第3話 コンサート前日

 コンサートの前日、カナーリスの住民たちは公民館に設えた舞台の仕上げや客席の準備におおわらわだった。

 このコンサートはもともと、町の学校に図書室を作る資金集めのために、当時の教師と生徒たちが企画したものだった。それが習慣となり、今では年に一度の大きな催しとなっていた。

 特に今年はオリカが伝手を辿って、王都アゾールから楽隊を呼んだという。それもあって、今年のコンサートへの熱はかなり高まっていた。

 青年たちが舞台を整えている間に、子供たちが運ばれてきた椅子を並べていく。

 学校の理事を務めるセオドア・ドーソンは、子供たちの様子に気を配っていた。

 昼ごろ、町の女たちと入り口のアーチを作っていたレーナ・ロビンズが、難しい顔でセオドアに相談に来た。

 入り口のアーチを飾る花が足りない、と言うのである。

「メイソンさんがお店の花をわけてくださったんですけれど、それでもまだ足りないんです」

 見に行くと、確かにアーチには隙間が見られた。

 花屋を営むアビー・メイソンが花を持ってきていたが、レーナの言うとおり、その量は充分ではない。

「明日は朝からリハーサルですから、今日のうちにアーチは仕上げてしまわないといけないんですけれど、どうしましょうか」

「薔薇屋敷からわけてもらうのは?」

 傍で聞いていたネイが口を挟む。ああ、とセオドアは手を打ったが、薔薇屋敷と聞いた途端、レーナは渋い顔になった。

「わけてもらえますか? あそこの人、偏屈で気難しいって話でしょう」

「ちゃんと頼めば大丈夫よ。ロストは言うほど偏屈じゃないもの」

「でも……あの人、少しおかしいらしいじゃないですか。この前だって、ソーンさんが急に喧嘩をふっかけられたって怒っていらしたんですよ」

「おかしいって……そんなことないわ。誰が言ってたのか知らないけど、人のことをそんなふうに言うなんて、すごく失礼じゃないの」

 ネイが尖った声で言い返す。

 まあまあ、とセオドアは仲裁に入った。

「これから私が頼みに行ってみよう。ここは任せるよ」

 そう二人に言い置いて、セオドアは森へ向かった。

 セオドアも、ロストと親しいわけではない。町で会っても特に親しく話すことはなく、挨拶を交わす程度である。

 ロストはおかしいとは思えないが、偏屈なのは確かだとセオドアは思っていた。

 たとえ笑っているときでも、それは上辺だけのもので、心からのものではない。そう思えることが何度もあった。

 屋敷の門は開いていたが、見える範囲にロストの姿は見当たらない。

 門に取り付けてある呼鈴を鳴らして待っていると、やがて小屋の方から、ロストが許される限りの早足でやってきた。

 立っているセオドアを認め、申し訳なさそうに眉を下げる。

「すまない、待たせたか?」

「いや、たいして。頼みがあるんだが、花をわけてもらえないか?」

「花を?」

 怪訝な顔のロストに事情を説明する。

 話を聞いて、ロストは眉を寄せて小さく唸りつつ、首を少し煽った。考えごとのときに首を煽るのが、この男の癖であるらしい。

「どれくらい必要だ?」

「花屋の花もあるから……三、四十本もあれば充分だろう」

 ロストの眉間に深々としわが寄る。

「明日の早朝でかまわないか?」

「いや、明日は朝からリハーサルがあるから、なんとか今日中に頼めないだろうか」

「今日中、ねえ……」

「そんなに時間がかかるものか?」

 言った途端、セオドアは周囲の温度ががくりと下がったような錯覚を覚えた。

「どれでも適当に持って行っていいんなら、それほど時間はかからないがね、そうじゃないだろう。延命剤を使ったってあまり長くは保たない花もあるし、薔薇なんかは棘を取らなきゃ、手が血だらけになるぜ」

