第14話 火種、二つ
「ねえ、ちょっと話があるんだけど、いい?」
横から声をかけられ、井戸から水を汲んでいたジョンは、手を止めて声のほうを向いた。
黒髪の少年が、真剣な顔でジョンをじっと見上げている。
「なんだい?」
「明日、誰かがここに火をつけるんだ。だから、ロストとジュリーを助けるのに、力を貸してほしいんだ」
少年は、ローンバートが、とはあえて言わなかった。
ただでさえ、信用しがたい話なのだ。
ジョンからすれば子供の話、そのうえ町長オリカ・グローゼンの気に入りである〈外つ国人〉のローンバートの名など出そうものなら、余計に信用されないだろう。ローンバートは、外面だけはすこぶるいいのだ。立派な青年だと、周囲にそう思わせるくらいには。
それでも火事を止め、ロストを帰すためには、どうしても人の手を借りなければならない。
特に魔法使いの手はどうしても必要になる。それならネミッサやジョンの手も借りたい。この二人が手練だというのは、イスディス経由で知っていた。
ジョンが訝しげに眉をひそめる。
「ロストさんに、その話はした?」
「できないよ、あいつのことだもの。知ったら無茶するに決まってる」
「何かあったのか?」
飛んできたネミッサの声に、ジョンが反射的に背筋を伸ばす。
どうやらネミッサはキースと共に、ロストの様子を見に来たらしい。
少年がネミッサへ駆け寄る。
「お願いします、ロストを助けて!」
必死の形相で頭を下げる少年を見下ろし、ネミッサが小首をかしげる。
長い、赤い髪がさらりと揺れる。
「詳しい話を聞かせてもらおうか」
「じゃあ、向こうで話すよ」
崩れかかった屋敷の裏手。何も植えられておらず、ロストも定期的に雑草がはびこっていないか見に来るくらいで、人目につく心配はない。
二人に話をしながら、少年はネミッサの顔色をうかがっていた。
しかしネミッサの陶器の人形のように整った顔には、その内心を悟らせるような動きは見られない。
「火事、か。誰が火をつけるかはわからないか?」
ネミッサの問いに、少年は忙しなくまばたきしながらこくりとうなずいた。
ふむ、と、ネミッサが腕を組んで黙考する。
少年の赤い瞳に宿る熱は強い。
(演技ではないようだな)
とはいえ、少年の話には信じるに足る根拠はない。
しかし、ネミッサの心はもう決まっていた。命に関わることなら、騎士たる彼女は迷わない。
「わかった。手を貸そう」
「え、ほんと、ほんとに!?」
少年がぱっと顔を上げる。
ぽかんと開けた口から、上ずった声が滑り出る。
「手は貸すが、庭師にも火事のことは話しておけ。それが条件だ」
「で、でも、あいつは信じないよ。それに、火事のこと知ったら、あいつ、絶対無茶するに決まってる」
「信じさせる必要はない。話しておくだけでいい」
「それにロストさんのあの様子なら、無茶をしようにもできないですよ」
「そんなに悪いのか? 確かに昨日見たときにも顔色は悪かったが、命に関わるような様子ではなさそうだったが」
「あ、いえ、ひどく悪いというほどではないそうなのですが、まだ動くのは辛いと」
そのとき、ネミッサが肩につけていた、鳥をかたどった銀のブローチにはめこまれた魔石が、ちかちかと点滅した。
キロンからの通信である。
少年に断って火事のことを伝えると、キロンの声にはとたんに不満げな調子が混ざった。
――卿、そんな話を信じておられるのですか?
「本当なら、命にかかわることですので。そういうわけなので、正餐会は欠席します。グローゼン氏には、私たちが薔薇屋敷にいることは、伏せていただけますか」
――……わかりました。仕方がありませんね。
「ありがとうございます」
通信が切れたあと、主、とジョンがおそるおそる口を開いた。
「やはり、マリスヴィルの手下が?」
「さあな。だが、悪意を煽るのは奴らの常套手段だ。この町に手下が潜んでいて、私たちがここにいる以上、何かしかけてくることは考えられる。それはそうと、もう診察も終わったころだろう。水、持っていったほうがいいんじゃないか」
あ、と声をあげて、ジョンが足元の水桶をつかんで小屋へ飛んでいく。
ちょうど、キースも診察を終えたところだった。
ロストはまだ無理は禁物だが、容態はよくなっていると聞いて、ジョンは胸を撫でおろした。
ジョンに続いて入ってきたネミッサと、真剣な面持ちの少年を見て、ベッドに腰かけたロストは、物問いたげな視線を二人に投げた。
「深刻な顔してどうした?」
「聞いてほしい話がある。驚かないで、落ち着いて聞いてくれ」
「話?」
ネミッサに促され、少年がいくらかつかえながら火事のことを話す。ロストは一度も口を挟まず、黙って話を聞いていた。
「……火事、か。突飛な話ではあるな」
「貴殿がそう思うのも無理はない。だがこの町には今、他人の悪意をあおり、放っておけば消えるような火種を、大きな炎にして楽しむような輩が潜んでいる。そいつなら、どんなことでもやりかねない」
「いや、嘘だとは思わないよ。何か根拠があって言ってるんだろ、イスディス?」
え、と少年がロストを見返す。
「信じるの、か?」
「少なくとも、お前はこんな話をして、俺を担ぐようなやつじゃないとは思ってるよ」
