第22話 幻想は空へと打ち上がる④


 花火が終わると周囲の喧騒が露わになる。

 皆めいめい感想を言い合ったり、これからどうようかと話し合いながら、駅までの長い長い道のりを行きと同じゆっくりした速度で帰って行く。

 そんな人々の流れる大通りから一本逸れた街路の中。偶然見つけた人家二軒分くらいの小さな公園のベンチに、美歩が一人、座っていた。


「……待たせたな」


「ううん。ありがと」


 しばらくして公園にやって来た志摩は、コンビニの袋からソーダの缶チューハイを取り出して美歩に渡す。

 花火は一時間以上続いたので、道中買い込んだ飲み物やらお菓子やらは流石に食べ尽くしてしまった。それを補充するため、志摩は買い出しに行っていた。


「まさかここまで埋まってるとは思わなかったからな……」


 当初二人は適当な店に入ろうとしていたのだが、居酒屋はおろかファミレスさえあらゆる場所が一時間以上待ちだったので断念した。

 むしろ時間が経つにつれて奥からわらわらと増えてくる人混みを回避できる静かな場所があっただけましなくらいだ。

 一応さっきの川辺に残るという選択肢もあったが、志摩は何となく、あそこには留まることはしたくなかった。

 

 ……必死に焼き付けた花火の美しさが、色褪せてしまうような気がしたから。

 

 その気持ちは美歩も同じだったようで、どれだけ店に入れなくても、川辺戻ろうという提案だけはなかった。


「昼間、屋台のところが空いてたのが嘘みたいだね~」


 きっと、屋台周辺が空いていたのはそれなりの人数が場所取りのために最奥から動かなかったからだろう。それが花火が終わり出て来たことで、一気に人が増えたのだ。


「じゃ、一応乾杯しようか?」


「ああ」


 二人は示し合わせて、静かに缶を触れ合わせる。


「花火、凄かったね~」


「そうだな」 


「久島のおかげでのんびり見られて楽しかったよ~」


「それは良かった」


 お酒を一口飲んで、短い会話をして。それの繰り返し。


 二人ともあまり会話を広げようとはしなかった。お互い話すべきことがあるのが分かっていたからこそ、お酒の力を借りられるのを待っていた。


 互いに一本目を空け、二本目も半分ほど口を付けた頃。

 

 話を切り出したのは美歩の方だった。


「この前の合コンにいた遥って子、覚えてる? その子から久島が作家をやってるって聞いてさ……アタシ、読んじゃったんだ。ハセシマ先生の小説。アタシ……だよね? ヒロインのモデルって」


 少し気まずそうではあったものの、美歩の声音は確信に満ちていた。

 だから志摩も、観念してそれを認めることにした。


「……ああ。勝手にモデルにして、本当にすまないと思ってる」


 一応編集部から実在する人物そのままはまずい、と言われてそこそこぼかしてはいるものの、美歩が気付いたみたいに、どうしても読むべく人が読めばバレてしまう。

 しかし、そこを殺せば作品の面白さは半減するし、何より志摩が小説を書く理由である『美歩を作品の中で表現する』ことから離れてしまうので、是正する事はしなかった。ただ、美歩に許可なんて取ってないので、恥ずかしがるよりも先に謝らなくてはならないと、ここに来るまでの間で志摩は思っていた。


