第7話 ラノベ作家は再会する①

 富山文庫編集部。そこはここ五年ほどで急成長を遂げた新興出版社、富山社が手掛けるライトノベル編集部だ。

 JR飯田橋駅から徒歩十分の所にある四階建てのビルの二階にある、そんな編集部の会議室で現在、二人の男が対面していた。


「美濃部ぇ、今朝提出された経費精算所、こりゃ一体なんだ? キャバクラで五万? てめぇは会社舐めてんのか?」


 咥えたばこ、頬に大きな傷跡、センスのおかしいまだら模様のいかついネクタイ。明らかに堅気ではない雰囲気の五十台手前くらいの男に、美濃部は詰め寄られる。


「あの、怖いです編集長。眼力がヤクザです。ていうかそれはハセシマ先生の接待費用だってちゃんと詳細に書きましたよね?」


 普通なら足をガクブルさせて小便漏らしてもおかしくないくらいの圧に屈せず、それどころか男を軽く押し退けて、美濃部は距離を取る。


「おっとすまん。近眼なもんでな」


 美濃部の抗議に思いの外素直に対応するこのヤクザ風の男の正体は富山文庫の編集長、曾根崎隆文(そねざき たかふみ)。

 怖いのは外見だけで、中身は努めて常識人の美濃部のよき上司である。


「んで、経費の方に話を戻すが、ハセシマ先生って確か二十歳だろ? その接待でキャバクラってのは、にわかにも信じ難いんだけどよ。そこんとこ説明してくれるか?」


「そう、ですね。えっと、話すと長くなるんですけど……」


 そう前置きして美濃部は曾根崎に志摩に新作を書かせるために動いていたことを、志摩の過去などを交えて包み隠さず話した。


「……そうか。まあ事情は分かった。だが、一つだけ分からないんだが」


 話を聞き終えた曾根崎は何やら難しい顔をして、重苦しく口を開く。


「……なんで、新しい恋を探しにキャバクラに行ったんだ?」


「え? キャバ嬢にガチ恋して歌舞伎町に通うことってよくありません?」


「ねぇよ! ていうか仮にそれでハセシマ先生が恋出来ても今より悪いことになる気しかしないわ!」


 全身全霊、腹から出した大声の突っ込みが会議室に響き渡る。会議室は編集部と隣接しているので、中から漏れた曾根崎の怒声を受けて編集部内がざわめき立つ。


「……けど俺の周りそういう奴ばっかですよ?」


「それはお前の周囲が色々おかしいだけだ!」


 美濃部という男は非常に優秀なのだが、こちらは曾根崎とは違い高校まではバリバリのヤンキーだったので、どうにも常識がずれている部分がある。それは曾根崎も知っているので、またか、と思いため息を吐いた。


「いいか美濃部。お前の常識はもうどうしようもないが、ハセシマ先生は違うんだ。お前の友人たち、キャバ嬢に惚れて最後にはどうなってる?」


「……そりゃあ店から厄介者扱いされて出禁になったり、仮に付き合えても金銭感覚が違いすぎて別れたり……あ」


「気付いたか。……仮に恋のきっかけになったとしても、お金で得た関係はその先でよりひどい結果を生む。最悪ハセシマ先生の心が折れてしまう可能性だってあるんだぞ」


「俺は、とんでもないことを……」


 自分の軽率な行動が志摩を傷付けたかもしれないということに気付き、美濃部はさあっと青ざめる。


「とにかく万が一ハマったりしてないかどうか後で確認しておけ。……だがまあ、発想自体は悪くない。確かに、ハセシマ先生が過去に囚われて一人のヒロインしか書けないなら、それは新しい恋をすることで解決するだろう。やり方さえ間違えなければ、現状唯一の打開策だ」


「編集長……けど、お金の関係以外でラノベ作家がどうやって恋をすればいいんですか? あいつから文才を取ったら人間として終わってるゴミですよ? 抜け殻ですよ?」


「何気に酷いなお前……いや、それはいいとして。恋をさせるなんて、もっと簡単なことなんだよ。そうだな……美濃部、お前優秀な後輩とかいるか?」


 そうして二人の男がアイデアを出し合い『ハセシマ求愛計画』が始動する。

 夢中で話し込む二人が、会議室から漏れ出た声を聞かれて、自分たちが編集部内で『美濃部左遷』『編集長パワハラ』とありもしない噂を流されているのに気付いたのは、それから一時間後のことだった。