 ロストは語調こそ穏やかだったが、緑がかった黒い目は、心なしか冷ややかだった。

「そ、そうか……」

「まあ、どうにかならないこともないが、正直なところ、手伝ってもらえるとありがたいんだがね」

「いや、準備のほうにまだ人手がいるし、花のことはよくわからないから」

 きっと唇を結んで、喉元まで出かかった皮肉を飲みこみ、ロストは肩をすくめてみせた。

「そんなことだろうと思ったよ。わかった、町のことだしな。今回は何とか届けるよ」

 今回は、に力をこめる。

 頼んだ、と言って、セオドアが町へ帰っていく。

 その姿が見えなくなってから、ロストは険しい顔で鋭く舌打ちをした。

 セオドアにはずいぶん簡単に言われたが、飾りに使える花を見繕うだけでも時間はかかる。棘や余計な刃を取り除くのも、五分や十分でできることではない。

「まったく、せめてできることは手伝うだとか、そうしたことは言えないもんかね。空を飛べって言ってるわけでもないってのに」

 思わず愚痴が口をつく。

 この手の無茶な依頼は時々舞いこむ。ロストも全て引き受けることはなく、無理だと思えば断っていた。

 この依頼も、心情としては断りたかった。

 セオドア個人のための依頼なら断っていただろう。しかし町のコンサートのためとなれば、流石に断りづらかった。

 とはいえ、二度目があれば断るつもりだった。

 今回は、と言ったあと、二度目に同じ条件の依頼をされたとき、ロストがそれを引き受けることはまずなかった。

 彼が偏屈だとか、気難しい、などと評される一因はそこにあったのだが、ロストはその態度を崩さなかった。



 それでも、ロストは言葉を違えなかった。

 夜、束にした花を抱え、彼は公民館を訪れた。

 残っていたのはネイとアビー、レーナ、それにセオドアだけで、今日のうちにアーチを仕上げるべく、せっせと手を動かしていた。

 花で飾られたアーチを見、ちょっとしたもんだな、と感嘆する。

 ネイが顔を上げてロストを見、顔を輝かせた。

「あっ、花、持ってきてくれたの? ありがとう! 急に頼んでごめんなさい」

「ああ、悪いな、遅くなって。それと、薔薇の棘は取ってあるはずだが、一応気を付けてくれな。軍手でもはめたほうがいい」

 花と一緒に持ってきた、新しい軍手をネイに手渡す。さっそくそれをはめたネイが、花を取ってアーチを飾っていく。

「ねえ、上のところだけ、ちょっと手伝ってくれない?」

「あの辺か、わかった」

 ロストは慣れた手つきでアーチに花を足していく。

 その様子を見上げていたネイは、ふと小首を傾げて彼を見上げた。

「ロスト、何だか顔色が悪くない?」

「そうか? 気のせいじゃないか?」

 やがてロストが公民館を後にするのと入れ違いに、ローンバートが姿を見せた。

「まだいらしたんですか? もう暗いし、危ないですよ」

 レーナを見つけ、穏やかに声をかける。

「ええ、今日中に作ってしまわなければいけませんから」

「手伝いますよ」

 にっこりと笑いかけたローンバートに、レーナが頬を赤らめる。

(たちが悪いこと)

