第26話 ヒロインの意味②
新宿駅から小田急線に乗り、快速で揺られること四十分。
その日、志摩は東京都町田市を訪れていた。
神奈川との県境に位置するこの街は、栄えてはいるが、その割に様々な文化が入り乱れていて、雑多な印象を受ける。
そして奇しくもこの街は、志摩の実家の近くでもあった。
「まさかめあがこんなところから通ってるなんてな……」
町田駅から志摩の住む中野に来るには電車で一時間半以上かかる。てっきりもっと近くに住んでいると思っていたので、志摩はこれまでめあに負担をかけていたことに罪悪感を覚えた。
遊歩道下のバス停からオレンジ色のバスに乗り、揺られること二十分。
坂道の途中のやたらと庭の広い家の表札に、『夜明』の文字を見つけ、志摩は立ち止まる。
「――よしっ!」
そして気合を入れるべく自分の両頬を思い切り叩き、その勢いのままインターホンを押す。
ピンポーン……
自宅と同じチャイムの音なのに、門構えが違うだけで全く別物に聞こえるから不思議だ。
『……はい、どちら様でしょうか』
しばらくして、インターホン越しに聞き覚えのある声が聞こえてきた。家の見た目通りインターホンもかなり古いもので、カメラは付いていなかった。
久々に聞くめあの声に、初めて聞く丁寧な言葉遣いに、胸中で色んな感情が入り乱れるのを感じる。
「……めあ、俺だ」
追い返されるか、はたまた無視されるか。何を言われても受け切る覚悟で、志摩は短くそう告げる。
『……はぁ。バレちゃったか。……今行くから、ちょっと待ってて』
ぷつり、と音を立ててインターホンが切れる。
それから五分ほどして、庭奥の平屋の、横開きの玄関が開き、銀髪の少女が顔を出した。
「やあ。久しぶり、ハセシマ」
一月振りに見るめあは、以前と変わらぬ気丈な笑顔を志摩に向けた。
しかし、その顔は笑顔ひとつでは誤魔化しきれないくらい疲れ切っている。
(これは、雪見編集が強行策を取るわけだ……)
れいは仕事がどうとか言っていたが、あれらは殆ど建前。単純に、こんな状態のめあを放っておけなかったのだろう。
「とりあえず上がってよ。話、あるんでしょ?」
「ああ」
めあに促され、志摩は家の中へと入る。
「お、お邪魔します……」
外見通り、中も古風で、玄関にはやたらとでっかい木のオブジェやら、屏風やら、見たことないようなものがたくさん飾ってある。まるで高級旅館の入り口みたいだ。
「僕の部屋、こっちだから」
長い廊下をめあに付いて進む。大きく響く二人の足音は、この家に他の住人がいないことを表していた。
「親御さんとか、いないのか?」
「両親は僕が小さい時に亡くなって、僕はおじいちゃんに引き取られたんだ」
「──っ、それは悪いことを聞いた」
「いいよ別に。両親のことはあんまり覚えてないし。あ、因みにそのおじいちゃんは
自治会の旅行に行ってるだけで今も元気だよ」
気を遣って謝る志摩に、めあは慣れた対応を返す。きっと今まで何度も聞かれてい
るのだろう。
(……改めて思うが、俺は何にも知らなかったんだな)
ずっと接して来たのは作家の夜夢めあとしてだったから、志摩はそれ以外の、普通の女の子としてのめあをほとんど知らない。彼女が生まれ育った家に来て、そのことを酷く痛感させられる。
「ここだよ。まあ、適当に座って」
めあの部屋は、普段の彼女からは想像も出来ないくらい落ち着いていた。というか
広さの割に随分と物が少ない。部屋の真ん中に鎮座するちゃぶ台と座椅子を除けば、あるのは仕事道具のパソコンとプリンター、それから本棚くらいだ。しかし、その本棚にしたってライトノベルも、漫画も一冊もない。唯一志摩が見たことがあるものといえば、壁に掛けられた黒袖の白いワンピースくらいだった。
「……意外だな」
もっとオタクっぽい部屋を想像していた志摩は、つい心の声を溢してしまった。
「おじいちゃんが厳しい人だからね。そういうのは……ほら。こっちに全部置いてるんだ」
そう言ってめあが押し入れの一つを開けると、中には志摩が最初に想像したラノベやら漫画やら、アニメのDVDやらが綺麗に収納してあった。
……中でも、目を引いたのが、
「『あの日々』……」
綺麗に整頓されたそれらの中で、一箇所だけ。まるで小さなオタク部屋みたいに、店舗特典のグッズや、志摩が余っていたからあげた非売品のポスターなんかが所狭しと並べられていた。その中心には、もちろん小説の『あの日々をもう一度』が鎮座している。
