第17話 囚われ人

 薔薇屋敷で騒ぎがあった日の夕方、ジョンはネミッサとともにオリカの屋敷に戻っていた。

 血がにじむほど強く、唇を噛む。

 あのとき、ジョンはローンバートが花に火を放ったのを目の当たりにした。

 とっさにローンバートに飛びかかったジョンだったが、一瞬の隙をつかれて木に叩きつけられ、魔術で作られた杭をうたれた。

 ローンバートが射殺されるまで、ジョンは何もできなかった。眼の前で、少年が殺されかけていても。

 ローンバートが放った火は、ネミッサに緊急事態だと知らされて飛んできたキロンによってすぐに消し止められた。ジョンにも治療が施され、幸い大事にはいたらなかった。

 しかし、ロストはキロンとともにやってきたミラダンの命令で、町の留置場へ連行されていた。

 彼は子供を助けようとしたのだ、とネミッサが抗弁したが、ミラダンは、罪は罪だとそれを一蹴した。

 町の平和を乱し、殺人を犯した罪で、ロストは極刑になるだろうという噂だった。

「入るぞ」

 ネミッサの声に、顔をあげる。

「具合はどうだ」

「大丈夫、です」

「そう落ちこむな。お前に責はない」

 ネミッサにそう言われても、ジョンの顔から陰りは消えない。

「主、どうにかできませんか。このままあの人が極刑にされるのは――」

「ああ、わかっている。今のままでは、悪意が広がるだけだ。どうにかしなくては――」

 ネミッサの言葉を、ノックが遮る。

「卿、いらっしゃいますか?」

「キロン様、どうなさいました?」

 かすかに衣擦れの音を立て、入ってきたキロンが唇に指をあて、空中に文字を書く。

 それが音を遮断する結界を張るものだと気付き、ネミッサが訝しげに眉をひそめる。

「町長にも話をしてきましたが、私はこれから王宮に戻ります。卿、件の庭師を王宮につれてきていただけますか」

 眉を寄せたまま、ネミッサは身ぶりで先をうながした。

「遠見の魔術で、少し状況を視たのですが、どうやら目が届かないのをいいことに、私刑が行われているようで。メルカタニトここの法では囚人への私的な制裁は禁じられていますが、あれは明らかに私刑です。ただ、私が動いたのでは目立ってしまいますから、王都への移送という形で、王宮へつれてきてください」

