第3話 アズラカイム大公家

 アズラカイム宮殿の前には長い階段が続き、上りきった先には大きな噴水がある。


 そこから水路が階段下に向かって伸びてゆき、町のいたるところに水が流れていく仕組みになっていた。まさしく大公家の力の象徴としての噴水である。


 噴水の周りで遊ぶ子どもたちをしり目に、宮殿の門兵のところへ向かう。事情を話し、大公殿下からの親書を見せると、あっさり門を通してもらえた。


 ラクダを預け、服の砂を落としていると、宮殿のほうから誰かがこちらに向かってくるのが見えた。


 若い男性だ。歳は僕とそんなに変わらない、おそらく二十歳そこそこ。頭にターバンを巻き、コートのような丈の長い上着を着ている。


 体のシルエットを隠す布の質感は柔らかく、施された金糸の刺繍の妙からも上等品であることがうかがい知れる。


 後ろに連れた侍女と衛兵の数の多さとしても、おそらく大公一族の方だ。


 僕は、さっと右ひざをつき右手を胸の前に、左手を腰の後ろに回す。ガルシアでの最敬礼だ。オスカルも僕に言われる間もなく同様の姿勢を後ろでとった。


「ああ。どうぞそんなに畏まらないでください。セルジ・アスタルロア卿ですね。私はこの国の第二大公子ウマル・アズラカイムです。長旅ご苦労様でした」


「ウマル大公子閣下御自らお出迎えいただけるとは、大変光栄に存じます。申し遅れました。ご明察の通り、私はガルシア王国アスタルロア侯爵が第二子・セルジでございます。左に控えますが我が従者、オスカル・ラジャ。お会いできて大変嬉しゅう存じます」


「セルジ殿、どうぞ面をお上げください。私は貴殿をお迎えに上がったのです。どうぞ立ち上がって」


 柔和な笑顔でウマル閣下は僕に起立を勧める。僕は「失礼します」と断って立ち上がる。


「本来でしたら、第一オアシスに着きました折にお迎えに上がる予定だったのです。なんでしたら、貴国までお迎えをお送りする手はずでしたのに」

「お心遣いありがたく存じます。しかし私もしがない侯爵家が次男。そこまでお気遣いいただくのも恐縮が過ぎます」


 胸に手を当て、礼の姿勢は保ちながら僕は申し上げた。


「ひとまず、無事にご到着されてよかった。慣れない砂漠に長旅。大変お疲れでいらっしゃいましょう。湯あみの準備をしております。ひとまず砂と汗をお流しください」

「大変ありがたく存じます」


 こちらです、とウマル閣下の示される方向に進む。荷物は衛兵たちがどこかへ運んで行った。


「お疲れかとは思いますが、湯あみ後はそのまま我が父にお会いいただきます。歓迎の晩餐のご用意もございますので、しばしお付き合いいただけますと」

「晩餐までご用意いただけるとは……。むしろ私はアズラカイムに身を置かせていただく立場。身に余る光栄に存じます」


 ウマル閣下は振り返るといたずらっぽく笑った。


「いやいや、私としてはセルジ殿、貴殿に会えるのが楽しみで仕方なかったのですよ。あのガルシア王立魔術学校をご卒業されているとか。さぞや魔術の腕もたつとのお噂ですよ」

「滅相もない。卒業試験もまともにこなせず、お情けで卒業できたようなものです」


 あの日の苦い思い出を思い返しながら、僕は半笑いで返した。


「それも『渇きの魔法』ゆえだったとお伺いしています。魔術の修練度は学校でも随一だったと」


 ウマル閣下は立ち止まって、僕のほうに向き直した。


「実は私も魔術を少々かじっておりましてね。ぜひともセルジ殿とはご学友として、いろいろと魔術について語らせていただければと思っておりました!」


 キラキラとした瞳。なんてまっすぐな方なんだろう。


「左様におっしゃっていただけますとは……大公家の方とご学友なんて、恐れ多いです」


「そうおっしゃらずに! 歳のほどもそう変わりませんでしょう? 私としては、ぜひ貴殿とは立場を超えてお付き合いしたいと思っていたのです!」


「はい、ぜひとも。閣下からもどうぞ私にいろいろご教示いただけますと、大変嬉しゅうございます」


 がっしりと握られた手をそっと握り返す。正直、大公家と私的なお付き合いなんてちょっと面倒くさい。そういったしがらみが僕は一番嫌いなのだ。


「……して、貴殿の従者殿はいつまで剣を背負っておいでで? ここはアズラカイムの宮殿。警備は万全です。もしよろしければ、そちらの衛兵にお預けいただければ、お部屋にお運びいたしますが」


