第2話 聖女
敬虔な信者達は、その声に耳を傾ける。
「耳を傾け、神に祈りを捧げなさい」
聖書を手に、綺麗な声が響く。
「日々の糧に感謝し、今を強く生きなさい」
泉のように広がる銀色の髪が光に煌めき、
紅の瞳は慈愛に満ち、信者達を見つめている。
「さすれば、神は貴方の祈りを聞き届け、貴方に平穏と安らぎを齎すでしょう」
聖母が形作られたステンドグラスの天井。
その天井から齎される光によって、彼女の容姿も相まって神秘性が増していた。
「……」
何度見ても、息を呑む光景だった。
直後、教会の鐘が鳴る。
「今日はここまでのようです。皆様に神の祝福あらんことを」
聖書を閉じ、信者に向かって祈りを捧げる。
それが締めくくりの言葉だと知っている。
だが、彼女の姿に見つめるばかりで、
俺は動けずにいた。
「勇者」
勢いよく背中に叩かれ、思わずむせた。
「何す、」
「しっかりしろ」
何するんだと言いかけて、剣士に呆れた様子で遮られた。
「お気付きになられた」
我に返って、前を見返した。
信者達が次々と出ていく中、こちらを見つめる誰かがいた。
「いらしてくださったのですね、勇者様」
先程まで聖書を読み上げていた相手が、ゆっくりと近づいてくる。
咄嗟に俺は跪いた。
横目で見れば、剣士と魔法使いも同様だった。
「……先触れもなく、失礼いたしました」
「いいえ。それより面を上げてください」
目の端で映る銀色の髪。
ゆっくりと顔を上げれば、柔らかな微笑みを向けられた。
「お久しぶりです、勇者様」
紅の瞳に、俺の姿が映る。
瞬間、心臓の音が速くなる。
「……お久しぶりです」
目を逸らせない。逸らさず、見ていたい。
「聖女様」
* * *
中央に聳え立つ教会。その奥深くに、『彼女』はいる。
十六、七程度の、年端もいかない少女。
泉のように広がる銀色の髪と、紅色の瞳。
神秘的な容姿を持つ彼女の名は、『聖女』。
教会が引き取った、ドラゴンを打ち滅ぼす為に用意された『生贄』。
魔法とはまた違う、聖なる力を宿している。
教会の中でも上位の存在。
それが、彼女だった。
「勇者様、剣士様、魔法使い様」
女神と見紛うほどの容姿に加え、慈愛に満ちた微笑み。
聖女の名に恥じない少女だった。
「本日はいらしてくださり、誠に有難う御座います」
「いえ……」
聖女様を前にすれば、うまく言葉が出てこない。
「勇者様?」
怪訝な声を向けられる。
何か、何か言わなければ。
「実は、聖女様にお伝えしたことがあります」
魔法使いが口を開いた。
言葉遣いだけは丁寧に、深刻な様子だった。
――嫌な予感がした。
魔法使いがこんな感じで、前置く時は、
決まって人を揶揄う時だ。
「何事ですか?」
「実は……」
揶揄う対象は言うまでもない。
「勇者が立ったまま眠っていたのです」
俺だった。
「立ったまま、ですか……?」
「はい」
「おい、魔法使い」
聖女様の前だということも忘れて、遮ろうとする。
「なんでも平和を齎した英雄でありながら、戦いの記憶から抜け出せず、
今でも剣を持たないことに慣れないようなのです」
「そうなのですか? 勇者様」
「あ、いえ……」
横目で魔法使いを睨みながら、聖女様になんと答えようかと悩む。
「勇者様」
顔を上げれば、こちらを案じる眼差しと目が合った。
「……っ」
「勇者様、あまり思い悩まないでください」
聖女様は跪く俺に目線を合わせる。
慌てる俺に構わず、俺の手をふわりと握られた。
「……!」
「勇者様達の旅路は、私では想像もできない苦難に満ちたものだったと思います」
剣を握ることに慣れた手を、小さく綺麗な手がぎゅっと握り締めてくる。
「ですが、旅は終わったのです」
労りに満ちた微笑みを向けられた。
「勇者様達が終わらせてくださったのです」
「聖女様……」
「ですから、もう御心を自由にして下さって構わないのです」
ふわりと、微笑みの色が変わった。
「勇者様達は、世界を救って下さったのですから」
聖女としての微笑みとはまた違う。
どこか年相応な、少女の笑顔に見えた。
「聖女様……」
何を言えばいいか分からない。
それでも、聖女様に何かを言おうとした時。
「失礼」
コンコンと、わざとらしいノックの音が聞こえた。
「聖女様、そろそろお時間です」
神経質を煮詰めたらこんな顔になるに違いない。
皴の多い神父が立っていた。
「かしこまりました。……勇者様、剣士様、魔法使い様。残念ですが」
「……いえ、お時間を頂き有難う御座います」
「いいえ、またいつでもいらしてください」
神父に急かされるがまま、俺達は聖女様の前を辞した。
聖女様は扉が閉ざされる直前まで、俺達を見送っていた。
その両足は、鎖で繋がれていた。
* * *
「聖女様はああ言っていましたが」
教会を出る直前、神父が俺達の方へ振り返った。
「今後は聖女様への面会は私を通すようお願いします」
丁寧な物言いが慇懃無礼に聞こえるのは気のせいではない。
この神父は、俺達と聖女様の接触を極力減らしたいのだ。
俺達だけじゃない。
聖女様を外界と遮断させ、教会側は『管理』したいのだ。
「聖女様はご多忙なのです。英雄と言えど、聖女様の手を煩わせるのは感心しません」
言いながら、ため息を吐く。
「全く、あの御方は崇高な存在なのです。それを、」
「崇高な存在なのに、鎖で繋ぐのですか?」
耐え切れず、俺は神父の言葉を遮った。
「……」
遮られたのが気に食わなかったのか。
ぎろりと睨みつけてくる。
「崇高と言いながら、聖女様の自由を奪い、教会に監禁している」
「……」
「矛盾が過ぎませんか?」
「それは仕方がありません」
神父は断言した。
「あの御方は崇高でありながら、罪人であるのですから」
その目は優越感に歪んでいた。
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