第11話 坂の終わり

 武術祭の当日は、朝から晴天に恵まれた。町の広場には剣術と射撃、公民館には拳闘の競技場が設えられている。

 競技場の近くには屋台も出ており、飲料や軽食が売られている。

 町の住民や武術祭目当てに訪れた者たちで、どこもかしこも賑わっている。

 誰が勝つだろうかと賭けをしている一団もいた。

 目立たない格好をしたネミッサとジョンも、近衛士のユーインとレオとともに広場を訪れていた。

 衛士二人は主従に目を配りつつ、場内で戦っている二人の男を興味深く見つめている。

 ヨルとエミール。二人とも町の警備兵で、かなりの手練である。

 長剣を使うヨルと、双剣を得物とするエミール。

 実力は伯仲。どちらが勝ってもおかしくはない。

「すまないな、三人とも」

 ジョンも巻きこんで、どちらが勝つかと討論していたユーインとレオの隣で、ネミッサは低く呟いた。

 ヨルが勝つというユーインと、エミールが勝つと主張するレオ。そして二人から意見を求められていたジョンが、そろってネミッサに目を向ける。

 ユーインもレオも、日々訓練を欠かさず、警備兵としばしば模擬戦をしている。

 こういった場で、その成果を見せたいと思ってもいることだろう。ジョンも武術祭に興味があると言っていたのを聞いていた。

 それを知りつつ、ネミッサは三人に出場を禁じていた。

 何があっても目立つな、と、そう命じて。

 文句のひとつも出るかと思っていたネミッサだが、三人とも何も言わずにそれに従った。

 キロンが王宮に帰っている今、町に残る衛士の主はネミッサであり、従うのは当然。ジョンは元よりネミッサの従者であり、逆らう意志はない。

 とはいえネミッサとしては、申し訳ないという思いもある。

 武術祭というこの場は、自分の実力を試すのに格好の場であることは間違いないし、三人の腕なら上位に食いこめるはずだ。くわえてユーインやレオは、武術祭で上位に入ったとなれば王宮での評価も上がる。

