第24話 城下にて(二)

「……は?」


 オスカルは意味がわからないと言わんばかりに、小さく笑った。


「何言ってるんだ? どうしてそんなことがわかる?」


「見たんだよ」


「はあ? どこで何を」


「湖の中でさ」


 僕は胡瓜のピクルスを、ぱきりと音を立てて齧った。


「俺も入ったが、何もなかったぞ」


「おそらく、あれはお前には見えないだろう。多分、僕にだけんだ」


「……どういうことだ」


「僕はあの日、湖に落ちたんじゃない。引き摺り込まれたんだ。そこで見たんだよ。“ラウダ公妃がアズラカイムに嫁入りする日”を、彼女のの記憶を通してね」


 あの日、湖の中で見たことを思い出しながら、僕はひとつひとつをオスカルに説明していくことにした。




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「……なるほど」


 まだ昼下がりだというのに、酒場は相変わらず騒がしい。その喧騒に飲み込まれそうなくらい小さい声で、オスカルは言った。


「お前が言うことはわかった。それにしても矛盾点が幾つかある」


「言ってみてくれ。僕にも思い当たるところがあるから、答え合わせしよう」


 オスカルは頷くと、すっかり冷めてしまった貝たちから殻を外しながら言葉を続けた。


「まず第一に、お前が記憶を重ねたラウダ妃の姉が、『渇きの魔法』の使い手だったと言う話。今の話じゃ彼女は何も『力』を持っていないってことにならないか?」


「そうだね。本人が言ってるんだからそうだろうな」


 確かにここは大きな矛盾点だった。だけど、僕が記憶を辿ったのはラウダ妃の姉だけ。その裏でどんなことがあったのかはわからない。


「そもそも『渇きの魔法』が『水をもたらす魔法』の対でないのだったら、それさえアズラカイム家の偽りだと考えるのが正しいと思うけど」


「ああ、俺もそう思う」


 つまりこの矛盾点に関しては、むしろアズラカイム家への疑惑が深まるものだと言える訳だ。


「ただ、だとしたらだぞ。あの肖像画はどうなる? その姉は黒目黒髪のはずなんだろう。だったら、お前によく似たあの絵は誰なんだ?」


「うーん、そこだよなあ!」


 背もたれに身を投げ出し、僕は天井を仰ぎ見た。


「偶然にしては、あの絵は僕にあまりに似すぎている。……無関係と、断言する方が難しい」


「そこはまだ考察が必要だな」


 貝の煮汁をスプーンですすり、オスカルは呟いた。


「……で? このまま黙っているつもりはないだろう?」


「当たり前だ。……彼らのいいようになるつもりはない」


「でも、別に大公を弾劾したいという訳でもなく?」


 頭を掻く僕に、オスカルは悪戯っぽく笑いながら言った。


「それはそうさ。別に大公家をどうこうしたい訳じゃない。……僕はただ、本当の『自分』が知りたいだけだ」


「ならどうする?」


「とりあえず、もう少し情報が欲しい。……必要なのは『金の鍵』と味方だ」


「大公家管理図書保管庫の鍵か」


 オスカルの言葉を僕は首肯した。


「しかし金の鍵は、大公家の血筋しか持っていないんだろう?」


「まあ、だからこそ『味方』が必要なのさ」


「なるほど」


 オスカルは顎に指を当てて思案した。


「そしたら、ひとりしかいないな」


「ああ。……ウマル・アズラカイム。彼を懐柔することこそが、今回のキーになると思った方がいい」


 ウマル・アズラカイム。彼には何か秘密があると思う。


 兄・サルマーンに向ける視線の怯えも、初めて出会ったときの何かを諦めたような冷めた目も。彼がこの公国に、何か思うことがあるとしか考えられないのだ。


「……そろそろ時間だ。そろそろ宮殿に戻ろう」


 いつの間にか懐中時計を取り出したオスカルが、盤面を見ながら僕に告げる。慌てて僕も懐中時計を取り出す。すでに時刻は十六時を示そうとしてた。


「まずい……。そろそろ出ないと」


 ここから宮廷まで、少なくとも三十分はかかる。大公家の会合が終わるのが十七時。用心するならもう戻らなければならない。


 僕が懐中時計を確認している間にも、オスカルは席を立ち、すでに支払いを済ませていた。


 フードを被る。ウマル閣下。彼は一体何を考えているんだろう。


 大公殿下のような厳格さも、サルマーン閣下のような冷酷さも。


 欠片さえ見せない彼を、縛っているものがきっとあるはずだ。


 それなら、僕らにできることなんて、たったひとつしかない。



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 門をくぐった瞬間から、いやに違和感を感じた。


 まだ大公家は誰も帰ってきていないはずの時間なのに、どうも騒がしい。それも、走り回っているのは女中ではなく、文官や位の高そうな武官ばかり。尋常ではない状況なのはすぐにわかった。


「失礼。アスタルロア卿であられますか」


 自らの部屋に向かうことも忘れ、あたりを見回していた僕に、後ろから声をかけたのは、1人の軍人だった。勲章の数を見るに、おそらく中将クラスだ。


「左様ですが。あなたは?」


「失礼ながら名を名乗っている間も無く。ウマル閣下がお呼びです。お部屋にご案内します」


 彼は「こちらに」と続けると些か急足で歩き始める。状況が飲み込めず、少しばかり呆けていた僕は、後ろからオスカルに小突かれて、慌てて追いかけた。


「待ってください! 一体何があったのですか?」


 まさか、僕たちの計画がばれたか?……いや、この話は「計画」と呼ぶにはあまりにまだ稚拙だ。何ひとつ証拠もない、こんなことで呼び出されるとは到底思えない。


「閣下、恐れながら」


 ぴん、と緊張を帯びた声。自分から公的な場で言葉をほとんど発さないオスカルが、珍しく発言したことに、僕は驚き振り返った。


「よもやとは思いますが……」


 遠慮がちに言葉を紡ぎながら、しかし彼の目は緊迫感に満ちている。……軍人ながら、嗅ぎ取った答えがあるようだ。


「…………戦争、でございますか」


「戦争?」


 確かに、この張り詰めた空気。慌ただしげな軍人たち。そうか、戦争と言われれば納得がいく。


「卿、どうぞご心配をなさらず。詳しくはウマル閣下がお話になるでしょうが、これは戦争というほど大きくもございません」


 足早に歩く彼に付いていくうちに、謁見の間の前を通り過ぎていた。宮殿の奥に近づいているからか、少しずつ人もまばらになってきている。



「アズラカイムが属国のひとつ、第二十五オアシスに、ある国の内偵が紛れていることがわかりました。……それだけの話です」


「たったそれだけ?」


 彼の言葉に、僕は思わず足を止める。気付けば水環石製の翠碧の広間にまで辿り着いていた。先にあるあの扉を潜れば、その先は大公家の居住域だ。


「そんなことで、ウマル閣下が私をお呼びになりますか」


 他国の斥候が紛れることなんてよくあることだ。その程度のことで、宮殿中が混乱をきたすとも、閣下が僕を呼び出すとも思えない。


 僕の言葉に、案内をしていた軍人は同様に足を止める。


「……詳しくはウマル閣下にお聞きいただいた方がよろしいでしょう。僭越ながら、私の一存で卿にお伝えすることは難しゅうございます」


 悪しからず、と軍人は付け加え、翠碧の間が最奥、大公家の居住区につながる扉に手をかける。


 その瞬間、心なしか。


 額縁に佇む金色の瞳が、ゆっくりと細められたような気がした。

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改世律の聖譚曲《オラトリオ》 成田葵 @aoi_narita

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