について何か知らないかと訊ねてみたが、彼は心当たりはないと首をふった。
「そうか。まあ、必要なら町で訊いてみるか。今すぐに知る必要があるわけでもないだろう」
ところで、とネミッサが話題を変える。
「なぜ町ではなく、ここに住んでいるんだ?」
「……魔法が苦手なんだ。どうしても、魔術が身近で使われていることに慣れなくてな。それに静かなところのほうが好きだし、花の世話も好きだし」
「そういえば、コンサートの飾りにもここの薔薇が使われたらしいな」
「ああ、ちょっとしたものだったろ」
その言葉にうなずくと、ロストの笑みが深くなった。
彼の率直な態度が、ネミッサには好ましく映った。
故郷・メルへニアでは、ネミッサは多くの人々から敬われ、ときには畏怖されていた。
メルカタニトに来てからも、彼女は客分として丁重に遇されている。
そのあつかいに文句はない。だがそのあつかいゆえに、彼女に率直な態度をとる者はまずいなかった。
傍からは、孤独にも見えただろう。しかしネミッサ本人は、自分が孤独だと想ったことはなかった。
そもそも、孤独というものをネミッサは理解していない。
(それにしても……)
ロストの言葉には、引っかかるものがあった。
それをとらえる前に、主、とジョンが彼女に呼びかける。
「一度、キロン様に事の次第を伝えたほうがいいと思うのですが、どうでしょうか」
「そうだな、頼めるか?」
「はい」
ジョンが小屋を出ていく。
小屋の隅で丸くなっていた犬が、ロストに近付き、その手をつつく。
「どうした、ジュリー? ああ、外に出たいのか。確かに今日はずっと中にいたものな」
「私が見ていようか……いや、それだと貴殿が一人になるか」
「こいつなら、俺が見ておくよ」
「いたのか、イスディス」
「いたさ」
少年が笑う。
ネミッサがジュリーをつれて外に出て行ったあと、ロストはふと真顔になって少年を見た。
「お前、何か隠していないか?」
「な、何も」
忙しなくまばたきしながら、少年が首を横にふる。
眉根を寄せ、じっと少年を見ていたロストは、そうか、と呟くように言葉を落とした。
直後、ロストが頭を押さえて顔を歪めた。低い呻き声がこぼれる。
「ロスト!?」
「……大丈夫だ」
ひとつ息を吐いて、ロストは軽く頭をふった。
「やっぱりまだ寝てろよ。顔色悪いし」
「……ああ、そうするよ」
ごろりとロストがベッドに横になる。
そのままうとうととまどろんでいたロストは、ジョンが戻ってきた物音で目を覚まし、ベッドの上に起きなおった。
ジョンの後から、ジュリーをつれたネミッサも入ってくる。
尻尾をふりながら、ジュリーがさっそくロストに甘えかかる。ロストは目を細め、よしよしとその頭を撫でてやった。
「そうだ、ロスト。明日は絶対、絶対ジュリーを傍から離すなよ」
「明日? まあ、どのみちこの体調じゃ出かけられないし、わかったが……何かあるのか」
「それは……言えないけど、でも絶対、ジュリーから目を離すなよ」
きょとんとしつつも、少年の真剣な顔を見て、ロストはうなずいた。
「何か用があるのなら、自分が代わりにすませましょうか」
「いや、隣町に義肢の調整に行くつもりだったんだ。急ぎでもないし、また今度にするよ」
「それがいい。今ここを離れるのは危険だ。ジョン、町の様子はどうだった?」
「はい、目立って何か起きている様子はありませんでした」
「ふむ……わかった。ご苦労」
(さて……これからどう動く?)
ネミッサの朱唇が、きりりと持ち上がった。
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