第19話 二人の記憶

 戸口に立っていたのは、ロストよりも三つ四つ年下に見える若い男だった。

 銅色の髪と瞳、端正な面立ち、鮮やかな刺繍が施された、朱色と白を基調とした貴族服。きりりと引き結ばれた口元からは気難しそうな印象を受けるが、男の目は好奇心で輝いている。

「失礼。邪魔をしたかな」

「いえ――」

「陛下」

 やってきたキロンを見て、男がばつの悪そうな顔になり、ロストは二の句がつげない様子で凍りついた。

 メルカタニトにおいて、その敬称で呼ばれるのは現王朝であるメルデ朝の王、すなわちオリヴェル・ディ・カミル・メルデ、その人。

「〈外つ国人〉に興味を持たれるのは構いませんが、執務室を抜け出す癖はいい加減改めてください」

「いや、すまない。仕事が思ったより早く片付いたものだから、つい……」

 きまり悪そうなオリヴェルに、キロンが呆れたと言いたげにため息をつく。

 ロストのほうは少し顔をそむけ、口元を手で覆って、口の端がひくひくと動くのを隠していた。

「まったく……まあ、同席していただこうと思っていたところでしたから、ちょうどよかったですけれど。あなたはかまいませんか?」

 ロストにとっては否も応もない。

 さすがの彼もいくらか固くなって、二人とさしむかいに腰かけた。

 名前や年齢、出身地、カナーリスでの暮らしをキロンから訊ねられ、ロストははっきりと問いに答える。

 しかし、カナーリスへ召喚された経緯を問われると、彼は言葉に詰まって口ごもった。

「さて、それが……昨日も言いましたが、こちらに来る前後の記憶がまるでないもので……」

「君はどうですか?」

 キロンのこの問いは、部屋の片隅で我関せずと言いたげにしていたジュリウスにむけて発せられたものである。

 不意にお鉢が回ってきたジュリウスが、きょとんと目を丸くして自分を指さした。

「僕? 僕は、その……」

「ジュリウス」

 ロストが声を投げる。

「何か覚えがあるなら何でもいい、話してくれ」

「……君が、あの洞窟に行ったことは覚えてるけどね、僕だってはっきりとは覚えてないよ。表に出てたわけじゃないもの」

「あそこに?」

 訝しげに眉をひそめたロストの脳裏を、断片的な光景がよぎった。

 暗い洞窟。

 眼前に立つ初老の男と若い女。

 憎悪に燃える、初老の男の目。

――人殺しめ!

 男の怒声。

――逃げて!

 女の叫ぶ声。

 銃声。

 広がる血と、倒れている男。

 ずきりと頭が痛む。傷はもう、とっくに治っているはずなのに。

「――さん、コズローさん!?」

 キロンの焦った声と、目の前で振られる手に、ロストははたと我にかえった。

 キロンの隣で、オリヴェルも腰を浮かせていた。

「大丈夫か?」

 はい、となかば反射的にうなずき、額にじっとりと浮いた汗を拭う。その手は細かく震えていた。

「具合が悪いのなら、医者を呼ぼうか」

「いえ、大丈夫です。……召喚されてからのことは、おそらくカナーリスで調べられたほうがよろしいかと思います」

「ええ、それは追々。必要なことは聞けましたから、今日はお休みください。戻りますよ、陛下」

「あ、ああ」

 気遣わしげなオリヴェルに、ロストはつとめて笑みを作ってみせた。もっとも、その顔はまだ青かったのだが。

 二人が出ていくと、ロストは顔を歪め、大きく息を吐いた。

「だ、大丈夫?」

 震え声のジュリウスに、ロストは面を引きつらせながらどうにか微笑を浮かべた。

「ああ、なんでもないよ」

 まだ鈍く痛む頭を枕に埋める。

 一瞬脳裏をよぎった光景は、もうおぼろなものになっていた。

「……意地っぱり」

「なんだと?」

 ぼそりと呟いたジュリウスの言葉が聞こえたらしく、ロストが横になったまま、しかめ面でじろりとジュリウスを見た。

「意地っぱりじゃないか。君は昔っからそうだったけどさ」

 ロストは不機嫌そうに小さく鼻を鳴らしたものの、何も言いかえさずに目を閉じた。



 キロンが国王オリヴェルとともに、ロストから話を聞いていたころ、ネミッサはジョンをともなってカナーリスへ赴いていた。

 薔薇屋敷の近くにあったあの空き地が気にかかっていたネミッサは、キロンに報告に行ったとき、近々そこを調べたいと相談していた。そこで渡された守護の符と姿隠しの符を懐に、そっと町を抜けて森へ入る。

 森に入ってから、ネミッサは意識して深呼吸を続けていた。

 ひと呼吸ごとに、感覚が研ぎ澄まされていく。

 目指す空き地に近付くにつれて、違和感が強くなる。それでも、キロンから受け取っていた護符のおかげで、身体に不調はおきていない。

(さて……)

 下草を踏みながら、空き地を見回す。

 一見、何もない場所だ。

「何か気になるところはあるか?」

 ジョンを見かえって訊ねる。

「いえ、特には……」

「そうか。ジョン、しばらくそこにいろ。何かあれば構わないから大声で叫べ」

 はい、とジョンがうなずく。

 ネミッサは目を閉じ、空き地へ踏みこんだ。

 足の裏にまず感じたのは、一面に生えているはずの草ではなく、しっかりと踏み固められた土の地面だった。

 二歩、三歩と足を進める。

 まもなく、爪先が固いものにぶつかった。

(これは……?)