***


「はぁ⁉ 合コン⁉」


 狭い室内に志摩の絶叫が響き渡る。


「ああそうだ合コンだ。この前のキャバクラはちょっと見当違いだったと俺も反省したからな。それに、キャバクラよりはハードルが低いだろ?」


「突然来たと思ったらまた余計な話を……」


 ちょうど昨日『あの日々』第三巻の完成稿を上げて、今日は清々しい気分でオフを満喫している志摩に、『今からそっちに行っていいか』と美濃部から連絡が来て、訝しみつつも家に上げた結果が……これだ。

 キャバクラの一件で懲りなかったのかと、志摩は先日の頭痛がぶり返すようで思わずこめかみを抑える。


「何度も言ってるんが、俺は別に新しい恋なんざ探してないんだ。……もし、俺が過去を乗り越えられるんだとしたら、それはきっと――」


 ピンポーン……

 核心に触れかけた志摩の言葉は、不意のチャイムによって遮られた。


「悪い、ちょっと出てくる」


 志摩はそう言って立ち上がり玄関へ向かう。


「やっぱ、乗り気じゃないか……」


 一人になった美濃部は重苦しいため息を吐く。


「だが、志摩には悪いがこの合コン、何としても行ってもらわねばならない」


 志摩の気持ちを理解しつつも、今日ばかりは美濃部にも引けない理由がある。それを再確認し、何をしてでも志摩を連れ出す覚悟を固めていると、ちょうど志摩が部屋に戻って来た。


「……悪い、一応お前がいることは伝えたんだけどな……」


 だが、バツが悪そうに入り口で立ち止まり中々部屋に入ろうとしない。

 そのわけは、すぐに分かった。


「やあやあ、ちょっとお邪魔するよ美濃部さん」


「……げ」


 志摩の後ろからひょこっと可愛らしく顔を覗かせたのは、美濃部が今日一番遭遇したくなかった相手。さらさらの銀髪を揺らしてにんまりと圧迫感を与える笑みを浮かべる、夜夢めあ。


「よ、夜夢先生が何でここに……?」


 詳細は知らないが、志摩に好意を持って近づいたれいが急に消沈していたこと、その原因がめあであることを、美濃部はれいから聞いていた。

 だから、合コンのことはめあには知られるまいと情報源になり得るれいは特に警戒し、編集長とのみ極秘に計画を動かしていたのだが、まさか一番肝心なところで鉢合わせになるとは思わなかった。


「ちょうど暇してたからハセシマと遊んでやろうと思って。けど、仕事中だったかな?」 


「あ、ああ、まあな。それでハセシマ、続巻の原稿はどんな仕上がりだ?」


 とにかくこの場を誤魔化すべく、「頼む、気付いてくれ」と志摩に懇願する視線を向けて、美濃部は話題を逸らす。


「あ? 何言ってんだよ。昨日三巻を上げたばかりでとりあえず一週間は催促しないってさっき自分で言ってただろうが。それより、合コンの話じゃないのか?」


 しかし、美濃部の意図は虚しくも志摩には伝わらなかった。そして、


「合コン……? 何それ。美濃部さん、仕事の話をしに来たんじゃないの?」


 『合コン』という言葉を聞いた瞬間めあの双眸がぎらりと光り、全身から威圧感を放ちながら、満面の笑みで美濃部に問いかける。しかし、その目は明らかに笑っていない。


「え、えーと、それはですね……」


 焦った志摩はこうなるのが分からなかったのか、と志摩に視線を向ける。

 ――しかし、志摩はその様子を見てニヤリと笑った。


(こ、こいつ、合コンに行きたくないからってわざと夜夢先生を焚きつけやがったな)


