第15話 呪い縛られそれでも愛す①

「ん……」


 全身を蝕む異様な蒸し暑さが苦しくて、志摩は目を覚ました。


(なんだろう、昔の夢を見ていた気がする)


 美歩との再会を果たしてから三日、ここのところ、内容こそ覚えていないが懐かしい夢を見るようになった。


「とりあえず、シャワーでも浴びるか」


 スマホの時間を見ると、十五時を回っていた。

 志摩はエアコンのスイッチを入れ、更に自身の体に纏わりつく気持ち悪さから逃れるためにシャワーを浴びに行く。


「はぁ……」


 熱いシャワーと冷たいシャワーを交互に浴びて、覚醒を拒む頭をはっきりとさせていく。


 すると、自然にため息がこぼれた。


「まだ俺の心も決まってないのに、本当に話すべきなんだろうか」


 鏡の中の不甲斐ない顔をした自分に問いかけるも、答えはない。


(この無数の水滴に歪んで映る自分の姿の一つでもいいから、正しい答えを返してくれたらな……)


 馬鹿馬鹿しい現実逃避だと分かっていても、そんなことを想わずにはいられなかった。


 ――なにせ今日は、決戦の日なのだから。


 必要以上に長いシャワーを浴びて部屋に戻ると、風呂上がりの体にエアコンの風が冷たく当たる。しばらくしてあまりの寒さに耐えきれず、志摩はエアコンを消して窓を開けた。

 時間的には夕方だが、まだ外は明るい。むわっとした暑い湿気と遠くに聞こえる虫の声が夏を運んで来る。

 それから着替えたり、身支度をしたりして、時刻は夕方五時過ぎ。


 ピンポーン……


 突然インターホンが鳴ったかと思うと同時に、


「ハーセーシーマ―! あーそーぼー!」


 大声で自分を呼ぶ声がちょうど開けた窓から聞こえて来た。


「あのなぁ、小学生じゃないんだから近所迷惑も考えて――」


 そのことに小言を言いながらドアを開けたハセシマは、視界に飛び込んできた光景に目を奪われ、固まった。


「その恰好……」


「どう、かな。この前、ハセシマが褒めてくれたからこういうの買ってみたんだけど。やっぱり変……?」


 自信なさげなめあが着ているのは、袖部分が透け感のある黒いシフォン素材で、胸から下がフリルのあしらわれたワンピースになっている、涼し気なサマードレスだ。

 服に合わせてヒールまで黒と白を基調とした可愛らしいデザインで、めあの銀髪にとてもよく似合っている。


「……いや、変じゃない。むしろ似合いすぎていて見惚れていたくらいだ」


「ふぇっ⁉ あ、あり、がと……」


 予想以上にストレートに、しかもかなり恥ずかしい感想を言われて、めあは驚きのあまり変な声を漏らす。


「ほれ、固まってないで早くいくぞ」


 そんな事を言った志摩の方とて内心は穏やかじゃない。それ以上恥ずかしがるめあを見ていたら羞恥の感情に侵食されて自分までぎこちなくなってしまうのは分かっていたので、顔を見られないよう、先行して歩きだす。


(……この程度で恥ずかしがるわけにはいかない。そんなんじゃ、今日は乗り切れない)


 『それ』を伝える覚悟を必死にしようとしているものの、志摩はまだ心を決めきれずにいる。だから、こういう小さなところから少しずつ、慣らしていこうと思ったのだ。


「うん……」


 めあは小さな声で頷くと、まだ恥ずかしいのか志摩の少し後ろを付いてくる。

 しかし、それも束の間のことで、


「……よしっ」


 両頬を威勢よくはたいて気合を入れると、志摩の隣に並んで歩く。


「さーてとっ、今日は何を奢って貰おうかな~!」


「ま、せっかくの祝いだ。どーんと好きな物を食おうぜ」


 いつも通りの雰囲気を取り戻した二人。

 今日集まったのは、めあのデビュー作の入稿記念を祝うためだ。昨日ようやく三日間に及ぶホテルでの缶詰めという名の監禁から解放されためあが、「何でも好きなものを奢ってやる」という合コンでの約束を果たしてもらうよ、と威勢よく連絡してきて、今に至る。

 改稿も少なく、受賞者の中で一番早くデビューした志摩でさえ、一巻を入稿する時は分からないことだらけでかなりの苦労をした。めあはさらに受賞以降長期にわたって改稿を行ってきたので、その苦労は志摩の予想の遥か上だろう。


「それじゃあ『あれ』、行っちゃってもいい……?」 


 どんどこい、と笑う志摩を前に、めあが不敵な顔で笑う。

 そして、


「ま、まさかここだとは……」


 最寄り駅である中野から中央線に乗り、揺られること五分少々。

 最近やたらと行っている気がする新宿駅で下車し、東口から地上に出て辿り着いたのは夜の街歌舞伎町。その中に、お目当ての店はある。

 全国民の憧れの的。ハーゲンダッツよりも食べる機会が少ない高級焼肉チェーン、叙々苑。志摩たちが来たのはそれの更に上。いわばフルカスタム叙々苑とも呼ぶべき超高級店、叙々苑游玄亭である。

