第17話 呪い縛られそれでも愛す③

 悩みすぎて抜け殻みたいにぼーっとした状態の志摩は、茜に促され、半ば強引に先日のキャバクラに連れ込まれた。


「はいこれ、私の奢り。といってもただのオレンジジュースだけどね。今はお酒、飲まない方がいいだろうし」


「悪い……ていうか今更だが、営業中に迷惑じゃないのか?」 


 入店した時志摩はお金を払おうとしたのだが、


「私が勝手に連れて来たんだし、お金なんて出さなくていいよ」


 と茜に止められてしまったのだ。


「まあ、平日でお客さんもそんなにいないからね。大丈夫。それに、ほんとにお金払おうとしたらこの部屋取るだけで五万円は下らないよ?」


「な――」


 想像だにしない金額を提示されて、志摩絶句する。

 志摩が通されたのはこの前のようなホールではなく、やたらふかふかのソファーが置いてある鏡張りの個室だ。ぼんやりしていた上、そもそもキャバクラの造形に浅い志摩は、ここが上客用のやばい部屋だということに気付かなかったのだ。


「あはははっ、驚きすぎだって。ま、そういうわけだからお金についてはあんまり気にしない方がいいよ?」


「そうだな……それじゃ、お言葉に甘えるとしよう」


 宣言通りオレンジジュースに口を付けると落ち着いたようで、志摩は深いため息を吐く。


「それで、一体何があったの? ……あの銀髪の子は、彼女?」


「……見てたのか」 


「遠目にだけどね。まさか男の方が長谷部くんだとは思わなかったけど」


 確かに今日の志摩は起きてからずっと覚悟を決められず、かといってじっとしているのもあれだったので無駄に身だしなみを整えるのに時間を使っている。ぱっと見では前回の寝ぐせだらけのジーパン男と同一人物だと分からないのも無理はない。


「あいつは彼女……じゃない。けど、ただの友達っていうのも少し違う。何というか……凄く、言い表し辛い関係だ」


「そういうのは、友達以上恋人未満って言うんだよ。なーに? あの子と喧嘩でもした?」


 茶化すような茜の問いに、志摩は黙った首を横に振る。


「違う、そうじゃないんだ。喧嘩なんかじゃない。ただ……俺が不甲斐ないだけなんだ」


 襲い来る激しい自己嫌悪に飲み込まれ、暗く俯き、ガタガタと体を震わせる。


(このままこの暗闇に身を任せて消えて行ってしまえるなら、それもいいかもしれない)

 答えを出さなければいけない。そのプレッシャーから逃れられるならいっそ――

 そんな風に、志摩が自暴自棄になりかけたその時だった。


 ――ふわりと、温かな柔らかさが志摩の背を包み込んだ。


「茜、さん……?」


「それだけ深く相手のことを想い、悩んでる君が、不甲斐ないなんてことはないよ。きっと、本当に不甲斐ない人は考える事すら出来ないから」


「そんな……けど俺は、俺は……っ」


 後ろから優しく抱きしめられて、優しい言葉を囁かれて、ずっと抑えていた熱い涙が、ぽろぽろと頬を流れ落ちる。

 静かに泣きじゃくる志摩を、茜はそのまま何も言わずに抱きしめ続けた。



***



 しばらくして泣き止むと、志摩は何があったのかをぽつぽつと話し始めた。

 過去にめあと一線を超えそうになった所を拒んで、彼女を傷付けてしまったこと。その後、気にしてないかのように振る舞っていためあに甘え過ぎてしまったこと。そんな中で美歩と再会して、デートに誘われたこと。それから今日、それをめあに話したこと。

 呪縛のことも含め、包み隠さず、全てを吐き出した。

 それはかなり長い話で、話し終える頃にはオレンジジュースは中の氷が溶け切り、グラスに付いた水滴すら蒸発して消え、気持ち悪いくらいぬるくなっていた。けれど涙を流し、ずっと話続けていた志摩の喉はカラカラで、ぬるいのもお構いなしにそれを一気に飲み干した。


「……俺には、自分の気持ちが分からない。本当はどっちが好きなのかが、分からないんだ。だから、どっちにもはっきり返事が出来ず、なにもかも全部、曖昧なままにしてしまっている」


 合コンの日から三日。志摩はまだ、美歩から誘われたデートの誘いに返事をしていない。仕事の予定を確認する、と保留にしている。少なくとも今日、めあと話をするまでは返事をすることが出来なかったからだ。

 逆行するいくつもの感情が複雑に渦巻いて、志摩自身、自分の本心がどこにあるのかが分からない。だから、決断出来ずに思考の牢獄から抜け出せずにいるのだ。


「これはあくまで私の意見だから、参考程度に聞いて欲しいんだけど……傷付くことを恐れて、逃げ続けて。その連鎖はさ、立ち向かうことでしか断ち切れないよ。多分君の本心は、その恐怖。――どこまでも積み重なった幻想は、相手の正しい姿を眩ませる。君は、その幻想が壊れるのを恐れてる。だから、あれこれ理由を付けて向き合わなくてもいいように逃げてるの。……だから私は、行くべきだと思うな、デート。――君が、前に進むために」


 参考程度なんて言うが、それは紛れもなく志摩の本心を言い当て、そして答えへ導く言葉だった。ただ、どうしても志摩には納得いかない点が一つあった。


「恐怖……そうだな、俺は怖いんだ。久森と向かい合うのが。……けど、めあへの気持ちは理由付けのための逃げなんかじゃない。俺は本心で、俺を支えてくれた彼女を傷付けたくないと思ってる」


「そうだとしても、君はまず過去と向き合わなくちゃならない。向き合って乗り越えなくちゃならない。そうしないと、例えここでその子を選んだとしても、呪縛に囚われたままの君じゃ、よりその子を傷付けるだけだよ」


「それは……」


 それ以上志摩は何も言い返すことが出来なかった。茜の言うことはどうしようもないくらいに正しい。結局最初に言われた通り、ここでめあを選ぶことは美歩からの逃げでしかない。今のままの志摩がめあを選んだとて、結局前に進むことは出来ないのだから。


「分かった……もう逃げるのは止めだ。……ここで決着をつけよう。過去を乗り越え、未来と向き合うために」


 ともすれば心が壊れてしまいそうな程の迷いを乗り越え、志摩は気持ちを固める。そうできたのは確実に、目の前の不思議な女性のおかげだ。


「ありがとう茜さん。たった一度会っただけの俺に、ここまでしてくれて。恩に着る」


 悩みから解放されたわけじゃない。けど、覚悟を決めたことで数日ぶりに晴れやかな気分になれた志摩は、ソファーから立ち上がり、深く頭を下げる。


「……言ったじゃん? 次に君がこの街で困ってたら助けるって。私はその約束を果たしただけだよ。ま、感謝してるんだった今度はお客さんとしてお店に来てよ。ハセシマ先生♪」


 そう言って、出会った時みたいにニカっと気持ちのいい笑みを浮かべる茜の本心がどこにあるのかは、志摩には分からない。


「ああ、必ず来る。そん時は店で一番高い酒で、祝杯を挙げよう」


 けれど、向き合わなければ何も変わらない。そんな何よりも大切なことに気付かせてくれた彼女には、ただただ感謝しかない。だから志摩は、そう言って茜を真似して、思い切り歯を見せて笑った。

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