第26話 家路へ(後)
週が明けた日の昼すぎ、カナーリスのそばの森に五人と一匹の姿があった。犬のジュリーをつれたロストとジュリウス、ネミッサとジョン、そしてキロンである。
冬が近くなってきたこともあり、木々はその多くが葉を落とし、寒々しい景色が広がっている。
他の四人は普段どおりの服装をしていたが、ロストは黒い帽子に黒外套を羽織り、長かった髪を肩すれすれで切りそろえた、カナーリスに来た当時と同じ格好をしていた。
先頭を歩いていたネミッサが足を止め、腰の細剣に手をかける。
ほとんど同時に、眼前にばらばらと複数人が現れた。カナーリスのレンジャー部隊である。当然、イザクやヒューの姿もあった。
「通してもらおうか」
「申しわけありませんが、それはできません。警備隊長から、ロストは町につれてくるよう命令を受けています」
沈痛な面持ちで、イザクが道を遮る。
「命令です。退きなさい」
進み出たキロンが静かに、しかし重々しく告げる。
「彼についての調べは済んでいます。彼が取った行動は罪にはなりません。町の平穏を乱したのは、ローンバート・ソーン本人です。むしろ問題とされるべきは、彼への警備隊の対応です」
退きなさい、と再び、強い調子でキロンが言い放つ。
イザクが――どこかほっとしたように――後へ下がる。
「イザク・ラウ!」
木陰から、苛立った声が飛ぶ。
ネミッサがキロンを庇うように立ち位置を変えた。
「さっさとそこの狂人をつれてこい!」
「ずいぶん横柄な隊長ぶりだな、ミラダン・バーセル――いや、“顔無”」
人形のような端正な顔にぞっとするような冷笑を浮かべ、ネミッサが呼びかける。
現れたミラダン・バーセルは、これでもかと言わんばかりに顔を歪めていた。
「何を……邪魔をしないでください、“鴉の騎士”殿」
「語るに落ちたな。本物のミラダン・バーセルなら、私の呼び名など知るはずがない。私はこちらでその名を出したことはないからな。マリスヴィルかその手下でなければ、知るはずのない呼び名だ――もっと言われたいか?」
すっと一歩、ネミッサが無造作に距離を詰める。
「な、何を……」
「三年前、お前がミラダン・バーセルを殺したのを、私は視たぞ」
ざわめきが広がる。
ミラダンが憎々しげに足元に唾を吐いた。
「そうか、お前が見る者か。そこまで知られていたんじゃ仕方がない」
ひらり、と、ミラダンの足元に紙片が落ちる。
「マリスヴィル様に栄光あれ!」
叫ぶや、ミラダンはさっとナイフを引き抜き、己の心臓へ突き立てた。
絶命したミラダンの身体が、土中に吸い込まれるように消える。
刹那、地面がぼこりと盛りあがる。
次の瞬間、地面を割り、土をあたりにまきちらして、化け物が姿を現した。
亀のような、蜘蛛のような化け物。頭には一対の角が生え、爛々と輝く黄色い眼が敵意をこめてネミッサを見下ろす。
「愚か者。何もせずにいたならこちらも手を出さなかったものを。それほど死後の
赤い髪がなびく。漆黒の瞳に炎が燃えあがる。
ネミッサの故郷、メルへニアで語られる、数多の
――鴉は
獄の遣いは慈悲無き者なり
故に其の者厳酷にして苛烈なり
激すればその情は焔と化し
咎人尽く焔に灼かれる薪とならん
「離れろ!」
一喝するや剣を抜き、ネミッサが地を蹴って飛び出した。両手に短剣を構えたジョンがその後を追う。
「こっちだ、レンジャー!」
化け物からは死角になる木陰に、キロンとともに素早く潜んでいたロストが、素晴らしい大声で怒鳴った。
それぞれ身を隠したレンジャー隊員だったが、ただ一人――ヒューが化け物に気圧されたのか、その場で立ちすくんでいた。
それに気付き、ロストが鋭く舌打ちをする。
「イスディシリウス」
契約した妖霊の名を呼ぶと同時に、ジュリウスの姿が変わった。
黒い髪と、その間から生える、ねじまがった一対の角。こちらを見る、赤い目。