「明日まで、ここで警戒にあたってかまわないか?」
「ああ。空いてる部屋は向こうのしかないが、それでもいいなら」
「感謝する」
その後、横になったロストをジョンに任せ、ネミッサは庭に出た。
庭を散策しながら、庭の様子を頭に叩きこむ。
何があっても、すぐに動けるように。
昨夜のコンサートで、ネミッサは自身の能力を使い、幻影の竜を本物の青薔薇に変えてみせた。
結果として、竜を出したローンバートを道化のようにしてしまい、よくも悪くも、ネミッサはカナーリスの住人たちの間で話題になっていた。
今朝、オリカの屋敷の使用人がかわしていた雑談を小耳に挟んだネミッサは、そのことを察していた。雑談の中に、嫌味や陰口が混じっていたことにも気付いていた。
それらのひとつひとつはささいなもの。しかし数が集まれば、それは大きな炎となりうる。
それに、自分が仇敵と呼ぶマリスヴィルやその手下たちは、それを好んで行うのだ。
(火事は明日だという話だったが……私なら夜のうちに準備をしておくだろうな)
もし敷地内に侵入するなら、表の門からだろうか。
薔薇屋敷の敷地は、先の尖った高い柵で囲まれている。外から柵を乗り越えようと思ったら、空でも飛ぶより他に手はない。
裏門もあるが、そこは南京錠と鎖で封じられている。
試しに門扉に手をかけ、軽く揺すってみたが、鉄の門扉は小揺るぎもしない。
「主、遅くなりましたが、食事にしませんか」
「そうだな」
小屋に戻り、ジョンが作ったサンドイッチで昼食をとる。
「夜に、門の見張りをするつもりなのだが、かまわないだろうか」
「ああ。そうか、鍵はかけているが、魔法を使えば開けられるか」
ロストが顔をしかめる。
口の中で何か言ったようだったが、内容までは聞き取れなかった。
「大丈夫ですか?」
「ん? ああ、うん」
ジョンに訊ねられ、ロストはつくろうように固い笑みを作った。
食事を終えたところで、小屋の戸が叩かれる。
やってきたのは、レンジャー隊の制服を着たローンバートとミューシェだった。
「どうしました?」
出てきたジョンに、ミューシェが答える。
「イザク隊長に、森の見回りのついでに、ロストさんの様子を見てくるように頼まれたので……」
ローンバートが、わざとらしく鼻を鳴らす。
「あの人はおおげさなんだよ。あんな頭のおかしいやつ、気にする必要なんかないってのにさ」
聞こえよがしの悪口にジョンが顔をしかめ、中にいるロストをちらりとうかがった。
おそらく言葉は聞こえていたであろうロストは、こちらに半分背を向けて暖炉ではぜている火を見つめ、微動だにしなかった。
「ソーンさん、そんな言い方は……」
「何かおかしいって言うのか?」
空色の目でじろりと睨まれ、ミューシェが口ごもる。
「おかしいでしょう。人の心配をするのは大げさでも何でもないことですし、むしろ他人にそんなことを平気な顔で言うあなたのほうこそ、態度を改めたらいかがですか」
「まったくだ。町から離れたところに住んでいるんだから、気にもするだろう。それに、レンジャー隊の隊長に同じことが言えるのか?」
ロストを訝しんでいたジョンだが、彼を“頭のおかしいやつ”だとは思えなかった。平素の無表情で、声に冷たいものを乗せたネミッサも、快く思っていないことは明らかだった。
「あんたたちは知らないんだろうがな、あいつはいつだって喧嘩をふっかけてくるんだ。どこかおかしいに決まってる!」
「喧嘩をふっかけてくるのは、お前のほうだよな、ソーン」
ゆっくりと、ロストが戸口に出てくる。
「もっとも、お前は相手が自分より弱いと思ったら喧嘩を売るやつだってのは、俺はよく知ってるがな。この春にも、よその嬢さんに粉かけてその連れに喧嘩ふっかけたあげく、河に叩きこまれたじゃないか」
ロストの口元には、含み笑いでもするようなしわが寄っていた。
垂れ目がちの目は細められ、鋭い視線がローンバートを射すくめる。
満面に朱を注いだローンバートが顔を歪め、ジョンを押しのけてロストにつかみかかった。
ロストは慌てるでもなく右手でローンバートの左手を握り、大きく踏みこんで左手で彼の胸ぐらをつかんだ。
一瞬、黒と空色の瞳の間で火花が散る。
ロストが身を沈め、ローンバートの身体が低く宙を舞い、地面に投げ出される。受け身を取るすきを与えない投げだった。
身を起こしたロストが顔をしかめる。
よろめいたロストをジョンが支え、中に戻る。
扉が閉まったあと、ネミッサは倒れているローンバートに活をいれた。
目を覚まし、ふらふらと立ち上がったローンバートが、ネミッサを睨みつける。
「あの野郎、殺してやる。どけ!」
殺意のこもる視線を、ネミッサは無感情な目で受けとめた。
「元々の用は済んだだろう。仕事に戻れ、レンジャー。油を売っている暇はないだろう。……それとも、叩き出されたいのか?」
ネミッサの静かな威圧に、ミューシェが青ざめ、ローンバートも思わず後ずさった。
「覚えてろよ」
憎々しげに捨て台詞を吐いて、ローンバートはくるりと踵をかえして去っていく。その後を、ミューシェが慌てて追っていった。
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