第3話 恋をさせるって言ってもこれは違うだろ①

「なぜ、ここなんだ……」


 目の前の光景に圧倒され、志摩は酷く疲れた声を漏らす。

 王族か貴族の住まいかと見紛う程にきらびやかな装飾。派手なドレスを着てやたらとボリュームのある髪をした女の子たち。むわっと鼻をつく香水と酒の混じった匂い。体を震わすEDM。

 全てが志摩の知る現実とはかけ離れた大人の夢の国――キャバクラ。 


「おい美濃部。新しい恋だとかってのはこういうことではないのではないか……?」


 キャバクラで出来るのは恋愛は恋愛でも、お金で買うことが出来る疑似恋愛。志摩の『彼女』への執着を払拭出来るのはこういう物ではないはずだ。


「しかもやたら高そうだし。俺まだ初稿の印税入ってないから金ないぞ?」


「――大丈夫だ、問題ない」


「誰がネタやれっつったよ。ふざけるなら帰るぞ」


 きりっとしたキメ顔を作り有名なアクションゲームのセリフを口にする美濃部に、志摩は踵を返して本気で帰ろうとする。


「いや本当に問題ないんだ。作家の接待ってことにすれば飲み代はある程度経費で落ちるからな。金なら気にせず思い切り羽目を外してくれ」


「まさかとは思うが、お前が遊びたいから来ただけじゃないだろうな……? 正直、俺はこういう店は得意じゃ――」


「まあまあ、もうここまで来ちゃったんだしさ。作家は何事も経験だぜ?」


「ぐっ……」


 美濃部は渋る志摩の背中をぐいぐい押して、店奥へ進んで行く。

 既に予約してあったようで、怪しげな寒色の間接照明が照らす受付をスムーズに突破し、ファンタジー世界の従者みたいな服を着たボーイさんに案内されて二人は席に着いた。

 座席は程よい硬さの横掛けのソファーで、その前に置かれたガラス張りの高そうなローデスクには焼酎とウィスキーのボトル、アイスバケットが用意されている。


「なあ、やっぱり俺には無理だって――」


 店内のあちこちから聞こえて来る酒で気分が良くなり大仰に話す男の声と、媚びるような女の猫なで声。その独特の雰囲気に充てられて、志摩が再び弱気になったその時だった。


「「こんばんはー!」」


 ちょうど、二人の華美に着飾った女性が二人の席の前で膝を折り、座る志摩の目線に合わせて挨拶してくる。どちらも二十代前半くらいの若い女性だ。彼女たちが自分の接客をしに来たということは、こういう店の経験がない志摩でも理解できた。


「――っ」


 半分立ち上がりかけていた志摩の様子を気にすることなく、にこにこと笑顔を張り付けた二人のキャストが志摩の隣に座る。恐らく作り笑いなのだろうが、店内の薄暗さと彼女らが身に纏う妖艶な雰囲気がそれを感じさせない。流石接客のプロといったところだ。

 女性に隣を塞がれ座席から出れなくなった志摩は、帰るわけにもいかず大人しく席に座り直す。


「初めまして、響(ひびき)っていいます。よろしくお願いしますね~」


 隣に座って来た紫のドレスの女性から、キラキラ通り越してギラギラしたシャンパンピンクの名刺を渡される。


「あ、ど、どうも……」


 当然というか、成人一年目の志摩はキャバクラなんかに来たことはない。ただでさえ女性と話すこと自体色々闇を抱えているせいで得意じゃないのに、こんなリア充の極致みたいな見た目の女性たちとまともに話せる気が全くしなかった。


「お二人はどういうご関係なんですか~?」


「え、えっと……」


「私は出版関係の仕事を。そっちの長谷部は作家業をしています。今日はその縁でここに来たんですよ」


「え~! 長谷部さんって作家さんなんですか⁉ すご~い!」


 案の定どもってしまった志摩をフォローするように美濃部が質問に答えると、響は大袈裟なくらい驚いて見せる。

 普通はこうして職業を褒められればいい気になるのだろうが、志摩は適当に笑うだけで特に反応を返すことが出来なかった。その様子で響も志摩が緊張しているのが分かったのか、その後はうまいこと美濃部を巻き込んで話を進めていった。


