第4話 魔導師のキロン

 翌日、ロストはいつもどおり、東の空が白むころにはもう起きだして服を着替え、庭に出ていた。

 ゆっくりとした足取りで薔薇を見てまわりながら、時々立ち止まってしおれかけた花を切る。

 世界が違うからといって、花そのものや花の育て方が大きく違うわけではなかった。

 自分の知識が通用することはありがたかったが、咲きほこる花々はどうしても故郷の実家を思い出させる。

(帰るさ、必ず)

 唇を結び、また一輪、しおれた花を切り落とす。

 デヴィッド・コルセーに頼まれた花の準備も、そろそろはじめなければならない。

 重いため息をつく。

 庭をひとめぐりするころには、夜が明けきっていた。

 小屋に戻り、朝食を用意していると、イスディスがひょっこり顔を出した。

「やるよ」

 ひと言そう言って、イスディスは後ろ手に持っていたものを突き出した。木のひと枝。枝には片手に握りこめる丸い実がいくつかついている。

 黒い皮にぱっくりと開いた裂け目から、艶やかな赤い実がのぞいている。

「……フニカか」

 記憶から、果実の名前を引っ張りだす。

 秋に甘い実をつけるフニカは、この庭にも植えられていた。実がなっていた覚えもある。

 それを折ってきたのか、と思ったが、ロストは特に目くじらを立てなかった。放っておいても進んで食べるわけではないし、熟れすぎて鳥に食われるのが落ちだ。

 実をひとつだけもいで、枝をイスディスにさしだす。

 それを受け取ってにっと笑い、イスディスはさっそく皮を剥いては実を口に運んでいる。

 皮の裂け目を広げ、四粒の赤い実をひと粒取って口に入れる。薄皮を歯で噛み破ると、甘い果汁が溢れだした。

 よく熟れている。

 フニカを食べ終え、ついでに朝食にと、ロストは棚からパンをひと切れ取って腹におさめた。

 食事を終え、庭に出たロストはコルセー家に届けるための薔薇を摘みはじめた。

 大きな花束をひとつと、飾りにする白薔薇を一本準備して、しおれないよう、延命剤を混ぜた水につけておく。

(まだ時間はあるな)

 花を届けに行く前に、庭の草むしりをしてしまおう。

 園芸用のエプロンをつけ、ロストは庭の東側に足を向けた。

 ここ二、三日、薔薇が多く植わっている西側に手をかけていたため、東側は草花にまぎれて雑草が伸びている。丈の高い草は根が浅く抜きやすいが、丈が低かったり、地を這うように伸びていたりする草は、しっかりと根をはっていて抜きづらい。

 それでも慣れた手つきで除草用のねじり鎌を使いながら、根ごと雑草を取り除く。

 抜いた部分の土を軽くならしつつ、雑草は近くにまとめておく。後で捨て場に持っていくのだ。

 目立つところの雑草を抜いてしまうと、ロストは大きく息を吐いてぐうっと背を反らした。

 人より長身の彼には、かがみこむ草むしりは楽な仕事ではない。

 そのころ、イスディスは庭の西側をぶらついていた。

 今夜、町でコンサートがあることは、イスディスも知っている。

 今はどんな様子だか、ちょっとのぞきに行ってみようか。

 そんな気まぐれを起こしたときだった。

「おや、君は……町で見たことのない子ですね」

 衣擦れの音。

 誰が来たのかと頭をめぐらせ、イスディスはその場に凍りついた。

 濃藍のローブ。フードの下からのぞく口元が白く浮きだして見える。

 赤い唇が動く。

「このあたりの子なんですか?」

「う、ん」

 す、とローブが一歩近付く。

 フードで隠れていても、その冷たい視線をイスディスは確かに感じていた。

(何だ、こいつ)

 後退ろうとして足がもつれ、その場に尻餅をつく。

 蛇に睨まれた蛙とでもいうのか、イスディスは金縛りにあったかのように動けなくなっていた。

「君は――何ですか?」

 ざっと、氷がイスディスの背を駆けあがる。

 気付かれている。自分が人ではないと。

「どうかしましたか?」

 人の訪れに気付き、ロストが近くまでやってきていた。

 できるかぎりの早足で近寄ってきたロストは、怪訝な顔で二人を見比べ、イスディスに手を差しのべた。

「すみません。どうやら怖がらせてしまったようなのです」

 そうでしたか、と頷きながら、ロストは腕にしがみついているイスディスにちらりと目をやった。

 血の気の引いた顔。おどおどとした視線。

(怯えている?)

