第22話 洞窟の闇の中で

「失礼いたします」

 キロンの涼やかな声が、扉のむこうから聞こえてきた。

 ロストは朝食をすませたところだったが、特に驚きもしなかった。昨夜、ネミッサを通して訪問のことは聞いていたのである。

 しかしキロンだけでなく、ネミッサまで来たことには、ロストもちょっと訝しげな顔を見せた。

「朝早くからすみません。お話があるとうかがいましたので」

「こちらこそ、お忙しいところを急にお呼びしてすみませんでした」

「いいえ、大丈夫ですよ。それで、お話というのは?」

「……実は、召喚前後のことを思い出したので、お伝えしておこうと思いまして」

 本当ですか、とキロンが身を乗り出す。

 椅子に落ちつき、どこから話すべきか、とロストは首をあおった。

「まず、自分の故郷――レピシヴァンがどのような国か、自分が何をしていたか、それを話させてください」

 背にジュリウスの視線を感じつつ、ロストはぽつぽつと言葉を続ける。

「レピシヴァンでは昔から、悪魔や魔術と言った、魔と付くものを嫌います。悪魔崇拝者が悪魔の力――魔術を使って災いをもたらす、と昔から言われているのです。実際、召喚する悪魔への供物として人を――特に子供を――さらって、生きたまま……生贄とする事例は、レピシヴァンでは昔から問題となっていました。……ジュリウス・ゴードン――俺の友人も、その犠牲者でした」

 ロストはいったん言葉を切り、水で口を湿らせた。

「そのため、レピシヴァンでは悪魔崇拝者を討つ存在が必要で、その目的で組織されたのが〈狩人〉でした。そして俺も、〈狩人〉の一員でした。……あの日、俺は人に呼び出されて、住んでいた村の近くにあった洞窟へ向かいました」



 その洞窟は、記憶にあるのと同様に暗い口を開けていた。

 ロスト――アスウェル・コズローの背を、冷たい汗がつたい落ちる。

「大丈夫か? 真っ青だぞ」

 隣にいた〈狩人〉のシーユンにうなずく。

 シーユンはアスウェルが〈狩人〉だったころの後輩で、怪我で一線を退いたアスウェルとは違い、現在でもアスウェルの故郷であるレピシヴァンの北部で〈狩人〉を続けている。

 正直に言って、ここには来たくなかった。

 この洞窟は、かつて親友ジュリウスが、自分の眼の前で殺された場所だった。

 二度と足を踏み入れるまいと、そう思っていた。

 しかし自分が行かなければ、何の罪もない、無関係の女が殺される。

 日没までに洞窟へ来なければ、女を殺して贄とする。それが嫌なら洞窟に来い。

 アスウェルのもとに届いた手紙には、乱暴な字でそう書かれていた。

 手紙を受け取ってすぐに、アスウェルは〈狩人〉の北部支局へ赴いた。

 手紙を見せ、手を貸してくれないか、と北部支局でもかなり上にいるというシーユンに頼んだのだ。

 アスウェル自身も一線を退いたとはいえ、現在でも予備役として籍は置いている。しかし予備役ということもあり、彼の独断で動くわけにはいかないのだ。

 いくらアスウェルの頼みとは言え、シーユンははじめは戸惑ったようだった。

 本来〈狩人〉による〈狩り〉は、きっちりと調査し、〈狩り〉の必要があると認められたときに行われる。悪魔崇拝者とはいえ相手は人間で、〈狩り〉は人間の生命を奪う行為だからだ。

 しかし血相を変えたアスウェルから事情を聞き、シーユンは自分の権限で人を集める、と、アスウェルの頼みを聞き入れてくれた。

「アスウェル!」

 集まっていた〈狩人〉の一団をかきわけ、初老の女が歩み出てきた。

 エスター・ゴードン。ジュリウスの母であり、今朝、アスウェルに手紙を届けたのも彼女である。

 アスウェルはちらりとエスターを見、ほとんど唇を動かさず、小母さん、とだけ呟いた。

「あの人を、止めてください」

「……そのつもり、ですが。小父さんが生きて戻るとは、かぎりませんよ」

 蒼白な顔のアスウェルは、悲愴な顔で、言いづらそうに、やっとそれだけを言った。

 そして、止めに行きます、と固い足音を立てて、アスウェルは他の〈狩人〉とともに洞窟へ入っていった。

 〈狩人〉の象徴である黒い帽子と黒外套を身につけ、携帯用の角灯で先を照らしながら歩んでいく。その手に銀の弾丸をこめた拳銃を持って。

 大股に、歩を進める。

 岩壁に自分の影が映り、不気味に揺れる。

 それを見ないよう、アスウェルはひたすら前だけを見ていた。

「アスウェル」

 シーユンに腕を掴まれる。

「この先は俺たちが行く。あんたは戻ったほうがいい」

「いや、お前たちは、ここにいてくれ」

「しかし――」

「俺が行かなきゃ、誰かが殺されるんだ」

 何か――銃声でも聞こえたら来てくれ、と付け足す。

(それに、あの人が本当に殺したいのは……俺なんだ)

