第四章 それは羨望にも似た、

第23話 城下にて(一)

 城下町。雑踏を抜け、煩雑に賑わう酒場に入ったところで、僕とオスカルは被っていたフードを取った。


「ここまで来れば大丈夫……だよな?」


「おそらく。塀を越える前から追手には気を配っていたが、特に問題なさそうだ」


 オスカルはそう答えると、近くにいた店員を呼び止めた。


「すみません。白ワインをふたつ、ムール貝とあさりの煮込み、パンチェッタときのこのオリーブオイル煮、あと適当にピクルスをお願いします」


「かしこまりました!」


 店員の女性は手早くオーダーをメモに取ると、にっこり笑って厨房へと消えて行った。


「ガルシアの料理が食べられる店があるなんて知らなかった」


「この間城下町に降りたとき小耳に挟んだんだ。久しぶりにいいだろう」


 周囲を見れば、確かにガルシア人らしい色素が淡めな人も多くいる。ガルシア人の間では有名な店なのだろうか。


 そんな他愛もない話をしているうちに、白ワインとピクルスが運ばれてくる。久しぶりの白ワインに、僕は喉を鳴らした。


「アズラカイムじゃ麦酒か赤ワインしか飲めないと思ってた!」


「まだ昼間だから一杯までな。宮殿で誰かに会ったとき白い目で見られる」


 僕らはグラスを鳴らして挨拶をし、白ワインを口に含んだ。


「すみません。水をいただけますか」


「もう飲まないのか」


「お前の護衛があるからな」


 オスカルは、舐めるほどしか飲んでいない白ワインのグラスをテーブルの脇にずらした。


 次第に料理が運ばれてくる。貝の煮込みとパンチェッタのアヒージョ。どれも美味しそうだ。


「……さて、食事もいいが」


 貝の煮込みを皿に取り分けながら、オスカルは言った。


「話してくれるんだろう。あのときのこと」


「そのつもりさ」


 オスカルから皿を受け取り、ムール貝のひとつを貝殻から外し頬張る。


「ウマル閣下の前じゃ言えないこともあったからね」


 フォークに刺した分厚いパンチェッタを口に運ぶ途中で、オスカルの動きがぴたりと止まった。


「大公家に関わることか」


「そうだよ。そのために二週間も待ったんだから」


 晴明祭からあと一週間という今日は、大公家と公爵家が一堂に会する祀事が催されている。大公殿下をはじめとする重要人物が、すべて神殿にこもるこの日は、僕とオスカルがふたりでこっそりと話すのに絶好の機会だった。


「わかった。……で? お前は何に気付いた?」


 オスカルはパンチェッタを口に入れ、頬杖をついた。


「まず思い出してほしいんだけど。あの日、僕がメレニア湖であったことを、ウマル閣下に伝えたときのこと」


「お前が湖の水を消せないことを伝えたときのことか?」


 オスカルの言葉に、僕は首肯した。




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 話は二週間前に遡る。


 メレニア湖からなんとか帰ってきた僕らは、朝食を終え、ウマル閣下に会いに行った。


 ……溺れたことは、特に伝えなかった。そんなことを言えば、マルジャーナ嬢がこっ酷く叱られることも、目に見えていたからだ。


「え、『死の湖』に行ったのですか!?」


 僕の言葉に、ウマル閣下は目を丸くした。


「またマルジャーナは、ひとりで突っ走って……!」


「そう怒らないでください。マルジャーナ嬢は、僕の願いを聞いてくださっただけですから」


 僕はウマル閣下を宥めながら、話を続けた。


「それで湖に行った感想なんですが……。あまり、特別と言ったことはありませんでした」


「そうですか……それは残念です」


 ウマル閣下目を伏せて、ため息をついた。


「強いて言うなら、魔力を吸い取られる感覚はなかったので、そういう意味ではあそこは特別な場所なのかもしれません。……ただ」


「ただ?」


「……湖の水が、消せなかったんです」


「なんだって!?」


ウマル閣下はかけていた椅子から、勢いよく立ち上がった。


「そんな……セルジさんに消せないだなんて……!」


「僕も驚きました。でもできなかったんです。……途中で、その、試しに湖に入ったのですが、まったく水を消せる感覚はありませんでした」


 溺れたと言うことがばれないよう、言葉を選びながら、ウマル閣下に告げる。


 湖の底に引き摺り込まれたとき、実は何度か「渇きの魔法」を試してみていた。命が関わっていることもあったし、貯水湖の水をすべて枯らせたことを考えれば、できないことじゃないと思ったからだ。