「それはいいよ。確かに似てるけど、あそこに書かれたのはアタシであってアタシじゃないから。……それより、さ。この前はぐらかされちゃった答えを、聞かせて欲しいんだ」


 美歩はそこで深呼吸をして、真っ直ぐに志摩の目を見つめると、


「――もう一度聞くよ? ……もしかして、今でもまだアタシのこと好きだったり、する?」


 それは、再会した日、バーで志摩が答えられなかった問いだった。あの時は冗談半分に思っていたが、今はそれが本気で聞かれているのだと、志摩ははっきりとわかった。


「……それを答える前に、一つだけ聞かせて欲しい。……俺の小説を、『あの日々をもう一度』を読んで、久森は何とも思わなかったのか? 気持ち悪いとか、そういうことを」


 このタイミングで質問に質問を返すのが悪いとは志摩も思っている。けれど、これだけはどうしても聞いておかなければ、先へ進めなかった。


「……思わない。思うわけないよ。理由は……これで、分かってくれるかな?」


 美歩が手に下げた巾着から一通の封筒を取り出し、志摩に渡す。


「これは、あの時俺が渡した……」 


「うん。中学の卒業式で、久島がアタシにくれたラブレター。……この前は適当なこと言っちゃったけどさ、ほんとはアタシ、これを久島がくれたこと知ってたんだよね。久島がずっと、アタシのことを好きでいてくれてたこと、分かってたから」


 美歩はごめんね、と両手を合わせて苦笑する。

 屈んだ拍子に浴衣の胸元が大きく開くが、志摩は一切気にしない。今は些細な煩悩などどうでもいい。

 だって、志摩が渡したものだと分かった上で、五年間も手紙を持ち続けていたその意味は――、


「まさかそんな……久森も、俺のことをずっと……?」


 あり得ない。そんなことあるはずがない。合コンで再会した時も同じことを思ったが、今はあの時以上に強く否定したくなる。


「も、ってことは、やっぱり久島もだったんだね。……そう、アタシもずっと、久島のこと好きだったんだ。……けど、あの頃は自分から気持ちを伝える勇気はなかった。だからあの時、合コンで再会したのが久島だったって分かって、どうしようもなく嬉しかった」


 一度溢れてしまえば思いは止まらない。もはや志摩の答えを待つこともなく、美歩は心中を語り出す。


「――久森に相応しい男になって、成人式の日に迎えに行くから――手紙に書かれたその言葉を信じて、アタシはずっと待ってたんだよ? けど、成人式で再会出来ると思ったのに、久島は見つからなかった。あの時は凄い落ち込んだよ。今となっては名前が変わったくらいで気付かなかったアタシが悪いんだけどさ、それでも半年くらいは塞ぎ込んでた。この前の合コンには、それを見かねた美奈に誘われて行ったんだ。いい加減、立ち直らないといけないと思って。……まさかそこで久島に会えるなんて思ってなかったけど。ほんと、運命だと思った。……嬉しかった」


 確かに地面に立っているはずなのに、まるでふわふわと宙に浮かんでいるような、そんな浮足立った気持ちになる。

 ただ再会して、関われて、あの時の自分のことなんかあんまり覚えていなくたって、今一緒にいられるだけで志摩は幸せだった。それなのに、


(――まさかそれ以上に、久森もずっと俺と同じ気持ちだったなんて、そんな夢みたいなことあっていいのか?)


 偶然にしてはあまりに出来過ぎている。もはや、奇跡以外の何物でもない。

 嬉しすぎて泣きそうになる。目の前の幸福に今すぐ飛びつきたい。けれど、


『――どこまでも積み重なった幻想は、相手の正しい姿を眩ませる。君は、その幻想が壊れるのを恐れてる』


 頭の中で反響するのは、志摩を前へと進ませてくれた茜の声。

 それが感動に打ち震える志摩の心に冷や水を浴びせ、無理やり冷静さを保たせる。


『――だからお願い。行かないでよ、ハセシマ……』


 脳裏に過るのは自分を引き止め涙していためあの姿。

 いつも気丈に振る舞っていた彼女が見せた悲痛なまでの本音が、それが正しい道なのかと志摩に問いかける。


 ――そのおかげで志摩は、八年分の、どうしようもなく溢れて荒れ狂う、感情の濁流に抗うことが出来た。


(……ありがとう、二人とも。……もう少しだけ、俺に勇気をくれ)


 心の中で二人にお礼を言って、志摩は人生で一番辛い覚悟を決めた。


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