第5話 騎士と庭師

 夜、コンサートがはじまる時刻が近付くにつれて、町はそわそわとした空気に包まれていた。

 昼のうちに、公民館へ続く道は飾りつけられ、街灯ばかりでなく、魔法の灯が道を明るく照らしている。

 道はよそいきの服を着た住人たちであふれている。早く、早く、と親の手を引く子供に、履き慣れない靴で足が痛い、と文句を言う子供。互いの服や髪型、アクセサリを話題にする娘たちや、そんな娘たちを眺める青年たち。

(結構なことだ)

 ロストはぼんやりと、町の賑わいを眺めていた。

 デヴィッド・コルセーに頼まれて、花を追加で屋敷に届けた帰りである。

 町は朝から高揚した空気に包まれていたが、実のところ、ロストは朝から冷めていた。

 その理由は自分でもわかっていた。

 早く帰ろうと足を引いたとき、

「おい、何してる」

 かけられた刺々しい声に、ロストはぐるりと頭を巡らせて声のしたほうを見た。

 案の定、ローンバートが苦々しい顔つきで彼を睨みつけている。

「別に何も」

「だったら森に引っこんでろ。お前みたいなやつが来る場所じゃないんだよ!」

 手荒くローンバートがロストを突き飛ばす。

 ロストはよろめいたものの倒れることはなく、冷ややかに、軽蔑をこめてローンバートを射すくめた。

「言われなくても戻るつもりだ。どのみち楽しめる気分じゃない」

「だったらさっさと失せろ、田舎者!」

「もう喧嘩か。穏やかでないな」

 よく通る、すんだ声。

 かつん、と靴音。

 二人の目に赤い髪が飛びこんでくる。

 黒い目が二人を見比べた。

「ネミッサ卿」

 思いがけない仲裁に、ローンバートが叱られた子供のような顔になった。

「公民館に向かわれたと思っていましたが」

「どうも穏やかでないようだったからな。……そちらはあの屋敷の庭師か。一緒に来られるか?」

 ネミッサがそう言ったとたん、ローンバートがロストを鋭く睨んだ。

 ロストは穏やかな笑みを作り、首を横に振る。

「いや、家に帰るところだったので」

「そうか」

「お送りしましょうか」

 ジョンがそう言い出したのへ、いや、とロストは再度ゆるりと首を横にふる。

「慣れた道で、帰るのに障りはないし、コンサートに間に合わなくなると悪いですから、気持ちだけもらっておきますよ」

 杖をつきながら、ゆっくりと歩き去るロストを、ローンバートは苦々しい表情を隠そうともせず、小さくなっていく長身の後ろ姿を睨み続けていた。

「あの男には関わらないほうがいいと申し上げたはずですが」

 ネミッサはローンバートを冷めた目で一瞥いちべつしたのみで、黙ってそのまま歩き出した。

(ふん、お高く止まってんな)

 顔をしかめたローンバートは、やがてにやりと表情を歪めた。

(ああいうやつが慌てるのは滑稽だよな)

「主、森へ行っても?」

 ローンバートの耳に入らぬよう、ジョンがネミッサにささやく。

「コンサートはいいのか?」

「はい、他の人には」

「ああ、上手く言っておく」

 少し歩いてから、ジョンがすっと傍を離れ、人の中に紛れる。

 人に怪しまれないよう、ひと足先に公民館へ行き、中へは入らず、闇に溶ける。

 会場内は明るく照らされていたが、そのぶん人が行かないような場所には明かりは最低限。全くない場所もある。

 一度闇に紛れてしまえば、人から離れるのは楽だった。

 ネミッサはああ言っていたが、ジョンはまだ庭師への疑惑を捨てきれていなかった。

 人に気付かれないよう、気配を殺してジョンは森へ進んでいった。

「おや、お連れの方はどうなさいました?」

「キロン様から呼び出しがあったようだ。すぐに戻るだろう」

 ジョンがいないことに気付いたローンバートに、ネミッサがすらすらと答える。

 公民館の入り口には、花で作られたアーチが立っている。

 ところどころに、立派な薔薇が飾られていた。

(あの屋敷の薔薇だと言っていたな)

