第2話 樫木七優が天使すぎる

 ――時代が進んだ日本では、様々な問題を解決する手段の中に『暗殺』が仲間入りした。


 例えば政治手段。生きていては都合の悪い政治家を闇に葬ってくれという依頼。

 例えば制裁手段。憎い相手を殺してくれという依頼。

 例えば安楽死のほう助。病で苦しんでいる家族を死なせてあげてくれという依頼。


 現在、日本には数々の暗殺グループが確立していて、朝生もそのうちの一つ――『六徳グループ』に属している。




 ――無差別な暗殺はご法度。




 これは暗殺を生業とする人間が肝に銘じておくべきルール。


 基本的に組織の上の人間が『暗殺依頼』の妥当性を判断する。


 朝生たち『実行班』に『暗殺依頼』の動機は原則伝えられないとなっている。余計な私情を挟ませないためだ。

『実行班』はただ任務を全う暗殺すればいいのだ。


 かくいう朝生もこのシステムに不満があるわけではない。

 朝生は元々孤児だった。赤ん坊の頃に『六徳』の代表に拾われ、立派な暗殺者に育て上げてもらったのだ。

 朝生にとって代表は恩人で、その恩を返す一心で『暗殺』稼業に精を出している。


 そんな彼でも暗殺動機に疑念を持たないわけではなかった。




 ――樫木七優かしぎなゆ




 学校一の美少女として名高い彼女。文武両道容姿端麗という完璧なステータスゆえに、男子からも女子からも高嶺の花扱いされている。

 ちなみに朝生は同じクラスだが樫木とまともに話したことがない。緊張するからだ。


 そんな彼女への暗殺依頼。嫉妬が理由――とは考えにくい。

『六徳』は暗殺グループとしては真面目な方だ。金儲けのためにご法度を破るグループが跋扈ばっこする中、『六徳』は欲に流されずに仕事を選ぶ。


 だから今回の任務も正当な理由があるのだろう。樫木七優を暗殺することで誰かが救われると『六徳』が――代表が判断したのだ。

『実行班』の人間が考える必要はないと朝生は結論を出す。


 そんなことを熟考していたから、朝生は放課後を迎えていたことに今更気づいた。


「やっべ。もうこんな時間か」


 教室の窓から見える夕日が沈み始めている。


「樫木と二人っきりになれるタイミングをずっと待ってたんだがな」


 惜しげに独りごちる。

 さすがにターゲット――樫木七優はすでに下校しただろうと思い、朝生は諦めて席を立つ。


 同時だった。


 背後からガラガラと教室の扉が開けられる音がした。


 転瞬、目が覚めるような冷たさの風が吹く。


 振り向くと樫木七優がいた。


「えっと……あなたは……朝生陽太……くん?」

「え……あ、そ、そそそ、そうです……あ、いや、んんっ!そうだ……」

「どうしましたか?そんなに慌てて。もしかして私、何かしてしまいましたか?それでしたら何かお詫びを――」

「あ、いや違うんだ。これは、その……そう!いきなり話しかけられてびっくりしただけだ、うん」

「やっぱりお邪魔だったんですねごめんなさいすぐに消えますのでっ……」

「ああああぁそうじゃなくて!邪魔とかじゃないって!!」

「邪魔じゃない……本当ですか?」

「お、おう!むしろいてくれた方が目の保養に……って今のはなし!気にしないでくれ」

「そうでしたか……よかったです……」


 そう言って樫木は顔の前で両の手の五指をそっと合わせてはにかんだ。艶やかな黒髪がふわりと揺れる。


(天使すぎる……)


 落ち着きのある声音や見た目の線の細さ。和風な清楚感を醸し出す樫木はちょっとした弾みで消えてしまいそうな儚さがある。


「…………」


「…………」


(気まずい。何話せばいいんだ?女の子相手に臓器売買の話はダメだよなぁ)


 朝生はいろんな暗殺術を究めた頭脳をフル回転させ、この場に最適な会話を捻出する。


「なあ樫木」

「はい、なんでしょうか?」

「よく俺の名前知ってたよな?」

「え?同じクラスですよね?」

「いやそうなんだけどさ。俺、目立たないだろ?」

「そ、そんなことないです!朝生くん、カッコよくて目立ってますよ」

「またまたぁ~。お上手ですな~」

「むぅ。信じてないですね?」

「あ…………」


 朝生は言葉を失った。唇を尖らせた樫木が可愛すぎて。

 ズイッと近づいてきた樫木は続けた。


「それに私は朝生くんの優しい所も知っていますよ」

「優しい?」

「はい。隣の席の子が教科書を忘れたら貸してあげる所とか。先生の荷物運びを手伝ったりとか」

「あぁ……」

「今日もたくさんありました。踏切を渡り切れなかったおばあさんを助けてましたし、全く知らない生徒の落とし物を探して、それで見つけ出してもいました。あとは――」

「もういい。もういいから!なんかこう……むずがゆい気持ちになる」

「あ!すみません、私ったら朝生くんの気持ちも汲まずに話し込んでしまって……」

「や、頭下げて謝るほどのことじゃないって。こっちこそ褒め言葉を素直に受け取れなくてごめん」

「朝生くんが謝らないでください。悪いのは私なのですから」


 樫木はペコペコと頭を下げ続ける。


(腰の低い女の子だなぁ)


 朝生はポリポリと頬を指で掻いてからこう言った。




「にしても俺ってそんなに樫木に見られてたのか。なんか嬉しいな」




「や、そ、それは…………」

「ん?どうした樫木?顔、赤くないか?」

「ゆ、夕日のせいでは……?」

「なるほど。言われてみればそうかもな」


(熱でもあるなら保健室に連れて行き――を目論んだのだがな)


 朝生はじっくり樫木を観察する。どうやって殺そうかを思考。

 樫木はおそらく良い子だ。できるだけ苦しめずに殺したい。


 朝生はバッグに忍ばせたスタンガンを意識する。


(気絶させてから楽にしてやるか)


「あの……朝生くん?」


 思考に耽っている朝生には樫木の声が届いていない。


「そんなにまじまじと見られるのは……さすがに恥ずかしい……です……」


 恥じらう樫木なんてつゆ知らず。




「えっと……やっぱり男の人って女性のむ……胸がお好きなんですか?」




「はぇ?」


 朝生の意識は一気に現実へ引き戻された。


「あの……どうしても見たいと仰るのであれば……朝生くんなら……いい……ですよ?」


「い、いやいやいや樫木さん?いきなり何言ってるのかな?」


「ご、ごめんなさい!見るだけじゃ物足りないですよね?ご迷惑おかけしたので触っても……」


「そ、そうじゃないから!下心とかなかったから!」


 と言いつつも自分の視線が樫木の胸部に固定されていたことに気づく朝生。


(違うんだ。これは無意識。童貞のさがなんだ許してくれ)


 コミュ障は相手の顔を見れず、つい視線が下がってしまうとも付け加えておこう。


「あ、もうこんな時間!わ、私はそろっ、そろそろ帰りますね。で、では!」


 樫木は忘れ物と思われる教科書を取って、余所余所しく教室を後にした。

 出る前にした朝生への一礼は所作がとても美しいものだった。


(暗殺できなかったが……まあまだ大丈夫だ)


 何と言っても樫木七優の暗殺期限は約ニヶ月間。


 それまでに殺せればいいのだから――

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