「王宮に?」

「ええ、卿の話を確かめておきたいので。必要な書類と転移用の呪文書スクロールはこちらに用意してあります」

「確かに。ジョン、動けるか」

「はい」

 ジョンが素早く立ちあがった。



 それから少し経って、二人は町の留置場へ向かっていた。

 二人とも服装を整え、ネミッサは普段以上に厳しい顔つきで道を進む。

「キロン様の命令で、ロストをこれから王都に移送する。通らせてもらうぞ」

 書類を見せてそう告げ、奥へ進もうとするネミッサをミラダンが制止する。

「今日はなりません。色々と手続きもありますし……書類はお預かりしておきますので、明日またおいでください」

「そうはいかない」

 行く手を阻むミラダンを、ネミッサが冷え冷えとした目でひたと見すえる。

「移送するおつもりなら、町長の許可証をお見せください。規則ですので」

 ネミッサが再度書類を示し、ミラダンを押しのけるようにして奥へ通る。

「待て、鴉の騎士! 部外者のくせに、勝手な真似をするな!」

 顔を歪め、怒声をあげたミラダンを一瞥し、お前か、とネミッサは声を出さず、口だけを動かした。

 ロストは留置場の奥、牢の中にいた。

 その姿を見てとるや、ネミッサはまなじりを決し、口の中で激しい呪詛を吐いた。

 床に転がるロストの手足に義肢はなく、右手の爪は剥がされたうえ、その指はてんでに本来むかない方向をむいていた。

 人の気配に気付いたのか、ロストがようよう顔をあげる。その顔はあちこち腫れあがり、濡れた髪は顔にはりつき、服は血と反吐で斑に汚れていた。

 何か言おうとした喉からは、かすかに息の音が鳴るだけで、声は出なかった。

 ネミッサの黒い瞳に、瞋恚しんいの炎が燃えあがる。

 彼がここまでされるいわれはない。

「王都にはこのことも報告させてもらおう。鍵を開けろ」

 平坦な声。

 しかしそこにこめられた憤怒は並々ではなく、そばで聞いていたジョンも、自分にむけられていないとはわかっていても、腹の底が冷えるような感覚を味わっていた。

「しかし――」

「開けろと言っている!」

 ためらう見張りに舌打ちをして、ネミッサは腰に帯びていた細身の長剣を引き抜いた。

 止めようとする警備兵を視線ひとつで黙らせ、ネミッサは裂帛れっぱくの気合をこめて、剣をふりおろした。

 まっぷたつに絶たれた錠前が、床に落ちる。

 その残響が消える前に、ネミッサは牢の扉を蹴り開けるようにして飛びこんだ。

 ジョンと二人で、ロストの身体を支える。

 ロストは喉でしゃがれた呻き声を立てたが、今は手当をしている余裕はない。

「待て、勝手なことをして、ただですむと思うな! おい、そいつらを捕まえろ!」

 ミラダンに怒鳴られ、警備兵が近付いてくる。

 す、と目を細めたネミッサが、ミラダンを含めた警備兵たちに、本気の殺気をぶつけた。

 腰を抜かした警備兵たちをよそに、ネミッサは懐から転移の呪文書スクロールを取りだした。

「止めろ!」

 周囲が動くより早く、ネミッサは左手と口を使って、その呪文書を引き裂いた。

 眩い閃光。

 それが消えたとき、三人の姿はどこにもなく、断ち切られた錠前だけが、そこに人がいたことを示していた。



 じわりと胸に熱が宿る。陽だまりのぬくもりにも似たそれが全身に広がるにつれて、身体の痛みが引いていった。

 夢うつつに、もう大丈夫、と話す密やかな声を聞く。意識を手放す直前、うるんだ赤い目を見た気がした。

 それからしばらく経って、ロストはゆっくりと目を開いた。

 身体を起こそうと無意識に力を入れた右手が深く沈みこむ。

 敷布の柔らかさと正絹の滑らかな手触りにとまどって手を浮かせ、その手をまじまじと見る。

(手が……)

