第一章

第1話 ラノベ作家は一人のヒロインしか書けない

「なあハセシマ。確かに俺は『新作小説の草案を書いて来てくれ』って、そう言ったよな?」


 人々が慌ただしく働く乱雑なオフィスの隅。簡易的な打ち合わせを行うために設けられたデスクスペースで、くすんだ金髪が印象的な強面の男――ライトノベル編集者の美濃部哲也(みのべ てつや)は引き攣った笑みを浮かべていた。

 美濃部は白いデスクを人差し指でコンコンと音を鳴らして小突き、身に沸き上がる苛立ちを少しでも発散しようとするが、むしろそうする度に苛立ちは増すようだった。

 ――その原因は、目の前で不遜に笑う青年だ。


「ああ。だから書いて来ただろ?」


 鷹のように鋭い目に、癖の強い黒髪。ライトノベル作家の長谷部志摩(はせべ しま)、ペンネーム『ハセシマ』は、美濃部の問いに馬鹿を見るような目を向け、嘲笑を返した。


「ほう。これが新作の草案であることは認識してたか。そりゃよかった。……ならば聞くが、この新作『戦慄のアーカイブ』のヒロイン『ユウナ』の設定、茶髪、貧乳、綺麗系の美人、純情、ギャルとなってるが……おかしいなぁ。全く同じ属性を全部兼ね備えたヒロインをお前のデビュー作で見た気がするんだが……俺の気のせいかなぁ?」


 皮肉に皮肉で返され、美濃部はイラっとして頬を引きつらせるも、そこはプロの編集者。冷静さは失わない。必死に怒りを堪えて、志摩に優しく問いかける。

 ただ、その優しさと反比例するように、指でデスクを小突く音は遂に周囲から怪訝な目を向けられるくらいまで大きくなっていた。


「何言ってんだよ美濃部編集」


「そうか、そうだよな。やっぱり気のせいだよな。注意深く見れば違いも――」


「気のせいなわけないだろ。ユウナは正真正銘、俺のデビュー作『あの日々をもう一度』のメインヒロイン、久川あゆみ(ひさかわ あゆみ)そのものだ。全く、ちょっと名前を変えただけでその程度も分からなくなるとは……ほんとに俺の編集か?」


「だよな⁉ やっぱりそうだよな⁉」


 おかしいなぁ、もしかしたら俺の方が間違ってるのかなぁ、と途中頭がバグりそうになっていた美濃部は、自分の考えが正しかったことを確認して思わず立ち上がり、フロア中に響く大声を上げる。


「な、なんだ急にでかい声出して……恥ずかしいから座ってくれ……」


 いくら打ち合わせ中とはいえここはオフィスの一角。騒げば周りで仕事をしている人たちの迷惑になる。


「あ、ああ。すまない……?」


 美濃部自身それは分かっているものの、それを志摩に窘められたことに釈然としない思いを抱える。ただ注目を浴びるのは流石に恥ずかしかったようで、辺りを見回して軽く会釈をすると、静かに座る。


「……で?」


「……で? とは? おいおい、仮にも文字を扱う仕事をしてるんだから主語くらいまともに使ってくれないとこま――」


「で? なんで新作のヒロインが既刊のヒロインと同じなんだ? みなまで言わせるなこのくらい理解しろ!」


 怒り爆発。先ほどの羞恥はどこへやら、フロア中に美濃部の怒声が響き渡る。だが、訓練された編集者たちはその程度で仕事を中断したりしない。ふざけた態度を取る作家に美濃部がキレるのは編集部ではよくあることだからだ。


「ふん。俺にとっての理想のメインヒロインはただ一人。これだけは譲れん。なんせ俺は、一人しかメインヒロインを書かない……いや、書けないんだ」


「……へ? 何だそれ。じゃあ何か、今後お前が別作品を出すとしても、メインヒロインだけはずっと一緒だと……?」


 一切曇りのない眼差しではっきりそう告げる志摩を前に、美濃部は間抜けな声を漏らす。


「だから、そう言っている。俺はただ、たった一人、俺の理想の『彼女』を創作の中で再現するためだけに作家になったんだからな」


「そんな、馬鹿な……」


 美濃部は疲れた声で絶望を口にする。


(いや待て、確かに新人賞の受賞式でそんなようなことを言っていた気が……しかし、まさかそんな……)