 じっくりと見てはいないが、確かに見事な薔薇だったと覚えている。

 ネミッサが会場に入ると、あちこちで、ほう、と嘆息の声が聞こえた。

 彼女は別段着飾っているわけではなかったが、そもそも彼女はその容姿が並外れて華美なのだ。

 燃えるように赤い髪。透きとおった白皙はくせきの肌。人形のように整った面立ち。

 ネミッサ自身も、そのことはよく心得ていた。

 会場にはオリカもいて、ネミッサを見つけるとさっそく挨拶にやってきた。そのまま彼女が案内されたのは、演目を見るのに最もいい席だった。

 一旦は辞退したものの、勧められてその席に座る。

 やがて、演目がはじまった。

 子供たちが演劇をし、歌を歌い、詩や本の一節を朗読する。

 特に、茶色の美しいドレスを着たリサ・コルセーの詩の朗読は、感情がこもった素晴らしいものだった。中には泣いている者もいる。

(こういう経験も、たまにはいいものだな)

 故郷では、ネミッサはジョンを連れて旅をしながら、人に仇なす魔物や、自身が仇敵と呼ぶマリスヴィルの手下の討伐を大義としていた。

 そんな暮らしでは今のように、ひとつ所に留まることはなく、こうして催事を楽しむことも少ない。

 子供たちの演目が終わると、オリカが呼んだ楽隊の一団が、演奏の準備に取りかかった。

 その間に、ローンバートが壇上に立つ。

「お待ちの間に、珍しいものをお目にかけましょう」

 気取った様子で一礼し、ぱちりと指を鳴らす。軽い音とともに、木箱がひとつ現れた。

 ローンバートが箱を開けると、極彩色の煙が立ちのぼる。

 煙が晴れると、木箱は薔薇のひと株に変じていた。

 白い花弁にさっと赤を塗ったアルスローズが、大輪の花をつけている。

 おお、と会場がどよめく。

(初歩の幻術か)

 ただ一人、ネミッサは冷静にそれを眺めていた。元々彼女は楽しんでこそいたが、決して浮かれてはいなかった。

 己を律せよ。

 そう、自戒する。

 民草を守る騎士としての自戒。誇りと表裏一体のそれは重く、しかしその重さゆえに、ネミッサ・クレイエ・フォン・ゼーエンヘンカーは騎士として在る。

 ローンバートが花に手を伸ばしたとたん、薔薇は炎に包まれた。

 客席から悲鳴があがる。

 炎はうねり、渦巻いて形を変え、赤い竜が姿を現した。ぎらりと光る金の瞳が地上を見回し、咆哮が轟く。

 会場の明かりが赤い鱗に反射する。

 鱗が鈍く輝いた。

 まるで血が光るように。

(全く……くだらない)

 こんなモノはただの幻影。言葉と魔力で編まれた影。幻影を出すならもう少し、ましなものを出せばいいものを。

 ネミッサがそう考えている間に、竜は一人に狙いを定める。

 最もいい席に座る、彼女を。

 緩やかに目をあげる。

 眼前に迫る、大きく開いた口には、鋭い牙が並んでいる。

 噛まれればひとたまりもないだろう。この竜が、真に存在していたのならば。

 会場のざわめきが、悲鳴に変わる。

(……まずいな)

 すう、と息を吸う。

「静まれ!」

 竜の咆哮にもかき消されない、凛とした大声に、その場が水を打ったようになる。

 立ちあがり、手を伸ばす。

 雪のように白い繊手せんしゅが、竜の鼻先に触れた。

 それでも、手には何も感じない。

 見えていても、そこには何もいない。それさえわかっていれば、害はない。

(さて……)

