第16話 呪い縛られそれでも愛す②
「……少し、話がある。俺たちの今後に関わる大事な話だ」
志摩が放つ真面目な話であるという雰囲気に気付き、めあは茶化したりはせずに、ただ黙って頷く。
(……本当に、言っていいのだろうか。少なくとも、こんな楽しい場所で言わなくてもいいんじゃないか?)
だが直前になって、志摩の頭に弱気な考えが浮かぶ。
(いや、違うか。俺はずっと、この気兼ねない空気に、めあと過ごす時間の楽しさに、甘え続けてきたんだ。――彼女の気持ちに、気付かないふりをして。けど、その結果はどうだ? 今だってあの幸せそうな笑みの下に、葛藤を隠してるかもしれない。――だから、今言わなければならないんだ。時間が空く程、なんだかんだ理由を付けて言いたくなくなってしまうだろうから)
志摩はずっと固まり切らなかった決心を、ここに来て遂に固める。言葉を紡ぐことを拒む喉を無理やり動かして、声を捻りだす。
「めあ、聞いて欲しい。俺はあの合コンの日、理想の『彼女』――『あの日々』の久川歩美のモデルである相手に再会した」
これを言うだけで、恐らくめあは全てを理解するだろう。作家としてのめあの能力を信用していたからこそ、それ以上の出来事を畳みかけはせず、会ったという事実だけを短く告げた。
しかし、めあは志摩の予想に反して驚き声を上げることも、ショックで涙を浮かべることもなく、ただ小さくため息を吐いた。
「はぁ……そっか、じゃあやっぱり、あの子がそうだったんだ」
「会ったのか? 何で――」
「ううん。ただちょっとすれ違っただけ。……その時は、顔も見れなかったけど、それでも何となく、こうなるんじゃないかって気はしてた」
「そうか……」
志摩自身未だに信じられないような話を、まさか気取られているとは思わなかった。
これもめあの想いが成せる技なのだろう。
「それで、その人と何があったの? こうして僕がご飯を奢られて逃げられない時を狙って話して来るくらいだし、ただ再会しただけってわけじゃないんでしょ?」
「……まあな」
恋する乙女は本当に鋭い。志摩がどう切り出したものかと頭を悩ませていたことを、いとも簡単に言い当ててしまう。
「再会して、話してみたら、久森が俺のことを覚えていたって分かってな。俺の方が、苗字が変わったのを忘れていて、それで見た目も変わってたから気付かなかっただけだったんだ。ずっと存在すら覚えられてなかったって気にしてたのは、ただの、俺の勘違い。それで俺は……俺の努力は、想いは、人生は、無駄じゃなかったって証明されたんだ。しかも、久森が、俺のこと凄いって、かっこよくなったって、認めてくれた。それだけでも救われた気持ちになったのに、それだけじゃなくて……彼女から、デートに誘われたんだ。今度の花火大会、一緒に行こうって、そう言われたんだよ」
それが志摩にとってどれだけ奇跡的なことか、事情を知るめあなら分かると思ったから。そんな事を言うつもりじゃなかったのに、つい言いすぎてしまった。
――それがめあにとってどれだけ残酷なことか、志摩は知っているはずなのに。
「今日、ハセシマの様子もどこか違うと思ってたけど、それはトラウマを抜け出せたからだったんだね。そっか、理想の女の子と再会できたんだ。良かったじゃんハセシマ、おめでとう!」
どこまでも明るく紡がれる祝いの言葉は、痛々しすぎて耳を塞ぎたくなった。けど、それは許されない。ここで目を背けたんじゃ、意味がない。
そして直後、めあは一瞬にして冷徹な雰囲気を纏うと、抑揚のない声で
「――それで? ハセシマはそれを僕に伝えてどうしたいの? ああ、僕のことが邪魔になった? それとも……いかないでって止めて欲しい? 僕にもっと縋って欲しいの? ――そうやって、承認欲求を満たせれば満足?」
「ち、違うっ! 俺は、そんなつもりじゃ――」
志摩が慌てて否定しようとするが、その時にはもう、遅かった。
「……そんなの、さ。会って欲しくないに、決まってるじゃん……!」
そのダムは金魚すくいのポイみたいな薄い膜一枚でせき止められていて、圧力さえかかればすぐに決壊してしまう。そして一度決壊してしまえばもう、元には戻らない。
「……僕はハセシマがその人とどんな話をしたかなんて知らない。けど、その人が関わることでハセシマが今以上に傷付くかもしれない。そんなの、見たくないよ……」
気付けば、めあの両目からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていた。それはたった一つ、何よりも恐れている事が起こりそうになって流れた、めあの本能の叫び。
「ううん、違う。確かにハセシマが傷付くのは見たくないけど、本心はもっと単純。ただ僕が、会いに行って欲しくないんだ。ハセシマが、他の人の物になっちゃうって想像すると、嫌で嫌で仕方ないんだ。だからお願い。行かないでよ、ハセシマ……」
そのまま、めあは完全に泣き崩れてしまった。
十分以上泣き続けて、心配した店員が声を掛けると、「大丈夫です」と言って立ち上がる。
志摩もそれに合わせて席を立ち、めあに声を掛けた店員にそっとカードを渡すと、店員は何も聞かず手早く処理を終えて戻って来る。その間、めあは勝手に帰ろうとはしなかった。
だが一歩店を出るとその場で、
「ごめん。今日はもう、一人にして欲しい。……ご馳走様。お肉美味しかったよ」
そう言い残し、めあは一人、ネオンの輝きと浮ついた喧騒に包まれた夜の街へと消えていった。
その場に残された志摩は一人呆然と空を仰ぐ。
東京の中心であるこの場所は昼間のように明るくて、晴れているのに夜空には星一つ見えない。むしろ、ちょうど視線を上げたところにあったキャバクラの看板ばかりが目に付く。
「本当に、俺はどうしたらいいんだろうな……」
ここの所何度も口にしているその問いは、めあと話してみて答えが出るどころかむしろ余計に難しくなってしまった。
めあのことを傷付けたくない。けど、憧れの美歩との、せっかくの再会を、念願のデートを、諦めることも出来ない。どちらを選んでも後悔しそうな選択に、志摩は往来の真ん中で数多を抱える。
「ねえ。ねえってば」
「お、俺のことか?」
ぼーっとしていたところに背後から声を掛けられて、志摩は慌てて振り返る。しかし、僅かに滲んだ涙が視界を歪めて上手く焦点が定まらない。
「そう、君だよ君。どうしたの? こんなところで立ち止まって……って、あれ? 君は――」
声を掛けてきた相手は、瞬きをして焦点を合わせている志摩の顔をまじまじと覗き込む。
「やっぱり! この前お店に来てくれた子だよね? 名前はえっと……長谷部くん!」
「茜、さん……?」
もう二週間も前、たった一度会っただけの相手だというのに、彼女の名前は驚くほど自然に口をついた。
「……なんか訳ありみたいだね。ま、お姉さんに話してみ?」
そう言って、茜は何かを察したように優しく微笑んだ。
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