 ……でも、できなかった。いくら試そうとも、湖の水は枯れず、僕は沈む一方だったのだ。


「それは、量が多かったからではないでしょうか?」


「それも考えましたが、陸に戻って手で掬った水であっても、消すことができなかったんです」


「……そうですか」


 僕の言葉に、ウマル閣下は顎に手を当てて考え込んでしまった。


「……わかりました」


 短くはない逡巡の末、閣下は言葉を続けた。


「このことは、今後の魔法研究を進める、重要な鍵になるかもしれません。私の方でももう少し考察を深めてみます」




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「特別おかしなところも、なかったように思うが」


 テーブルに運ばれてきた水を仰ぎながら、オスカルは答えた。


「そう思うかい? 僕からすれば、あの反応は過剰だったと思うんだけど」


「どの反応だ?」


「僕が湖の水を消せなかったことについてさ」


 僕は大きく切られたマッシュルームを、ニンニクとともに口へ運んだ。


「今までだって『魔法』について、ウマル閣下の予想が外れたことは度々あった。そのときはあれほど過剰に反応していなかったろう?」


「それはそうだが……」


 あまり腑に落ちていなそうなオスカルに、僕は言葉を続けた。


「そもそもの前提から見直そう。僕はなぜここに来た?」


「『渇きの魔法』が発現したからだろう」


「それでどうしてアズラカイムへ?」


「『渇きの魔法』のルーツがアズラカイムだからじゃないか」


「そう。この魔法は本来、マルジャーナ嬢の『水をもたらす魔法』と対なはずなんだ。だからこそ、今回のメレニア湖の訪問も決まった。メレニア湖は彼女にとって特別な場所だからね」


 背もたれに寄りかかり、天井を見上げる。空気がうまく循環するように、天井扇がゆったりと回っていた。


「でも実際どうだった? 僕の『魔法』は力を増すばかりか、まったく使い物にならなかった。つまり」


「お前の『魔法』は、『水をもたらす魔法』の対じゃない……?」


 探るように口にしたオスカルの言葉に、僕は首肯した。


「そう仮説が立てられる。まあ魔力は吸い取られないで済んだし、僕にとって何かしら所縁あるのかもしれない。でも『水をもたらす魔法』と、僕の『渇きの魔法』が本質的に同じって言う、今までの前提は覆るよね」


「なるほど……」


オスカルは思案するように俯いた。


「でも、それならなおのこと、ウマル閣下の驚きは当然のように思えるが」


「そうだな。あの驚きが、あの湖が僕にとって特別な場所ではないことに対して、のものならおかしくない」


「どういうことだ?」


 怪訝げに目をすがめるオスカルに、ひとつ呼吸を置いてから僕は告げた。


「閣下が驚いたのは、だ」


「……ああ!」


 オスカルは目を見開き、身を乗り出した。


「そうか。確かにそういえば……!」


「つまりウマル閣下にとって……いや、大公家にとって、僕の『魔法』が『水をもたらす魔法』と対かなんて、大して問題じゃないんだ。あの湖の水を消せるかどうか。そこが最たる問題だったんだよ」


 白ワインのグラスを、ゆらゆらと揺らす。少し念じれば、あっという間にグラスは空になった。


「すみません。同じものをもう一杯」


「一杯までって言ったろう」


「いいじゃないか。ほとんど消えちゃったんだし」


 新しいグラスと古いグラスを交換し、白ワインをひと口含んだ。


「だけど、そうなるとなぜ大公家は、メレニア湖の水を枯らしたいんだ?」


「ああ、そうだね」


 オスカルのもっともな疑問に、僕は答えた。


「それはね、あの湖にあるお宝が沈んでいるからさ」

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