第12話 石が止まるとき

 翌日、カナーリスの町は朝から大騒ぎとなっていた。

 ローンバートの死。ロストの捕縛。

 二つの報せは、町に大きな混乱を引き起こした。

 オリカの屋敷では、朝からローンバートの葬儀がいとなまれている。

 泣き声、ロストへの怨嗟えんさ、罵倒、そういったものが渦巻いていた玄関前にも、日が落ちかかった今は弔問客も途切れたようで人影はない。

 それを見計らって、ネミッサは一人、オリカの屋敷を出た。

 まっすぐに森へ向かう。目指すのは、魔力の溜まるあの場所。

「来たか、鴉の騎士」

 ゆっくりと現れたミラダンが、ネミッサを見据える。

「来たとも。貴様が手下か」

――明日の夕刻、薔薇屋敷の北の空地へ一人で来い。

 昨日渡された紙片には、そう書かれていた。

 魔力がネミッサをむしばむ。にも関わらず、彼女は平然と立っていた。

 キロンから、自分の代わりに魔力を吸う護符をもらっている。問題はない。

「そうとも」

 ミラダンが動く。

 短剣を腰にため、彼はひと息にネミッサとの間合いを詰める。

 無駄のない動きだった。

「我が主のために死ね、ゼーエンヘンカー!」

「断る」

 ネミッサの手が動いた。

 鞘から滑り出た銀の光芒が、刹那きらめいて鞘へとおさまる。

 両断されたミラダンの身体が、土の上に崩れ落ちた。

 そのとき、遠くから銃声が聞こえた。



 前夜から、ロストは町の留置場へ入れられていた。

 捕縛されてから口もきかず、ロストは牢の中で座っていた。

 水は飲んでいたが、彼は何も口にしていなかった。もはや食べる気もなかったのである。

「イスディス、もう少し力を貸してくれ」

 唇を動かさず、ささやく。

 左胸から、熱が全身をめぐる。

 熱と激痛が身体に走る。うつむけた顔をしかめ、必死に苦痛の声を殺す。

「ロスト、夕飯だ。……おい、どうした?」

「ああ、悪いな」

 顔を上げて椅子から立つ。

 牢内へ入ってきたハーゲンから椀を受け取りざま、その腹へ当て身をくらわせる。

 倒れたハーゲンを、窒息しないよう気を付けて寝かせる。

 ロストがずっと動かなかったこともあり、このときには見張りの目は緩んでいた。

 廊下の窓から抜け出し、そのまま人気のない道を選んで森へと急ぐ。

 あたりにはすでに黄昏時の薄闇がおりかかり、物陰に隠れながら進むロストが見咎められることはなかった。

 森に入ってからは、慣れた道をひた走る。

 そろそろ、自分の行動が知れたことだろう。

(追手もかかるころあいか)