 横目でその様子を見、ネイは内心で呟いた。それを悟られないよう、そっぽを向いてアーチを飾る。

 容貌のいいローンバートは、町の多くの女たちから人気があったが、ネイは彼を好んでいなかった。ローンバートが時折見せる高慢さが、ネイにとっては鼻持ちならなかった。

「さっき庭師が来ていたようですね?」

「はい、花が足りなかったので、頼んで持ってきていただいたのです」

「もしかして、それで遅くなったんですか? 僕に頼んでくれさえすれば、すぐに揃えてあげたのに」

「まあ、それでは今度はお願いしますね」

「それがいい。あの男は危険ですからね、関わらないほうがいいですよ」

 誰も、ローンバートの暴言を咎めなかった。ネイもきつく手を握りしめたものの、彼を咎めることはできなかった。

 ローンバートがロストを嫌っていることは、カナーリスの住民なら誰でも知っている。

 ロストが近くにいれば、ローンバートは聞こえよがしに悪態をつき、いなければあることないこと悪口を言いふらす。

 それでも町長のオリカ気に入りの〈外つ国人〉という立場が、ローンバートにそういった振る舞いを赦していた。

 アーチの飾り付けが終わったときには、周囲はすっかり暗くなっていた。

 帰路についたネイだったが、彼女の家は公民館から近く、道は街灯で明るく照らされており、一人で帰るのもさのみ恐ろしいことではなかった。

「ネイ? どうしたのさ、こんな時間まで」

「ヒュー!? 脅かさないでよ、もう……。明日の準備。遅くなっちゃった」

「ああ、なるほど。家まで送るよ、もう遅いし」

「ありがとう。あんたこそどうしたの、こんな時間に」

「詰所に忘れ物を取りに戻ってたんだ。それにしても、こんな時間まで準備してたの? いつもならもう少し早く終わってたと思うけど」

「アーチの花が足りなくて」

 ネイが歩きながらその話をしていると、二人の行く手にある橋のほうから、なにか重いものが水に落ちる音が聞こえてきた。

 真っ先にヒューが駆け出した。ネイもその後に続く。

 革の短靴と木靴が慌ただしく路面を叩く。響く足音に道沿いの家に灯がともり、どこかの飼い犬が激しく鳴き騒ぐ。

 ひとしきり道沿いはざわめいて、徐々に静かになった。

 橋の上にこそ人影はなかったか、駆け去っていく数人の姿をヒューは認めていた。

(あいつら、確か……)

 遠目ではあるが、ローンバートをいつも取り巻いている連中に見えた。

 首を伸ばし、水面をのぞきこむ。

 波だった水面が月明かりに揺れていた。

「ヒュー、これ――」

 ヒューの足元に何かを見つけ、ネイが息を弾ませてそれを示す。

 それを見て、ヒューは鋭く息を吸った。

 太い木の杖。握りの部分に鉛の入った、いざという時には武器にもなる代物。ロストが普段から使っているものだった。

「まさか、河に落ちたんじゃ……」

「人を呼んでくる!」

「いや、その必要はないよ」

 橋の下から聞こえた落ちついた声に、今にも走り出そうとしていたヒューがつんのめり、ネイが短く悲鳴を上げる。

 泳ぎ出てきたロストがするすると、石造りの運河の壁を登ってきた。どこで身につけたのか、彼は登攀の技術に長けていた。

 手足と腰の力で身体を支え、自分の筋力だけで、彼は何の手がかりもないような壁を、石の突起――それもほんのわずかな突起――を頼って、やすやすとよじのぼることができた。

「悪い、驚かせたな」

「ど、どうしたの!? 河に落ちたの!?」

「そんなところだ」

 顔にぺたりとはりついた髪をうるさそうにかきのけ、水が滴る黒外套の裾を絞りながら、ロストはちょっと唇を曲げて、苦い笑みを作った。

 彼はどうやらこのまま帰るつもりだったらしいが、せめて服を乾かしていけとネイに勧められ、ロストは渋々頷いた。

 道々、何があったのか聞きたがるネイを、ヒューが目顔で止める。

 冷えたせいか青ざめたロストの顔はいつにもまして険しく、また、なにか物思いに沈んでいるようだった。

 ネイの家で火を借りている間もロストの顔つきは変わらず、むしろ険しさが増している。

 暖炉の前に座って身じろぎもせずに炎を見つめる瞳には、赤い色が映っていた。

 人形。

 その言葉がヒューの頭に浮かぶ。

 少し血の色が戻ってきたせいもあってか、ロストは余計に人形じみて見えた。

 はりつめた空気に思わず足音を忍ばせて、ネイが温かいココアの入ったカップを三つ運んできた。

 ネイに視線を向けず、火を見つめたまま、ロストは手だけ伸ばして正確にカップを受け取った。

 ロストが鋭いところを見せるのは、これが初めてではない。ヒューは三年の間に何度も、彼の勘の鋭さや奇妙な行動を目のあたりにしていた。

 例えば、声を聞く前に気配や足音だけで誰が近付いてきたかを当てる。義足にも関わらず、足音をほとんど立てずに歩く。ときには気配すら感じさせないこともある。そのせいで出し抜けに声をかけられて驚いたことも一度や二度ではない。

