第24話 〈狩人〉への思い

 キロンがいなくなると、部屋はつかのま静まりかえった。

「そうしていると、手が痛まないか」

 注いだ紅茶を飲みながら、ネミッサがロストの手に目をやり、今の空模様でも訊ねるかのような調子でそう聞いた。

「手?」

 言われたロストは、膝の上に置いていた手を見下ろした。全く意識していなかったが、彼の右手は、筋が浮くほどきつく握りしめられていた。

 力を抜き、手を開く。掌には、爪の痕がくっきりと残っていた。認識してようやく、ずきりと掌が痛む。

「大丈夫ですか?」

「ああ、たいしたことないよ」

 意地っぱり、と不機嫌な声が部屋の片隅から飛んできた。

 犬と遊んでいたジュリウスが、きっとロストを睨んでいる。ロストがふりかえると、ジュリウスはぷいとそっぽをむいた。

 ジュリウスがへそを曲げている理由は、ロストにも察しがついている。

 二人の間のささくれだった空気に気付き、何があったのかとネミッサが訊ねる。

「昨日、あれからちょっとな」

「あの、ロストさん。なぜ、〈狩人〉になったのですか?」

「そうだな……悪魔崇拝者を許せない、というのはあった。周りはジュリウスを殺された復讐だと思っていたかもしれないが……実を言うとそのことは、かなり長い間忘れていたんだ」

「忘れていたんですか?」

「ああ。覚えておきたくない記憶だったから、無意識に記憶を封じていたんだろう、と言われたよ」

 脳裏にかつての凄惨な光景がよみがえり、ロストは思わず顔をしかめた。

「それでも悪魔崇拝者のことはずっと憎んでいたから、家族と縁を切ってでも、〈狩人〉になると決めていた。〈狩人〉はその仕事として、人を殺さなければならない。だから〈狩人〉を疎んでいる人間もレピシヴァンにはいる。……まあ、〈狩人〉になるから親子の縁を切ってくれと言ったら、親父にぶん殴られたがな」

「殴られたんですか」

「それで縁を切ると思っているのか、自分を追い詰めるような真似をするな、とな」

 ふと口元をゆるめたロストだったが、すぐに真面目な顔になった。

 部屋の隅にいたジュリーが近付き、ロストの膝にひょいと前足を乗せる。

 小さく笑ったロストは、軽くその頭を撫でてやった。

「俺が戻るときには、お前をどうしような」

「つれて帰れるものかどうか、聞いておこうか。ずっと世話をしていたんだ、ここで離れるのも辛いだろう」

「頼む。もしつれて帰れるんだったら、中央で一緒に暮らそうか、ジュリー?」

「家を出るのか?」

「ああ、そのつもりだ。いや、元々決めていたことでね。実家は兄が家族で住んでいるから、あまり厄介になってもいけないし。こっちに飛ばされてなかったら、近々実家を出るつもりだったんだ」

「そうなのか」

「ああ。〈狩人〉だったときには中央で暮らしていたから、知らない場所でもないしな」

 その後。

 主従二人が去った部屋で、ロストはしばらく黙りこくったまま、じっと虚空の一点に目を注いでいた。

 足元で伏せていたジュリーが、自分を見上げていることにも気付かないまま。

「……知り合いを撃つのは、いつだっていい気持ちはしないな」

 無意識にこぼした独り言が耳に届き、ロストはぎくりと身じろいだ。

 頭の芯が鈍く痛む。

 ぐったりとベッドに横になったロストは、重い息を吐いて目を閉じた。

 そのままとろとろと眠っていたロストが目を覚ましたときには、もう夕近くになっていた。

(ずいぶん寝ていたな)

 眠る前よりは、頭の重さは取れていた。

「アス、大丈夫?」

 さすがに見かねたのか、ジュリウスが声を投げる。

「……あまり、大丈夫とは言えないな」

 ジュリウスに背を向けたまま、ロストはやはり独り言のようにつぶやいた。低い声が陰々と響く。

 静かに立ち上がったジュリウスはロストに近付き、そっとその肩に触れた。

 びくりとロストの肩がはねる。

「アス、約束するよ。絶対に、君に僕を撃たせたりしない」

 のろのろとふりかえったロストは、きっぱりと言い切ったジュリウスを呆然と見た。

「お前――」

 震えた声を隠すように、ロストはぱっと顔をそむけた。

 しばらくの沈黙。ロストの肩は小さく震えている。

 やがて、ありがとう、と小さな声が聞こえた。


 なんとなく二人の間の刺々しさが薄れたところで、扉が叩かれた。

「はい――」

 ネミッサかジョンが来たのだろうと思ってドアを開けたロストは、そこに立っていたのがその二人のどちらでもなく、キロンでもなく、国王オリヴェルだったことに、思わずその場で凍ったように立ちつくした。

「かまわぬ、楽にしてくれ」

 苦笑するオリヴェルにぎこちなく椅子をすすめ、ロストも手近な椅子を引き寄せて腰かける。

「身体の具合はどうだ?」

「もうすっかりよくなりました。ありがとうございます」

「それを聞いて安心した。……ところで、私が来たことは、キロンには黙っていてもらえないか」

 目をしばたたいてオリヴェルを見返したロストは、どうやら彼が執務を置いてきたらしいと悟って、思わずくつくつと小さな笑い声を立てた。

「朝からずっと書類に向き合っていたゆえ、少々肩がこってしまってな」

「それでお気晴らし、というわけで?」

 しいて硬い声を作ってはいたものの、ロストの目はどことなく笑っていた。

「ああ。いや、新しい〈外つ国人〉と会う機会など、なかなかないのでな」

 オリヴェルが、いくらか弁解がましく付け加える。それがよほどおかしかったのか、ロストは口元を引きつらせて懸命に笑いをこらえていた。

「さて、自分でお気晴らしになるでしょうか」

 しばらくして、いくらか笑いの発作がおさまってから、ロストはぽつぽつと故郷での生活を語りはじめた。

 日常の細々とした話が主だったが、オリヴェルには珍しい話だったらしく、子供のように目を輝かせ、身を乗り出して聞いていた。

 聞き手にこれほど興味津々といった態度をとられると、話し手のほうも舌に脂が乗ってくる。

 日頃は決して多弁ではないロストだが、このときは夕食が運ばれてくるまで、あれこれと話をしていた。

「邪魔をしたな」

「いいえ。自分でお気晴らしになったのなら幸いです」

 そう答えたロストの顔からは、いつしかはじめのぎこちなさは薄れていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る