 肩で息をしながら庭師の小屋に入り、扉に閂をかける。

 長くはもたないだろう。そのうえ、火事で半焼した小屋である。入ろうと思えば入ることは容易いはずだ。

 ロストは棚から拳銃を取り、弾倉を、銀の刻印がついたものに取り替えた。

 捕縛される前、彼は密かに拳銃をイスディスに託していた。イスディスなら、余人にこれを渡すことはないと踏んで。

 その読みどおり、イスディスは誰にもこれらを渡さなかった。

 捕まることはわかっていた。

 イスディスに動けるだけの力をもらい、屋敷に戻る。これがロストの計画だった。

「イスディス、悪いが後は頼む。棚の手紙、必ず届けてくれ」

「わかった、いいんだな」

 ロストが暗く微笑んだ。

 顎の下に銃口を押しつける。

「対価を払おう、イスディシリウス。俺の身体でも魂でも、望みのものを持っていけ」


 銃声が、響いた。



 薔薇屋敷の小屋に、真っ先に駆けつけたのはネミッサだった。

 扉を強引に破り、中へ踏みこむ。

「乱暴だなあ」

 中にいた少年が、ネミッサを見上げて口を尖らせる。

「失礼。……そちらを選んだのか」

 窓際の椅子に座り、うなだれるロストを見やる。

 彼の背後の窓硝子は割れて血が飛び散り、足元にはまだうっすらと煙があがる拳銃が落ちている。

 ロストは既に事切れていた。口元に、皮肉と絶望の微笑みを浮かべたまま。

 ネミッサは手を伸ばし、そっと彼のまぶたを下ろしてやった。

 目を閉じ、黙祷する。

「ありがとう」

 少年がぽつりと呟く。

「これ、あんたに渡してほしいって頼まれたんだ」

 渡された厚い手紙を、ネミッサは懐にしまいこんだ。

「町に戻ってから読ませてもらおう」

 まもなくやってきた警備兵が、小屋の中を見て絶句する。

「い、いったいどういう……」

「見てのとおりだ。それと、ハーゲン。ミラダンだが、不意に乱心して襲ってきたので、斬ったぞ」

 さらりと付け足された言葉に、ハーゲンが仰天して目をむいた。



 オリカの屋敷に戻ったネミッサは、預かった手紙を開いた。


――俺は〈外つ国人〉だ。三年前、この町に召喚された。


 最初の文章に、きりりと眉を上げる。

 一通り読んでしまってから、ネミッサは、ふむ、と腕を組んだ。

(伝えるべきだな、これは)

「主、今、よろしいですか?」

「ジョンか、どうした?」

 扉を開けると、ジョンの後ろにもう一人、見慣れた人影が立っている。

 ネミッサが口を開く前に、影は唇に指をあてた。

 身ぶりで入るよう促し、扉を閉める。

「あなたがいらっしゃるとは思いませんでした、キロン様」

「ずいぶん大変なことがあったと聞きましたので、短時間だけ陛下に許可をいただいたのです」

「そうでしたか。しかしちょうどよかった。こちらをお読みください」

 渡された手紙を一読し、キロンが沈黙する。

「これは……事実でしょうか」

「さて、本人が死んでいるのでそれは何とも。しかし個人的には、嘘はないと思いますが。それと、以前お伝えした森の中の魔力溜まり、調べておかれたほうが良いかと思います」

「わかりました。一旦戻ります」

 瞬間移動の魔法だろう、キロンの姿がかき消える。

「主、これからどうなさいますか?」

「そうだな。マリスヴィルの手下はもういないはずだが、ローンバートがどこから来たか、確かめておくことにしよう。場合によってはそちらに飛ぶことになる。町長がどうしているか、見てきてくれ」

「承知しました」

 きっと唇を結んだ真剣な顔で、ジョンが部屋を出ていった。



 ローンバートの葬儀から数日後、カナーリスの共同墓地の片隅にイスディスは立っていた。

 降り落ちる雨に濡れるのもかまわず、イスディスは名も無い墓石を見下ろしている。

 ロストが埋葬されたのがこの場所だった。

 立派な墓標が立てられたローンバートと比べると、その墓はあまりにも簡素だった。

――イスディシリウス。

「わかってる。わかってるよ。なかったことにしたいんだろ」

 どこからともなく聞こえてきた、今にも泣きそうな子供の声に、イスディスが静かに答える。

――そうだよ。……こんなことになるんなら、嫌われてもいいから話せばよかった。『僕』はあいつのこと、恨んでもないし憎んでもいないのに。

「それは知ってるよ。……一回だ。一回だけなら、やり直せる。でも、動くのはお前だ。俺は何もしない……というか、何もできない。それでもやるか? いくらお前の言葉でも、あいつは取り合わないかもしれないけど、それでも?」

――やるよ。あいつは僕の親友だもの。

 言い切ったのを聞いて、イスディスは小さく笑った。

「針は戻り、砂はあがる。過去は今に、今は未来に」

 歌のような節回しの呪文。

 徐々に視界が暗くなり、雨音が遠のく。

「全て、全て、元に、戻れ」

 呪文が終わるとともに、視界が暗くなった。

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