「まあ、残念ではないといえば嘘になりますが……むしろ出場されたかったのは卿のほうでは?」

 ユーインがにやりと笑い、軽口を叩く。

 ネミッサはきりりと片眉をつりあげ、ジョンがはらはらと主人を見た。

「私が出たら、結果が決まってしまうだろう?」

 不遜な、しかし彼女らしい返しに、全くです、とユーインが笑う。

「それに、今は目立つような真似は控えたほうが無難ですからね」

 ユーインの笑いに続き、レオも言葉を添える。

「王宮に戻ったら、良い近衛がいると陛下とキロン様に報告しておかねばな」

 四人が見ているうちに、ヨルの攻撃をかいくぐって肉薄したエミールが、その首筋に刃を突きつける。

「よし、ジョン。晩飯はユーインの奢りだ」

「おい、まだ一回外しただけだぞ。というか、いつの間にそんな話になってるんだ」

「今決めた」

 二人に挟まれ、ジョンはおろおろと左右を交互に見、助けを求めるようにネミッサに目を移した。

「ジョン、行ってくるといい」

「しかし……」

「卿もいかがですか?」

「いや、私は武術祭のあと、少し用があるからな。三人で行ってくるといい。ユーインの財布を空にしたいなら、ジョン一人で充分だ」

「主!?」

「お、いいことを聞いた。ジョン、晩飯は何がいい?」

「え、ええ……」

 ネミッサが何も言わなかったので、ジョンがいよいよ困惑した表情を浮かべる。

「でも主に用があるなら、自分も行ったほうが……」

「いや、私一人で充分用は足りる。三人で行ってこい、ジョン」

 結局、レオに押し切られる形で、三人で夕飯を食べに行くことが決まったようである。

 ヨルとエミールが下がり、別の二人が入ってくる。

 その様子を眺めていたネミッサの視界の端で、影が動いた。

 瞬時にそちらに目を動かす。

 昼日中の街中、それに群衆の中とはいえ、その黒ずくめの影は嫌でも目立っていた。

 小声で、すぐに戻る、とジョンに言いおいて、ネミッサはその場を離れた。

 影に追いつき、肩を叩く。影――ロストがふりかえってネミッサを見下ろした。

「あんたか」

「そうだ。“場”は用意した。後は、お前次第だ」

「ああ、聞いたよ。助かる」

――武術祭が終わったら、町長とソーンを薔薇屋敷まで連れてきてくれないか。

 先日ネミッサが頼まれたのはそれだった。すでにネミッサは二人と話をつけ、武術祭の後、薔薇屋敷へ行くことを承知させていた。

 ロストは見るかぎり落ち着いている。以前その瞳にあった、狂気じみた絶望は、今のロストには見られなかった。

 顔もひどくやつれていたが、血色は前よりも良くなっている。

「来ていたんだな」

「あいつの腕を見ておこうと思ってな。それに気分転換をしてこい、と言われたし」

 ロストが小さく喉の奥で笑う。

「なら忠告だ。その殺気は殺しておけ」

「殺しているつもりだったんだがね。しばらく離れておくよ」

 黒い長身が、人混みに紛れる。

「主」

 ジョンが傍に近付いてきていた。

「何かありましたか?」

「いや。しかしあの男……上手く隠しとおしていたものだな。よほど修羅場をくぐったことがあるのだろうに」

 半ば口の中で呟いて、ネミッサは近衛士たちのもとへと戻った。

「先ほど、町の警備兵が、卿にこれを渡してくれ、と」

 ヨルから折り畳まれた紙片を受け取る。

 紙を開き、一読して、ネミッサは小さくうなずいた。

「何でしたか?」

「ああ、大したことじゃない。気にしなくていい」

 わずかに唇を上げて、ネミッサはジョンにそう告げた。



 夕近く。

 剣術と拳闘では優勝者が決まり、射撃の部でも優勝者が決まりつつあった。

 射撃の部では、所定の位置から的を撃ち、得点を競う。

 的は十個。ひとつの的に弾は六発。合計六十発で争われる。

 的の中心に当てれば十点。離れるほど得点は低くなる。

 射撃の部では初出場のローンバート・ソーンが、五百三十点という新記録を叩き出し、彼の優勝が確実視されていた。

 にんまり笑うローンバートを、オリカが満足げに見つめている。

 彼がここまで射撃がうまいとは知らなかった、とは、見ていたイザクの弁である。

 他のレンジャー隊員も、彼の腕には文句のつけようがなかった。

 飛び入りも含め、挑戦者も何人かいたが、誰もローンバートには及ばなかった。

 射撃の部の審判も兼ねる警備兵の第二隊長・ハーゲンが更に挑戦者を募る。

「他に誰か、挑戦する者は?」

 さすがにもう、誰も挑戦する者はいないだろうと思われた。

 挑戦者がこれ以上いなければ、優勝杯はローンバートの手に渡る。

「挑戦しよう」

 そのとき響いた声は、その場の全員をしんと静まりかえらせた。それほど低い、冷たい、そして悲壮な声だった。

 人垣が左右に別れる。

 歩いてくる男を見、彼の名を知るものは全員、異口同音に叫んだ。

「ロスト!」

 夕日をまともに受けて、彼の青白い顔は赤く染まって見えた。

 黒い帽子に黒外套。長かった髪は肩のあたりで切りそろえられている。

「君は病院へ行ったほうがいいのではないかね? 顔色がずいぶん悪いようだが」

「どこも悪かありませんよ」

 冷ややかにオリカに答え、ロストがローンバートに向き直る。

「さあ、どうする?」

「吠え面かいても知らねえぞ、田舎者!」

 ロストが冷笑を浮かべてローンバートを見る。ローンバートが憎悪をこめてロストを睨みかえした。

(あの男、わざわざ挑発に出たか)

 群衆に紛れて見守っていたネミッサは、胸の内で独りごちた。

 ロストの射撃の腕は、ネミッサもジョンから聞いている。聞くかぎり、ローンバートに劣ることはないだろう。

(しかし、無茶をする……)