 その不遜な態度は張り倒してやりたい程むかつくものの、志摩のデビュー作である青春SF『あの日々をもう一度』は五万部を超えるヒット作。新人の、それもデビュー作がこれほどの数字を上げるのは異例中の異例。

 ――天才なのだ。志摩は、『ハセシマ』は。彼は十年に一度見るか見ないかの金の卵なのだ。


(だからこそ、これほどの才能が一作で埋もれてしまうのは……あまりにも惜しい)


 『あの日々』は確かに人気作だ。しかし、元はあくまで新人賞用の一巻完結の話だ。設定を追加して続編を書いているものの、綺麗な形で終わらせられるのはせいぜい五巻までが限界。それ以上引き述べせばきっと、この名作は駄作へと成り下がる。

 だからこそ、先を見据えた美濃部は自身の仕事増やしてまで志摩に時間を取らせ、続編の構想を練らせた。

 ――ハセシマという金の卵を、さらなる高みへと登らせるために。


(とはいえヒロインが一人しかいないんじゃ、新作なんてとても出せたもんじゃない。何とかしなくては……)


 設定の流用や、過去作のキャラクターの再登場程度なら、読者の期待を高める要素として歓迎だが、別の名前なのにまんま同じヒロインなんて出そうものならたちまち炎上するのは目に見えている。

 近年のネットレビューは本当に恐ろしく、例え内容が素晴らしくともそういった要素があれば手抜きだ何だとたちまち炎上してしまう。ベテラン作家ならネットの意見を黙らせる威厳もあろうが、志摩はデビューしたての新人。酷評の末に業界から干されるのは確定的だろう。

 つまりヒロインが一人しか書けないというのは、ハセシマがこの一作で小説を出すのを止めることに他ならないのだ。

 そんなことには絶対させまいと、一度は絶望しかけた気持ちを持ち直し、美濃部は志摩へと向き直る。


「なあハセシマ。なんでお前は一人のヒロインしか書きたくない――書けないんだ?」


「あー、話せばかなーり長くなるが……それでも聞くか?」


「……ああ、聞こう。覚悟は出来てる。俺はお前の全てが知りたい」


「……え。いやちょっと、俺そっち系の趣味はないんで」


「違えよ! お前という作家を知りたいって意味だ! 他意はない!」


 無意識に両腕で自身の肩を抱き、本気で引いている志摩の態度に苛立って、美濃部は思わず声を荒げる。


「え、やだ。あの二人ってもしかして……」と周囲の女性社員がひそひそ話す声が聞こえるがそんなもの知らない。「美濃部さんって高校男子校だったらしいよ……」とかどうしてそこで出てくるのか突っ込みたくなる情報が飛び交っているが、知らないったら知らない。


「……よかった。もしそうなら編集部に代えてくれって本気で頼もうかと考えていたところだ。……もう二度と、あんな思いはしたくない……」


「断固として違うからぜひ安心してくれ」


 頬を青ざめながら瞳に絶望を映す志摩の本気で怯えている様子に、対処がややこしくなるからヒロイン固定以上の闇は出てこないでくれ、と美濃部は天を仰ぐ。


「それで……」


「ああ、何故俺が一人のヒロインにこだわる理由だったな。それは……」


 それから、約一時間。

 時に懐かしさに笑みを溢し、感情の奥底を恥ずかしそうに明かし、悔しさに涙を流し、俳優もかくやというほどの感情全開の名演技で、ハセシマという男が作家を志すに至るまでの長い長い物語が語られた。

 そして、全てを聞き終わった美濃部は……、


「……つまりあれか。初恋の女の子に見合う男になるために努力したのに、成人式で再会した時その子は努力して変わったお前に一切興味を示さなかった。その結果病んだお前が出した結論が……」


「ああ。現実でどうにもならないなら、自分の手で彼女との理想の世界を創ってしまおう と思ってな。それで小説を書いて、ここの新人賞に応募したんだ」


「努力の方向がぶっ飛んでる……」


 だがそんなぶっ飛んだ部分があるからこそ、読者から『もう一つの現実』『世界の創造』と称される克明な描写が評判の志摩の小説が生まれたわけで……

 その矛盾を前にどうしようもないジレンマを覚え、美濃部は酷い疲労感に襲われる。無理もない、人一人の半生を一時間もかけて聞き続けたのだから。

 そして一度全ての思考を放棄して、仕事中だというもお構いなしに、美濃部はデスクに突っ伏して動かなくなった。

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