第5話 めあ①

 ピンポーン……

 前時代的なチャイムの音が部屋に響く。


「ん……朝……?」


 その音に起こされた志摩がベッドに寝たまま視線を上げるが、まだ外は薄暗い。


(――いっつ、なんでこんな頭痛が……? いや、そういや昨日は随分飲んだからな。二日酔いもするか……)


 ともあれ来客を放置するわけにもいかないので、志摩は痛む頭を抑えながらふらふらと立ち上がる。

 ピンポーン……

 催促するように再びチャイムが鳴る。


「はいはい、今出ますよっと」


 大方宅配便か何かだろうと思い、志摩は寝姿のまま確かめもせずに玄関を開ける。するとそこにいたのは――銀髪の美少女だった。


「……来ちゃった」


 浅く被った青色のキャップの下から美しい碧眼と真っ白な肌を覗かせて、照れながらはにかむ少女。そんな少女に志摩は、


「人違いじゃないですかね。俺にそんな頬を染めながら照れる押しかけ彼女なんて俺にはいないんで。いたとしても二次元だけなんで。それじゃ」


 非情にもドアを閉めて追い返そうとする。


「わああっ! 冗談だよ! 一回こういうのやってみたかっただけだから! しかも押しかけじゃなくてちゃんと来るって言ってあったじゃん!」


 志摩が本気でドアを閉めてしまいそうだったので慌てて弁明する少女。


「いやお前、来るのは確か夕方って……こんな朝早くから来られても俺眠いんだけど」


「何言ってんの? だから、今がその夕方じゃん。寝ぼけてるのはそっちじゃないの?」


 心底嫌そうに追い返そうとしてくる志摩に、少女は怪訝な顔を向ける。


「……嘘だろ?」


「いやほんとだって。ほら」


 差し出されたスマホのロック画面には、確かに十八時半の文字が映し出されていた。だが、それよりも、


「お前その待ち受け……」


「あ、気付いた? 可愛いよね、さみだれ先生のイラスト」


「いや確かに可愛いがそうじゃなくて、そのキャラは――」


「うん、『あの日々』のあゆみちゃんだよ。ていうかなんでそんなに驚いてるの? ハセシマがこの前自分でツイートしてた奴じゃん」


「そう、なんだがな……」


 確かにそれは志摩が『あの日々』の売り上げ五万部の記念に絵師であるさみだれさつき先生から貰い、自身のツイッターで公開したものだが、何というかこう、それを知り合いが使っていることに妙なこそばゆさを感じるのだ。


「ていうかハセシマ、中には入れてくれないの? 流石の僕も暑いんだけど」


 少女はそう言って首筋に伝う汗をハンカチで拭う。Tシャツにホットパンツというラフな格好での少女は一見ボーイッシュだが、その仕草は艶めかしい。


「ああ、すまん……」


 志摩は見入ってしまいそうになる視線を慌てて逸らし、少女を家に上げる。


「お邪魔しまーす。あ、ちょっと冷蔵庫借りるね」


 少女は部屋に上がり込むと、慣れた動作で手に持っていたビニール袋を冷蔵庫に入れる。


「ん~……疲れたぁ」


 そして家主の許可も取らずに親父くさい声を出しながら、ぼふっとベッドにダイブする。ホットパンツの隙間から絶対領域が覗いて、志摩はまともに少女の方を見れなくなる。


「お、おい、いくらなんでもだらけすぎじゃないのか?」


「だって、今日は朝からずっと改稿作業をしてたからさ……」


「そういやもうすぐだったか。めあ先生の本が出るのは」


 そう、この少女も志摩と同じライトノベル作家である。ペンネームは『夜夢めあ(よるめ めあ)』。

 志摩とは同じ新人賞で受賞している同期で、作品名は『ストーカークラスメイトが義妹になりました』。作品は怖いが本人はそうでもない。普通に接する分には至って常識人だ。


「そうなんだよ~だからここに来て一気に作業が押し寄せて来てさ」


「それは溜め込んだお前が悪いだろうが……」


 口ではそう言いつつも作家仲間として作業が押したときの辛さは知っているので、

ため息を吐きつつ冷蔵庫から麦茶を出し、グラスに注いでベッド横のちゃぶ台に乗せる。


「なんだかんだ言いつつもハセシマは優しいねぇ」


 めあは起き上がって麦茶を飲み干し、ほぅと一息吐く。


「さってと……それじゃあ遊ぼうか。僕は今日ずっと、ハセシマと遊ぶ約束だけを楽しみに作業を頑張ったからね。思い切り羽目を外させてもらうよ?」


「あー、えっと、出来ればなるべく激しくない遊びで頼む。二日酔いで頭痛が酷い」


「なんだよ、人がせっかく楽しみにしてきたってのにさ……まあいいけど。それなら外に行くのはあれだろうし、格闘ゲーもダメだし……そうだなぁ、まあのんびり遊び大全でもやろっか」


