第25話 家路へ(前)

 ロストのもとに、召喚陣の特定ができたという報せがもたらされたのは、キロンが必ず帰すと約束してから四日後のことだった。

 この四日間、キロンは書庫にこもり、召喚陣に関わる記録を調べていた。そしてロストが話し、ネミッサが視た召喚陣の記録を見つけだし、使い魔を使って確かにその場所に召喚陣があることを見届けた。

 ロストの話が真実で、件の空き地に召喚陣があることはもう疑いようがなくなったので、キロンはロストにこのことを伝えたのだった。

 朝食後、部屋を訪れたキロンから報せを聞いたロストはまず青ざめ、それから深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。何かと、ご迷惑をおかけしました」

「いいえ、こちらこそ長い間足止めしてしまいまして、申しわけありませんでした。

 キロンの都合もあり、ロストを帰すのは翌週末と決まった。

 ジュリーを連れて帰ることも可能だと聞き、ロストは胸のつかえが取れた表情で再び頭を下げた。

「もしどなたか、言伝を届けたい方がいらっしゃるのでしたら、かわりにお伝えいたしましょうか」

「そうですね。何人か、世話になった人がいますので……手紙を書いておきますので、渡していただけますか?」

「わかりました。それと、戻るときにはこれを飲んでいただきます」

 キロンが、青みがかった液体の入った小瓶を出してみせる。

「これは?」

「眠っていただくための薬です。害のあるものではありませんので、ご心配なく。召喚した〈外つ国人〉を送り返すときには、万一にも事故が起きないように、飲んでいただいているものです。特にあの召喚陣は古いものですから、あなたに余計な負担をかけることになってもいけませんので」

 キロンの言葉に嘘はない。召喚術は精神に負担をかける。新しいものであればそれほど大きな負担にはならないが、古い時代の召喚陣では下手をすれば発狂しかねない。

 だがそれも起きていれば、意識があればの話だ。眠っている者にとっては、それは一瞬のこと。

 キロンから何度も大丈夫だと力説され、ロストはどうやら愁眉を開いた。

 キロンが去ったあと、ロストは大きく息を吐き、背もたれに寄りかかって天井を見上げた。

「どうしたの?」

「いや……いざ帰れるとなると、実感がわかないんだな。おかしなもんだ」

 メルカタニトに召喚されて以来ずっと、帰ることを望んでいた。それが叶おうというのだ。手放しで喜んでもいいはずなのに、なぜか現実感がない。これは夢だと言われれば、あっさりと納得してしまいそうだ。

 はは、と乾いた笑い声をこぼすロストの、緑がかった黒い瞳の奥には、明らかな喜色が揺れていた。

 近付いてきたジュリーを優しく撫でる。

「ジュリー、一緒に帰れるぞ」

 機嫌のいい主に、ジュリーも嬉しそうに尻尾をふった。


 翌日、ロストはネミッサとともに、密かにカナーリスへと赴いていた。小屋においていた荷物の整理のためである。

 キロンから渡されていた隠身の護符のおかげで、二人が人目についた様子はなかったが、薔薇屋敷を取り巻く複数人の気配は二人とも感じていた。

 すっかり草だらけになってしまった庭を横切り、小屋へ向かう。

 扉を開けたロストの顔に、緊張が現れる。懐に伸びた右手が、すっと拳銃を取りだした。

 小屋の中は、足の踏み場もないほど荒らされていた。

 ロストを制し、剣に手をかけたネミッサが入れ替わりに中を見て回る。

 ネミッサから無人だと手真似で知らされ、ロストも中に入った。

 部屋を見回し、ロストが渋面を作る。

 戸棚の引き出しは残らず開けられ、物入れにしていた箱の中身は床にぶちまけられ、屑籠の中までかき回されている。

「泥棒か?」

「盗るようなものもないと思うがな」

 言いながら、ロストが床から何かを拾いあげる。銀貨だった。

「金が目的ではない、か。ここに来るまでのことを、何かに書きとめていたりはしないか?」

「いや、特に何も……」

 ふむ、とネミッサが腕を組む。

 その間にロストは黒外套と予備の弾倉を見つけ出していた。

「他に必要なものはあるか?」

「これだけあればいいよ」

「そうか。杖は?」

「いや、なくてもいいんだ。あれば安心、ってだけでね」

 そうか、と外に出ようとしたネミッサが戸口で立ち止まり、柳眉を寄せる。

「中にいろ。外に出るなよ」

 低い声で言いおいて、ネミッサがすたすたと外に出る。

 その場に佇み、軽く息を吸って、吐く。

 直後、ネミッサを中心に、凄まじい殺気が周囲に放たれた。

 ぞくりとロストの肌が粟立つ。絶対的な“死”がそこにあった。

 かろうじて、自制心を揺さぶりおこし、喉の奥で声を押し殺す。

 そうでなければ倒れていただろう。〈狩人〉としてこれまで幾度も修羅場をくぐり、命のやり取りには慣れているはずのロストですら心底恐怖を感じるほど、ネミッサが放った殺気はきついものだった。

 無意識に、ロストは一度しまった拳銃を取りだしていた。

 ふ、と殺気が消える。

 大きく息を吐いて、ロストは自分が息を止めていたことに気が付いた。

「失礼。どうも嫌な気配がしたのでな」

 肩で息をしながら額の汗を拭うロストに、ふりかえったネミッサがそう伝える。

「あんたが言ってたやつか?」

「おそらくは、な。一応この周りを見てまわっておきたかったんだが、今ので向こうにも気付かれただろうから、急いで戻るとするか。警備兵隊長を騙っているなら、下を動かすことは容易いだろう」

「そうだな。おそらくレンジャーの手を借りることも楽だろう」

 転移の呪文で王宮に戻り、キロンに報告に行くネミッサと別れ、ロストは自分の部屋に戻った。

 部屋に入るなり、ジュリーが尻尾をふりながらすりよってくる。

 犬の金の毛を撫でているロストを、椅子に座ったジュリウスが足をぶらつかせながらじっと見ていた。

「アス、何かあった?」

「ちょっとな。戻るときにはひと騒動あるかもしれん」

「何があっても、君は帰すよ、アス」

「……お前も、だよな、ジュリウス?」

「もちろんさ」

 にっと笑ったジュリウスに、ロストもほっとしたような微笑を見せた。



「失礼します」

 キロンの私室の前でネミッサが声をかけると、中からどうぞ、と応えがあった。

「いかがでした?」

 すすめられた紅茶と焼き菓子を楽しみつつ、ネミッサが薔薇屋敷の状況を伝える。

「見張り、ですか」

「推測ですが、まず間違いはなさそうです。おおかた、捕らえるつもりだったのでしょうね。私でなくても、ジョンや彼なら人質になりえますし」

「まさか、手荒なことはしておられませんよね?」

「傷ひとつつけてはいませんよ。多少脅かしはしましたが」

「それならいいですが、監視となると厄介ですね。召喚陣を扱うときに姿を隠しておくわけにはいきませんし」

「……今からでも、邪魔者は排除しておきましょうか」

「いえ、それには及びません。当日、彼を帰す間、邪魔が入らないようにしてください」

「承知しました」

 その後、自室に戻ったネミッサは、さらさらと紙に何かを書きはじめた。薔薇屋敷とその周辺の簡単な見取り図である。

 気配を感じたおよその場所を、その図に書きこんでいく。

 気配としては五、六人。

 きり、とネミッサの口元があがった。

「さて……どう出る、“顔無”?」

 冷ややかな呟きがこぼれ落ちた。

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