第14話 片想いの日々

 ――初めて出会ったのは、夕暮れ時の教室だった。


 家の事情で新学期に間に合わなかった志摩が、職員室で担任に挨拶した後、教室だけでも見ておこうと立ち寄ると、そこに『彼女』が、久森美歩がいた。

 差し込む夕陽でそれが誰かなんて分からないはずなのに、ガラガラと音のうるさい横開きのドアを開けたその瞬間、頭からつま先まで雷に打たれたような衝撃が駆け抜けたのを、志摩は今でも鮮明に覚えている。

 けれどきっと志摩はその瞬間、存在ごと美歩に一目惚れしてしまったのだろう。尤もその時の志摩は恋をしたことがなかったから、すぐにそうだとは気付かなかったが。


 ――それが、これから一生続く呪縛の始まりだった。


 その日から志摩は、無意識に視線で美歩を追うようになっていった。

 窓際から一列隣の一番後ろの席だった志摩は、斜め左前、窓際の後ろから二番目の席の美歩のことを、授業中であることもお構いなしに、景色を眺めるふりをしてずっと見つめていた。

 美歩を見つめている時だけ、彼女の意識が志摩の方を向いた時だけ感じる、ビリビリと痺れる絶頂の快感に似た高揚感。他の誰相手にも感じることのないその感覚の正体が恋であると気付くのに、そう時間はかからなかった。

 気付いてからは、生活の全てが美歩を中心に回っているような錯覚すら覚えるほど、志摩は美歩に夢中になった。

 話したい、仲良くなりたい――付き合いたい。日に日に志摩の抱く欲望は膨れ上がって行った。

 けれど、顔も運動も平凡レベル。秀でていることといえばせいぜいちょっと勉強が出来るだけの志摩は、中学ではあまりモテる方ではなかった。


 一方の美歩は圧倒的ルックスに、やや軽薄ではあるものの明るい性格も相まって、他校の男子や高校生にまで告白されるくらい、端的に言ってめちゃくちゃモテた。

 そんな彼女と自分では釣り合わないと理解していた志摩は、勉強を教えたり、練習場所が近い部活に入ったりして何とか築き上げた、会えば話すくらいの関係を壊したくなくて、告白は愚か、友人にも一切話さないほどに徹底して、美歩への好意を隠した。


 その臆病さは結局中学の間ずっと取り去ることが出来ず、美歩と志摩は何事もなく卒業式を迎えた。

 志摩は美歩と同じ高校に行きたがったが、親がそれを許さなかった。だから、二人はここで完全に離れることが決まっていた。

 だが、このまま何も伝えずに終わるのだけはどうしても許せなかった。だから志摩は、最後に勇気を振り絞って、美歩の下駄箱に手紙を入れた。

 匿名で書いた人生で初めてのラブレター。内容は思い返すのも嫌になるような歯に浮くようなセリフも混じっているが、生来の文才のおかげで、中学生が書いたにしては上手く書けていた。


 ――そして、手紙を書くと同時に、志摩は覚悟を決めた。


 美歩と釣り合うくらいの凄い奴になって、五年後。成人式で再会したその時には、絶対に想いを伝えよう、と。

 それから志摩は、死ぬ気で努力を重ねた。その甲斐あって日本トップクラスの有名大学に現役合格し、更に資格を取ったり、投資の勉強をしたり、ファッションの勉強をしたり……その他考えつく限りのあらゆる手段で必死に自分を磨いた。

 だが、そうして迎えた運命の成人式。


 ――結果は完膚なきまでに惨敗。


 志摩は美歩から相手にされることもなかった。

 中学一年生の時から八年間。想いの全てを捧げて努力を重ねて来た美歩に存在すら覚えられていなかった。

 その事実は志摩の心をズタズタに引き裂き、破壊した。


 ずっと、志摩が普通の学生じゃパンクしそうなくらい凄い量の努力をし続けられたのは、いや、もはや長谷部志摩という人間がまともに生きてこれたのは、美歩との再会という目標があったからだ。ちょうど東大を目指して幼少期から勉強してきた人間が、東大に入るという目標を達成した途端に壊れてしまうのと同じで、美歩に認められ、彼女を手に入れるという目標を完全に失ってしまった志摩は、人として壊れてしまった。


 何日も、何十日も、志摩は一人暮らしの中野の家で、廃人のような生活を続けた。

幸い成人式までの努力のおかげで貯金はサラリーマンの平均年収くらいあったので、生活には困らなかったが、せっかく入った大学は単位不足で留年してしまった。


 けれど、そんなことどうでもよかった。大学の友人が心配して訪ねてきてくれたりもしたが、全部無視した。

 そのうち見かねた母親が実家に連れ戻そうとやって来たが、美歩と過ごした思い出が残る地元に帰るのは嫌だった。母親は仕方なく大学の休学手続きだけして、後は月に一度様子を見に来るだけで、帰って来いとは言わなかった。


 積み上げて来たもの全てを失い、植物人間のようにただ『生きる』という行為を繰り返すだけの日々。 

 そんな何もしない生活の中、唯一志摩が時間を費やしたのが、過去の記憶に縋ることだった。

 過去、美歩と一緒に過ごせた唯一の時間である中学の時の思い出。その中に、ひたすら浸り続けた。但しそのまま思い出すのではなく、自分に都合のいいように脚色を加えて。


 ――そう、志摩は妄想の世界に逃げ込んだのだ。


 ずっと何もせず、妄想に浸り続けた志摩は、遂には妄想と現実の区別もつかなくなっていった。

 妄想の世界でだけ、美歩と共に生きることが出来る。それだけで、志摩には十分だった。

 そんな生活を続けて、二か月が過ぎた頃。

 その日、いい加減に世の中の流れくらい追いなさい、と母親が世話をしたついでにテレビを付けて帰って行った。

 妄想の世界に逃げ込む以外何もすることがなかった志摩は、何となくそのままぼーっとテレビを眺めた。すると、


『――君も自らが望む世界を、その手で創り出してみないか?』


 画面から聞こえて来たその言葉は、空っぽだった志摩の心にストンと綺麗に収まった。

 注意を向けてみてみると、それは富山文庫というライトノベル編集部の新人賞のCMだった。


「……そうか。どんなに努力しても手に入らないのなら、自らの手で創り出してしまえばいいのか」


 それから志摩は何かに憑りつかれたかのように一心不乱に小説を書き綴った。

 元々時間は有り余っていたし、回数を重ねた妄想はもはや登場人物が意思を持った別世界と化していた。後は、それを文字に起こすだけでよかった。 

 そして、半年後。

運命か、はたまた必然か。志摩の書いた小説『あの日々をもう一度』は富山文庫の新人賞で大賞を受賞した。



 ――その日、ライトノベル作家『ハセシマ』は誕生したのだ。

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