「頼む、できるか?」
「わかった」
イスディスがそう言うと同時、ロストの胸の契約印から全身へ、炎がめぐる。
声を飲みこみ、義肢をつけているとは思えぬ動きで木陰から飛び出したロストが、そのままヒューを抱えるようにして藪の中へ飛びこんだ。
直後、ふりおろされた化け物の足が、ヒューが立っていた場所を抉る。
「ロ、ロスト!?」
「しっ!」
鋭く止め、様子をうかがう。
ネミッサが剣をふるい、化け物の足を一本切り落とす。
化け物が注意をネミッサに向けている間に、ひと息に近付いたジョンも短剣を巧みに操り、別の足を切り落としていた。
化け物が金切り声をあげる。
藪から出たロストは拳銃をかまえ、
『魔に光なし。魔は闇へ帰れ』
冷静に狙いを定め、引鉄を引く。
放たれた弾丸が、化け物の片目を貫いた。同時にネミッサが、化け物の首を切り落とす。
断末魔を響かせ、化け物が塵となって消えていく。
剣をひとふりして血をはらい、鞘におさめたネミッサが小さく鼻を鳴らした。
「い、いったい、何事ですか?」
「ミラダン・バーセルが偽者だった。それだけだ」
こともなげに言ったネミッサに、イザクがいよいよ困惑した様子で他の隊員と顔を見合わせる。
「説明している時間が惜しい。話は後だ」
帰れることになった、とロストが手短に話すと、イザクは戸惑いつつも喜色を見せ、良かったな、とロストの肩を叩いた。
それを横目に先へ行きかけたネミッサは、足元――ちょうど“顔無”が死んだ場所――に落ちていた金属片と紙切れを見つけて拾いあげた。
紙上に残された短文を一読したネミッサは、少し朱唇をつりあげ、その二つを懐にしまった。
「行くぞ」
「ああ。イザク、ヒュー、世話になったな。ネイやキース先生にも、礼を言っていたと伝えておいてくれ。それと……町長にも」
「伝えておくよ。ロスト、元気で」
「戻ってまた無理をするんじゃないぞ」
イザクに念を押され、ロストは苦笑しつつもうなずいてみせた。
例の空き地につき、キロンが風景を見て小さく唸る。
キロンが呪文を唱えると、たちまち景色が一変した。
むき出しの土の地面。召喚陣が描かれた平たい岩と、その上に横たわる、一人分の人骨。
「ここで、間違いありませんか」
「ええ――ここです」
ロストが召喚陣に近付くや、彼の眼前にすっと壮年の男が立った。ロストが思わず一歩後退る。
身体の透けたその男――本物のミラダン・バーセルはロストに向けて、深々と頭を下げた。
「お前の仇は討ったぞ。ミラダン・バーセル」
ネミッサの言葉を聞いて、ミラダンは嬉しげに顔を輝かせ、そのまま薄れて消えていった。
キロンが呪文を唱え、骨を移動させる。
ジュリーが召喚陣の上に伏せ、その隣に座ったロストへ、キロンが薬瓶を手渡した。
「では、これを」
「はい。……お前は?」
ロストの視線を受け、ジュリウスが首をふる。
「僕はいいんだ。もともと、魔法に近いモノだから」
「そうか。お世話になりました」
「どうか、お元気で」
薬を飲み干す。
ひんやりとした水薬が、喉を滑り落ちていく。
キロンが呪文を唱えるのを聞きながら、ロストは意識を手放した。
ざわめきが聞こえる。
「――アスウェル、アスウェル!?」
ざわざわと響いていた音が、意味のある言葉として耳に届く。
うっすらと瞼を開く。
「アスウェル、しっかり!」
焦点があってきた目が、不安そうなシーユンとエリザベスをとらえる。
身体を起こすと、あちこちに鈍痛が走り、思わず顔をしかめる。
「アスウェル!?」
「大丈夫、大丈夫だ。エリー、怪我は……?」
「わ、私は大丈夫。でも、あなたが……!}
今にも泣き出しそうなエリザベスを、〈狩人〉の一人が外へ連れ出す。
「今、どこにいるかわかります?」
「ああ、北の洞窟だろ。大丈夫、わかってるよ」
(戻ってこられたんだな)
