第20話 添い寝

 朝生の自室。


 そこは何の変哲もない。どころか、殺風景。

 作業机と寝具があるだけの部屋。

 一見、そのように見える。


 本当は『暗殺』に必要な道具や仕掛けは隠されているが、来客の場面を考慮して片づけてある。


 作業机というのは、いわゆる立ち机。

 つまりこの部屋に椅子が存在しない。


 樫木を立ったまま居座らせるのも気が引けるので、朝生は「どうぞ」とベッドに腰を下ろすよう許可を出すしかなかった。


 樫木はそう言われて、遠慮がちに座った。


(椅子ないから仕方ないもんね。ベッドに誘うしかないもんね。誘うって言うな!)


 戒めのため、こっそりと二の腕をつねる。


 しかも樫木は完全にお泊りモードに入っている。

 帰宅する気配がない。

 つまるところ、どこで寝るつもりなのか。


 答えはもう、自室のベッド一択だろう。

 となれば、童貞の朝生はパニックだ。

 理性が死にかけている。


(や、まあ近くにいてくれって別に同じ布団に入らないでも……な?七優が眠るベッドの横で立膝ついてるだけでもいいはず……てなんだそのカオスな状況)


 ベッドに座る樫木を見上げるような形で、朝生は床で胡坐をかいている。


「綺麗なお部屋ですね」

「物がないだけだからな」


 そう言いながら、朝生は床に隠している毒ガスのスイッチに意識を向けた。

 一息で押してしまえば、樫木を『暗殺』してしまえる。

 だが、押さない。


 今日の朝生には迷いがあるからだ。

 それに数分前にあんな話をしたばかりだ。


 今、『暗殺』してしまうと、後味が悪い。

 まあ、後味が悪いと思っている時点で、朝生の私情が挟まってしまっている。

 普通じゃない。


 胡坐をかいていたからか、尻が痛くなり、朝生は少し腰を浮かして座り直す。


「それよりさ……。俺、ちょっと自分用のブランケット持ってくるわ。床で寝るにしてもさすがに毛布ないと寒いし」

「え?何を仰っているんですか?」


 小首を傾げる樫木。

 ポンポンと隣を手で叩く。

 まるで一人用のベッドで、寄り添って寝るとでも言いたげに。


「陽太くんは一緒に寝てくれないんですか?」

「いやいやいや!それは色々とまずくないか?」


 寄り添って寝るつもりだった。

 いわゆる添い寝。あの添い寝である。


 同級生の超絶美少女と自室のベッドで添い寝。

 自分の人生でこんな場面に遭遇するとは、これっぽっちも思っていなかった。


「先ほどは近くにいてくれるって――」

「や、それは七優が一人でベッドで寝て、俺はベッドの隣の床で寝ることかと――」

「では、陽太くんは私と寝るのが嫌なんですか?」


 何かを怖がるように。そして寂しそうな眼差しを樫木は向けた。


「嫌っていうか何と言うか……」


 童貞の悪いところが出た。歯切れが悪い。本来、こういった場面では男がシャキッとするべきだろう。

 ではないと、女の子に恥を掻かせてしまいかねない。


「や……あの!私と寝る、っていうのは変な意味ではなくてですね……その、えっと……」


 樫木は急に顔を朱に染めて、発言を訂正しようとする。


「はしたないことを申し上げてしまいすみませんでした……」

「い、いや……七優が気にすることじゃねえって」


 静謐。静寂。沈黙。


 普段は気にすることなんてない、外を走る車の通る音が聞こえる。

 除夜の鐘はもうとっくにつき終わっているだろうが、朝生の心臓は未だ早鐘を打っていた。


「――わかった。俺も男だ。覚悟を決めた!」

「ええ!?お、男?あの……男として覚悟を決めるって――」

「あああぁぁあ!!違う違う!やましいことは企んでないから!」


 朝生は勢いよく立ち上がったはいいものの。

 言い方が紛らわしかったせいで、樫木に勘違いされた。

 どこか締まらない。


「寂しそうな七優を見てしまったら、放っておけないだろ。だからうじうじするのはやめたんだ」

「陽太くん……」


 朝生は緊張で声が震えた。


「遅くならないうちに、寝るか」


 のそのそと布団に潜り込む。樫木も朝生に続く。

 朝生は壁際を陣取り、壁の方を向く姿勢を取った。

 言い方を変えれば、樫木に背を向けるように寝転んだのだ。


「こちらを向いてくれないのですか?」

「ん……まあぼちぼち」


