第13話 朝稽古

 朝目が覚めて服に着替える。いつものワイシャツとは違う、アスタルロア軍用の訓練着だ。とは言っても、ただの藍色のチェニックだけど。


 剣帯を腰に巻き、左腰に剣をかける。護拳が蔦模様の籠状になっている剣は、魔術学校入学の折に新調したものだった。


 時刻は午前六時。中庭に出ていくと、すでに訓練着を着たオスカルがストレッチをしていた。


「おはよう。体調は?」

「今日はいいよ。疲れも取れた」

「じゃあ今日から稽古再開でいいな?」


 オスカルは頭の後ろで肘を引っ張って、二の腕の筋肉を伸ばしながら言った。


「もちろん。よろしく」


 僕も屈伸運動をしながらオスカルに答える。


 僕の生家・アスタルロア侯爵家は、ガルシアの海岸国境を守護する諸侯であり軍隊を所持する。僕もここの次男である以上、将来的には軍を率いて国境を守ることになるかもしれない。そこで幼いころから剣術は嗜んできた。


 とは言っても、僕にはアスタルロア軍を率いるうえであるがあるため、ほとんど軍人しての働きは期待されていない。それでも剣術を学ぶことは大好きだったので、今でも訓練は欠かさない。……昨日は疲れて寝坊したからしなかったけど。


 ただ、そんな僕以上に剣術に長けているのがオスカルだ。


「そろそろ行くか」


 オスカルは背負った大剣を抜くと両手に構える。長さ一一〇メレル(一メレル=約一・〇二センチメートル)、幅十二メレルは優にある大剣は、オスカルの細腕にはあまりに不釣り合いだが、彼はそれを軽々と扱う。


 彼が軍に訓練生として入隊したのは八歳のとき。当時から体質的に筋力に恵まれなかったオスカルは、自身の持つ器用さと聡明さを生かした技術と戦術により、軍での地位を上げてきた。


 本人は身長ばかり伸びていることを少なからず苦々しく思っているようだが、僕からしたら自らのコンプレックスをものともせず、成果を上げる彼の様は尊敬してしまう。


「うん。よろしくお願いします」


 だから僕の剣術の師匠は、ここ最近でいえば専らオスカルだ。剣を持った右腕を軽く曲げて前に伸ばす。右脚を前に、左足は後ろに。左腕は力が入り過ぎない程度に腰に当てる。


「魔術はなし。好きに打ち込んでいい」


 どうせ当たらないから、とオスカルは言外に言う。真剣を使っているというのに余裕綽々で腹が立つ。


「今日こそ一太刀くらい当ててやる」

「へえ、怖い。せいぜい死なないところに当ててくれ」


 きれいな形の唇をにんまりとさせながらオスカルは言った。


「いくぞ!」


 一声上げ、僕はオスカルに切りかかる。まずは左下から斜めに振り上げる。オスカルは初めから見切っていたかのように余裕でその剣撃を大剣で受け止める。


 キンッ、と金属と金属がぶつかる甲高い音がする。受け止められる可能性を当然考慮していた僕は、二撃三撃と更に切りかかる。


 弾かれた剣をそのまま首に向けて左に薙ぐ。


 次に右上から袈裟斬り。


 不意を狙って突きの動き。


 そして少し隙間が空いた腹に切りかかる。


 しかしその攻撃のすべてをオスカルはいとも簡単に弾いてしまう。


「いつも言っているだろう」


 腹への一撃を弾いたことで、オスカルの剣先がやや下を向く。僕はすかさずその頭上に剣を振り上げた。


「お前の剣は軽さが利点なんだ。それを、」


 オスカルの大剣が僕の一撃を受け止める。しかし弾かない。オスカルはあえて柔軟を持たせ僕の一撃を受け止めたのだ。想像より剣先が沈んだことで僕はバランスを崩す。


「こんな大振りで攻撃したら意味がないだろう!」


 ばねを付けて、オスカルは僕の剣を大きく跳ね上げた。ただでさえバランスを崩していた僕は、弾かれた衝撃で後ろに大きく倒れかける。なんとか左手で受け身を取り、そのまま数回後方転回しオスカルから距離を取った。


「お前の身軽さとその軽い剣は相性がいい。だから手数で勝負する戦術で行けと言っただろう。振りの大きな動きはやめろ」


 オスカルは呆れたように、肩に大剣を乗せながら言った。


「それに相変わらずお前の剣術は『お稽古』だ。実践的じゃない。最低限自分で身を守るなら、型を守ることに傾倒するな。守破離の『破』にも至れてないぞ」


「……ああそうかよ!」


 いい加減自分でもわかっていることを、こうも言われるとイライラする。僕は低姿勢で走り出すとオスカルの懐に入り込んだ。


「ほう」


 余裕に笑って見せるオスカルの鼻を切り落とすイメージで剣を振り上げる。オスカルは軽く身をそらして僕の剣撃をよけて見せた。


「今のはいい動きだ」


 評論している暇があるならしていればいい。僕は剣を止めない。右に左に上に下に。動きは小さく鋭く素早く。オスカルの隙をすべて潰すイメージで剣を薙いだ。


 しかし、あいつはやはり何枚も上手だ。僕の剣をオスカルはすべてその大剣で弾いてしまう。


「ただもう少しだな」


 振り下ろした僕の剣を、オスカルは大剣で受け止める。そのまま弾かず大剣の鍔まで滑らせると、勢いをつけて大剣を振り上げた。


 てこの原理。支点と作用点が近ければ近いほど、力は大きく作用する。


 初等教育エレメンタリースクールで習うこんな基礎知識さえ、オスカルは戦闘に役立ててしまう。これこそがまさしく神が与えた才能なのだと、青空に流れる僕の剣を見上げながら思った。



