第23話 呪い縛られそれでも愛す⑤

 二人の言葉に勇気を貰い、覚悟を固めた志摩は美歩へと向き直る。


「中学一年生の入学式の日。放課後の教室で初めて久森を見かけた瞬間、全身に雷に打たれたみたいな衝撃が走ったのを今でも覚えてる。あの時も今も、久森に抱く感情はびっくりするくらい変わってない。会う度に、話す度に、際限のない高揚感に包まれて、全身が熱くなる。もう本能としか言えないくらい、俺はどうしようもなく久森のことが好きなんだと思う。そんな久森がずっと俺のことを思い続けていてくれた。それがどんなに凄いことか。どんなに嬉しいことか。きっと久森にだって分からない。……このまま、感情に身を任せていつまでも一緒にいられたら、どれだけ幸せだろうな」


「くし、ま……?」


 志摩の異変に途中で気付いた美歩が、不安げに名前を呼ぶ。その声に乗っているのは不安だというのに、志摩の耳にはどうしようもなく甘く聞こえて、思わず言うのを躊躇いそうになる。


(……きっと、こういうのが茜さんの言う幻想なんだろう。触れ合える距離にいるのに、不安な表情は分かっているのに、無意識に現実を湾曲させてしまう。これがずっと続いたら、どれだけ恐ろしいことになるだろうか)


 偏見の極地とでもいうのだろうか。今の二人は、幾重にもかけた色眼鏡でしか相手を見れない状態なのだ。相手の感情を理解しようとせず自身の価値観で全てを歪めてしまうその眼鏡の効力は、きっとかつての黒人差別に匹敵するくらい、重く根強い。

 それがはっきりと自覚できた今、志摩はもう、躊躇なくその言葉を告げることが出来た。


「――だけど、やっぱり俺たちは付き合えないよ。さっきの久森の話を聞いて確信した。……久森も、俺の作品読んだんだろ? あれを書く前、成人式の後、久森に覚えられてなかったショックで俺はしばらく病んでいた。それこそ、人を辞めるレベルで。それで、久森がいない現実にどうしようもなく耐えられなくなって……あの小説を書いた。醜悪な、俺の欲望の最終形態みたいなあの小説を。……そのレベルの執着は、もはや運命でもなんでもない。ただの狂気だ。そんな俺たちが付き合って、互いに抱いた幻想を押し付け合ったらどうなると思う? ……俺には、その先あるのは破滅だとしか思えない。幻想を狂信したままそれが打ち砕かれたら、それこそ今度こそ本当に、俺たちは人として壊れてしまうだろう」


 志摩はそこで一度言葉を切った。切らざるを得なかった。


 ――目の前で震える美歩を、放っておけなかったから。


「……アタシは、それでもいいよ。久島と一緒にいられるなら、向かう先が破滅でも構わない。それくらい、抑えきれないくらい、久島が好きだから!」


 美歩の悲痛な叫びは、志摩の心の深い所に突き刺さる。きっと、志摩も一人だったら美歩と同じように思っていただろう。幻想でもなんでも構わない、一緒にいられれば、それでいいと。


「違うんだよ、久森。それじゃダメなんだ。幻想に囚われたままでは、紛い物のままでは意味がないんだ。だから俺たちは、互いを現実のものとして見れるようにならないといけない。それは、凄く時間がかかるのかもしれないし、もしかしたら無理かもしれない。けど、そうしないと何も変わらない。いつまでも前に進めないんだ」


 ずっとずっと、前に進みたいと思い苦しんで来た志摩だからこそ、幻想を壊せると断言はできなかった。

  けれど、その必死の思いだけは美歩にも伝わったようで、彼女もまた震えを乗り越えて、ゆっくりと口を開いた。


「……そんなことないって否定したいのに、心のどこかで久島の言うことが正しいと思ってる自分がいる。……今日、二人で花火に来れて凄く楽しかった。けどね、その裏でずっと怖さも感じていたんだ。それが何なのかは分からずにいたけど……今分かった。きっと、いつ現実との違いに気付いて、幻想の中の久島が壊れるのかに怯えていたんだね」


 ある意味では、この二人は再会するべきではなかったのかもしれない。そうであれば、長い長い年月をかけて、幻想を記憶の彼方に忘れ去ることが出来たのだ。

 実際志摩も美歩も、再会する直前、互いに一歩を踏み出しつつあったのだから。

 けど、二人は出会ってしまった。それも、互いを最も求めている時期に。そうなればもう行きつく先は古今東西の悲劇と同じ。行き過ぎた想いがもたらすのは、破滅だけ。

 だからこそ、志摩は選択した。これ以上近づいてしまえば離れられないと分かっていた。

 

 ――二人にとって、ずっと抱き続けて来た醜悪な幻想を打ち壊せるチャンスは今だけだから。


「――だからさ、一度やり直そう。あの頃みたいな、気兼ねなく話せる友人に戻って。それで……」


 続く言葉を、志摩は口に出来なかった。これまでの美歩を思って生きて来た日々が走馬灯のように脳裏をよぎり、胸にこみ上げてくる熱さに喉が焼かれた。


「――例えその結果、互いの道が分かれたとしても」


 それでも志摩は、嗚咽を漏らしながら、最後の言葉を言い切った。

 言い終えた途端、瞼から熱い雫が零れて視界が歪む。頭がガンガンという酷い痛みに苛まれて、立っているのも辛くなる。

 そして祭りの喧騒が未だ遠く聞こえる小さな公園で、二人は声も音もなく泣いていた。

 大声で泣き喚いているわけではないのに、魂を抜かれたみたいな疲労感に襲われる。それはまるで、長い間積み重ねてきた幻想を涙で洗い流しているようだった。



 ――この瞬間、二人はこの五年間で初めて、前への一歩を踏み出せたのだった。


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