 竜が止まる。

 鱗がはらはらと剥がれていく。

 その場の全員が息を詰めて、崩れゆく竜と赤い髪の騎士を注視していた。

 竜の中から、別のものが顕れる。

 青い薔薇。

 どよめきが会場に広がった。

 形なき幻にさえ、己が思い描いた形を与える奇跡。

 ネミッサが使う、魔法にあらざる異能のひとつ。下手に使えば理を乱しかねないものだが、ネミッサは既にその基準を体得していた。

 幻の竜を、形ある薔薇に変える。その程度なら問題はない。

「見事な見世物だった。私も加えてもらえるとはな」

 口角をあげて綺麗な笑みを作り、席を立って壇上にあがる。

 青薔薇をとり、その綺麗な笑みのまま、ローンバートに手渡す。その一瞬、黒い瞳が冷ややかに彼を射すくめた。

「見縊るな、若造」

 彼にだけ届く声で、低くささやく。

 漆黒の瞳と空色の瞳が、刹那、火花を散らす。

 くるりとローンバートに背を向け、ネミッサが席に戻っていく。

 きりりと歯を噛んだローンバートは、その背を睨み続けていた。

 その後の楽隊の演奏は素晴らしく、今夜の華やかな催しに、より一層の花を添えた。

 やがてコンサートが終わり、ネミッサはオリカの屋敷に戻ったが、ジョンはまだ帰っていなかった。

「一緒に行かれたのではなかったのですか?」

 首をかしげるキロンに事情を話し、少し様子を見てきます、と、ネミッサは森へ向かった。



 カナーリスの町から自分の小屋に戻り、ロストは大きく息を吐いて椅子に腰かけた。

 作りつけの小さな暖炉に火を入れる。

 出かけるとき火を落としていたため、小屋の中は寒かった。

 黒外套の襟元をかきよせ、火の勢いを見ながら薪を足す。

 小屋が暖かくなってからも、ロストは身動きひとつせずに、じっとはぜる炎を見つめていた。


 軋んだ声の、軋んだ歌が洞窟に響く。

 不協和音の歌声は響き、重なり、更に幾重にも反響する。

 地面に描かれた魔法陣の上に、等間隔に置かれた蝋燭の火が揺れ、岩壁にいくつもの影を映しだす。

 眼前に広がる赤色と、その中に横たわる少年――否、少年、だったもの。

 既にその身体は人の形をしておらず、血の海の中、五体がばらばらに浮いている。

 青い目を大きく見開き、面に恐怖を貼り付けた首がこちらを向いている。

 次は自分の番。

 歌声が高くなる。

 血塗れの短剣が、シャツを裂く。

 怖い。逃げたい。

――だれか、たすけて。

 身体は全く動かない。声をだすことさえ、できない。

――ロスト。

 そう、自分は全てを失った。

 友人。仲間。家族。居場所。

――ロスト。

 ジュリウス・ゴードン。

 彼は自分のせいで――。


「ロスト!」

「おわ!?」

 不意に耳元で聞こえた大声に、ロストは頓狂な声をあげて反射的に身を引いた。

 均衡を失って椅子ごと倒れかかったのを、横から伸びた手が支える。

 肩で息をしながら髪をかきあげ、傍に立っていた男を見る。

 茶色い髪を短く整えた、大柄な男である。

 太い眉をひそめ、鳶色の目が気遣わしげにロストを見下ろしている。

「……イザク、か」

 男はレンジャー隊長のイザク・ウォーレンだった。

 三年前、ロストを見つけ、人事不省に陥っていた彼を街の診療所へ担ぎこんだのもこのイザクとヒューである。

「よく中に入れたな」

「門、鍵が開いたままだったぞ。それより大丈夫か? かなりうなされてたぞ」

「ああ」

 火にあたっているうちに、眠ってしまっていたらしい。嫌な夢の名残をふりはらうように頭をふる。

「何か用か?」

「このところ顔を見てなかったし、コンサートにも来てなかったろ。どこか悪くしたんじゃないかと思ってな」

「ああ、確かに顔は見なかったな。町には何度か行ってたんだが」

 苦笑して黒外套を脱いで壁にかけ、棚から酒の瓶を取る。

「よかったら付き合ってくれないか。今日は潰れでもしないと眠れる気がしないんだ」

「別にかまわないが……ソーンのやつと何かあったのか?」

 酒をグラスに注ぎながら、ロストが凄みのある笑みを浮かべる。

 普段の微笑みとは全く違う、ぞっとする笑みだった。

「たかだかあんなやつのことで潰れてりゃ、酒が何本あっても足りやしないよ」

 注いだ酒を勢いよくあおるロストに、イザクが呆れた目を向ける。

 日頃は酒量をわきまえ、大酔するほど酒を飲むことなどないロストが、わざわざ潰れるほど飲むと言うのだから、よほどの事情があるのだろう。

 主人のただならぬ様子に、ジュリーがどうしたのかと問いたげに傍に寄る。

 哀しげに笑んだロストは、愛犬の頭を軽く撫でてやった。

 グラスに残る酒を喉に流しこみ、再び酒を注ごうと瓶に手を伸ばしたロストは、ぴたりと動きを止めた。

 眉根を寄せ、すいと目を細める。

 イザクはこのとき、ロストの周囲の空気が変わったことを感じていた。

 研ぎ澄まされた白刃を首元に突きつけられたような、はりつめた、ひりつくような空気。

 静かに立ちあがったロストが、棚においていた拳銃を取りあげた。

 イザクが低い声で止めるのを無視し、やおら窓を開ける。

 安全装置を外す音。

「お、おい、ロスト……」

「おい、いるんだろ。こんな日にわざわざこんなところまで、何が目的で来たんだ。用があるならさっさと入って来たらどうなんだ。外からこそこそうかがっていられたんじゃ、気になって仕方ねえんだよ」