 折られた指も、剥がされた爪もきれいに癒えている。

 横になったまま、ゆっくりと頭をめぐらせる。

 どこかの豪邸だろうか、落ち着いた家具や調度のひとつひとつが年季を主張している。

 はっきりしてきた頭で記憶をたどる。

 留置場からどこかへ運ばれたことは、おぼろげに覚えていた。

 そこで治療がほどこされたものか、散々痛めつけられていた身体の傷は癒えていた。

 部屋の扉が叩かれる。

「起きていたのか」

 様子を見に来たらしいネミッサが、表情こそ普段のとおりの仏頂面ながら、安堵のうかがえる声をかける。

「気分はどうだ?」

「ああ……大丈夫だ」

 ジョン、とネミッサがふりかえって呼ぶ。

 はい、とジョンが小さなカートを押して入ってくる。カートには服と、ロストが使っていた義肢が乗っていた。

「ジョン、つけるのに手を貸してやれ。私はキロン様に報告に行ってくる」

 ジョンの手を借りて服を着替え、義肢をつけて身だしなみを整える。ひとまず、人前に出ても問題はない程度の見た目にはなった。

「どこか、動かしにくいところはありませんか?」

「……大丈夫そうだ。助かった」

 そっと義肢を曲げ伸ばして動きを確かめ、ロストはうなずいてみせた。

「ここは?」

「アゾール宮です」

「――王宮か」

 ロストが目を丸くする。

 そこへ、ネミッサと少年を伴ってキロンが訪れた。

「具合はいかがですか?」

「だいぶ、いいようです。すみません。またご迷惑をかけてしまったようで」

 ロストが投獄されたのは一昨日のことで、あれから二日経っているという。

「いくつか、確認したいことがあるのですが、よろしいですか? ああ、でもまずは、彼の話を聞いてあげてください」

 促され、少年が口を開く。

「アス――」

「その呼び方をやめろ、イスディス」

 反射的に、ロストは拒絶の言葉を口にする。

 普段なら何も言わない少年は、しかし何度も大きく首をふった。

「違う、違うんだ! 話を聞いてよ、頼むから、さ!」

 真剣な懇願に、ロストはやや呆気にとられた様子で少年を見た。それを承諾と取ったのか、少年が言葉を続ける。

「アス、あの洞窟であったこと、まだ覚えてる?」

「忘れるわけが、ないだろう」

 ロストが、痛みをこらえるようにその顔を大きく歪めた。

 少年が触れた過去は、ロストにとって忘れたくとも忘れられない、そして何よりも彼自身が、忘れることを許さない疵だった。

 少年がじっとロストの目を見つめ、言葉を続ける。

「アス、今、君と話しているのはイスディスじゃない」

「お前、何を――」

「“僕”はあのとき――悪魔崇拝者に殺されたとき――イスディスと、契約したんだ。僕の身体を対価にして、君が死なないように守ってほしい、って」

 少年の告白を聞いて、ロストが目を見開いた。一瞬で血の気の失せた顔は、みるみるうちに藍をなすったように蒼くなり、唇がわなわなと震えだす。

 二、三度、言葉にもならない声が、ロストの口からこぼれる。

「ジュリー……ジュリウス・ゴードン?」

 ようやく、ロストが歯の間から押し出すようにして、弱々しく名を呼ぶ。

 ロストの緑がかった黒い目は、食い入るように少年に注がれている。瞳の中には、驚愕とわずかな恐れの色がはっきりと見てとれた。

「そうだよ、アスウェル」

 少年――ジュリウスが、ロストの言葉を肯定する。彼を本名で呼んで。

 ロストが、なぜ、とかすれた声を出した。

 今にも失神しそうな様子を見て、ネミッサが念のためにと持ってきていた気つけ薬を飲ませる。

 どうにか卒倒をまぬがれたロストが、まだ喉にものが引っかかっているような調子で言葉を送り出す。

「なぜ……俺は……俺には、そんな資格なんか、ない。俺のせいで、お前は死んだんだ。お前に恨まれていても、しかたがないのに」

「恨んでなんかいるもんか!」

 少年――ジュリウスが、たまりかねたように大声をあげる。

「君のせいじゃない。悪いのはあいつらだ。僕を殺して、君に悪魔を憑かせようとしたあの悪魔崇拝者が悪いんだ!」

「そうだな。だがそれでも……誰が許しても、たとえお前が許してくれても……俺は、俺を許せない」

 唇をぐいと曲げて、ロストが笑み――彼にとっては、笑みらしいもの――を作る。笑みにはおよばないその表情は、ひどく歪だった。

 ロストはずっと、あのとき壊れた心を無理に繋ぎあわせて生きている。

 一度壊れた心に、二度目はない。もう一度壊れたなら、そこで彼は終わる――先のように。

 ジュリウスの顔を見て、ロストがふと、表情を和らげる。その顔は少なくとも、さっきまで浮かべていた歪な顔よりは笑み――どちらかといえば苦笑だったが――に見えた。

「なんだ、またべそかいてんのか。まったく、そこは変わらないんだな」

「自分だって泣きそうなくせに」

 言い返され、ロストがちょっと言葉に詰まる。

 昔から、ジュリウスはよく泣く子供だった。ちょっと転んでは怪我がなくとも泣き、上手くいかないことがなければ泣き、他の子供にそれをからかわれては泣いていた。

 そんなときはいつも、ロストが彼をなぐさめたり、なだめたり、かばったりしていた。

 ロストはジュリウスとは逆に、人前で泣くことはめったになかったのだが、それでも隣で泣かれるとつりこまれるのか、顔を歪めることは多々あった。

 ぐいと目元を拭い、ジュリウスがキロンに視線をむける。

「もういいのですか?」

「うん」

「では……。まず、あなたは〈外つ国人〉ですか?」

「そう、らしいですね。いや、実は、こちらに来る前後のことがさっぱりで。何でも、カナーリスの運河の傍に倒れていたそうです。こちらでの記憶があるのは、診療所で気がついてからなので、後で人に聞いた話なのですが」

「なるほど。あなたの本名をうかがってもよろしいですか?」

「アスウェル・コズロー。それが、俺の名です。別に、何か思惑があって名を偽っていたわけではないのです。カナーリスに来たときには、何も覚えていなかったので、仮に使っていた名がそのまま定着してしまいまして」

「ええ、わかっています。いずれまた確認にうかがうことがあるとは思いますが、今日はこのくらいにしておきましょう。ゆっくりお休みください」

 三人が出ていく。

 緊張の糸が切れたのか、ロストは虚脱したようにベッドに倒れこんだ。

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