 そう言ってめあは志摩のスイッチを起動し、本体から外した水色のリモコンを手渡してくる。

 遊び大全というのは『世界の遊び大全51』というパーティーゲームで、トランプ、ボードゲーム、ダーツビリヤードから異国の定番遊びまで、古今東西の遊びが詰まっている。  

 特徴的なのは囲碁は囲碁でも五目並べといったように、あくまでも誰でも簡単に遊べるものが多いことだろう。

 そんな中でめあが選んだのは、6ボールパズルという、落ちてくるボールを六つ繋げて形を作ることで相手を攻撃するゲームだ。まあ要するにテトリスである。


「……あの、めあさん? 俺は頭が痛いってちゃんと伝えたよね?」


 しかしこのゲーム、本家テトリス以上に難易度が高く、そして異常に奥が深い。 

 先々を見据えて球を置く予測力、一瞬の采配を行う反射神経、そして運。一見わいわい出来るパーティーゲームに見えるが、中身はかなりの曲者で、上級者同士の戦いはもはや別ゲーといえるレベルで熾烈を極める。そして、二人は相当やり込んでいて、どちらも自分が一番上手いとこれに関しては変なプライドを持っている。


「いやぁ、五万部売り上げた新進気鋭作家様なら、頭痛がしててもこのくらい余裕かなって思ったんだけど……ごめんね、やっぱり別のにしようか」


「……別に俺は出来ないなんて言ってない。いいだろう、二日酔い程度、ハンデとして背負ってやる」


 さっきまでの仲のいい雰囲気は何処へやら。交錯する二人の視線には火花が散っている。

 ――そして、二時間後。


「はぁ、はぁ……今日のところは、このくらいで勘弁しておいてやろうか」


「そう、だね……通算じゃ僕の勝ちだし、今日という日の勝利は譲るよ……もう疲れた」


 なかなか決着が着かず二時間ぶっ通しでやり続け、結果は志摩の勝利で終わった。


「あー、悔しいっ!」


 めあは叫ぶと、コントローラーを投げ出してベッドに倒れ込む。


「ていうか改稿よりもこっちの方が疲れた気がするよ……まあ、楽しかったけどさ」


 めあは憤慨した様子でベッドの上でばたばたを暴れつつ、たははと満足気に笑う。

 それからしばらく、二人とも燃え尽きたように無言で過ごした。

静かな室内に麦茶のグラスの氷が溶ける音がやけに大きく響く。


「ちょっと汗かいちゃった。タオル借りていい?」


「ああ、適当に使ってくれ」


 めあは何度もこの家に来ているので、その辺り勝手知ったるといった感じで洗面所のタオルを取りに行く。


「ふぅ……俺も流石に限界だ……」


 元々二日酔いで体調最悪だったところでこの連戦は堪える。もう今日はこれ以上遊ぶ気力はない。

 外からは夜だというのに薄く蝉の声が聞こえる。小説家は基本在宅での仕事だから季節感が希薄になりがちだから普段はあまり気付かないが、夏の訪れを告げるその音は郷愁を誘い、耳心地がいい。

 ――だが、自然を感じていい気分に浸れたのは、そこまでだった。


「ねえハセシマ。これ、洗面所にあったんだけど、一体何なのかな?」


 首にタオルをかけて戻って来ためあの手に握られていたのは、一枚の紙。


「な――」


 志摩の首筋をサーっと冷や汗が伝う。めあの手に握られているのは間違いなく、茜の名刺だ。昨日帰宅して着替えた時に洗濯したらまずいから、と洗面所に置いたままにしていたのをすっかり忘れていた。


「えっと……名刺、だな」


 だが、まだ諦めるべき時ではない。あの名刺は見ただけじゃそれがキャバクラの物だとは分からないようなデザインになっている。いくらでも誤魔化しは効くはずだ。

志摩は誤魔化し笑いを浮かべつつ、必死に言い訳を模索する。


「そうだね。名刺だね。それも、女の人の名前がでっかく書かれた」


「うぐっ……い、いや、名刺に人の名前がでっかく書いてるのは普通じゃないか? 何を怪しんでるかは知らないが、確かそれ、『あの日々』の印刷会社の人のやつだったと思うぞ」


