第19話 年越し

「あけましておめでとうございます、陽太くん」

「あけましておめでとう、七優」


 年が明けた。


 茹でだこみたいに真っ赤に染まっていた七優の顔も、今はすっかり戻っている。

 年越しそばも二人で食べた。


 ダイニングでまったりと雑談を交わしていたところだ。


「私、自分の誕生日よりも新年を迎える方がおめでたいと思うんですよね」

「そうなのか?」


 唐突に樫木がそんなことを宣った。


「はい。誕生日って当人とその関係者だけの特別な日ではありませんか」

「まあそうだな」

「ですが、新年はこの地球上のいるみんなにとって特別な日です。その中に私もいると思うと、安心できます。ああ、一年無事に過ごせたんだなって」

「誕生日じゃダメなのか?むしろ自分の生まれた日なんだし、特別感があるのは誕生日じゃ?」

「誕生日は特段好きではありません」


 きっぱりと樫木は言い放った。


「あ、いえ。別に嫌いというわけではありませんが、私にとって誕生日はいつもと変わらない日ですので」

「……そうか」


 何と返せばいいかわからなかった。

 だが、良い雰囲気ではなかったことくらいは察せたので、朝生は当たり障りのない返答をした。


「お気を遣わせてしまい申し訳ありません。今、お水とってきますね」


 樫木は静かに腰を上げ、台所の方へ足を運んだ。

 じゃあぁという音と共に、樫木はコップに水を注ぐ。

 二人分のコップを持って、ダイニングまで運んできた。


「すまん。気が利かなくて」

「謝らないでください。お邪魔させてもらっている身ですし、お水くらい注がせてください」

「いやいや、水どころかさっきは年越しそば作ってくれただろ」

「トッピングを作らせていただいただけですよ?」

「それが嬉しいんだって。改めて言うが、めちゃめちゃ美味かった。ありがとう」

「そんな。恐れ多いです」


 照れくさそうに目を細め、顔の前でヒラヒラと手を振る樫木。


 文武両道で謙虚。そんな樫木の性質を何度も目にしてきた朝生は、純粋な疑問をぶつけた。


「七優って何でもできるよな」

「何でもは言い過ぎですよ」

「や、勉強も運動もできるし、料理もプロ級だし、他の家事とかも……」

「どうしたんですか?急に私のことをそんなに褒めちぎって」

「確かにどうしたんだろうな、俺」


 水をぐいっと喉に流し込み、渇いた口を潤す。


「でも何となく知りたくなったんだよ」

「知りたい?」


 慎重な物言いで樫木はそう繰り返した。


「ああ。なんで七優は何でもできるくらい努力したんだろうなって」


 世に言う”天才”だって努力をしないわけではない。

 凡人より要領が良いからそう見えるだけであって、内心ではその分野を極めたい、努力したい、という熱量があるはず。


 その熱量が樫木はどこから来ているのか。

 朝生は知りたくなったのだ。


「つまらない話ですよ?」

「努力する理由につまらないもんなんてないだろ」

「陽太くんが知らないだけかもしれません」

「俺は未知が好きだし、反論はもっと好きだ」


 挑戦的な笑みで応える朝生。

 やけに自信なさげなので、朝生は冗談っぽく振舞った。


 樫木は普段通りのトーンで。

 でもどこか重々しい口調で、言った。




「人はいつ死ぬかわからないから……です」




 時計の針の音だけが部屋に響く。

 柔らかく笑んで、続けた。


「いつ死ぬかわからないんだったら、生きている間にたくさんの経験をしたい。そうは思いませんか?」


「……」


「あれ?反論はもっと好きなのではありませんか?」


 どこか取り繕ったかのような声音で、樫木は挑発してくる。


「あの……すまん。聞いちゃいけない話題だったか?」

「あ。いえいえそんなことは!ごめんなさい、私が変なことを言ったばっかりに」


(馬鹿か、俺は。そんな言い方したら七優に気を遣わせるに決まってるだろ!もっとマシな返事はできなかったのか、このコミュ障が!)


 朝生は自己嫌悪に陥る。そんな場合ではないが、自己嫌悪に陥った。


 少しの間、言葉を発せなかった。

 それは樫木も同じだった。


 手元の水を飲み切ってから、朝生は置くように吐露した。


「皮肉だよな」

「え?」

「七優がさっき言ったこと。俺にも少しはわかる気がする」


『暗殺者』なんて仕事をやっていると、嫌でも『死』の存在を意識してしまう。


 普段は他人に『死』を与える側だが。

 いつ『死』が自分に回ってくるのか。仕事柄、一般人より確率は高いだろう。


 一方、『死』を感じることで、より強く『生きている』という感覚を味わえるという側面もある。


 そういう理由もあり、朝生は皮肉だと言った。


「死ぬって怖いよな」

「……はい」

「俺も怖い」


 それは自分の『死』だけではなく。他人の『死』も恐怖の対象だ。

 どうやら生きている実感だけを、神様は与えてくれないらしい。


 半ば逃避の意味もあって。

 朝生はパンッと両の手を合わせるように叩いた。


「ま。新年早々する話でもないな。俺からけしかけたにもかかわらず、悪いが……」

「あ、いえ。お気になさらず」

「七優の頑張る理由がつまる、つまらないについては、即決しない。つまらなくないって胸張って言えるように生きればいいんだ。それでいいか?」

「無理やり答えを出した感じが拭えないですね」

「コミュ障の俺にはそれくらいしか言えない。すまん」

「いいですよ。共感していただけでも、気持ちが楽になりました」


 朝生が共感する前は、楽ではなかったのか、とは口に出さないでおいた。


 その代わりに、朝生はらしくないアイデアを思いつき、発言した。


「そういえば、七優って誕生日はいつなんだ?」

「え?えっと……一月の二十日ですけど……」

「本当か?」

「え、ええ。でもどうして急に?」

「俺の誕生日も一月二十日」

「え!?すごい偶然ですね!!!」


 嘘だ。


 朝生は孤児。


 赤ん坊の頃に拾われた身である朝生に、誕生日という概念はない。

 ではなぜこんな虚言を吐くのか。


「これで一月二十日は七優と俺にとって特別な日だ。これでもいつもと変わらない日か?」


 頬杖をつき。横を向いて。樫木の目を真っ直ぐ射抜いて、言った。


 樫木は、ハッとした表情を一瞬表すと、黙って俯いた。

 耳は淡い赤色に。

 控えめに朝生の袖をつまんだ。




「バカ……」




 それが初めて聞いた樫木の口だった。

 いや、初めてではないか。


 樫木がそういう表情を浮かべながら言うセリフは大抵心臓に


 あまりの可愛さに何も言えずにいると、さらに追い打ちをかけてきた。




「あの……今日だけ……。今日だけですから。私が寝るとき、近くにいてくれませんか?」




 朝生が考えすぎなのだろうか。


 樫木と出会ってから、一番の口を聞いた。

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