 手でさぐる。

 どうやら、大きな平たい岩があるらしい。

 目を閉じたまま、眉をひそめる。

 岩を隠しているのだろうか。

(しかし、何のために……?)

 岩の高さは膝下ほど。這うようにして登ると、砂粒や小石がざらりと手足に触れた。

 そのまま周囲をさぐっていると、固い、丸いものが手に触った。石ではない。

 二つのくぼみと、その間にある三角形のくぼみ。

 それを指でさぐりあて、ネミッサは今触れているものが何かを悟った。

 他には何か見つからないかと、周辺をしばらく調べていると、指が文字の刻まれた薄い、小さな金属板に触れた。

 それを鞄にしまい、ネミッサは丸いものを持ちあげた。

 目を開く。

 想像していたとおり、ネミッサの手の中にあったのは髑髏どくろだった。

「さて、うまくいくかどうか……。『汝の見たものを我に伝えよ。我は全てを見る者。見守り、見続け、見届けることこそ我が在り方なり』」

 景色が、歪んだ。


 森の中を進む。何かを探すように、周囲を見回しながら。

 この空き地へ続く小道に入り、視点の主は大股で進む。

 見えた空き地には草はなく、舞台のような、大きな一枚岩があった。

 岩の上には、複雑な魔法陣が描かれている。

(召喚陣?)

 ネミッサは魔術については素人も同然だが、メルカタニトに来て以降はキロンから、少しではあるが知識を得ている。

 その知識で判断するに、岩上に描かれているものは、召喚陣によく似ていた。

 視点の主が、はっと顔を上げる。

 眼前に、何者かがいた。

 視点の主が相手を認識する前に、硝子の細い短剣が、その腹に深々と突き立てられた。

(まずい!)

 意識を引き戻す。

「主!?」

「大事ない。必要なことはわかった、王宮へ戻るぞ」

「主、後ろに!」

「来るな!」

 ジョンを制し、後ろをふりかえる。

 身体が透けた男が、ネミッサを見ていた。

 男の顔には覚えがあった。

「ミラダン・バーセル」

 男――ミラダンがうなずく。

「お前は、ここで死んだのだな」

 ミラダンが再びうなずいたのを認め、ネミッサは少し考えて、彼に手を差し出した。

「よこせ」

 凛とした声が、響く。

「お前の未練、お前の無念、お前の怨嗟。すべて私が引き取ろう、さあ!」

 ミラダンが、ネミッサの手に触れる。

 激情が、身のうちで荒れる。

 ネミッサは、奥歯を砕けんばかりに食い縛った。

 温かいものが、頬を伝い落ちていく。

「許すものか、マリスヴィル」

 血の涙を流しながら、騎士が吠える。

「他者の悪意を煽り、楽しみ、そのためならばその人間の名誉も尊厳も、何もかも踏みにじっておいて、恬然として恥じることもない貴様も、貴様の手下どもも、決して許しておくものか!」

 他者の記憶を“見た”反動で、頭が割れるように痛む。だがそれさえ些末なことだと思えるほど、彼女の胸で燃える憎悪と憤激は強かった。

「主!」

 かしいだ身体を、ジョンが支える。

 こちらを見つめる不安げな青緑の目に気付き、赤く塗りつぶされかけていた思考がすっと鎮まる。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

(感情に任せて動いてはならない)

 そう、自らを律する。

 ずきりと頭が痛み、顔をしかめる。

 反動を受けることはわかっていた。それでも、見て見ぬふりはできなかった。たとえその結果、自分の身が蝕まれることになろうとも。

「戻るぞ」

「はい、捕まってください」

 ネミッサを支え、ジョンが転移の呪文書を使う。

 アゾール宮に戻るなり、ネミッサの身体から力が抜ける。

「主!?」

「大丈夫だ、聞こえている」

 かすれた声の後に、咳が続く。

 口を押さえたネミッサの手の、ほっそりとした指の間から、鮮やかな血が床に滴る。

 どうにかベッドに横になると、そのまま意識が遠のいた。



――死霊の記憶を見るときは、気を付けなくてはいけないよ、ゼーエンヘンカー。

 懐かしい、友人の声。

――彼らは止まっているんだ。この世への未練だけで存在しているものだ。いくら君がそれができるといっても、不用意に見るのは危険だし、あまり未練を引き受け続けては、君が壊れてしまうよ。

 別の声が聞こえてくる。

 言葉にならない呻き声。

 悲哀。

 憤怒。

 怨嗟。

 絶望。

 視界に入るのはすべて、生ける屍たち。

 数日前まで普通の人間だった彼らは、たった一人の悪意によって、化け物へと変わり果てた。

(これは夢だ)

 過去の記憶を夢に見ているだけだ。

 記憶と同様に、手にした松明を、近くの家の壁に押し付ける。

 柱へ、梁へと火が回る。

 炎はあっという間に周囲を包みこみ、広がっていった。

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