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「今日の動きは良かった。前より手数も増えている」

「そりゃどうも」


 あの後何度か打ち合いをしたが、結局僕の刃がオスカルに届くことはなかった。今はオスカルが用意したレモネードを飲んでの休憩中だ。美味いのがまた腹立つ。


「本当に良くなったと思うぞ。型がいい意味で少しずつ抜けてきている」

「お前ほど実戦経験ないからな。魔術封じられてるのもきつい」

「お前は魔術に頼りすぎなんだ」


 そりゃ魔術が苦手なオスカルからしたら、僕のスタイルは甘えているように見えるかもしれない。


「でも魔術だって僕の力だ。使ったって問題ないだろう」

「あんな発動まで時間のかかるものに頼ってたら動きが鈍る。一瞬の間が命取りなんだ。実戦レベルまで鍛え上げろと頼んできたのはお前じゃないか」


 僕の戦闘スタイルは、主に相手の足元を崩すことを狙う場合が多い。土の元素同士の結びつきを弱めることで、物体は固さを失う。脆くなった足元は崩れ落ち、相手はバランスを失う。そこに攻撃を加えるのだ。


「これでも僕、魔術の発動速い方なんだけど」


「スピードを速められるならそれも身に着けたほうがいい。いずれにせよ、剣術はまだ磨きようがあるし、俺は魔術を教えられない。しばらく剣術の演習に励んだ方がいい」


 空になったグラスを僕の手から受け取りながらオスカルは言う。


「俺は朝食の配膳を見てくる。しばらく素振りでもしてろ。出来上がる前に呼ぶ」


 オスカルはそう言うと、剣を背負って宮殿に帰っていった。


 残された僕は、オスカルに言われた言葉を反芻しながら素振りをする。


 そもそも僕がオスカルに教えを乞うたのは、自分の身を自分で守れるようにするためだ。今回の遊学に僕は警戒心を抱いている。「渇きの魔法」という未知の魔法の正体もわからず、そのルーツがここであると主張されるがままアズラカイムを訪れたのだ。大公家に何の思惑があるかわかったもんじゃない。


 それで信頼のおけるオスカルを連れてきたわけだが、僕もずっとあいつといられるわけじゃない。自分の身を自分で守れるようになる必要があるが、僕には実戦経験がほとんどない。オスカルの言葉を借りるなら、せいぜい「お稽古」レベルだ。


 剣を可能な限りのスピードで振り抜く。左へ右に、上へ下に。振り抜くたびに、汗の雫が落ちるのを感じた。


 我ながら以前よりは動きも早くなっている。しかし僕の剣の動きを、あいつはいとも簡単に封じるのだ。僕の剣の二倍は重そうな、あの大剣を軽く振って。


「なんだよもう! 僕より筋力もない癖に!!」

「どなたの筋力がないのですか?」


 突然の声に、思わず剣を向けながら振り返る。そこにはサルマーン閣下が立っていた。


「閣下……!」


 大公家に剣を向けたとなれば重罪だ。僕は慌てて剣を手から離し、両手を上げた。


「申し訳ございません! 閣下でいらっしゃるとは……。訓練中であったもので、そのまま剣を……!」

「ああ、どうかお気になさらず。今のは突然お声がけした私も悪かったので」


 サルマーン閣下は僕に近づくと、落とした剣を拾い僕へ差し出した。


「どうぞ」

「ありがとうございます……」


 僕は恐る恐る剣を受け取った。


「……で? どなたの筋力がないのですか?」

「聞こえていらっしゃいましたか……。お恥ずかしながら私の従者の話です。私の剣の師でもあるのですが、私より細いわりに大剣を振り回すものですから」


「なるほど……。私はサーベルしか使いませんから何とも申し上げられませんが、おそらく体幹の使い方が上手いのでしょうね」


「閣下も剣術を?」

「はい。大公家の世継ぎですから。大抵の教養は仕込まれています。今朝も修業中でした」


 見ればサルマーン閣下の両腰には、一本ずつ三日月のように反った剣が下げられているようだった。


「二刀流でいらっしゃるのですね」

「砂漠ではこれが主流です。……そうだ」


 にやり、という表現がよく合う。そんな様でサルマーン閣下は笑うと、指を一本立てて言った。


「よろしければ手合わせをお願いできませんか? ちょうど今日の修業に物足りなさを感じていたところなのです」


「手合わせ……ですか。……いえ、そんな大公家の方に刃を向けるなど……」


「お互い衣服に強化術をかければ大丈夫でしょう。強化術はお使いに?」

「ええまあ」


「よかった。お恥ずかしながら魔術には基本疎くて。代わりに私にもかけていただけませんか?」

「それにしたっていくら何でも、」


「ではこんな条件ではどうでしょう?」


 サルマーン閣下は僕の言葉を制すると、パンツのポケットから金色の鍵を取り出した。


「『大公家管理図書保管庫』に入れる魔動鍵。私に勝ったらお貸しします」

「はっ!?」


 僕は慌てたあまり後ろに少し飛び退いた。


「閣下、なぜそれを私に……?」

「昨晩噂で聞いたのですが。セルジ殿が大公家管理図書保管庫にご興味があると……。違いましたか?」


「いえ、その、」


 ごめんオスカル。やっぱりお前の言うことは聞いておくべきだったみたいだ。


「いりませんか?」

「いえ……正直、とても興味があります……」

「ふふっ! では一戦お願いできますね!」


 サルマーン閣下は魔動鍵をくるくると弄びながら、僕に人の好い笑顔を向けた。

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