第27話 ヒロインの意味③

「ああ。小説だ。それも、作家ハセシマ待望の新作小説だよ」


 志摩はおどけたように皮肉を言って笑うが、その目は真剣そのものだ。

 それを見てめあも、志摩がここに来た理由の全てがその小説の中に詰まっているのだと理解した。


「読んで、いい……?」

 さっきの押し入れの中を見ても分かる通り、めあはかなりの作家ハセシマファンだ。その未発表の新作が目の前にある。その事実に、いけないと分かっていても声が弾むのを止められない。


「ああ。因みにその小説はめあが初めての読者だ。……だから、是非読んで感想を聞かせてくれると嬉しい」


「誰も読んだことがない、ハセシマの小説……これだけは、例え君を許さないとしても、読まないわけにはいかないね」


 ごくりと生唾を飲み込み、めあは神妙な面持ちで恐る恐るページをめくる。

 真っ白な表紙をめくって現れたタイトルは――『過去と未来と彼女と君と』。

 タイトルを見て、めあは何か言いたげに口を開いたが――やめた。何も聞く必要はない。読めば、全部分かるからだ。だからそのまま無言で本文を読み進めた。

 物語は『あの日々をもう一度』の世界を舞台に描かれた、しかし『あの日々』とは全く異なる設定の青春SFだった。自分に自信がなく過去のトラウマに囚われた主人公。そんな主人公のことが好きで、誰よりも近くにいるのに結ばれないことに苦悩するヒロイン。そんな二人の関係は、主人公にトラウマを植え付けたかつての恋人の出現でよりこじれていき、二人の道は決定的なまでに別れてしまう。


 ――それはまさに、志摩とめあ、これまでの二人の足跡をなぞるストーリー。


 そのことにめあは、序盤を読み終えたところですぐに気付いた。


「ハセシマ……これ、ヒロインが――」


「いいから、とりあえず全部読め。お前が聞きたいことは全部そこに書いてある」


 今すぐに答えを告げるのは簡単なことだ。けれど、面と向かって言葉にすると、どうしても拙くなってしまう。軽く聞こえてしまう。それが嫌だから、志摩は己の言葉ではなく、己の文章に全てを託したのだ。――天才と称されるその文章力を、余すところなく使って。

 二人の関係をなぞらえた物語は、徐々に現実から離れていく。一度はこじれて別れた二人の道。けれど別れたと思っていたその道は、不思議とお互いの所に繋がっていた。そうして偶然に再会した二人は、未来へ進むために相手のことを深く考えるようになる。これまでは築いてきた関係性が、複雑に絡み合う感情が、ずっと正常な関係を阻害していた。けれど、一度離れたことで二人は気が付いたのだ。――互いがどれだけ大切な存在なのかということに。

 そうして物語の最後で二人は結ばれる。尤も、それは全てを割り切れたというわけではない。長い間の遺恨やしがらみは、どうしても処理するのに時間がかかる。だから、関係性はそのままで。心の距離だけを、ちょっとだけ近付けて。二人がこれから紡いでいく物語への希望を末尾に記して、物語は幕を閉じる。


 ――長い時間をかけて、めあはその全てを読み終えた。


「……ずるいよこんなの。こんなの、ただの僕たちの日記でしかないじゃないか。……それなのに、なんでこんなに面白いんだよ。なんで僕は、痛いくらい胸が締め付けられて切なくなるんだよ……」


 めあは苦しさを抑えて胸に手を押し当てる。嗚咽が漏れて、真珠みたいな大粒の涙がボロボロと地面にこぼれ落ちる。

元々無理をして気丈に振る舞っていただけだったから、一度溢れ出した感情を抑え込むのはもう、不可能だった。


「僕だって、本当はハセシマと会えなくて寂しかった……! ずっとずっと、この物語みたいな日常を過ごしていたかった! けど、それは叶わないから。それならせめて君を忘れようって頑張ったのに……こんなことされたらもう、どうやったって忘れられないじゃないか!」


 鼻声になって、もう嬉しいんだか悲しいんだから分からないままにめあは内心を吐露する。そして、


「――ありがとうハセシマ。僕を君のヒロインにしてくれて」


 ぽふっと志摩の胸を柔らかい衝撃が襲い、志摩の半身が座椅子に倒れ込む。めあの両腕が強く志摩の背中を抱き締める。

 めあは甘えるようにぐりぐりと涙に濡れる顔を押し付けてきて、その度にさらさらの銀髪から甘い匂いがする。


(……もう二度と、この温かさを手放すものか)


 そんなめあの頭を、志摩は両腕で優しく包み込んだ。


「んっ……」


 すると一瞬驚いたように喉がなり、慣れていないからかその小さく華奢な体がぴくりと跳ねる。けれどもすぐに受け入れたようで、その後は気持ちよさそうに志摩に身を委ねた。 


 ――この時、志摩は初めてめあを抱き締め返すことが出来たのだった。


「ねぇ、僕はこれからどうしたらいいかな? 君の思い描く物語の中で、僕はどうしてるの?」


 頭を撫でられたまま視線を上にして、上目遣いにめあが尋ねる。


「そんなもん知らん。小説はあくまで俺の理想を詰め込んだものだ。……隣にめあ、お前がいれば、きっと自然と、答えは物語とは違うものになるはずだ。なんせ、紡ぎ手が二人になるわけだからな」


「そっか……」


 隣にいることを当たり前のように言われて、めあは嬉しさのあまりだらしなく顔を歪める。


「それじゃ――僕とずっと隣にいてね、ハセシマ」


 そう言ってはにかむめあがどうしようもなく愛おしくて、志摩は彼女の体を思い切り抱きしめ……そして、自分の物とした。


 襖の奥から夕暮れの光が漏れ出して、部屋の中をオレンジ色に染め上げる。 

 

 抱き合った影が混ざり合い、光の中へ溶けて行く。そして二人もまた、煌々としたオレンジの中で一つになっていく――














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十年来の片想い相手に振られたから、ラノベ作家になって作品の中で彼女と過ごすことにしました くろの @kurono__

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