 その思惑に気が付き、美濃部は苦々し気に志摩を睨み付ける。


「あ、もしかして例の新しい恋を探すってやつ?」


「ああ、どうやらそうらしい」


 だが、まるで幽鬼の如く立ち込める圧力を放っていためあは、不意に思い出したかのように落ち着きを取り戻し、そう尋ねた。


「へぇ……だったらさ、その合コン、僕も行っていいかな?」


「な、めあ⁉」


 てっきり自分が合コンに行くのを止めてくれると思っていた志摩は、めあの意外な言葉に驚く。


「なんだよ、ハセシマは僕が一緒に行ったらやなの?」


「いや……止めないのか? 俺が合コンに行くこと」


「この前も言ったけど、僕にその権利はないからね。けど、悶々としながら待ってるのも癪だし。折衷案? みたいな」


「そうか……」


 そう言われては志摩も引き下がるを得ない。

 とはいえ、これでむしろ行く方向に話が進んでしまった。何とか阻止しなくてはならない。


「因みに合コンってのはいつやるんだ?」


「今日だ」


「は⁉」


「時間を空ければお前は遠方に逃げる可能性もあるからな。悪いが当日に伝えさせて

もらった」


「んな横暴な……」


 しかし実際志摩は当日に逃げてしまえばいいのではないかと思い日付を聞いたので、美濃部の読みは正しい。


「志摩、気が乗らないのは分かるが頼む。……実は、お前に新作を書かせるために新しい恋を探している、というのを編集長に知られてな。そういうことなら任せとけって今回の合コンを組んでくれたんだ。だから、立場的にお前を連れてかないわけにいかないんだよ」


「なんでそんな面倒なことに」


「この前のキャバクラの経費のことで編集長に呼び出されてな、その時つい……」


「それは自業自得だろうが……」


 キャバクラでは楽しむどころか帰りたい気持ちの方が強かった志摩はたいして飲み食いもしてないければ指名もしていない。

 高額な経費を咎められたのだとしたら、美濃部自身が遊んだつけでしかないのだ。


「大体、お前が編集長から目くじら立てられようが俺には関係ない。情に訴えようとしても無駄だ」


 最後こそ茜のおかげで少し楽しめたものの、前回のキャバクラは志摩にとって割とトラウマになっている。

 確かにキャバクラと合コンとでは内容も人も全然違うのだろうが、浮ついた経験があまりない志摩にとってはどちらも同じものに思える。もう、あんな惨めな時間を過ごすのは嫌だった。


「……やはり、普通に誘ってもお前は動かんか」


 頑なな志摩の様子を見て、美濃部はため息を吐いて鞄を手に取る。


「そうそう、もっと早くそうやって諦めて帰っていれば――」


「これを見てもまだ、そんな口が利けるかな?」


 美濃部が鞄から取り出したある物を見た瞬間、志摩の顔色が変わる。


「なぜ、お前がそれを……!」


 不意に美濃部が取り出したのは、ラノベの挿絵みたいな一枚絵が描かれたA4サイズの箱。ちょうど、ギャルゲーの箱くらいの大きさといえば分かりやすいだろうか。


「あれ? それってハセシマが好きなVtuberだよね? 確か、名前は……」


「ヨゾラ。星海ヨゾラだ。お前には何度も布教しているだろう」


「あはは、アニメとかは好きなんだけど、どうにもその辺りは疎くて……」


 そう、美濃部が取り出したのはチャンネル登録者五十万人を誇る人気Vtuber――バーチャルYouTuberの星海ヨゾラのグッズだ。


「お前からこいつを買い逃したと散々愚痴られたからな。知り合いに頼んで入手してみた」


「美濃部貴様、俺を買収する気か!」


「ああそうだ。正攻法で頼んでも来ないのは最初から分かってたからな。もし、お前が合コンに来るというならこいつを……定価の倍額で売ってやろう」


 口元を三日月型に歪めて悪い大人の笑みを浮かべる美濃部。


「え? 報酬なのにお金取るの? しかも倍額? 美濃部さんって意外とせこい……?」

 そんな美濃部を一刀両断、状況をよく分かっていないめあが切り伏せる。


「何を言っているそいつは星海ヨゾラ十万人記念の時に作られたサイン入り限定ボックスだぞ⁉ 色々大人の事情で絶対数が少ないあまり幻と言われてるくらいだ。……分かりやすく言うと、オークションで買うと定価の十倍……二十万以上の戦いになる」


 だが、それに反論したのは美濃部ではなく志摩の方だった。

 志摩はファンであれば垂涎ものの幻のグッズを目の前にして、かなり興奮している。


「にじゅっ⁉ ……それは、凄いね」


 値段を聞いて、ようやくめあも目の前のグッズの希少性に気が付いたのか、志摩の傍らでごくりと生唾を飲み込む。


「……それを提示されては俺も文句はない。恐れ入ったぞ美濃部、完敗だ」


「どうやら、交渉成立みたいだな」


 一方は物欲に身を任せて、一方は新作小説のために。

目的の異なる二人が熱い視線を交差させ、がっちりと握手を交わした。

それを若干冷ややかな目で見るめあの存在には、二人は気付かないふりをした。

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