 ロストは庭師だ。しかし、庭師にこういった技能は必要なのか。

 甘い、温かいココアを飲んで、ようやくロストの顔に生気が戻ってきた。

「何があったんだ?」

 ロストの表情が幾分和らいだのを見て、ヒューが切り出す。

「何、ちょっと絡まれたんだよ。しかしこの季節に水になんざ入るもんじゃないな。下手すると心臓をやられる」

 ロストが喉の奥でくっくっと笑い声を立てる。しかし聞いていた二人にとっては笑いごとではなかった。

「じ、自分から飛びこんだのか!? その身体で!」

 昼ならまだしも夜の運河、しかも着衣に加えてロストの場合は義肢の重さもある。重りを抱えて飛び込むようなものだ。

「よく溺れなかったわね」

「まあな。あまりやりたくはなかったが、さすがに囲まれてちゃどうしようもない。二、三人ならまあ何とかなっただろうが、五、六人となると、な。……そう呆れるなよ。別にこれがはじめてってわけじゃない」

「はじめてじゃないって!? それ、警備の誰かに話した?」

 ヒューの問いに、いや、とロストが首を横にふる。

「言ったところで、“おかしな男”の言葉なんざ、まともに取りあげるやつはいないだろうよ」

 渋い、苦々しい笑みがロストの面上に浮かぶ。

「それは……」

「気にするな、ヒュー。誰かに言われなくても、自分がまともな人間じゃないのは、自分が一番良く知ってるよ。さて、そろそろ帰るわ。悪いな、ネイ。世話になった」

「気にしないで、気を付けてね」

 言葉の前半は聞かないふりをして、ネイが笑みを返す。

「送ろうか?」

「なに、大丈夫だ、慣れた道だし。さすがにもう一度絡まれるようなこともないだろうよ」

 月の下、ロストの高い影が小さくなっていく。

 彼を見送って、ヒューも急いで戻ることにした。

 ヒューが暮らしているのは、レンジャー隊員用の寮である。

 ロストの一件で時間のことなど頭から飛んでいたヒューは、小窓からのぞいた管理人・ドーアの不機嫌な顔を見て、すっかり遅くなったことに思い至った。

「すぐに戻ると言っていたくせに、どれだけ経っていると思っているんだ!」

「そう怒らないでくださいな。彼は運河に人が落ちたのを助けていたのですよ」

 不意にヒューの後ろから、柔らかな声がした。

 濃い藍色のローブをまとった人影が、いつの間にかそこに立っていた。フードを目深に下ろしており、顔はわからない。

 香水だろうか、甘い香りがふわりと漂った。

 どうやら先のロストとの一件を、この人物は見ていたらしい。

「はあ……あなた様はどちら様で?」

「キロンと名乗っておりますよ」

 ドーアの顎ががくんと落ちた。ヒューもぽかんと人影――キロンを見る。

 キロンの名をメルカタニトで知らない者は、生まれたばかりの赤子くらいだろう。

 代々“キロン”を名乗る宮廷魔導師のうちでもその才能は随一とされ、虫の居所が悪ければ、ひと睨みで人間を蛙に変えてしまうなどという噂もある。

「これは失礼を……」

「いいえ、とにかくこの方を責めないでいただきたいのです。それでは、私はこれで……」

 キロンが頭を下げ、夜道を歩いていく。

「こういうわけでさ。入っていいだろ?」

「まあ、そういうことなら……」

 ドーアが鍵を開ける。

 次は気を付けるよ、と言い残して、ヒューは自室に戻った。

 取りに行った腕時計を棚に置いて、ヒューはベッドに横になった。

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