 荒く呼吸いきをしながら、アスウェルはさらに先へ進む。

 眼の前が開けた。

 広々とした空間。かつてジュリウスが殺された場所。

 そこには今、二つの影があった。

 若い女と、その女をがっちりと捕まえている男。男は空いた手に、大ぶりのナイフを持っている。

 アスウェルは、そのどちらにも覚えがあった。

 女はエリザベス・ミラー。かつてアスウェルやシーユンが、レピシヴァンの中央部で〈狩人〉として活動していたころ、アスウェルの同期だった〈狩人〉、ブレア・ミラーの妹。

 そして男はグスタフ・ゴードン。ジュリウスの父である。

 グスタフがアスウェルを憎々しげに睨みつける。

 あちこちに置かれた蝋燭の火が、グスタフの姿を異様なものに見せている。

「ゴードンさん、その人を離してください」

 低い、何の感情も宿っていない声で言ったアスウェルに、グスタフは老顔を歪めた。

「まず、言うことがあるだろう!」

「何の、ことですか」

「ジュリウスを見殺しにして、一人のうのうと生きのびやがって! 人殺しめ! 死ね! 死んでしまえ!」

「ゴードンさん。ジュリーの……ジュリウスのことは、俺も残念だと思っていますし、今でも……辛いです。だから……あなたの辛さもわかるつもりです。でも、今あんたがやろうとしていることは、決して許されないことだ。ゴードンさん、すぐにその人を離してください。今ならまだ、未遂ですむはず――」

「黙れ! なぜ、なぜお前が生きている! あの子はここで、切り刻まれて殺されたというのに! さあ、ここで死んで、あの子に詫びろ!」

「ゴードンさん、落ちついてください」

 グスタフが黙れ、と怒鳴り、蒼白のエリザベスにナイフを突きつける。

「もう遅い! 後は充分な血が注がれれば、あの方の力でジュリーはよみがえる!」

 グスタフの叫びに、アスウェルの顔が凍りついた。

「なら俺は、あんたを討たなきゃいけない」

 撃鉄を起こし、銃口をグスタフに向ける。

 狂ったような哄笑をあげて、グスタフはエリザベスをぐいと前に押し出した。

「撃てるものなら撃ってみろ。それともジュリウスのときと同じように、この女を殺して自分だけが助かるか?」

 今の位置では、もし狙いを外せば弾丸はエリザベスを貫くだろう。

 だが、アスウェルの逡巡は一瞬だった。いくら今は一線を退いたとはいえ、今は〈狩人〉としてここにいる。

 グスタフ・ゴードンは、幼いころから知っている。それに、親友の父親だ。

 だから、思いとどまってほしかった。しかし彼はもう、一線を越えてしまった。それなら自分は、〈狩人〉として対応しなければならない。

 ゆえに、アスウェルはためらわなかった。

 落ちついて狙いを定め、引鉄を引く。

 放たれた銀の弾丸が、グスタフの左目を貫いた。

「逃げて!」

 はっと顔をこわばらせたエリザベスが叫ぶ。

 それに戸惑ったアスウェルは、背後に人の気配を感じた。

 ふりかえろうとしたとたん、後頭部に強い衝撃を受けた。

 その一撃で目がくらみ、大きくよろめく。

 グスタフではない、別の大柄な初老の男が、棍棒を手に立っていた。

 ぬるりとした温かいものが、アスウェルの首筋をつたう。

「だ、れだ」

 誰何すいかしつつ、本能的に身を引く。

 再びふりおろされた棍棒が、肩を打った。

 後ろに出した足の下、固いはずの地面が、ぐにゃりと柔らかくなった。

 それを不審に思う間もなく、悲鳴や複数の銃声を遠くに聞きながら、アスウェルの意識は薄れていった。



 ここまで話をしたロストは一度言葉を切り、コップに残っていた水を飲み干した。

「ここから先のことは、正直なところ、自分も記憶が曖昧なので、全てを信用しないでください。気が付いたときには、自分は森の中にいました。大きな、平たい岩の上に横になっていて、すぐ隣で男が倒れて――死んでいました。それに気付いて、自分は……人を呼ぼうと、そう思ったのです。にぎやかな音が遠くで聞こえていたので、その音のするほうへ行けば人がいると思って……。ただ、それからカナーリスの診療所で目が覚めるまでのことは覚えていません。運河の傍で倒れていたのを、町のレンジャー隊員に見つけられて、診療所まで運ばれたのだそうです」

「その死んでいた男は、話に出てきたグスタフか? それとも棍棒を持った男か?」

 ネミッサの問いに、ロストは首をあおって記憶をたどり、違う、と首をふった。

「誰だったか、思い出せない?」

「いや……思い出してはいるんだが……あんまり馬鹿げているというか……」

「馬鹿げていてもかまわない。誰が死んでいたのか言ってくれないか」

「……なら言うが……本気にとらないでくれよ。なにせだいぶ頭もぼんやりしていたんだ。死んでいたのは……ミラダン・バーセル――カナーリスの警備隊長――だったと思う」

 ネミッサの黒い目がきらりと光る。

 それを認めて、ロストが慌てた様子で言葉を足した。

「いや、わかってるんだ。馬鹿げているのはわかってる。ミラダンはちゃんと生きてるんだし、だからきっと俺の見間違いか何かで……でなきゃ、死んでいたというのが俺の思い違いか、だ」

「いいや、馬鹿げてはいないし、見間違いでも思い違いでもない。死んでいたのは、間違いなく、ミラダン・バーセルだ」

「まさか。死人が魔法で生きかえったとでも?」

「いいや。私が言いたいのは、今カナーリスにいるミラダンは別人だということだ」

「別人?」

 ロストがいよいよ怪訝な顔になる。

 その混乱をおさめたのはキロンだった。

「ネミッサ卿。卿の話も、改めて詳しく聞かせていただけませんか。卿がこちらへ来られた理由と、捜し人のことと、それから件の警備隊長が別人だと言われる理由を」

「承知しました。それでは不思議の国の王様ではありませんが、『はじめからはじめる』ことにいたしましょう」

 軽口めいた言葉を発してから少し沈黙し、やがてネミッサは淡々と語りだした。

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