口には出さず、内心で呟く。
暗かったはずの洞窟の中は、〈狩人〉が持ちこんだ灯で照らされていた。
鈍く痛む頭をゆっくりと動かす。
アスウェルの傍には、グスタフ・ゴードンと見知らぬ男の死体があった。
見知らぬ男を指さし、
「こいつを知っているか?」
訊ねると、シーユンは首を横にふった。
「いいえ。あなたを襲っていたし、こちらも危険を感じたので、やむを得ず撃ったんです。それより気分はどうですか? 指、何本に見えます?」
シーユンが人差し指をぴんと立てる。
「一本。あちこち痛みはするけど、たいしたことはないよ」
「頭殴られてるんでしょ、たいしたことないって言わないです。とにかくここから出ますよ。救護班は呼んでますから」
シーユンの呆れ声を聞きながら、アスウェルは何かを探すように目を動かしていた。
すぐにそれは見つかった。
岩陰から、黄金色の毛並みがのぞいている。
ジュリー、と呼ぶと、犬はひと声吠えて尻尾をふりながら駆けてきた。
「え、犬? 一体どこに……?」
「さあな。犬くらいならどこからでも入れるからな、ここは」
同じ岩陰から一瞬、ジュリウスの顔がのぞいてひっこんだのを認め、アスウェルは静かに息を吐いた。
「立てますか? 捕まってください」
シーユンの肩を借り、洞窟を出るアスウェルの後を、ジュリーが尻尾をふりながらついていった。
その後の〈狩人〉の調査で、例の見知らぬ男はグスタフの弟、ブルーノだとわかった。
「グスタフ・ゴードンは以前から、誰かを犠牲にして、息子を蘇生させようと考えていたようです」
数日後、アスウェルの見舞いと調査の報告を兼ねて、シーユンがコズロー家を訪れた。
「それで、犠牲にはあなたがいい、と考えていたんだそうです。奥さん――エスターさんは猛反対して止めたそうなんですが、聞き入れられなかったと言っておられました。本人たちが死んでいるので、本当のところはわかりませんが、あなたか、あるいは攫った人間を使って儀式をするつもりだったのは確かなようですね」
「エリザベス・ミラーが狙われたのは……俺と関わりがあったからか?」
「その理由はわかりません。ミラーさんに聞いてみましたが、グスタフと面識はないそうですから、調べていたのか、それとも偶然彼女が選ばれたのか……」
「そうか」
「馬鹿なやつですよ。そんなことをしたって、死人が生きかえるわけはないのに」
シーユン、とアスウェルが鋭い、厳しい声を出した。
反射的に、シーユンが背筋を伸ばす。
「俺はお前の〈狩人〉としての技量は買っている。だが、その言葉は聞き流せない。グスタフ・ゴードンはジュリウスを……息子を亡くしているんだ。死人が生きかえらないのは、あの人だってわかっていたはずだ。それでもすがらずにはいられなかったんだ。手段は確かに間違ってる。だが、その思いまで、批判すべきじゃない。勘違いするなよ。俺は悪魔崇拝者を許容しているわけじゃないし、あの人の行動は許していない。死んだのも、なるべくしてなった結果だと思ってる。俺だけならともかく、無関係のエリザベスを巻きこんだ以上、許せるものじゃない。ただ――あの人は、二十年以上苦しんでいたんだ」
暗い色が、アスウェルの目をよぎった。
「ジュリー」
シーユンが帰ったあと、アスウェルは低い声で犬を呼んだ。
部屋の片隅で寝ていたジュリーが、尻尾をふりながらいそいそと寄ってくる。
微笑して撫でていた彼は、誰もいないはずの背後に、覚えのある気配を感じていた。
それでもアスウェルはそちらを向かず、犬に話すように言葉を続けた。
「もしそうしたいんなら、俺が中央へ行く前に、小父さんの墓参りに行こうか」
――ありがとう、アス。
耳元で、かすかに声が聞こえた。
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