 いつもにやにやと笑って、人を食ったような態度を取っているのがイスディスだと、そう思っていたのだが。

 ローブの人物がロストを見上げる。

「町で聞いた、薔薇屋敷の庭師、というのはあなたですか?」

「薔薇屋敷の、と付くなら、自分でしょうね。何か、御用ですか?」

「大したことではないのですが、少しお話をうかがいたいと思いまして」

「キロン様!」

 そこへ、少し息を切らしながら、若い男が駆けてきた。

 濃い栗色の髪が、走ったせいかやや乱れている。薄手の外套の裾から、柔らかい革のブーツがのぞいていた。

 以前、ロストが広場で見かけた青年だった。

「おや、ジョン、どうしましたか?」

「主から伝言です。グローゼン氏が明日の正餐会のことでお話があるそうですので、用が済んだらお戻りください、とのことです」

 少しばかり早口で言い切った青年は、ロストに気付いて頭を下げた。ちらりと見えた口元は強張って引きつっていたようではあるが。

 ロストも慌てて会釈を返す。

「戻ったら怒られそうですねえ。どこか隠れられるような場所ってあります?」

 キロンが悪戯っぽい笑みを浮かべてロストを見返る。

 はからずも、目の前の人物が宮廷魔導師と名高いキロンだと知ったロストだったが、つかの間ぽかんとしたものの、言葉の意味を理解すると同時に微苦笑を見せた。

「俺に累が及ばないんなら、小屋にでもご案内しますがね」

 冗談交じりの言葉を聞いて、イスディスが強くかぶりをふる。眉根を寄せて、ロストはイスディスを見下ろした。

「甘えたいところですが、そういうわけにもいきませんねえ」

 くすくす笑うキロンの頭ごしに、こちらへ歩いてくるクロードの姿が見えた。

「取りこみ中でしたか?」

「いいえ、どうぞ」

「花かい? 準備はできてるよ。そろそろ持っていくつもりだったんだ」

「うん、近くまで来たから、ついでに花を受け取って帰ろうと思ってな」

「持ってくるよ。ちょっと待っててくれ」

 小屋に戻り、エプロンを壁にかけながら、ロストはイスディスに、どうした、と声をかけた。

 イスディスが顔をあげ、じっとロストを見つめる。

「ロスト。あの魔導師には、口が裂けてもほんとの名前を言うなよ」

 真剣な顔でそう言われ、ロストは首をかしげる。

 ロストがこの小屋に落ちつき、徐々に過去のことを思い出してきたときにも、イスディスは絶対に誰にも本名を明かすな、ときつい語調で言いつけていた。

 魔法を使う者に本名を知られることの危険を、ロストは知らずとも、イスディスは知っていた。

 ロストもイスディスの言葉を無視することはなく、本名を思い出してからも、周囲には“ロスト”で通し、本名を隠し続けていた。

「お前がそう言うなら、わかったよ」

 準備していた薔薇を抱え、クロードのもとに戻る。花を受け取ったクロードは礼を述べ、後で代金を届けさせると伝えて町へと戻っていった。

 しゃがんで薔薇を見ていたキロンが、ロストが戻ってきたことに気付いて立ちあがる。ジョンの姿はもう見えなかった。

「あの子は大丈夫ですか? 怖がらせてしまったようで、申し訳ないのです」

「ええ、大丈夫です」

「この庭は、お一人で世話をされているのですか?」

「そうですね。これが好きなもので」

「あちらの花は……あ、アルスローズまであるのですか!?」

『たまたま株が手に入ったので、植えてみたんですよ』

 沈黙。

「……なんとおっしゃいました?」

 小首をかしげたキロンは、庭師の瞳に暗い影がさっとよぎったのを認めていた。

「――ああ、失礼。たまたま株が手に入ったので、あそこに植えてみたんですよ」

 白い花弁に、ひとはけ、さっと赤い色が入ったこの薔薇は、かつてある男が恋人のために作り出したと言われている。

 市場で手に入れることは難しく、育てるのはもっと難しい、と言われる薔薇である。

 そんな薔薇が、この庭には咲いている。

 薔薇をまじまじと見て、キロンが感嘆の声をあげる。

 後ろでそれを眺めながら、ロストはそっと溜息を吐いた。

 どういう理屈か、カナーリスに来てからも、読み書きに不自由はしていない。習った覚えはないがこちらの言葉は話せるし、文字も同様に読むことはできる。

 そのため普段は故郷の言葉を使うことはないのだが、考えごとをしているときなど、故郷の言葉が出ることがあった。

 キロンのように聞き返されるならいいが、相手によっては――たいていローンバートやその取り巻きだったが――何を言ったのか、暴言でも吐いたのではないかと言いがかりをつけられることがあった。

 昨夜のもめごとも、そもそもの原因はそれで、ふと漏らした独り言を聞き咎められたのだ。

 二人が庭を一周したところで、人影が二つ、こちらに歩いてきた。ジョンともう一人、見知らぬ女だった。

「ネミッサ卿、早いですね」

 つかつかと女が二人に近付く。人形のような面上に、感情はうかがえない。

「キロン様。遊山はよろしいですが、勝手に抜け出すのはいかがなものかと。衛士が朝から右往左往していましたよ」

「おや、書き置きはしてきたのですが……」

「抜け出したら心配するでしょう」

 ネミッサの視線がロストに向く。

 漆黒の瞳に射すくめられ、ロストは目をしばたたく。

「何か?」

「……いや、失礼」

 目つきを和らげ、ネミッサが軽く頭を下げる。

「そろそろお暇させていただきますね。またうかがってもよろしいですか?」

「もちろん、いつでもどうぞ」

 客の姿が見えなくなると、ロストは小さく息を吐き、額に浮いた汗をぐいと拭った。

 王都から宮廷魔導師の一行が訪れていることは、ロストも無論聞いていた。

 しかし、まさか会うことはないだろうと思っていたのだが。

(やれやれ、肝が冷えた)

