第24話 ヒロインの意味①
花火大会の日から一月が経った。
あの日、くたくたになるまで泣ききった志摩と美歩の二人は、最後にはすっきりとした気分で別れてることが出来た。この一月、やるなら徹底的にということで一切会わずに、偶にラインのやり取りだけをしているが、二人ともびっくりするくらいのペースで過去と向き合えている。
ただ、順調に見える裏側で、志摩はある問題を抱えていた。
――焼肉に行った日に別れて以来、めあと一切連絡が取れなくなったのだ。
始めは数日のことだろうと思って様子を見ていた。しばらくしたら、機嫌を直すだろうと思っていた。しかし、それが決定的になったのは、九月の中旬のことだ。
その日は富山文庫の新巻発売日で、新人賞受賞から半年たって、遂にめあの本が出版された。
例え険悪な仲になっていたとしても、めあが同じレーベルの同期の仲間であることに変わりはない。だから志摩は、『新巻発売おめでとう。良かったら今度改めてお祝いさせてくれ』と短いラインを送った。
だが、返って来たのは『さよなら』という脈略もない短い一文のみだった。
――そして次の日。朝起きて確認すると、めあのラインのアカウントが消えていた。
あれだけ一緒に過ごしておきながら、志摩はめあの電話番号も、本名すらも知らない。ラインが消えてしまえば連絡手段はない。
最後の頼みとして美濃部にめあの連絡先を聞いてみたのだが、「作家のプライバシーにかかわることだから堪えられない」と事務的に返されてしまった。
――これで完全に、めあへと繋がる手段は切れてしまった。
(ほんとうに、このまま喧嘩別れみたいになって、それでいいのか? めあ……)
自分がめあに対して酷いことをしていた自覚はある。だから、こんなことになっても仕方ないのかもしれないと、心のどこかで納得してしまう自分がいる。――だが、
(俺は、お前のおかげで前に進めたんだ。それを伝えないまま、引き下がれるものか)
それに、まだ志摩の気持ちも伝えていない。このまま会えなくなるのは、どうしてもやりきれない。
(何か、何かないのか。めあのために、俺に出来ること……)
しばらく悩むと、答えは自然と見つかった。
(そうだ。あるじゃないか。めあのために、俺に出来ること。俺にしか出来ないこと。なら、俺は――)
それは決して楽なことではない。出来るかもわからない。だが、志摩自身にも理解できない程強い思いが、体を突き動かしていた。
そして、決意を固めてから半月経った今日。ようやくそれが形になった。
――後は、めあを探し出すだけ。
(……一応当てはある。もし、これが上手くいかなければ奥の手を使うしかないが――)
あまり使いたくない手だが、背に腹は代えられない。とはいえ使わずに済むならそれに越したことはないので、志摩は気合を入れる意味で完璧に身支度をして、家を出る。
やって来たのは中野駅から総武線で二十分のところにある飯田橋駅。ここには富山出版があるが、今日の目的地はそこではない。
駅から程近いチェーンの喫茶店に入り、アイスコーヒーを注文して座席に座る。
そして、待つこと十五分。
「……お待たせしました」
どこか不服そうな顔で現れたのは、富山文庫の新人編集、雪見れいだ。
れいは器用に鞄を持ったままコーヒーのトレイを机に置き、椅子に腰かける。
「まさか素直に来てくれるとはな。意外だった」
「……提示された賭け金が大きかったですかね。そうじゃなきゃ、来ませんし、来れませんよ」
めあの担当編集である彼女は今、編集部によって志摩との接触が制限されている。にも拘わらずここに呼び出せたのは、志摩が個人的に連絡先を知っていたことと、それから『ある物』を使って脅しをかけたからだ。
「こんな風に私を呼び出した目的は、めあちゃんですよね? ……いいですよ? 居場所を教えてあげても」
「……一体どういうつもりだ? てっきりもっとごねられると思ったんだが」
れいの言う通り、志摩は彼女からめあの居場所を聞き出す為にここに呼びだしたわけだが、編集部に止められている情報をこんなにあっさり教えるとは、いい意味で想定外だ。
「先生が『それ』を使って呼び出した時に、何を聞いてくるかも、どうしようとしてるのかも何となく分かりましたからね。編集部はいい顔をしないでしょうが、私は先生のやり方がめあにとって一番いいと思ったので」
そう言ってアイスコーヒーを一口飲むと、れいは住所が走り書きされたメモを差し出す。
「ていうか、ぶっちゃけ私も困ってたんですよ。デビュー直後で色々仕事振ってるのに全然上がってこないし。明らかにハセシマ先生が原因なのは分かってるのに、個人情報だなんだって編集部も美濃部先輩も取り合ってくれないし」
聞かずともボロボロと不満がこぼれ出す辺り、板挟みで相当ストレスが溜まっていたのだろう。原因が自分にあるだけに、志摩は申し訳ない気持ちになる。
「……それに、私はこんなところでくだらないルールに縛られて、夜夢めあという作家を腐らせたくないんです。何せ、彼女はハセシマ先生以外では初めて私が惹かれた作家ですから」
「……全く、末恐ろしいな」
初めて会った時も感じたが、彼女の勘の鋭さは異常だ。その大きなキラキラした瞳は全てを見透かすようで、見ていると寒気すら覚える。
「それじゃ、約束だからな。こいつは持っていけ……と言いたいところなんだが」
「ああ、分かってますから大丈夫ですよ。それを渡すのは、めあちゃんに会ってきてからでいいです。その結果次第では手直しが入るかもしれませんし。私は完全版を希望します」
「ちゃっかりしてんな……けど、恩に着る、雪見編集」
れいの気遣いで、志摩は出しかけていた『報酬』である紙束を鞄にしまう。
「それじゃ、あんまり長居して編集部にバレても面倒ですから。私はこれで失礼しますね」
そう言ってれいはまだ残っているアイスコーヒーを一気に流し込むと、席を立つ。
「――雪見編集」
その華奢な背中を、志摩は呼び止める。
「……なんですか? まだ何か面倒ごとですか?」
れいは心底面倒くさそうに志摩の方を振り返る。恐らくこういう態度がれいの素なのだろう。そして、もう志摩にはよく見られる必要がなくなったから、素を出しているのだ。それが醜いエゴだと分かりつつ、志摩は一抹の寂しさを覚える。
「いや……一つだけ断言しよう。雪見編集、貴様は数年もしないうちに美濃部なんか
目じゃないくらいの凄い編集者になってるだろう」
不遜な笑みを浮かべて志摩はそう言い切るが、それに対し、れいはただ苦笑を浮かべた。
「それはないですよ。他の人は知りませんが、美濃部だけは、私は絶対に超えられないですから」
それだけ言い残すと、れいはさっさとグラスとトレイを片付け店内を後にする。
苦笑の裏に潜んでいたのは消え入りそうな儚さ。それが恋なのか、尊敬なのか、敵意なのか、志摩には見当もつかなかった。
ただ、脳裏に強烈に焼き付いて、しばらくの間離れなかった。
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