第16話 銀の弾丸

 深夜、暗い部屋の中でロストは身を起こした。シャツの下で、胸が荒く上下している。

 ここが自分の住んでいる小屋の、ベッドの上だと気付き、ようやく少し呼吸をしずめる。

 うなだれ、顔を両手で覆う。呻くような、嗚咽のような声が切れ切れに漏れた。

 しばらくして、いくらか落ち着きを取り戻したロストはベッドからおり、台所に置いている水瓶から水をあおった。

「起きていたのか?」

 ちょうど、見回りから戻ってきたネミッサに、いや、と首を横にふる。

「ちょっと、夢見が悪かったんだ」

「ふむ……話を聞こうか。気を晴らせば、夢も変わるだろう」

「そうかもな」

 手近の椅子を引き寄せて座り、ロストはぽつぽつと話しだした。

「昔、修道院で庭師をしていたことがあってね。そのときの夢だった。その修道院にはメリッサって料理番の娘がいてな、俺が雇われたときから、何かと親身になってくれた。だが、親身になりすぎた」

「それに問題が?」

「ああ。俺がいたのは女子修道院だったんだよ。本来なら男子禁制の場所だが、この身体だもんでね。特別に許可がおりたのさ。だがそれでも……メリッサは親身にしすぎた。俺も……それが修道院で好まれないふるまいだと気付くのが遅すぎた。そのせいで、彼女は……男をたぶらかすために悪魔と契約したと告発された。彼女はそんなことしていなかった。無実だったんだ。それなのに、まともな調査もされないまま裁かれた。……悪魔と契約した者は、死をもって償わせるのが掟だ。俺が町の外で彼女を見つけたときには、メリッサはもう、虫の息だった。……だから、俺が手を下した。……本来、あってはならないことだったんだ。告発されたその日に裁かれることも、すぐに殺されずに……あんなに、痛めつけられるのも。だからあれ以上、彼女を苦しませたくなかった」

 ロストがうなだれる。

 こちらも手近の椅子に座っていたネミッサは立ち上がり、そっと彼の肩を抱いた。

 食いしばった歯の間から、ロストが切れぎれに嗚咽を漏らす。

 彼が落ち着くまで、ネミッサはそばを離れなかった。

 どうにか気をしずめ、ロストはそろそろ休む、と立ちあがった。

「私も休むとしよう。お休み」

 ロストがベッドに横になるとまもなく、小さな歌声が聞こえてくる。

 記憶にある、不協和音が重なった歌声ではない。静かな、優しい歌声。

 柔らかに耳に触れるその歌声を聞くともなく聞くうちに、ロストはぐっすりと眠りこんでいた。

 小声で口ずさんでいた揺籃歌の最後の一音をそっと落とし、ネミッサは衣擦れの音さえ立てず、隣の寝室へ入っていった。

 ベッドは空いており、その隣に作った急ごしらえの寝台でジョンが眠っている。

 ネミッサはベッドに腰かけ、ロストの言葉を思いかえしていた。

――悪魔と契約した者は、死をもって償わせるのが掟だ。

(そういえば――)

――魔法が苦手なんだ。どうしても、魔術が身近で使われていることに慣れなくてな。

 思いかえして、違和感。

 この国の法は知っている。しかし、ロストが言ったような掟は聞いたことがない。

 そのうえ、まるで魔法が身近ではないような言葉。

(異国の法、いや――)

 異世界の法。

 メルカタニトゆえの、その可能性に思いいたり、ネミッサは眉をひそめた。

(〈外つ国人〉?)

 だが、ローンバートが〈外つ国人〉であるという話は散々聞いたが、ロストがそれだとは聞いたことがない。

 メルカタニトでは、〈外つ国人〉の存在はしっかりと記録される。名前、出身地、どこで、誰に召喚されたのか、後見人がいるならその身元も。たとえそれが、一時の召喚であっても。

 〈外つ国人〉の持つ異世界の知識は、危険と隣り合わせだからだ。

(しかし、そう決めつけるのは短慮か。異国人の可能性もある。キロン様にだけ話を通して、明日、確かめてみるとするか)

 そう方針を決め、ジョンを起こす。

 目をこすりながら起きたジョンは、交代だ、とささやかれ、慌てて寝台からおりた。

「何かあれば呼べ。無理はするなよ」

「はい」

 ジョンが静かに出ていく。

 ネミッサは座位のまま軽く目を閉じ、それでも完全に意識を閉ざすことはなく、なかば覚醒した状態で有事に備えていた。

 東の空が白みはじめたころ、隣室から小さな物音がした。

 どうやらロストが起きだしたらしい。

 ジョンも見回りから戻ってきたようで、二言三言話す声が聞こえる。

「特に異常はありませんでした」

「ご苦労」

 ジョンが朝食の準備を手伝いに出ていく。

 一人部屋に残ったネミッサは、肩につけたブローチ型の通信機を起動させ、キロンを呼び出した。

「早くから失礼。少しよろしいですか」

――大丈夫ですよ。どうしました?

「例の庭師のことですが――」

 ネミッサの話を聞き、キロンがしばらく黙りこむ。

――他国の人間であっても、卿の推測どおり〈外つ国人〉であっても、どちらでも問題ですね。卿、確認をお願いできますか?

