第6話 顕微鏡と毒針の扱いにはご注意を

(樫木ってほんと綺麗な顔立ちしてるよな)


 学校の実験室。

 昼休憩終わりの生物の授業。

 数台のテーブルに顕微鏡が同じ数ずつ置かれている。


「あ、岩脇さん。顕微鏡の対物レンズはギリギリまで近づけてから遠ざけるように調節してくださいね」


(あ、微笑んだ)


 同じクラスの女子生徒に使い方を教える樫木に、朝生は目を奪われた。


 澄んだ碧眼。

 小さく整った鼻。

 風で揺れる黒髪。


 他の男子生徒もチラッと樫木を盗み見る。

 タマネギの細胞とかどうでもいいらしい。

 酢酸カーミンだかアーメンだか知るか、と目が訴えている。

 アーメンと唱えて樫木の彼氏になれるなら、話は別だろうが……。


「あっ!核が見えました。面白いですね!」


 樫木が顕微鏡を覗きながら同じ班の女子にそう言うと、男子たちは顕微鏡へ向き直った。単純である。


 顕微鏡は一班に一つ。

 試料を一回見終わったら次の人に回す。


 朝生は観察結果やその感想をプリントに書いている。

 そんな彼は密かに目論んでいた。




 ――”毒針”


 ノーモーションから指で弾かれる毒針。

 腕を組みながら放つそれは、樫木の首元へと自然に着弾予定。

 朝生の席は樫木と離れている。樫木が倒れても朝生が怪しまれる可能性は低いだろう。


 樫木が顕微鏡に夢中で、動かない間を狙った『暗殺』。




「次、朝生君だよ」

「ありがとう」


 樫木ではない、別の女子生徒が声を掛けてきた。

 顕微鏡が朝生の目の前に来る。


 今度はタマネギではなく、ただの葉っぱだった。葉緑体にフォーカスした学習のようだ。


 手早く観察した朝生は隣の男子生徒に顕微鏡を渡す。

 順番に顕微鏡が回っていって、ついに樫木の元までたどり着いた。


 樫木は手慣れた様子で顕微鏡を操作するが――


「あれ?おかしいですね」


 樫木が困ったように首を傾げる。


「朝生くん。ちょっと見てくださいませんか?」

「え、俺?」


 予想外の展開に少し驚く朝生。


(まずいなぁ)


 樫木に近づいてしまったら容易に『暗殺』できなくなる。そのことを危惧した朝生は樫木の呼びかけに一瞬戸惑うが――


「朝生くん?」

「ん?ああ、いいぞ。今そっちに行くわ」


 結局、朝生は流された。

 テーブルに沿って樫木の元へ足を運ぶ。


「何がわからないんだ?」

「接眼レンズから覗いても、暗くてよく見えないんです。さっきは見えたはずなのに……」

「どれどれ」


 朝生が覗くと、確かに視界は真っ暗だった。

 だが、顕微鏡の明るさ調整の方法はたかが知れている。

 朝生は思い当たる部品を、手あたり次第に探っていく。するとすぐに原因が判明した。


「これ、しぼりがちゃんとできてなかったぞ」

「あ、ほんとですね。うっかりしてました」

「意外だな。樫木って成績良いだろ?なら顕微鏡の使い方くらい覚えてそうだが」

「私、勉強したことを自分の日常生活に活かすのが苦手でして……」

「あれか。英語の筆記試験の点数は優秀なのに、実際の外国人とは上手く話せないみたいなやつか」

「それですね」


「お恥ずかしいものです」と樫木は自嘲する。


(あ、可愛い……っていかんいかん。樫木の微笑みに見惚れている場合じゃないだろ)


 いつでも発射できるよう、準備万端の毒針に意識を向ける。指先に力が入る。


(なんとか、俺が怪しまれない状況を作ってから、”実行”だな)


 朝生は自分が『暗殺』したと周りにバレない距離を保とうとした。


「じゃ、じゃあ俺はこれで――」

「見て見て、朝生くん。ほんとに葉緑体がありますよ。私、初めて見ました!」

「え、あぁ。そうか」


 トントンと手首辺りを叩かれた朝生は、立ち止まって振り向かざるを得なくなった。


 樫木があまりにも楽しそうなものだから、釣られて朝生も顕微鏡を覗く。


「おぉー確かに丸いやつあるなー」


(まあさっき見たけど)


「ですよね!実物見ると、ワクワクしますね」

「そ、そうだな」


(正直、全然ワクワクしないけど、樫木に合わせとこ。水を差すのも悪いし)


 ひとしきり観察してから、朝生は接眼レンズから目を離す。

 すると、至近距離に樫木の綺麗な顔があった。


「わっ」

「おっ!?」


 二人して驚きの声を上げる。

 朝生の心臓は跳ね上がった。

 慌てて二人は目を逸らす。


「す、すまん……」

「い、いえ……こちらこそ」


 気が付けば、謝罪の言葉を述べていた。

 一体何が「すまん」なのか、朝生もよくわかっていない。


 数秒の沈黙のあと樫木が地面を見て、疑問符を浮かべた。


「何か下に落ちていますね。何でしょうか?」


 興味本位で樫木は”それ”に手を伸ばそうとした。


(まずい!”それ”は――)


 ”それ”は朝生が持っていたはずの”毒針”だった。

 手首を叩かれたときか、近くで目が合ったときか。

 おそらくそのどちらかの場面でうっかり落としてしまったのだろう。


 とにかくまずい。

 何がまずいのか。

 朝生が近くにいる状況で、樫木が不用心に”毒針”に触れて。

 もし、刺さってしまいそのまま倒れるようなことになったら、真っ先に朝生が疑われてしまう。


 それは『暗殺者』としてまずい状況なのだ。


 どうする?

 刹那、朝生は思考する。

 それは常人の熟考に値する。


 このままでは先に樫木の手が届いてしまう。

 なら、最速最短で”意識がこちらへ向くようなこと”をすればいいのではないか。


 実行に移すまで迷いはなかった。




 ――――ダンッ!




 樫木の顔の横に。樫木の後ろの壁に勢いよく手を突きだした。


「ッッッ!?!!?!」

「不用意に触れるな。ケガしたらどうする……」

「ご、ごめんなさい……」


 樫木は目を丸くして、朝生の眼差しを射抜く。耳がほんのり桜色に染まっている。


 刹那、朝生は一般論に辿り着く。


(これ、壁ドンでは?)


 そう認識してから、朝生が羞恥心に襲われるまでそれほど時間を費やさなかった。


(樫木……まつ毛なげえな)


 心臓の音が加速する。


「ま、まあわかればいいんだ。次から気をつけろよ」

「は、はぃ……」


 ぎこちなく、二人は席へと戻って行く。


 そんな二人の様子を目撃していた女子生徒が言った。




「無理無理無理無理ぃ!」

(訳:何、今の壁ドンからの囁き。かっこよすぎ!漫画?漫画なの?)




 その独り言を偶然聞いてしまった朝生はこう思った。




(めっちゃドン引きされたんですけど!俺死んだわ、これからもっとキモがられるんだ)




 朝生はひどく落ち込んだ。


 現実逃避するかのように、朝生は酢酸カーミン溶液で葉っぱの核をじわじわと赤く染めていく。




 ――――『暗殺失敗』

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