 そんな曖昧な返事で朝生は濁した。


 うなじに伝わる吐息のこそばゆさから察するに、樫木は朝生の方向へ体を向けている。


 何を思ったのか、樫木は朝生の背中を指でなぞりだした。


「ちょっ。くすぐったいんだが」

「こっちを見てくれないからです」


 動かざる事山の如し。

 朝生は抵抗を続けた。

 というか動いた瞬間、魅了の魔法にでもかけられて、大変なことになってしまうんじゃないかと思うと、ある意味怖くて振り向けない。

 これじゃあメデューサよりたちが悪い。


 指でなぞっても効果がない、と悟ったのか、樫木は指を離した。

 そして、すぐに背後から抱きついてきた。


「な、七優!?」

「……」


 樫木は何も答えない。

 その代わり、背中から女性特有の柔らかさが伝わってきた。

 二人の心臓の鼓動が混ざる――わけではなく。

 ”童貞の朝生”産の心臓はオーバーワークするに至り、朝生の心音が全てを塗りたくっている説が有力。


 それだけに飽き足らず。

 樫木は左腕を朝生の首に絡めた。


「振り向くか抱きつかれるか、どちらがいいですか……?」


 耳元で。しかもかなりの至近距離で。

 樫木は吐息交じりの囁きで、朝生の耳をくすぐった。

 しかし、樫木の声音も少し震えていた。

 もしかしたら、緊張でいっぱいいっぱいなのかもしれない。


(いや、それは俺だけか)


「わ、わかった!ふ、振り向くからちょっとだけ離れてっ!」


 何とか噛まずに言い切り、宣言通りに振り向いた。


「やっとこっち向きましたね」


 意識が飛びかけた。大げさではない。

 目と鼻の先に樫木の顔があった。

 近い。

 まつ毛が何本あるか数えられるほど。

 まあ、朝生にそんなことをする余裕はないが。


 やや固さはあるが、ニコリと笑んだ樫木はやはり可愛いすぎた。


 目を逸らしながら、朝生は言う。


「じゃあ俺は寝るから」

「せっかちさんですね」

「寝るのにせっかちとかいう概念ねえよ」

「そうですか?布団に入ってお喋りしたい人からすればすぐに寝るのは物足りないかと」

「お生憎様、俺は初夢が楽しみすぎてな。早く寝たくて仕方がないんだ」

「緊張しているんですか?」

「初夢が見たいだけだから」

「私は緊張していますよ」

「うん?」


 消え入りそうな声で、樫木はそう言った。


「男の人と一つのベッドを共有した経験はないので」

「今それ言う!?」


 朝生は理性のために、忘れよう忘れようと思っていた事実を樫木に突きつけられ、思わずツッコんだ。


「本当に私を襲わないんですね」

「ブッ!?お、襲わねえって。そんなことしたら七優が可哀そうだろ」

「二人きりで邪魔される心配もいりません。絶好のチャンスだと思うのですが、ちがいますか?」

「七優!!」


 語気が少し強くなってしまった。


「どうしてそういう自分を軽んじるようなことばっかり言うんだ。俺を信用してくれてるのかもしれないけど……そんなのは嫌だ」

「……っ」

「もっと自分を大事にしてくれ」


 布団の中で、朝生は樫木の手を握った。

 見えないはずだが、なぜかすぐに彼女の手の位置がわかった。


「これなら安心して眠れるか?」

「……ずるいです」

「ん?」

「思っていたよりも斜め上をいくような……歯の浮くようなセリフを急に言うの……ずるいと思います」

「いや、その!俺も必死だったというか」

「まあ私の訊き方もずるかったですね」

「訊き方?」


 朝生の疑問に樫木は答えなかった。

 ただ、道の端にひっそりと咲く花のように微笑を浮かべて、


「襲われないんですね、私は」


 手のひらの熱を確かめるように、樫木は手を握り直した。


「おやすみなさい、陽太くん」

「ああ。おやすみ、七優」


 それだけ呟き、樫木は安心しきったように瞼を閉じた。

 無論、朝生は寝付けなかった。


 常に間近で吐息を感じられるのに、どうやって眠れと。


 初夢なんて見られなかったが、そんなことは後悔にはならなかった。


 ただ、気がかりだったのは。


『あけましておめでとう』とは言ったが『今年もよろしく』と言えなかったことだけが、しこりとして居心地悪く残った。

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