第2話 羊肉の串焼きには岩塩一粒
「……三日で着くって、言ったじゃないか」
「……ご休憩の回数が、多くいらしたので。セルジ様のお身体を案じてのこと……。私としては倒れられてしまうより、ずっと良いかと」
アズラカイムの領地に入ってから五日。ようやく本国の関所にたどり着いた。
アズラカイム公国。大陸の東西を結ぶ、交易街道の要所。周りにはガルシア人らしい彫の深い顔つきの人物から、砂漠の民族特有の褐色肌、異国情緒を感じる切れ長な目つきの東大陸の人間まで、多くの人間が並んでいる。商人やキャラバンが多いようで、がやがやと賑やかだ。
どこで誰が見ているともわからないので、オスカルの口調も丁寧になる。
「本国に入るだけでこんなに並ぶとは思っていなかったよ」
「今までの都市国家も、本来なら入国までに相応の煩雑な手続きがあったのですよ。私たちの場合、大公殿下からの親書のおかげで、手続き自体はとてもスムーズに終わっていたのですが。本国ともなれば、ここで商売をしようとするキャラバンも多いでしょうから、そもそもの入国希望者数が桁違いなのでしょうね。……衛兵に話でもつけてきましょうか」
確かに、大公家の封蝋が捺されたこの新書さえ見せれば、入国処理は一瞬で片付くだろう。
「うーん。そこまではしなくていいよ。こんなに人が並んでいる中僕だけズルしているみたいで嫌だし」
「何をおっしゃいますのやら。本来なら、国賓級の扱いを受けてもよいくらいなのですよ」
「今回、その扱いを断わったのは僕のほうだろう。いいんだよ。ちょっと旅行みたいで楽しいし」
ヘラヘラと笑う僕を見て、オスカルはじっとりした目でため息をついた。
「どうぞ、体調だけはお気をつけて」
「ありがとう。僕のわがままに付き合わせてごめんね」
「貴族様のご道楽に振り回されるのも、私ども従者の務めですので……」
「おい。お前、ちょっとだけ本性出てるぞ」
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入国手続きを終え、真っ青な顔で「今すぐ宮廷にお送りします……!」という衛兵たちの申し出を丁重に断り、自分たちの足で宮殿へと向かう。
関所から入ってしばらく歩くと、一気に道が開ける。左右には多くの出店が並び、あるところではきらびやかな宝石を。あるところでは新鮮なフルーツと野菜を。またあるところでは三日月のように反った鋭そうなナイフ売っている。
アズラカイムの名所のひとつ、バザール。東西と砂漠の商人が集まり、それぞれの特産品を売りさばくこのバザールは、世界でも有数の市場として有名だ。
「すごい賑わいだな!」
人の熱気がすごい。それぞれの商人が、どれだけ自分のところの商品が優れているか、熱を込めて語っている。長旅での家族への土産か、はたまた仕入れか。少しでも珍しい商品を少しでも安く手に入れようと交渉するバイヤーたちの詭弁ともいえる値下げ交渉も、溌溂として小気味よい。人通りも激しく、僕たちは荷積みのラクダも連れているため、なかなか前に進めなかった。
「セルジ様! どうか離れないでくださいよ! こんなところで迷子になられたら、合流したくてもできませんよ!」
オスカルは身長が高いので、こんな人ごみの中でも頭ひとつ飛び出ている。そのおかげで見失うことはなさそうだけど、それでも前に進めないことには変わりない。
「わかってるよ。気をつけ……ひっ」
ダンッ!という音とともに、ゴリュッとでも言えばいいのか、骨を断つ不快な音が横でしてビクッと跳ね上がる。恐る恐るそちらを見れば、砂漠の民、おそらくアズラカイム人の恰幅のいい男性が、山羊の脚を落としているところだった。
「おっと、兄ちゃん驚かして悪かったな!! バザールは初めてか?」
男性がニッと商売人らしい人のいい笑顔を見せる。なんて安心できる笑顔なんだろう。右手に持った鉈のような包丁と、軒にぶら下がった枝肉たちがなければ完璧だ。
「ええ、さっきアズラカイムに入ったばかりで。熱気のある、いい国ですね」
経済は国の血液であり、国民は国の肉だ。そのどちらもがここまで活気に溢れているのは、いい国の証拠だろう。
「兄ちゃん面白いなあ。まるで貴族様みたいなこと言うんだねえ! そうだ、これやるよ! 俺からの歓迎の印だ!」
男性は、わきで炭火にあぶられていた、羊肉の串焼きを僕に渡してきた。
「え、いいんですか。お金払いますよ。」
「いいんだいいんだ! 俺はこの国から一歩も出たこったねえから、よくわかんねえけど。やっぱり自分の国を褒められるのは嬉しいもんだ! アズラカイム、楽しんでくれよ!」
「ありがとうございます!」
「セルジ様! どちらにいらっしゃいますか!? いるなら『呼んで』ください!」
「あ、すみません。連れが呼んでいるので……失礼します!」
僕はひとつ礼をして、その場を離れた。少し遠いところで、きょろきょろと顔を青ざめさせながら、僕を探すオスカルのもとに急いで向かう。
「オスカル! ごめん。ちょっと商人さんとお話してた」
「よかった……離れないでください、と申し上げましたのに……そちらは?」
「ああ。これ? その商人のおじさんがくれたんだ。羊肉の串焼き」
「……さすがに気を抜きすぎでは」
「いいんだよ。遊学なんて、半分旅行みたいなものだろう。だからこそ、付き添いもお前だけにお願いしているんだ。少しくらい、羽を伸ばしても罰は当たらないさ」
羊肉をひとかじりする。羊肉の熱い脂が、肉のうまみとともに口の中に広がる。
「うまいぞ、これ! オスカルも食べるかい? アスタルロアの家で出る子羊のローストよりも、もしかしたらうまいかもしれない」
「……私は結構です。それより、セルジ様。あちらが見えますか?」
オスカルはため息を殺しながら、呆れた顔で指をさした。二切れ目の羊肉をかじりながらそちらを見やると、丸いカーブを描くターコイズブルーの屋根を持つ、白亜の城が見えた。
「あれが、アズラカイムの宮殿だね」
「左様でございます。このまま大通りを抜ければすぐかと」
「先方には本日中には着くともう報せてあるんだろう?」
「……ですから、のんびりお肉なんて召し上がっている場合ではないのです。さっさと行きますよ」
僕が羊肉を食べ終えた串を受け取りながら、オスカルはぼやくように言った。
「わかってるよ。……あ、でもその前に」
「……まだ、なにか?」
「さっきな、伸びるアイスを見かけたんだ! それだけ食べてからいこう!!」
だって、ここは異国の地・アズラカイム。ここではだれも僕が侯爵家の次男坊だなんて思わない。どこまでも自由にいられる場所だ。初めての異国旅行に、僕はただただワクワクしていた。
「……ひとつだけだぞ」
オスカルもそんな僕の気持ち本当はどこかでわかっているんだろう。眉を寄せ、苦い顔をしながらも、絞り出すようにそう言ってくれた。
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