 ぽかんとしているイザクにはかまわず、ロストは荒い語調で外に呼びかけた。

 ややあって、暗がりから青年が憮然とした顔で、両手をあげて現れた。

「失礼しました」

「いいから入れ」

 明るい小屋の中で青年をまともに見て、ロストが眉間にしわを寄せる。見覚えのある青年だった。

「ジョンと言ったか」

「はい。……よくおわかりでしたね」

「昔取った杵柄、ってな」

 肩をすくめ、改めて酒を注いだロストは水を飲むかのような勢いで二杯目を飲み干した。

 反対に、イザクはまだ一杯目を半分飲んだところだった。

 いつもなら次々とグラスを空けるのはイザクで、ロストはゆっくりと飲むのだが、今日はまるで逆だった。

「おい、そんなに飲んで大丈夫か? ほどほどにしておけよ」

「いいんだよ、今日は。お前も飲むか?」

「いえ、自分は結構です」

 そうかい、とロストは一人で三杯目にかかる。

 四杯、五杯と酒杯を重ね、ロストは大きく息を吐きだした。

 彼の顔は酒精で上気し、荒い呼吸で胸が上下している。

 暑い、と呟いて、シャツのボタンを外したロストの胸には、白い包帯が巻かれていた。

「怪我したのか?」

「うん? いや、してねえよ」

「でもこの前、ソーンと揉めたらしいじゃないか」

「……ヒューのやつ、喋ったな」

 顔をしかめて舌打ちをしたロストをなだめ、イザクがひと口酒を飲む。

「ロスト、前にも言ったが、何かあったら警備兵でなくてもいいから、誰かに伝えたほうがいいぞ」

 ロストが口元を歪め、冷ややかな、嘲りを含んだ苦笑を作る。

「ヒューにも言ったがね、“おかしな男”の言うことなんざ、誰が信じるよ。魔術を使うろくでなしのほうが信用されてる町だぞ。ふん、魔術なんざ使う悪魔崇拝者のろくでなしなど――死んでしまえばいい」

 酔っているとはいえあまりの暴言にイザクが絶句し、ジョンがさっと顔色を変えた。

「取り消してください」

「あ?」

「魔術師は悪魔崇拝者ではありませんし、ろくでなしでもありません」

「は、どう違うんだ。言ってみろよ」

 カッとなったジョンが何か言いかける前に、小屋の扉が開く音がした。

 据わった目を入口に向け、ロストが誰だ、と声を投げる。

「失礼。ノックはしたが、返事がなかったのでな」

 来客――ネミッサが答え、こちらを睨むロストから、先の暴言が聞かれはしなかったかと青ざめるイザク、半ば口を開けたままのジョンへと順に視線を移した。

「従者が面倒をかけたようだな」

「こいつが来たのはあんたの指図か? しばらく泥棒か何かみたいに中をうかがってたがな!」

「お、おい、ロスト!? 申し訳ありません、こいつだいぶ酔っているものですから」

「かまわない。私の責任だ、申し訳ない」

 頭をさげられ、ロストはまだ不機嫌そうな顔で酒をあおった。

 ロストと差し向かいになるように座り、ネミッサはロストと目を合わせた。

「本当に私を知らないか?」

「知るものか」

 うめくように言葉を吐きだし、ロストがぐったりと卓上に伏せる。とうとう酔い潰れたらしい。

 イザクがロストを横向きに寝かせ、服を緩める。

 介抱のために残るとネミッサが言い出したのはこのときだった。

「ジョン、キロン様にそう伝えてくれ。ここに戻る必要はない。屋敷のほうで変わったことが起こらないか、よく気を付けていてくれ」

「承知しました」

 二人が去ってから、ネミッサは椅子に座りなおし、正体なく寝入っているロストを注意深く見守っていた。

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