第10話 坂の途中

 銃声。

 静かな森には似つかわしくないその音に、見回りに来ていたヒューとミューシェ、それにランドルは思わず見を固くした。

 いつかロストが評したように、カナーリスは平和な町だ。銃声など、そうそう聞こえるものではない。

「密猟者かな」

 ヒューが呟く。

 森に棲む動物目当ての密猟者が入りこむことが、これまでにも何度かあったためである。

 だとしたら厄介だな、とランドルが顔をしかめる。

 再度の銃声。

「薔薇屋敷のほうか」

「ど、どうします……?」

「行くしかないだろう」

 震え声のミューシェに、ランドルが呆れたように答える。

 レンジャーとして古参のランドルは、こんなときでも落ちついている。

 ヒューは顔を強張らせ、ミューシェは真っ青になっていたが、ランドルは少しも表情を変えなかった。

「ミューシェ、お前は後から来い。何かあったら町へ知らせに走れ」

「わ、わかりました」

 ミューシェはヒューよりも一年先輩で、特に植物に精通している。しかし気弱な性格で、荒事には全く向かない。

 そのためこうしたときの彼女の役割は、もっぱら町への連絡だった。

 薔薇屋敷の門扉は開いていた。

 ランドルが先に立ち、庭を進んでいく。

 小屋の傍に、ロストが立っていた。

 拳銃を的代わりの木片に向け、引鉄を引く。

 銃声。

 木片が弾き飛ばされる。

「……ああ、誰かと思ったら。お前たちか」

 銃口から煙があがる拳銃を持ったまま、ロストが横目で三人を見る。

 引鉄からは指を外し、銃口も下に向けていたが、ロストの目にはまだ、研ぎ澄まされた刃のような、鋭い光が宿っていた。

 その佇まいは、三人が知る“庭師”のものとまるで違っていた。

「ここ何日か、森でよく銃声が聞こえるっていうんで調べに来たんだが……原因は、お前か?」

「そうだろうな」

 ロストが肩をすくめ、拳銃に安全装置セーフティをかける。

「射撃の練習くらいなら目をつぶるが、気を付けてくれよ」

「わかってるさ」

 ロストが口元を緩めて笑みを見せる。それはどう見ても作った笑みだった。

「それならいいが、何かあったらすぐに連絡してくれ」

「ああ、物騒だからな」

 皮肉を聞き流し、念を押すランドルに、ロストは渋面を隠そうともせずにうなずいた。

 もう少しここにとどまるというロストに、誰か残ったほうがいいかと聞いたランドルだったが、ロストは必要ない、と首をふった。

 薔薇屋敷の門まで戻ったところで、ランドルは低く二人にささやいた。

「隊長にも話しておくが、ロストから目を離すなよ」

 不思議そうに首をかしげるミューシェの隣で、ヒューは黙ってうなずいた。

 ロストのやつれた顔の中で、ぎらりと光る目には、何か思い詰めた色があった。

「でも……普通に見えましたけど」

「あれがか? ミューシェ、あいつの目は何もかも諦めた人間の目だ。あの目をしたやつは、何をするかわかったものじゃないぞ」

「ネイにも、目を離さないようにと伝えておきます」

「ああ。報告は任せる。俺はもう少し、ロストの様子を見てから戻るよ」

 報告を二人に任せ、ランドルは物陰に身を潜めた。



 そのころ、ロストは小屋の中で手紙をしたためていた。

 三通の手紙。一通はイザクとヒューに、一通はネイに、そしてもう一通、最も長い手紙には、しばらく考えてネミッサの名を書いた。

 ネミッサに宛てた手紙には、全てを書いた。自分がここに来たときのこと、来てからのことを全て。

 彼女がこの内容を信じようと信じまいと、そんなことは構わない。この手紙が彼女の手に渡るころには、全てが終わっているはずだ。

 自分がもうどうしようもないところまで来てしまっていることは、自分が一番よくわかっている。とどまることも、引き返すことも、もうできない。

 手紙を棚に置き、小屋を出る。

「ジュリー、もうちょっと待っててくれな」

 墓の前にかがみ、優しく声をかける。

 武術祭は来週だ。射撃の腕も勘も問題ない。