 歌舞伎町だからかもしれないが、店構えからしてやたらとキラキラしていて、入り口には巨大なフラワーアートが飾ってある。


「いらっしゃいませ」


 中に入ると着物を着た店員に出迎えられる。そこで道中電話予約した旨を伝えると、奥の個室へと通された。


「ねえハセシマ、さっきの見た? 滝だよ滝! 僕お店の中に滝がある所なんて初めて来たよ」


「いや、あれには俺も驚いた……」


 ここまで内装に凝った店に入ったのは小学生の頃親戚の法事で懐石料理屋を利用して以来で、志摩もめあも、席まで案内される間ずっと好奇心の赴くままに店内を見回していた。


「ていうかノリで来ちゃったけど、ほんとにこんなとこ大丈夫なの……?」


 外観や内装に圧倒されて弱気になったのだろう。めあは志摩の懐具合を心配する。


「ふん。そんなこと心配しなくてもいい。五万部作家の印税収入は凄まじいからな」


 これは見栄でもなんでもなく、実際志摩はめっちゃ稼いでいる。先日振り込まれた通帳を見た際、銀行で驚いて叫び声を上げたくらいだ。因みにその時は周囲からめっちゃ見られるし、職員は何事かと駆け寄ってくるしで大変なことになったのだが、それはまた別の話だ。


「そっか。じゃあ遠慮しないからね?」


 今日のめあは志摩に好かれようと服装を変えてきたりと、妙に積極的だ。きっと、監禁されている間抑圧していた欲望が一気に解放されたのだろう。

 それからメニューの値段に驚いたり、店員にエプロンをかけてもらって照れたりとひと悶着ありながらも、ようやく料理と飲み物が出揃った。


「それじゃ、入稿おめでとう」


「うん、ありがと、ハセシマ」


 並んだ肉に意識を引き寄せられつつも、これだけは忘れちゃいけないと二人はビー

ルのグラスを構えて、


「「かんぱ~~~い!」」

 泡が淵からこぼれるくらい豪快にグラスをぶつけて、祝杯を挙げた。

 こんな高級店に来てまでビールかよ、と思われるかもしれないが、申し訳ない。焼肉にはビールが一番合うんだこれは絶対譲れねえ! ……というのが志摩とめあ共通の価値観である。いいか焼肉には四の五の言わずにビールだ分かったか。


「それじゃ、食べるぞ……?」


 まるで我が子の成長を見守るみたいに丁寧に育てたタン塩をゆっくりとレモン汁にさっと通してから、二人は示し合わせたみたいに同時に、恐る恐る口に運ぶ。余談だが、タン塩をレモン汁に通す食べ方はこの店で生まれたらしい。

 そんな歴史あるお肉のお味は……、


「う、美味い……なんだこれ、タン塩なのに口の中で溶けてったぞ……?」


「う、うん……こんなお肉、この世に存在してたんだね……」


 たった一枚肉を食べただけだというのに、この感動っぷりである。

 口に残る暴力的な旨味の余韻にいつまでも浸っていたい。そう思わせられるだけの魅力がこのタン塩には詰まっている。

 だが、それ以上に、


「ねえ、ハセシマ、早く他のお肉も食べようよ」


「そうだな。この際全種類食べ尽くすのもいいかもしれん」


 まだ見ぬ旨味、更なる旨味を目指して、二人の美食家魂に火が着く。

 そして、ヒレ、カルビ、牛テールなど、食指の赴くままに注文して、食べ続けた結果。


「ううっ……ごめん、僕はもう……」


「し、死ぬなめあ! まだこれから一皿来るんだぞ⁉」


 調子に乗って頼みすぎて、かえってグロッキーになっていた。


「あれだね、高い焼肉店程出てくるお肉の量が少ないのは、食べ過ぎるとこうなるからだったんだね……」


 高級な肉であるほど上質な油を含んでいる。質がいいからある程度までは食べても気持ち悪くならないが、所詮は油。度を越えるとめあのように限界を迎える。


「くそ……だがしかし、せっかくの肉を残すわけにはいかんっ!」


 志摩も限界が近かったが、高いものを残すわけにいかないという使命感に駆られて無理矢理腹に肉を押し込む。流石に志摩一人に食べさせるのは申し訳ないと思い、めあは焼く方を担当する。

 そうして何とか頼んだ分の肉を食べ切った二人は力尽きたようにぐったりとしてしまう。

 デザートのバニラアイスがどんどん溶けていくが、気にする余裕もない。


「なんだろう、食べ過ぎて気持ち悪いはずなのに、すっごく幸せだよ僕……」


 めあが福の神みたいな幸せにとろけた菩薩顔でしみじみと呟く。


「俺もだ……」


 幸福感からついつい力が抜けて、二人同時にため息を漏らす。ため息を吐くと幸せが逃げるというが、今ならいくら逃がしても有り余るくらいだと志摩は思った。


「ま、ストレスはすっかり解消されたみたいで良かったよ」


「……気付いてたんだ。気、遣わせちゃった?」


「いや全然。俺も、美濃部に原稿催促されてるときはストレス溜まるからな。気持ちは分かる」


 締め切りに追われるストレスというのは、作家でなければ分からない。ようやくめあがその気持ちが分かる場所まで登って来たことに、同期として、ただただ嬉しさを覚えた。

 それからゆっくりと溶けかけのアイスを食べ、追加で日本酒を頼み気分も良くなり、二人は志摩の部屋にいるのと変わらないのんびりした空気でしばらく会話した。

そうしてお腹の具合も落ち着いて、帰るか、もう一杯飲むか、そんな選択をしている最中、不意に、志摩が姿勢を正してめあの方へと向き直った。


「……少し、話がある」


 さあ、もう後には引けない。ここからが今日の本番だ。

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