 すうっと表情の冷えたウマル閣下が、オスカルを流し見た。宮殿内で帯刀していることは、不敬にも当たりかねない。そんなことオスカルはもちろん、僕もわかっていることだ。

 オスカルは即座に最敬礼の姿勢をとり、頭を垂れる。ここから先は主人である僕が話す番だ。


「ウマル閣下、ご無礼を承知で申し上げます。帯刀は私が命じたのです。我々はガルシアの侯爵家の者。包み隠さず申し上げれば、私の命を狙う輩も少なくはないのです。この者は幼少のみぎりより、私に仕えその命を懸け守り抜いてくれました。私が今回貴国に遊学できたのも、ひとえにこの者がそばに仕えてきたからこそ。……私としては、やはり信用のおける人物に、この身を委ねたいのです。無礼かとは存じますが、どうぞこの身ひとつで故国を離れた者の、ささやかな安心のためとお許しいただきたく」


 僕はそう言って最敬礼の姿勢をとった。


「貴殿がそう、望まれてのことでしたら……。私から父にも申し伝えましょう。確かに他国で御身ひとつ、心細くもありましょうから」


「ありがたく存じます。ウマル閣下のご英断に、ただただ感謝しかございません」


「さあどうぞお立ちください。お部屋にご案内の途中でしたね」


 ウマル閣下はそう言うと、僕らを連れてさらに宮殿の奥へと進んでいった。



 

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 ウマル閣下に案内された部屋は、おそらく宮殿内でも上等な客室だった。


「こちらがリビングルーム、奥にバスルームとベッドルーム、従者殿用の部屋がございます。部屋にあるものは自由にお使いいただいて結構です。バスルームには湯も張っておりますから、湯あみを終えられましたら外の衛兵にお知らせください。……湯あみに侍女はお付けいたしますか?」


「お気遣いいただきありがとうございます。湯あみは自分でできますので……」


「そうですか。それなら、私はいったんこちらで失礼いたします。次にお会いするときはおそらく晩餐のときでしょう」


 ウマル閣下は一礼すると部屋から出ていこうとした。


「閣下。ひとつ伺いたいことが」

「はい。なんでしょう」

「『水をもたらす魔法』の使い手は、どちらのお方なのでしょうか?」


 先ほどの会話から見るに、おそらくウマル閣下は魔法の使い手ではない。ほかにご兄弟がいらっしゃるのだろうか。


「ああ……『水をもたらす魔法』の使い手は、厳密に言えば大公家一族ではないのです。アズラカイム唯一の貴族・ラウダ公爵家の者になります。血縁としては大公家の血筋になりますが、『水をもたらす魔法』は女性にしか発現しない魔法ですので、大公家のみでつないでいくことが難しく、そのような形となっております」


「承知しました。ご教示いただきありがとうございます。その方とは、本日の晩餐でお会いできるのでしょうか?」


「参列する手はずとなっております。……いろいろお話しされるといい」


 失礼します、と短く告げて、ウマル閣下は部屋を出て行った。最後の態度が妙に気になる。何か「水をもたらす魔法」の使い手に思うところでもあるのだろうか。


「セルジ、お疲れ様。なかなか様になっていたぞ。侯爵家のご子息らしかった」


「一応ちゃんと侯爵家の息子なんだよ。普段は、あんな固っ苦しいのなんて大嫌いだけどね。オスカルこそお疲れ。ごめんな、無理言って帯刀させて。やっぱり突っ込まれたね」


「当たり前だ。さすがにあの場でお前がしっかりかばってくれなかったら、俺の首が飛んでいたぞ。……ただ、俺としても丸腰でこの宮殿に入るのは反対だった。剣もなければ、不測の事態でお前を守れない」


 オスカルはまっすぐと強いまなざしで僕を見る。この国、いや、アズラカイム大公家に警戒心を抱く気持ちは一緒らしい。


「やっぱり、お前を連れてきてよかった。……長い滞在になる。お前に気を張らせることになるが、頼んだよ」


「当然です。主君に身を捧ぐことこそ従者の誉れ。……命に代えても、お守りします」


 オスカルはわざとらしく深々と礼をした。


「やめろ、オスカル。僕がお前にそんなこと求めていないことは知っているだろう」


「わかっているさ。……ただ、そのくらいの気概を持って、俺は今回の遊学には付いてきている。お前は自分のルーツにだけ向かい合えばいい」


「ありがとう。……それじゃあ、砂と汗を落としてくるよ。僕が入った後お前も入ればいい。大公殿下への謁見は難しくとも、晩餐にはお前も連れていく。さすがに身ぎれいにしたほうがいいだろう」


「従者が客間の風呂なんて使っていいのか」


「いいんじゃないか。というか、お前昔は僕と一緒に風呂に入っていただろう。今だって、僕の部屋のバスルームで普段身体を流しているじゃないか」


「それはアスタルロアの家だから許されていることだろう」


「まあ、今はここ僕の部屋だしいいよいいよ。とにかく体中じゃりじゃりでもう気持ちが悪いんだ。行ってくるよ」


 僕はそう言うと、オスカルを置いてバスルームに向かった。

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