「うっ……そりゃ、僕は作家ハセシマの大ファンだからね。これくらいするよ」
あまり見られたくはなかったのだろう。めあは一瞬声にもならない音を上げるがすぐに誤魔化しきれないと思ったのか、開き直って自慢し始める。
「いや、自作をそこまで愛してくれるのは素直に嬉しい。ただ、別に店舗特典とか貰おうと思えば複数貰えるし、言ってくれれば用意したんだが……」
「だ、ダメだよそんなのは! 自分の手で一個ずつ集めるからいいんだよ、こういう
のは!」
どうやらそこはめあにとって譲れないポイントらしく、今日初めて、普段通りに騒がしいめあを見れて、志摩は少しだけ緊張が解けるのを感じた。
「……はぁ、ダメだねやっぱり。ハセシマと話してるとどうしようもなく楽しくて、怒ってることなんて忘れちゃう。……それが嫌だから距離を取ったっていうのに」
めあの方は、そんな自分を戒めるように深い深いため息をつく。
「どうせ、れいがこの場所を喋っちゃったんだよね? あの子、意外とルールとか軽視する部分あるし、一応言わないように言っておいたんだけどな……それで? れいを説得して、こんなところまで来て、一体ハセシマはどうしたいの?」
必死に口調を取り繕って、めあが努めて冷静さを維持しようとしているのが伝わってくる。
普段なら微笑ましさから苦笑の一つでも溢すのだろうが、今は、そんな彼女を笑うことは出来なかった。
──これこそが、めあが連絡を断った原因だと、志摩には分かったから。
だから、志摩に出来るのは一つだけ。ありのままの思いを、彼女に届くように、精一杯伝えることだけだ。
「……どうしても話しておきたいことがあってな。……先月の花火大会、宣言通り久森と──『理想の彼女』と行って来たんだ。屋台で遊んで、花火を見て……正直、信じられないくらいドキドキした。俺が欲しかったものはこれなんだって、心底そう思った。
……けど、彼女と付き合うのは、止めにしたんだ。お互いが、追いかけているのが今の相手じゃなくて、相手に抱いた幻想だと気付いたから。その先にあるのが破滅だと理解したから」
志摩は真摯に向き合い、思いの丈を精一杯、作家に思えないほど不格好な言葉で紡ぐ。
「例えその子と付き合わなかったからといって、ハセシマが僕を選ばなかった事実は変わらない。……僕はちゃんと、行かないでって、そうお願いしたんだよ?」
しかしこの場合、痛々しいまでにめあの方が正論だ。めあはあの時、自分か、美歩かをこの場で選べと、言外にそう言ったのだ。だから自分を選ばなかった結果志摩がどうなろうと、理解を示す必要はない。示せない。
「気持ちは分かる。それについては弁明の言葉もない。……だが、最後まで聞いて欲しい。だってな、その決断が出来たのはめあ、お前のおかげなんだ。幻想に浸ったまま、何もかもを投げ出してしまいそうになった時、頭の中でお前の声がした。泣きながら俺を引き止める、あの時の声が。そのおかげで俺は、ギリギリのところで踏み止まることが出来た。それどころか前に進むことが出来た。だから、俺はずっと、そのことのお礼が言いたくて──」
「君が過去を乗り越えられたとか、それが僕のおかげだとか、本当にそんなことを言いに来たの? あのねハセシマ、僕はもう決めたんだよ。――僕を選ばなかった君を、絶対に許さないって。連絡を取らなかったのは、その覚悟の表明のつもりだったんだけど……君ほどの作家が、その程度の想像力も働かなかった?」
もうたくさん。もう聞きたくない。……早く、一人にして欲しい。彼女が慣れない強気な言葉を使うその裏には、悲痛な心の叫びが隠れていた。
「いや、気付いてたさ。だからここに来た一番の目的は今の話じゃない。──これだ」
そう言って志摩は、鞄からクリップでまとめられた計二百枚を超える紙束を取り出し、静かにめあに差し出した。
「これ、まさか──」
それが何なのか、めあはすぐに気が付いた。何故なら随分昔、志摩に嫉妬心を抱いていた頃のめあが、カフェで見せつけられた圧倒的才能と、同じものだから。
「ああ。小説だ。それも、作家ハセシマ待望の新作小説だよ」
全てを詰め込んだ志摩の覚悟が、そこにはあった。
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