「承知しました」

 通信を切り、部屋を出る。

 隣室に、あの少年の姿は見えない。

「あの子供はどうした?」

「イスディスか? あいつのことだ。またどこかほっつき歩いてるんだろ。いつものことだよ」

「だが、昨日の今日だ。呼べるのなら――」

 呼んだほうがいい、とネミッサが続けかけたとき、そのイスディスが戻ってきた。どうやら少年は、庭をひとめぐりしていたらしい。

 何もなかったよ、と少年は笑った。

 薄く切って焼いたパンをかじりつつ、ロストは対面に座る主従を見た。

 この二人は、なぜこれほど自分に親身になってくれるのだろうか。

 つい最近知り合った程度の間柄だ。旧知の仲ではない。自分など、放っておいてもいいだろうに。

 ロストがほとんど無意識に漏らした、自虐のこもった呟きに、ネミッサが眉をあげる。

「私は私がなすべきだと感じたことをするだけだ」

「……そうかい」

 くい、と、少年がロストの服を引く。

「どうした?」

「昨日も言ったけど、今日は絶対、ジュリーを傍から離すなよ。いい? それと」

 さらに少年が袖を引く。ロストは訝しげな顔で少年のほうに身をかがめた。

『銃を準備しておくんだ、〈狩人〉』

 ロストは何も言わず、わずかに口元をひきつらせてイスディスをじっと見つめた。

 赤い目が、真剣な光をたたえてロストを見返す。

 ロストは眉をひそめたが、黙って立ちあがり、戸棚に置いていた拳銃を取り、弾倉を入れ替えた。

 銀で刻印が施された弾倉――銀の弾丸がこめられた弾倉に。

「どうした?」

「ちょっとな」

 銃を懐に、ロストはジュリーをつれて外に出た。

「離れるなよ、ジュリー」

 そう注意して、ロストは花壇の草取りにかかった。

 その傍らで、ジュリーはおとなしく地面に伏せている。

 時折ロストは草むしりの手を止め、ジュリーを撫でてやっていた。その度に、ジュリーは大きく尻尾をふっていた。

 ジョンが見回りのためだろう、門のほうへ向かうのが見えた。

「手伝おうか」

 ネミッサがロストに声をかける。

「助かると言えば助かるんだが、そこまで迷惑をかけるのはな」

「何、かまわないさ」

 ネミッサもかがんで雑草に手を伸ばす。

 二人の横をとおって、イスディスも門のほうへ駆けていく。

 ふと気付けば、時刻は昼に近付いていた。

 今日はそろそろ切り上げないか、とロストがネミッサに声をかける。

「そうだな。そうだ、ひとつ聞きたいことがあるんだが――」

 何かを訊ねようとしたネミッサの言葉を遮って、怒声か、あるいは叫声ともとれる声が門の方向から聞こえてきた。

 同時に、ロストは低い声をあげて左胸を押さえた。刻みこまれた契約印が焼けるように痛む。

 一瞬、脳裏をよぎる景色。屋敷の門と、こちらを見下ろすローンバート。

「どうした」

 門、と、やっとのことで一言だけ声をしぼりだす。

 様子を見てくる、とネミッサが駆けだす。

 ロストもまた、いてもたってもいられず、歯を食いしばってジュリーと共に走りだした。

 門が見えると同時に、目に飛びこんできた光景にロストは息を呑んだ。

 標本のように、近くの木に肩と腕を串刺しにされ、ぐったりとうなだれているジョン。燃えている花。門扉の前でひざまずくように座っているローンバートと、彼に押さえつけられ、倒れている少年――イスディス。

 ローンバートが大ぶりのナイフをふりあげ、にやりと顔を歪める。

 ロストの脳裏に蘇る、過去。

 揺れる火。眼前で地面に押さえつけられる少年。ふりおろされるナイフ。

「ジュリー!!」

 ロストの絶叫に、ローンバートが歪んだ笑みを彼に向けた。

(――殺してやる)

 明らかな殺意が、ロストの胸に宿る。

 頭は芯まで冷え、周囲の音が消える。

 懐に入れた拳銃を引き出す。ローンバートの唇が動いているのが見えた。

 漆黒となったロストの瞳が、暗い光を宿す。

「イスディシリウス」

 イスディスの真名を呼ぶ。

 かつて交わした契約のとおり、力が宿る。

 左胸の契約印が焼けるように痛み、流れる血が炎となったかと錯覚するほどの熱が、全身を巡る。

 苦痛の声を噛み殺し、銃を構える。

 にたりと笑うローンバートの顔が、一瞬、別の男の顔に見えた。

 白髪のほうが多い金の髪。彫りの深い面立ち。鋭い、青い目がこちらを見る。

『魔に光なし。魔は闇へ帰れ』

 祈りをこめて、唱える。

 魔を破るのに必要なのは銀の弾丸。そして、純粋な、強い、意思。

 きれいな立ち姿で狙いを定め、引鉄を引く。

 当たるはずがない。

 弾除けの呪文を唱えたローンバートは、そう高をくくっていた。

 ロストに魔術の心得が少しもないことはわかっている。

 いくら撃とうと、自分を傷つけられはしない。

 ローンバートの考えていたとおり、ロストは魔術は知らなかったが、魔に抗う術、魔を破る術なら知っていた。

 祈りをこめて放たれた弾丸が、不可視の障壁を破る。

 驚きのあまり見開いたその右目を、弾丸が貫いた。


 馬鹿な。


 そう思ったのを最後に、ローンバートの一命は絶たれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る