 あたりはもう小暗くなっていたが、ロストは慣れた足取りで歩いていく。無意識に、周囲に気を配りながら。

 そのふるまいは、明らかに武人のそれだった。

 歩きながら、拳銃を出して安全装置セーフティを外す。

 薔薇屋敷から、後をつけてくる気配があることには、とうに気付いていた。

 足を止めてふりかえり、その気配に銃口を向ける。

「両手を上げて、前に出ろ」

 低い、淡々とした声。殺気がこめられたその声は、氷のようだった。

 引鉄に指をかける。

「もう一度だけ言うぞ。両手を上げて、前に出ろ」

「わ、わかった。出ていくから、撃つな」

 焦った様子で両手を上げ、歩み出てきたランドルを認め、ロストが銃を下ろす。

「戻っていなかったのか」

「放っておくわけにはいかないだろう。あんなことがあったわけだし」

「そうかい」

 気のない様子で答え、ロストが再び歩き出す。

「ロスト。お前もそろそろ前を向いたほうがいいと思うぞ」

「……その言葉は、もう遅いよ」

 低くつぶやき、ロストは唇を歪めて嗤った。



「お帰り。何か食べる?」

 戻ってくると、ネイが安堵をにじませた声をかけてきた。

「ああ、悪いな、遅くなって」

「ううん。気にしないで」

 テーブルの上にネイが夕飯――スープとサラダ、オムレツ――を並べる。

 ロストがそれを黙って食べるのは、ここ一週間、食事のたびに見られる光景だった。

 傍から見ても、ロストの食べ方は無理をしているように見えた。

 実際、ロスト自身、食欲はないも同然だった。

 それでも体力を保つため、ロストは半ば無理矢理に食物を口に運んでいた。

 ネイからすれば見ていられない状態なのに変わりはなかったが、それでもはじめはかろうじて水を飲むだけで、ろくに食べもしなかったのだから、と、彼女は自分に言い聞かせていた。

 夕方にやってきたヒューから、ロストから目を離さないようにと言われている。

 あたりさわりのない話をしながら、ロストの様子をうかがう。

 ロストの面には、痛々しいほど濃い焦燥の色があった。火事の後から、この色は消えたことがない。

 ネイも、ロストが思いつめているのはわかっていた。

 だが何ができる? 大切なものを理不尽に奪われた人間に、どう声をかければいい?

「ロスト」

 食事を終え、もう休むよ、と立ちあがったロストを呼び止める。

「ロスト、私にできることがあったら言ってね。何だってするから」

 珍しく、呆気にとられたように、ロストはしばらくネイを見つめていた。

「気持ちだけもらっておくよ。ありがとう」

 ちらりと苦痛をこらえるように顔を歪ませたものの、ロストはすぐに弱々しい苦笑を浮かべ、二階へあがっていった。

 部屋に入ってすぐ、ロストは横になって目を閉じた。

 力を抜いて、ゆっくりと深呼吸をくりかえす。これだけでも身体は休まるのだと、昔故郷で教わった。

 武術祭まであと一週間。不思議と気分は落ち着いている。よく眠れているわけではないし、体調もいいとは言い難いのだが。

 気力だけが、今のロストを支えていた。

 とろとろとまどろむ。

 軋んだ声の、軋んだ歌。

 目の前に、赤色が広がった。

(ああ……)

 目を開け、大きく息を吐く。

 のろのろと起きあがり、窓を開ける。

 吹きこんできた夜風が、頭を冷やす。

「イスディス。もう少し待ってくれ。必ず対価は払うから」

「待つのは構わない。でも、いいのか?」

「ああ、もういい」

 その口調は、どこか吹っ切れていた。

(止めるのは――もう無理だな)

 せめてジュリーが生きていれば、彼もここまでにはならなかったかもしれない。

 しかしジュリーを、よりによって自分の手で殺さなければならなかったことで、ロストの心は完全に壊れた。

 もう誰も、ロストを止められないだろう。

 それならば、イスディスができることはもう、見守ることだけだ。

 転がりはじめた石が、坂の終わりに至るまで。

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