第7話 次男の苦悩
「殿下。皆さまにご紹介くださりありがとうございました」
胸に手を当て、深く礼をしながら、僕は大公殿下に伝えた。殿下は玉座にかけ、侍女から葡萄酒が入った杯を受け取りながら、僕に目線を遣った。
「本日招いておるのは、アズラカイムの都市国家、そのひとつひとつを儂と供に統治する者たちだ。貴国でいう貴族近い。そなたにとっても社交を持って損もなかろう。存分に楽しむがよい」
「はい。ありがとうございます。……ただ、まずはサルマーン閣下にご挨拶をさせていただきたく。まだまともにお話をしておりませんのです」
「それはいけない。確かにそうだ。……サルマーン!」
殿下は手を叩いて、少し離れた場所で各都市国家の代表者たちと話していたサルマーン閣下を呼んだ。
「はい、ここに。なんでしょう、大公殿下」
「お前はまだセルジ殿とお話されていないだろう。挨拶くらいしっかりしろ」
「これはこれは……とんだご無礼。大変失礼しました、セルジ殿」
閣下はそう言うと、ひげを生やした口元に柔和な笑みを浮かべ、僕の方に向き返った。
「私はサルマーン・アズラカイム。この国の第一大公子でございます。以後お見知りおきを」
「ご丁寧にごあいさついただき恐縮です。私の方こそご挨拶が遅れ申し訳ございません。しばらく貴国にはお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。……ところで、我が愚弟のウマルとはいかがでしょうか。何かご無礼を働いてはいませんか」
サルマーン閣下はふんわりと微笑みながら僕に問いかける。先ほど謁見の間でお見掛けたときは、どちらかと言えば大公殿下のような重厚な雰囲気のある方だったが、こうしてお話しするととても気さくな方だ。
「無礼だなんてとんでもございません。私なぞには身に余るほど、丁重にご対応いただいています」
「それは良かった。大公も申しておりますが、何ぞお困りのことがあらば、いつでもウマルにお申し付けください。愚かしく未熟な弟ですが、何か役に立つこともありましょう」
「ありがたき幸せに存じます」
「ああ、セルジ殿!」
突然の声に振り向くと、玉座の階下にオスカルを伴ったウマル閣下が立っていた。
「大変お待たせしました! ……これは、兄上……」
「ああ、ウマル。セルジ殿とはよくやられているようだな」
「はい……。セルジ殿は大切なお客様ですから」
妙にばつが悪そうにウマル閣下は言った。心なしか目線も下を向いていて、サルマーン閣下と目を合わせないようにしているように見える。
妙な、間。見ればウマル閣下を見遣るサルマーン閣下の目も嫌に冷たく、僕は肌が粟立つのを感じた。
「……ウマル閣下! わざわざお迎えにきてくださったのですか」
なんだかいてもたってもいられず、僕は無駄に大声でウマル閣下に呼びかけた。
「……ええ、まあ」
「ありがとうございます! 自力で閣下と合流できるか不安だったのです。何せとても広い間ですから」
僕はできるだけ強く笑顔を浮かべながら、サルマーン閣下に向き直った。
「このようにウマル閣下には大変お世話になっております。どうぞご安心を、閣下」
努めて浮かべたこの笑顔に、不自然な点はなかったろうか。不安になりながらも僕は表情を崩さないよう、サルマーン閣下を見つめた。
サルマーン閣下はこちらに向き返るとき、刹那ウマル閣下に向けたのと同じような目線を僕に向けた。ほんの一瞬のことだが、背筋がすうっと冷たくなる。
「……そうですか。それはよかった」
あっという間に、表情を先ほどまでの人好きをするような微笑みに戻し、サルマーン閣下は僕に言った。
「それでは私はこのあたりで……。第三オアシスの為政者と約束があるのです。また近いうちにお話いたしましょう」
「はい。今後とも何卒よろしくお願いいたします」
「こちらこそ。……それでは」
サルマーン閣下は僕と大公殿下にそれぞれ一礼をすると、広間に至る階段を下りて行った。下を向いたままのウマル閣下とすれ違いざま、ぼそぼそっと口が動く。……何を言ったかは聞こえなかった。ただ、無心にうなずくウマル閣下が、身を固くしたことだけはわかった。
