第4話 衣服の乱れは心の乱れ
ウォッシュルームはさながらオアシスのようで、高温地帯特有の植物が多く飾られていた。調度品のひとつひとつは品があり、ガルシアの高級宿屋と比べても遜色がない。
少々違うのは、ラタン製の家具が多く、なんとなくリゾート地をイメージさせるような部屋になっていることくらいだろう。
服を脱ぎ、ランドリーシュートに投げ入れる。バスルームに入ると、たっぷりの湯を湛えたバスタブが目についた。白い陶器製で真鍮の猫足。ご丁寧に赤い花びらまで浮かべてある。さながら王族のようなもてなしようだ。
僕はバスタブに身体を沈めた。水面を覆っていた泡と花びらが僕の体重と同じだけこぼれ落ちる。疲れた身体に温かな湯が心地よかった。据え置かれていた液状せっけんで髪を洗いながら、この国の水事情に思いをはせた。
入浴文化はガルシアでは一般的なものだ。水源も豊かで水を温める魔術技術も確立されている。特にここ数年では、魔術の発動要件を仕込んだ魔道具の普及も著しかったので、大衆浴場だけでなく一般家庭でも裕福な家には入浴設備が置かれるようになってきた。しかしここアズラカイムは砂漠のど真ん中。本来水源は大変貴重なものだ。
髪をシャワーで流し、海綿を手に取りバスタブにひたす。豊かな湯。水も魔術も、いずれも十分に備わらない国ではこうもたっぷりとした湯を楽しむことはできない。おそらく百年前のアズラカイムでは、宮殿であれここまで贅沢に湯を張ることは決してなかっただろう。「水をもたらす魔法」が人知を超えた神がかった存在であることが身に染みてわかった。
泡にまみれた身体をシャワーで流し、僕はバスルームから上がる。洗面台の隣の籠にバスタオルと肌着、そして湯上り用のローブが置いてある。オスカルが置いたのだろう。僕は身体を拭き、肌着をつけてからローブをはおって、ウォッシュルームを出た。
リビングに戻ると、オスカルが大公謁見用の宮廷服を整えているところだった。彼自身もすでに正装のアスタルロア軍服に着替えている。いつの間にレモン水の準備までされていた。
「オスカルありがとう。僕はここでこれを飲みながら待っているから、お前も湯を浴びておいでよ」
オスカルからグラスを受け取り、ソファにかけながら僕は言った。
「いや、俺はもうシャワーを浴びたから大丈夫だ」
見れば確かに、オスカルの長い黒髪はその深さをより増しているようだった。ある程度乾かされているようだが、低い位置でひとつに束ねられた髪は、なんとなくいつもより硬そうに見える。
「あれ、そうなの?シャワールームがほかにあった?」
「従者室に。簡素なものだが」
「そうなのか。……オスカル、こちらに」
「どうした。レモン水のおかわりならまだあるぞ」
「いいからいいから。ここにしゃがんで」
水差しを持ったまま怪訝そうな顔で跪いたオスカルの頭に、僕は手をかざす。目をつむり、全意識を手のひらに集中させた。
「……うん、いいよ!もう乾いたと思う」
「は?……あ、本当だ乾いている……!お前、いつの間に『渇きの魔法』をここまで使いこなしていたのか」
「僕自身の髪はこうして乾かすことが多いんだよ。でも、他人にやるのは初めてかな。オスカルがガラガラにならなくてよかった」
「……なっていたらどうするつもりだったんだ?」
「なっていたら、そのときはそのときさ!」
僕はけらけらと笑いながら自分の髪を乾かした。
「しかし、従者室にも入浴設備があるとは驚いたな。この国はそこまで水が豊富なんだ」
「そこには正直、俺も驚いた。『水をもたらす魔法』の使い手は、女性ひとりしかいないらしいじゃないか。いったいどれだけ強力な魔術なんだろうな」
「オスカル、『魔術』じゃなくて『魔法』だ。もはや人の力を超えている。……僕も、いずれこれだけ十分に魔法が使えるようになるのだろうか」
「お前がこの規模でその魔法を使えたら、ガルシアが砂漠になるんじゃないか」
オスカルが宮廷服を広げて目配せをする。ちょうど汗が引いてきたころだ。時間のこともある。そろそろ着替えたほうがいいだろう。
「あまり締め付けないでくれよ」
「大公の前ではそうもいかないだろう」
ブラウスをうしろの紐でぎゅっと搾り上げられ、僕は声にならない声を上げた。
下にはタイトな白いパンツにストッキングを重ねる。ブラウスの上には暗緑色で揃いの、ベストとウェストコートをはおった。いずれも銀糸で刺繍がされ、真珠や金剛石の散りばめられているため、動くたびにきらきらと光を放つ。
「あとは髪も結うぞ」
「この長さでも必要か?」
僕の髪は肩に届くか届かないかくらいの長さ。普段は滅多に結わない。邪魔なとき無造作に結い上げるだけだ。
「国王謁見のときも結っているだろう。観念しろ」
黒いリボンを弄びながら、オスカルは不躾に言う。僕は不平不満を漏らしながらも、渋々鏡台の前に座った。
オスカル離れた手つきで僕の髪をまとめる。ブラシで梳き、椿油で慣らしていくうちに、髪はみるみる柔らかそうな質感に生まれ変わっていった。
「……はい、動いていいぞ。ハーフアップならそんなに息苦しくもないだろう」
「ありがとうオスカル」
鏡の前で首を左右に振る。僕のウェーブがかった癖のある茶髪が、こんなにきれいにまとまるものなのかと惚れ惚れとしてしまった。
「俺はグラスと水差しを侍女たちに渡すのと一緒に、準備が終わったことを外の衛兵たちに伝えてくる。そろそろ出るぞ」
オスカルは僕の肩に白いウール製のサッシュをかけ、その上に第一等魔術師章をつけながら言った。
「うん、わかった。お前も途中までは付いてきてくれるね」
当たり前だろう、とオスカルはにべもなく言う。背中にはすでに剣を背負っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます