第18話 風呂?2

「陽太くんってやっぱりえっちさんなんですね」




「うっ……。そ、それは――」


 朝生は和室で正座していた。同じく正座している、パジャマ姿の樫木と向き合う形で。


「直接言ってくださればお見せしますのに」

「や、そういうんじゃなくてだな」

「でもお風呂からあがったとき、下着を置いていた位置が少し変わっていました」

「うぐっ」

「状況を考えれば、陽太くんが触ったとしか思えないんですが」

「それはだな――」


 必死に頭を回転させる。

 何を言えば乗り切れるのか。そもそも乗り切れるものなのか。


 エロで支配された朝生の頭は、せいぜいアルコール依存者の呂律ろれつくらいにしか回っていなかった。


 足の痺れは的確に感じる。

 ちなみに正座をしろ、と樫木に言われたわけではない。

 自主的に朝生が正座しているだけだ。


 なかなか答えようとしない朝生を見て、樫木はこう切り返した。


「では質問を変えます。私の下着はお気に召しましたか?」

「ブフォッ!?!?」


 クラッと眩暈めまいがした。

 そんなのどう答えろと。


 童貞だから返事に窮しているのか。それとも普通に難問なのか。

 知る由もない。


 ないから目が異常に泳ぐ。

 動揺。羞恥。緊張。


(なんで七優はこんなこと、平気で言えるんだよ……)


 口をパクパクさせながら、そんなことを考える。


「あのなぁ。そういうの、男に言わない方がいいと思うぞ」

「陽太くんなら大丈夫かと思いまして」

「……俺一応男なんだが」

「あ、そういうわけではなくてですね。その……陽太くんはひどいことしなそうって信頼している、ということです」

「お、おう。なるほど」


(良かったぁ~。てっきり男に見られないほど女々しいと思われてたのかと)


 安堵する。


(にしても面と向かって信頼しているって言われるの、なんか照れくさいな)


 ポリポリと頬を掻いた。


「それで。私の下着はどうだったんですか?」

「その話続くの!?」


 微笑みながら樫木はそう尋ねてきた。

 朝生が渋ると、樫木は正座の体勢のまま、ズザザッと距離を詰めてきた。


「お忘れになられたのなら、今ここでもう一度ご覧になられますか?」

「やっ、それはいいから!あまり自分の身体を安売りするなって!」

「買い手は陽太くんしかいないので問題ありません!」

「え?」

「え?」


 束の間の静寂。

 食い気味で反論した樫木も、今は時が止まったかのように動かない。

 そして見る見るうちに顔が赤くなって。


「い、今のはこ、言葉の綾です!」

「な、なんだ。言葉の綾か~。びっくりしたぁ~ハハッ」

「当たり前です!よ、陽太くんが安売りなんて言うから紛らわしくなるんです!反省してください!」

「え、俺が悪いの?」

「そうです!早くごめんなさいしてください」

「あ、そ、その……ごめんなさい」

「よくできました。よしよししてあげます」


 不意に朝生の頭に手を伸ばし、撫で始める樫木。


(え、何?この羞恥プレイ)


 恥ずかしさで体中が火照る。


(なんか本当に俺が悪かった気がしてきた。や、元を辿れば俺が洗面所に忍び込んだのが悪いんだけどな)


 それはそうと。


 頭を撫でる手が一向に止まらない。


「あのー七優?これ、いつまで続くの?」

「あ、申し訳ありません!心地よくてつい……」


 慌てて樫木は手を離した。


「撫でる方も気持ちいいものなのか?」

「ええ。まあ」

「そうか……」

「……」

「じゃあさ」

「はい?」

「たまに――なら俺の頭くらい貸してもいいぞ?」

「陽太くん?」


 キョトンとした表情を樫木は浮かべる。

 朝生は言葉にしてから、自分が何を言ったのかを理解した。


(また俺はわけのわからんことをぉぉぉぉぉぉ!!!!これは絶妙にキモい。撫でてくれって言ってるようなもんじゃないか!しかも、遠回しに頼んでる感じがヤバイ!やらかしましたわぁ~)


 わかりやすく項垂れた。もはや隠す気力すらない。

 だが、意外にも樫木の反応は好意的だった。


「ふふっ。では撫でさせてもらいますね」


 そう言いながら、樫木は朝生の頭を撫でるのを再開した。


「え?な、七優?」


 予想外の行動すぎて、思考が追い付いていない。


「はい。何ですか?」

「なんで撫でてるの?」

「なんでって……陽太くんがいいって仰ったからですが」

「まあ七優がいいなら何も文句はないが」


 と言いながらすぐに撫で始めた点についてはこれ以上言及しないでおく。墓穴を掘ってしまいそうだと思案したのだ。


 どれくらい撫でられていたかはわからない。

 理性につけた首輪が外れないようにするには、無心でいるしかなかったから。


「このくらいにしておきます」

「左様でございますか」

「変な受け答えですね」

「仕方ないだろ。頭撫でてもらったこととかねえんだから」


 言葉の代わりに、樫木はクスッと笑うだけ。

 とにかく恥ずかしい気持ちでいっぱいの朝生は、ただ下を向いていた。


 下だけを向いていたから咄嗟に反応できなかった。


 樫木はずっと正座をしていて、足が痺れたのだ。


「あっ」と零し、朝生の方へよろめいてしまった。


 朝生の両肩に捕まるように倒れ込み、そのまま


「七優!?」

「すみません!足が痺れてしまって……」

「……」

「……」


 吸い込まれるように目が合った。吐息が互いの鼻先に触れる。

 それに、樫木のたおやかな黒髪が朝生の頬辺りにしな垂れかかる。

 風呂あがりということもあり、シャンプーの良い匂いが鼻腔をくすぐった。


(お、お、お、オちツKE、俺……)


 手のやり場に困り、空中をあわあわさせている。

 仰向けの朝生に乗りかかるような体勢を樫木はとっているため、起き上がれない。

 とにかく目を逸らした。


「な、七優?」


 問いかけてみる。


「……」


 返事はない。


「お、おーい。七優さーん?」


 意を決して、再度ご尊顔を拝見する。

 するとどうしたことか。


 樫木の顔が今まで見たこともないくらい赤く、そして崩れていた。


 崩れていた……と言うと表現に差異があるな。

 緩んでいる……とも何か違う気が。


 何かを我慢するように、口元をもにゅもにゅさせている……と言ったところか。


 まあ、要約すると。


 ”すべてがどうでもよくなるくらい可愛い”のだ。


 もうどっちが右でどっちが左なのかすら混乱するくらいに頭がふわふわしている。

 理性どころか意識残存の問題。


 何も言えずにいると、樫木が無言でほんのわずかだけ、朝生に顔を近づけた。


 自然と樫木の口元に意識が向かう。

 が、それもすぐに終わった。


「うぅ……」という悶え声と共に、樫木は自身の手で顔を隠したのである。恥じらう乙女のように。


 体を震わせながら、飛びのく樫木。


「だ、大丈夫かー?」

「――――ッッッ!?!!?!?」


 樫木はさらに顔を赤らめ、急いでソファに突撃し、顔を埋めた。

 まさに頭隠して尻隠さずのような構図。


 ただし、隠している頭から、汽車みたいにぷしゅぅと煙がたっているように見えた。




 年越しまであと約一時間。


 どこかでもう除夜の鐘はつかれ始めているのだろうか。

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