「おいハセシマ、俺に話させるばかりじゃなくて少しは一人で頑張れよ。まずは女の子と話せなきゃ、新しい恋なんか見つからないぞ」


 そんな状況が十分近く続き、流石にまずいと思った美濃部が会話の切れ目を狙ってこっそり耳打ちする。


「そもそも俺は新しい恋なんか望んじゃいないんだが……」


 だが、口ではそう言いつつも、現状のままではダメだということは志摩も分かっている。志摩の中の冷静な部分が、いつまでも心地の良い夢の中にいるわけにはいかないと、ずっと叫び続けている。


(これも先に進むいい機会、か……)


 だから志摩は、何とか楽しませようと話しかけてくれる響と向き合おうとした。二、三言葉を交わして、自分から歩み寄ろうとした。――その時だった。

 突然胸の痛みと吐き気が志摩を襲い、それ以降は辛うじて相槌を返すことしか出来なくなった。


(――無理だ。やはり俺には、前に進むことなんかできやしない)


 凄惨たる結果を前に、志摩は虚ろな目で乾いた笑いを溢す。それは、不甲斐ない自分自身への嘲笑。

 ――忘れることが出来れば。乗り越えることが出来れば。

 過去に何度も、そう思って前に進もうとした。

 ……けれど、どうやっても無理だった。前に進もうとする度に彼女の幻影に苛まれ、成人式でのトラウマが蘇るのだ。全ての努力を、自身の半生を否定されたあの瞬間が。

 しかも、その歩みが決定的なものであるほどに、自分も、相手も、傷付ける結果を生む。その事実が、志摩を余計に恐怖させる。傷付くことを恐れて、一歩を踏み出すことが出来なくする。

 そう、志摩が理想の『彼女』に固執するのは決して信念などという綺麗なものが理由じゃない。

 ――これは呪縛。半生を懸けて愛することでその存在を魂に刻み付け、その末にそれを否定されたことで完成した、永遠に逃れることの出来ない呪縛だ。

 解けない呪いは志摩の心をキリキリと締め付け、決して忘れて、乗り越えて、前に進むことを許さない。

 だから、今日も同じ。一度呪縛が発動してしまえばもう、志摩にはどうすることも出来ないのだ。

 ――それからは、ただただ辛い時間が続いた。


「長谷部さんって作家さんなんですね! どんなお話書いてるんですか~?」


「いや、えっと、別に大したものじゃ……」


 入店してから一時間くらいが経った。

 その間女の子が四人ほど入れ替わり立ち代わり志摩に話しかけたが、終始こんな有様。相槌を打ち、愛想笑いを浮かべて、呪縛によってドロドロと熱く煮えたぎり、吐きそうなくらいの苦しさに襲われていることをバレないように装うので精いっぱいだった。


「いやもうほんと、作家なんて締め切りは守らないしわがままだし、俺に苦労ばっかりかけてさぁ……」


「編集さんって大変なんですね~」


 美濃部も途中までは必死にフォローしていたのだが、志摩の様子を見てどうにもならないと悟ると好みの女の子を場内指名――金を払い、女の子が入れ替わるのを止められるシステム――をした途端、すっかり志摩のことは忘れて楽しみだしてしまった。


(美濃部もすっかり出来上がってるし、いよいよ面倒だな……)


 ――帰りたい。

 次第に志摩の胸中をその思いが占めていく。

 しかし、一体どうやって帰ればいいのか、そもそも一人で帰ることは可能なのか、その辺りキャバクラの仕組みがいまいち分からないせいで帰れずにいた。女の子に聞けば済む話なのだろうが、妙に張り切って話しかけてくるので、帰りたいなどととても言える雰囲気ではないのだ。


(仕方ない。気は進まんが、時間が過ぎるのをひたすら耐えるしかないか……)


 すっかり疲れ切った様子で、志摩の口からため息がこぼれる。


(やばい。ため息は流石に失礼なんじゃ――)


 そう思って慌てて隣を見ると、そこには既に女の子の姿はなかった。代わりに――、


「あははっ! やあ少年、ため息吐く程ここはつまらない?」


 暗く淀んだ心を晴らす、冷たく透明な救いの声が、頭上から聞こえ来た。



 

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