「……それでは殿下。私もこれで失礼いたします。ご来賓の皆様にご挨拶させていただきたく」
「ああ、そうですな。貴殿と話したい者も多くおろう。儂が独り占めするわけにもいかぬな」
「殿下であればいつでも歓迎です。……それでは失礼いたします」
僕は微笑みながら一礼をし、階段を降り、ウマル閣下とオスカルに向かって歩いた。
「ウマル閣下。大変お待たせしました」
「滅相もない。……それではゆきましょう。各オアシスの長をご案内いたします」
ウマル閣下は弱く微笑み、歩き出す。僕もそれについていく。オスカルも僕に寄り添うよう静かに後ろを歩いた。
「サルマーン閣下はなんというか……雰囲気のある方ですね」
先ほどのお二人の様子があまりに気になって、僕は思わずウマル閣下に尋ねた。ウマル閣下は困ったように微笑みながら、「ああ……」と言ったまま無言になる。遠くを見つめるような目線から、僕は自分が話題選びに失敗したことを悟った。
「ウマル閣下……?」
恐る恐る問いかける僕に、はっとしたような顔をして、ウマル閣下は僕の方を見た。
「ああ、いえ、失礼。少々言葉に詰まってしまいました。……そうですね。私も幼少のみぎりから、兄のことは尊敬しております」
ウマル閣下は立ち止まり、テーブルから豆のペーストとクラッカーを皿に取った。
「セルジ殿もよかったら。フムスというアズラカイムの郷土料理です」
「あ、ありがとうございます……」
「これは葡萄酒のほうが合いますよ」
ウマル閣下は近くにいる侍女を呼び止め、葡萄酒を持ってくるよう伝えた。……うまいことはぐらかされたようだ。
「さあどうぞ」
「ありがとうございます」
ウマル閣下は僕に葡萄酒を渡してにっこり微笑まれる。先ほどの浮かない表情はどこかへ行ってしまったようだ。
「そういえば、セルジ殿も兄上がいらっしゃるんですよね。どのような方なのですか?」
「え? 私の兄ですか」
「はい。どのような方なのかとても気になります」
ウマル閣下は、フムスをクラッカーに塗りながら言った。
「そうですね……私の兄は……」
僕は葡萄酒を口に含みながら、兄を表すに相応しい言葉を思案した。
「……あえて一言で表すなら、『クソ真面目』、です」
ブッ、と後ろでオスカルがふき出すのが聞こえた。
「は? クソ真面目……?」
「汚い言葉で恐縮ですが、これくらいしか程よい言葉が見つからず……。何せ融通の利かない、頑固者で」
「へえ、そうなんですね! セルジ殿がそのようなお言葉をお使いになるのは……何というか、意外ですが」
「お気を悪くしたのなら、お詫び申し上げます」
頭を下げる僕を、ウマル閣下はからからと笑った。
「いやいやお詫びなんて! 貴殿の意外な一面を知れて、少し得した気分です。……ちなみにご兄弟はお二人だけですか?」
「そうですね。僕ら二人兄弟です」
僕は頭を上げながら答えた。
「十違いなので、兄というよりもう一人の父と言ってもいいような存在ですね。融通は利きませんが、人の好い男です」
「そうですか。兄弟仲が良いようで羨ましい」
ウマル閣下はクラッカーを葡萄酒にひたして口に入れた。
「私と兄は、先ほどご覧になったように、あまり砕けた関係ではないのです。まあ治世者の息子など、そのくらいの関係がちょうど良いのでしょうが」
閣下は皿に羊のローストを盛る。よく召し上がる方だ。
「ただ尊敬は本当にしているのです。兄は私などより余程勤勉で、魔術にばかり興味を示す私の分まで、帝王学を熱心に学んでいました。父も兄には信頼を寄せています」
「それは……自慢の兄閣下様ですね」
そんな、尊敬なんて言葉で片付けられる感情ではなさそうだな、と僕は思った。だけどそれ以外にかける言葉も見つからない。
「はい。自慢の兄です」
ウマル閣下は晴れ晴れとした笑顔を、顔に張り付けながら答えた。
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