 生まれも育ちもいわゆる平民の自分が、まさか宮廷魔術師と口をきくことになるとは思わなかった。

 軽く頭をふって、ロストは再び庭の草取りに戻ることにした。



「あの男が、例の庭師ですか?」

 薔薇屋敷からの帰路、ネミッサが口を開く。

「そのようですね。卿が探していたのは、彼ですか?」

「さて……今はまだ、なんとも言えませんね。キロン様は彼をどう思われました?」

 そうですね、と言いかけたきり、キロンは黙ってしまった。

 森の中の、石畳が僅かに残る道を歩きながら、魔導師はゆっくりと言い出した。

「はまりませんね」

「はまりませんか」

「グローゼン氏は、彼は心を病んでいると言っていましたが、私が見たかぎり、そのような兆候は見えませんでした。会話の内容も物腰も、いたって理性的でしたし、話の筋もとおっていましたしね。だから、はまりません。ああ、でも――」

『たまたま、株が手に入ったので、植えてみたんですよ』

 庭師が漏らした言葉。多くの言語を知るキロンの知識にない言語。

「何かあったのですか?」

「少し気になることがありまして。この言葉、何を言っているのかわかりますか?」

 庭師の言葉を再現する。

 一度見聞きしたものは決して忘れないと噂されるほど、並外れた記憶力を持つキロンには、それは難しいことではない。

 キロンが発した言葉を聞いて、ジョンは怪訝な顔になった。ネミッサは平素と変わらぬ無表情である。

「覚えのない言葉ですね」

「自分もわかりません」

 答えを聞いて、キロンが口の端をあげる。

「なるほど、それはぜひ調べてみたいですね」

 どうやら、魔導師の興味の対象がひとつ増えたようだ。

「そうそう、今日はコンサートでしたね。卿は行かれますか?」

「そうですね、行こうと思っていますが……キロン様はどうなさいますか?」

「私は遠慮させてもらうつもりです。卿とジョンだけで楽しんできてください」

 キロンが賑やかな場を好まないことを、ふたりともよく知っていた。

「それなら、甘えさせていただきましょうか」

 ネミッサがわずかに口元を緩める。かなりわかりにくいが、彼女はこれでも相当機嫌がいいのだ。

 三人が屋敷へ戻ると、衛士たちはほっとした様子で彼らを迎えた。

 昼食のあと、ネミッサはゲストハウスのあてがわれた部屋で、退屈しのぎに本を読んでいた。

 ネミッサの部屋はゲストハウスの二階、階段をあがって二番目の部屋で、一番奥がキロンの部屋、とっつきがジョンの部屋である。キロンの部屋の前には、衛士が交代で立って番をしている。

 部屋は白と茶色を基調とした落ちついた配色で、床には毛足の長い絨毯が敷かれている。

 ネミッサが身体を沈めているソファのほか、低いテーブル、チェストとクロゼットが配され、部屋から続く小部屋にベッドが置かれている。

 ソファに深々と座り、本を読んでいたネミッサが、ノックの音に顔をあげる。

 やってきたのはジョンだった。

「主、あの庭師をどう思われますか?」

「姿形を変える魔術もあることを考えると、確かなことは言えないが、違うだろうとは思っている。あの言葉……キロン様が聞いたなら間違いはないだろうが、あれはメルへニアの言葉じゃない」

 故郷では遍歴の騎士として巡り歩いていたネミッサは、故郷の各地の言語に通じている。

 しかし、庭師が発したという言葉は、彼女の知識にないものだった。

「それにあの男、私やお前を見ても、何も反応しなかっただろう。マリスの手下なら、無反応ということはあるまい」

「しかし、例えば、ふりをしていた、とか」

「ふりで異国の言葉を話す必要はないだろう。リスクが高すぎる。それなら知らないとでも言い張ったほうが早いと思うがな」

「それはそうですが……しかしあの庭師は、なんだか油断がならないように思うのです。物腰……というか、どうも彼はかなり腕に覚えがあるのではないか、と」

 その印象は、ネミッサも持っていた。

(あの男、おそらくこれまでに幾人もの命を奪っているだろうな)

「私もそう思う。だがあの男に関しては、今のところは注意する必要はないだろう。むしろ、ローンバートやその取り巻き連中に注意しておいてくれ」

「わかりました」

「少しは肩の力を抜いたらどうだ」

 甘いものでもつまむか、と勧めると、いただきます、とジョンはかしこまって答えた。

 この固さはどうにかならないものかと思いながら、ネミッサは紅茶と菓子を用意し、二人はささやかな茶会を楽しんだ。

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