 作家が本を出版するにあたって印刷会社と直接やり取りすることは普通ない。だが、めあはまだ本を出したことがない。それならばと、志摩は相手の無知を利用し誤魔化しにかかる。


「――楽しかった? キャバクラは」


「なっ……なんでそれを……?」


「あ、やっぱりキャバクラだったんだ」


「あ、めあお前カマかけたのか⁉」


 完璧にキャバクラと言い当てられたことに驚いて思わず口走ってしまったが、それはめあの罠だった。志摩は卑怯だなんだと騒ぐが、当のめあはただただ冷たい微笑を浮かべるばかり。


「ふーん、なんか新しい恋を探すとかって言ってたらしいけど、こんなところで遊んでたんだね」


「……なんで、そのことを知ってる」


「担当編集から電話で聞いたんだ。なんか、ハセシマが新しい恋を探してるとかって噂になってるのを」


「まじか……」


 面倒な噂が出回ってしまった事実に志摩は絶句し、内心で美濃部に恨みを抱く。

 ――そうやって意識を逸らしたから、志摩は気付けなかった。

 いつの間にか、めあの顔が冷たい微笑から絶対零度の無表情に変化していたことに。 

「ねぇ、ハセシマ?」


 めあは吐息混じりの甘い声で、コテっと可愛らしく首をかしげる。その声は露骨に甘すぎて、内包された棘が隠しきれていない。


「――僕のことは振ったくせに、こういうところは行くんだね」


 それは、さっきまで楽し気にゲームをしていた活発なイメージのめあとは真逆の、底冷えするほど低く鋭い声。

 滑るように近づき、耳元で囁かれたそれは、遅効性の毒のようにゆっくりと、鼓膜から脳へ、そして脳から全身へ、血流のように全身を巡り、そして蝕んでいく。


『――いいよ、ハセシマなら。僕の全部を、君にあげる』


『……大丈夫だから、さ。気にしないで。君が苦しんでいる方が、僕は辛いから』


 脳裏に木霊するのは、ほんの少しだけ前の記憶。

 それは志摩の背負った罪。理想の『彼女』への物とは違う、もう一つの呪縛。恋仲になりかけ、全てを受け入れようとしてくれためあを拒み、傷付けた、一夜の後悔。

 胸中に黒くて熱いヘドロが溢れ、むかむかして吐き気を覚える。体が鉛のように重くて、弁明の言葉は腐るほど思い付くのに、それを口にすることが出来ない。


(嗚呼、まただ。また呪縛が、俺を壊していく……)


 ――視界がぐにゃりと歪む。息をする度に胸を焼けるような苦しさが襲うから、酸素が上手く脳に行き渡らない。

 志摩は次第に青ざめていき、そのまま意識を失いかけ―――、


「あはは、冗談だよ。もう気にしてないって。……ちょっとだけ軽く見られたみたいで意地悪したくなっちゃった」


 容赦を与えるめあの言葉が、志摩を苦しみの淵から解き放った。 


「けど、さ。やっぱり思っちゃうんだ」


 蝉の声に溶けて消え入ってしまいそうなか細い声で、身を震わせ、めあが言う。


「――新しい恋を探すくらいなら、僕じゃダメかな。……ってさ」


 雲間から覗く月明かりが窓から差し込んで、その銀髪を淡い黄色に染め上げる。辛さを全部抱え込んで気丈に笑う彼女は残酷なまでに美しく、泡沫の如く消え去ってしまいそうに儚くて。

 志摩はそのあまりの美しさに目を奪われ、脳は快楽に痺れ、理性が飛んでしまいそうだった。


(――本当なら、今すぐに抱きしめてしまいたい。必死で傷を隠して、俺を受け入れてくれようとする、目の前で震えるこの小さな少女を。……けど、俺にはまだ――)


 そう、志摩が衝動の先に再び傷付くことを恐れ、逡巡していたその時だった。

 ピンポーン……

 タイミング悪くインターホンが鳴る。割と遅い時間だから、宅配便ということもないだろうし、間違いなく知り合いだろう。――しかし、


「めあ、俺は……」 


 志摩はこれを好機として誤魔化すような真似はしたくなかった。めあのことが大切だからこそ、しっかり彼女と向き合いたかった。


「出なくていいの?」


 しかし、志摩の想いを他ならぬめあが否定した。

 それは淡々と呟くようで、これ以上の会話を拒む意味が含まれているのが志摩にも分かった。


「……悪い、少し外す」


 志摩はそう言って立ち上がり、重たい足取りで玄関へと向かった。


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