 勝てば挑発にもなるだろうが、これで負ければ単なる阿呆である。

 呆れるネミッサが見ている間に、ロストは競技用の拳銃を受け取って射台に立った。

 狙いを定め、続けざまに銃声が六度。

 的の中心に、弾痕が六つ。

 観客がどよめく。

 二枚目、三枚目と的が変わっても、ロストの放つ弾丸は、全て的の中心を貫いた。

 そして十枚目。最後の的も、正確に中心を撃ち抜かれた。

「六百点!」

 ハーゲンの声に、周囲から歓声があがる。

 これ以上挑戦者が現れるはずもなく、射撃の部の優勝者はロストに決まった。

 優勝杯を受けとり、ロストがちらりと、嘲弄と憎悪が混ざった笑みをローンバートに向ける。

 それを認めて呆然としたローンバートが、たちまち顔面に朱を注いだ。



 その夜、興奮冷めやらぬ町を離れ、ネミッサとオリカ、そしてローンバートは薔薇屋敷へと向かっていた。

「話なら、屋敷でもできると思うのだが……」

「薔薇屋敷のほうが、人目がなくて話しやすいから、という希望だったのでね。……おや」

 かすかに、低い歌声が聞こえてきた。


広場に立つのは断頭台

今日の処刑は誰になる


一番目、来たのは牛泥棒

雌牛のように泣いていた


二番目、登るは火付け娘

泣いて祈って首落ちた


三番目、立つのは嘘つき男

落ちた首はもうもの言わぬ


四番目、最後は王妃様

哀れ銀の刃が細首に


広場に立つのは断頭台

銀のやいばは血に濡れて


広場に立つのは断頭台

明日の処刑は誰になる


 歌声が途切れる。佇んでいた人影がこちらを見る気配があった。

「早いな、もう来ていたのか」

 ネミッサが声をかけると、何も植わっていない花壇に腰を下ろしていたロストが、角灯の覆いを取り除けた。武術祭のときと変わらぬ黒外套姿の長身が、ぼんやりと浮かび上がった。

「ロスト、呼んだのは君かね?」

「ああ。俺が騎士さんに頼んだのさ。武術祭が終わったら、あんたとソーンをここまで連れてきて欲しい、ってな」

「なぜまた……話があるなら家に来ればよかったものを」

「他人に邪魔をされたくなかったんでね。立ち会いを頼めるか、騎士さん」

「承知した。町長、あなたも立ち会いをしてください。よろしいですね」

 有無を言わせぬネミッサに、オリカが渋々うなずいた。

 ネミッサが静かに、そしてさりげなくローンバートの退路を断てる位置へ移動する。

「火を放って、ジュリーを殺したのはお前だな、ローンバート・ソーン」

 静かな声が、ロストの口から放たれた。

「は、何を根拠に」

「これだよ」

 ロストがポケットからつまみ出したものを見て、ローンバートの表情が凍りつく。

 鋼線で作られた、花の形の飾り釦。血の付いたそれが、角灯に照らされて鈍く光る。

「お前のものだよな、これ。同じ釦が付いた服を、お前が着ているのを何度も見たぞ」

 憎悪がこもる視線で、ロストがローンバートを睨みながら言う。

「お前、あの日はここに来てすぐ帰ったと言ったらしいな。そもそもなぜここに来た? イザクの命令でもなきゃ来ようとしないくせに。命令だったと言うなよ。イザクからは、何も言っていないと聞いてるぞ。……お前があの服を着なくなったのは、釦が取れて、ジュリーの血が付いたからだ。違うか? あれだけ切ったんだ、返り血が飛ばないわけがないよな」

 ロストの言葉にも、憎悪が満ちていく。

「お前がすぐ帰ったんなら、どうしてジュリーがお前の釦を咥えていたんだ? ジュリーは小屋の中にいたのに」

 ローンバートが顔を歪め、ロストを見返す。

 やがてその唇が、にやりと弧を描いた。

「そうさ、俺だよ。上手くあんたに濡れ衣を着せたつもりだったんだがな、鴉の騎士さん。あんたがあんなにあっさり放免されるのは予想外だったよ。悪い噂が広まれば、外を歩けないだろうとミラダンも言ってたってのに、あてが外れちまったぜ」

「ほう? 奴が見る目嗅ぐ鼻だったか」

 ネミッサが、ローンバートの後ろで朱唇をほんのわずかにほころばせる。

「ちょ、ちょっと待ちたまえ。ロスト、君、何をまたそんなとんでもない妄想を言うのだね。やはり君はしばらくゆっくり休んだほうがいい。火事もあったし――」

「黙れ」

 ロストがぴしゃりと一言を発し、オリカの言葉を封じる。

「あんたの意見は聞いていない。町長、一度くらいは俺の望みを叶えてくれ。ソーン、銃は持ってるだろう? 出せよ。それとも射的は得意でも早打ちは苦手か?」

 もはや取り繕うことさえしないロストの挑発に、ローンバートの面が憤怒に染まる。

 まるで予め示し合わせていたかのように、二人はきっかり十歩歩いてふりかえり――銃声が響いた。

 残響が消えると同時に、心臓を撃ち抜かれたローンバートが倒れる。

「な、何をしたか、わかっているのか、ロスト!」

「わかっているとも、町長。捕縛でも何でも、好きにしろ」

 ロストの顔からは、一切の表情が抜け落ちていた。

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