第3話 朝生陽太の人助け

 朝生陽太は一人暮らしだ。

 古すぎず新しすぎず。そんなアパートに身を置いている。

 家事は暮らしに困らない程度にはできる。自炊だって毎日する。


 というわけで朝生は食材の買い出しに来ていた。

 自宅から歩いて五分程度かかる。

 上下ジャージのラフな格好で、朝生は財布だけを持って行くが――


「いたっ……」


 スーパーの目の前の歩道での出来事。

 樫木七優が一人の怪しげな男にぶつかられていた。


 ぶつかられた弾みで、樫木は手に持っていたエコバッグを落とした。

 買い物が終わった後だったのか、中身が派手にぶちまけられていた。

 アスファルトの地面にトマトがぐしゃりと潰れているのがわかる。


 ぶつかった男は「チッ」と舌打ちをした。落とした食材の始末をする樫木に見向きもしない。

 男はそのまま樫木から離れる――言い換えればスーパーへと向かう朝生に近づく形となった。


(ん?もしかしてこの男――)


 接近して朝生はある確信を持った。


(ほんと、俺ってすぐに厄介事に巻き込まれるよな)


 朝生は――人助け――のために男にぶつかっていった。

 反動で肩が少し痛むが、このくらい強い方が良いだろう。


 朝生は男に睨まれた。

 だが、朝生が「すみません」と謝ると男は「気をつけろよ」とだけ言って歩いて行った。


 一刻も早くこの場を立ち去りたかったのだろうと思案し、男を一瞥する。


「大丈夫か?樫木」

「はい。けがは特に……って、え?朝生くん?どうしてここに?」

「俺もよくこのスーパーを利用するからな。買い出しってこと」


 朝生は樫木がぶちまけてしまったエコバッグの中身の処理を手伝う。

 それを見た樫木は申し訳なさそうに手をヒラヒラと振る。


「いいですよ、手伝わなくて。朝生くんは自分の買い出しに行ってください」

「遠慮するなって。俺が好きでやってるだけだから」


 これ以上厚意を無下にするのは失礼だと樫木は感じ、「ありがとうございます」とだけ言って片づけを再開した。


「あ、そうだ。これ……」

「え!?私の財布……」


 樫木はなぜか朝生が差し出してきた自身の財布を大事そうに抱える。


「さっき樫木がぶつかられたときにスられてたから、取り返しといた」

「全く気が付きませんでした。本当に、この御恩をどう返したらいいか……」

「それこそ気にしなくていい。男はスリの常習犯っぽかったし、樫木が悪いわけじゃないからな」

「そういうわけには……。百歩譲ってスられたのが仕方なかったのだとしても、ぶつかられてバッグを落としたのは私の落ち度です」

「いや、だからそれは……」

「ここまで助けてくださった方には――私にできることを全てして差し上げたいのです」

「う、うん……」


 困ったなと小考する朝生。

 ここまで一方的に恩を感じられると、殺意が揺らいでしまいそうだ。


 ――殺した以上に人助けをする――というのが朝生の信条だが、こういった状況に陥るとは想像もしていなかった。


(ダメだダメだ)


 雑念を消したくて、頭を振る。


(今の俺があるのは代表のおかげ。代表が下した任務なんだぞ、樫木七優の暗殺は……)


 パンパンと朝生は頬を叩く。


「いきなりどうされましたか?」

「なあに、大したことじゃない。ちょっと気持ちを切り替えただけだ」


 朝生は冷静さを取り戻した。

 散乱していたエコバッグの中身を全て片して、続けた。


「どうしても樫木が恩を返したいと言うのなら――」

「言うのなら?」


 樫木が期待の眼差しで繰り返す。


「お、おりゅ……あっ……」

「おりゅ?」

「んんっ!お、俺の家で夕食をご馳走してくれないか?」


 朝生はものすごく目を泳がせる。


(うーわ噛んだ。大事なところで噛んじまったよ。だってこれ、どう足掻いても女の子を家に誘ってんじゃん。童貞の風上にも置けねえな。なんだよ童貞の風上って)


 心臓をバクバク言わせながら、樫木の言葉を待つ。


 数秒後、樫木は天使のように微笑んだ。


「――はい。私の手料理でよければ喜んで」


 ほっと胸を撫で下ろす。

 返答次第では、樫木より先に朝生が死んでしまっただろう。


 もっとも、今の樫木の微笑みで朝生は俗に言う――尊死――しかけていたが。


「でしたら食材を買い直してきても良いですか?」

「ああ。だがさすがに代金は俺が払うぞ」

「いえいえ。こちらが恩を返すのですから、お金はいただけません」


 この子は優しすぎる――と朝生は結論を出す。

 プロフィールには一人暮らしと記載されていたが、こんな調子で生きていけるのだろうか。


 詐欺とかに引っかかるのも時間の問題なのでは――という所までで考えるのを止めた。


 なぜならこの子は今日のうちに朝生に『暗殺』されるのだから――


 朝生と樫木はスーパーへ足を踏み入れた。




 スリを働いた男が突如泡を吹いて倒れたことに、樫木は気づいていない。




 朝生はスリから財布を取り返すのと同時に、特製の毒針を一刺し。時間差で毒が回ったのだ。


 男は死んではいない。気絶しているだけだ。男は樫木以外の財布もいくつか持っていた。

 だからあとで警察やら救急車やらが来たら、男の余罪はバレるだろう。




 これが暗殺界隈トップクラス――【ヌル】の所業であった。

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